Count No Count

続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

キャプテンサンダーボルト(下) / 阿部和重、伊坂幸太郎

⭐︎⭐︎⭐︎

  純文学の旗手阿部和重と超人気ミステリ作家伊坂幸太郎が組んだ「完全合作」小説「キャプテンサンダーボルト」下巻です。「徹夜本」という煽りも伊達じゃない(仙台だけに、なんちゃって)、ノンストップアクションで最後まで突っ走ります。

 

  まずは簡単に上巻のおさらいを。

 

  東京大空襲と同じ日に蔵王B-29三機が墜落して三年後、蔵王御釜五色沼)からパンデミック村上病」が発生した。現在はワクチンがあるものの、どうも村上病には重大な秘密があるらしい。

 

  ウィルスの発生源とされる「御釜」に何があるのか? そして主演男優のスキャンダルを理由に封印された戦隊ヒーロー映画に何が映っていたのか?
  相葉は逃亡の途中で中学時代の野球部の悪友・井ノ原と再会。ふたりは、太平洋戦争末期に蔵王山中に墜落した米軍機の謎を追う女性・桃沢瞳の助けも借りて謎に挑む。

 

  桃沢瞳の父が残した言葉「村上病はあるけど、ない」の意味は?(*)

  謎の過激環境団体の「五色沼水は、清めます。」の意味は?(**)

 

  その他もろもろの伏線をばらまいて、肝心の主役相葉が警察に拘束され、村上病を発症したとして病院に隔離されて上巻は終わりました。

 

  下巻は当然ながら井ノ原と桃沢とポンセ(カーリー犬)の相葉奪還作戦から始まります。警察が例のターミネーター銀髪の怪人」の登場で大混乱の間隙をついて何とか奪還した相葉は予想通り、村上病ではありませんでした。

 

  何はともあれ、三人と一匹の逃避行が始まり、銀髪の怪人が死屍累々を築きながら追ってきます。カギを握る例の映画の主演男優レッドと落ち合えたのもつかの間、今度は桃沢瞳が銀髪の怪人に拉致されます。二人には五色沼水を汲んでくるしか選択肢はなくなります。

 

  さあ、そこから先はハラハラドキドキの展開でノンストップで二人の母校の小学校での銀髪の怪人との対決に。果たして彼らはこのターミネーターを倒せるのか?

 

--------------------------------------------

 

  ここから(*、**)のネタバレです。

 

  まず、村上病は存在しませんでした。しかし村上ウィルスはありました。終戦間際に五色沼地下の日本軍生物兵器研究施設で完成していたのです。それを例のB-29に乗ってきた米軍により使用を阻止されアメリカに持ち帰られたのでした。そのウィルスの存在と地下施設を封印するために村上病は偽造されたのです。

 

  このウィルスは五色沼水で増殖力・感染力が増大し、人体内に入ると体内細菌を全て猛毒化します。例の過激環境団体のターミネーターはこのファージを手に入れ、五色沼水と反応させることにより人類を「清め」ようとしていたのでした。手っ取り早く言えばバイオテロです。

 

  つまりは村上病は(作れば)あるけど、(今のところ)ない。

 

--------------------------------------

 

  子供時代の思い出を伏線に二人はなんとか銀髪の怪人を倒しますが、桃沢瞳と引き換えに五色沼水を渡しており、ボンベ内に男はすでに水を注入、タイマーはもう発動すみ。

  ちりばめられた伏線が収束し、破滅へのカウントダウンが点滅する中で、白熱のクライマックスに突入する!

 

  ここからは読んでのお楽しみ。どこへ捨てればウィルスを隔離できるのか?ついでに言うと、二人の借金は返済できるのか?.....あっと驚く伏線の回収が待ち受けているのでした。

 

  ややご都合主義に過ぎるところやエンドロール的エピソードの長いところもいかにもハリウッドっぽいですが、まあ楽しめることは請け合いです。

 

  上巻でもちらっと述べましたが、佐々木敦氏の解説もなかなか面白い。「村上病」の村上=村上春樹説を開陳するなど、なかなか楽しめます。

 

  ボーナストラックは説明すると結末のネタバレになるので割愛します。

 

  これで一応今のところ、伊坂幸太郎の小説はコンプリートしました。これからも彼の新作は追いかけていきたいと思います。 

 

 

キャプテンサンダーボルト(上) / 阿部和重、伊坂幸太郎

⭐︎⭐︎⭐︎

  伊坂幸太郎の小説で唯一未読だった「キャプテン・サンダーボルト」(文庫版上下巻)です。2014年に発表された作品なんですが、伊坂単独ではなく、純文学の阿部和重との合作だったため、なんとなく一番後回しにしていました。

 

  いやあ、早く読んどきゃよかった。先日レビューした「ゴールデンスランバー」顔負けのノンストップアクションで、文章・プロットともに今までの伊坂と何の違和感もなく読むことができました。

  昨年の螺旋プロジェクトといい、イラストレーター川口澄子さんとの合作「クジラアタマの王様」といい、彼はアイデアマンで出版界を盛り上げるための行動力がありますね。

 

  下巻の解説を担当されている佐々木敦氏の解説を参考にこのプランの概要を説明しますと、

・ 「完全合作小説」で、二人の分担を明記しない徹底した共同作業

  確かにいつもの伊坂の文章ではないんですがそれほど違和感はありませんでした。メインプロットを二人で共同して考え、地の文とシリアスなガジェットを主に阿部が、台詞と遊びの部分を主に伊坂が主に担当したんじゃないかな、という気はしましたが、本当に見事に融合していていました。

  また、伊坂のホームグラウンド仙台と阿倍のホームグラウンド山形を主舞台としているのも両方のファンに受け入れられやすい設定です。ちなみに2013年が主舞台で、楽天イーグルスが田中マー君の連勝で奇跡の快進撃をしていた時期でそれが通奏低音となっています。

 

・ ハリウッド映画「サンダーボルト」を意識したバディ・システム

  マイケル・チミノが監督し、クリント・イーストウッド(サンダーボルト)、ジェフ・ブリッジス(ライトフット)が主演した悪党二人組の逃亡劇映画をベースに、相葉・井ノ原というジャニーズを思わせる名前の二人を主人公としています。そして、物語の鍵を握るこの二人が子供時代好きだったTV番組名「鳴神戦隊サンダーボルト」もこの「サンダーボルト」からとられています。

 

  と、小難しいことを書きましたが、読む方はひたすら楽しめばいいわけで、早速行きましょう。

 

世界を揺るがす秘密は蔵王に隠されている! 大陰謀に巻き込まれた小学校以来の友人コンビ。 異常に強い謎の殺し屋と警察に追われるふたり(と犬一匹)は逃げ切れるか。 女友達を助けたばかりに多額の借金を背負う羽目になった相葉の手にひょんなことから転がり込んだ「五色沼水」。それを狙う不死身の(ように見える)冷酷非情な謎の白人が、死体の山を築きながら彼を追ってくる。五色沼といえば蔵王の火口湖、そこは戦後にパンデミックを起こしかけた「村上病」のウィルスで汚染されていて、立ち入り禁止地域になっていた。この水はいったい何なのか。逃亡する相葉は、中学時代の野球部の悪友・井ノ原と再会、ふたりは事態打開のために共闘することに……(AMAZON解説より)

 

  序章でいきなりガイノイド脂肪に注目せよ!かまして読者を幻惑させてくれます。ガイノイド脂肪とは、女性の胸やお尻につく脂肪のことでこれが男を惹きつけるのは言うまでもない。そのガイノイド脂肪ののった桃沢瞳という謎の女性が、2012年8月に新宿のバーで、東京大空襲の折に蔵王へ向かい消息を絶った「地平線の猫」という名のB-29の情報をある男から収集しているところから物語は始まります。

 

  このB-29墜落の3年後、蔵王御釜五色沼)から「村上病」という伝染病のパンデミックが発生、ワクチンで鎮圧されたものの、御釜はそれ以後立ち入り禁止となっています。

 

  さて本筋は2013年7月に移ります。昔の野球仲間で今は借金に追われる二人、かたやいい加減だが人情には厚い相葉は山形で昔の野球仲間を集めてホテルでやばい取引をしようとして、部屋間違いからとんでもない外人組織に狙われる羽目になり、かたやまじめだが勘の鈍かった井ノ原コピー機販売の傍らコピー機から情報を盗んで売りつける裏商売でローン返済を目論むも追いつかない。その一環で桃沢瞳から「鳴神戦隊サンダーボルト」の映画版が突然お蔵入りした裏事情(蔵王でロケしていた)を探るよう依頼されます。

 

  この二人は12年前のある事件がもとで訣別したのですが、追われる相葉と探る井ノ原が仙台の映画館で偶然遭遇したことから、物語は大きく動き始めます。ターミネーターみたいな外人と映画館で一騒動あった後、映画館経営者がマニアックな戦隊ヒーローもの蒐集家と判明、何とお蔵入りした映画のビデオを持っており、その映画を見せてもらった二人はある驚愕の事実を画面内に発見します。

 

  一獲千金を夢見たのもつかの間、どういうわけか相葉は警察に拘束され、挙句に「村上病」で強制入院させられてしまいます。その原因は例の謎の組織の男が持っていた「五色沼の水」にあるらしいのですが。。。

 

  軽快なノリに加えて、懐かしの助っ人外人ポンセと名付けられたカーリー犬(それを相葉がひたすら他の外人の名前で呼び続ける)、謎の組織の恐ろしげな男が使う携帯翻訳アプリの敬語など、笑わせるネタをたんまりとぶち込んだ、それこそハリウッド的ノリで後半に続きます。

 

  ちなみに上巻には物語一時間前の「ボーナストラック」がついていますが、まあホントにおまけ程度です。 

 

 

 

思いわずらうことなく愉しく生きよ / 江國香織

⭐︎⭐︎⭐︎

   久しぶりの江國香織です。彼女は一見何気ないようでいて実は天才的な文章を書く、と個人的に思っています。それはもう中毒になる程で、私の場合プロットどうこうより彼女の文章が読めるだけでいい。しかしそこへ持ってきて静かな狂気を描くのが上手いときている。鬼に金棒です。

 

  というわけでここでもたくさんレビューしてきましたが、多作の方で未読もたくさんあります。今回もその一つ、2001-3年にかけて雑誌「VERY」に連載された「思いわずらうことなく愉しく生きよ」です。

 

     いやあ、ページが残り少なくなるのが惜しいくらい見事な江國流の文章が綴られていました。ただ、今回は万人にお勧めできるプロット、構成ではなかったですね。三姉妹の日常をひたすら淡々と描きながらそこに潜む問題を少しずつ炙り出していくのですが、起承転結がはっきりしているわけでもなく、クライマックスもそれほど大事にはならずに終わってしまう。。。

  江國を知らない方が読むと、え、これで終わり? 何なのこの話? 何なのこの三姉妹? と思われること必定です。でも、ファンにはたまらない。そうそう、これが江國さんなんだよね、といつくしみながら一文一文を追って、お腹いっぱいになって終われます。

 

  そういう意味では極端に評価が分かれる小説で、彼女の文章に親和性がある方のみにお勧めできる作品でした。

 

  で終わってしまうのも愛想がないので、簡単に登場人物を紹介しましょう。

 

  人はみないずれ死ぬのだから「思いわずらうことなく愉しく生きよ」が家訓の犬山家の三姉妹。

 

長女の麻子は36歳。三姉妹で一番美しく、7年前に結婚しましたが、家庭内暴力を夫から受けています。それはもう、夫の勝手な理屈に胸糞悪くなるほどなのですが、残念なことにこれ以上ないくらい典型的な共依存で、麻子は夫から離れられません。三女育子にふと漏らしたことからしっかり者の治子の知るところとなり、波風が立ち始めますが。。。

 

次女の治子は34歳で三姉妹一のしっかり者。大学卒業後アメリカに留学しMBAを取得して現地で就職。帰国後に別の外資系企業に転職してバリバリ働いています。結婚になんの幻想も抱いておらず、熊木という売れないスポーツライターと同棲して彼を愛してはいるものの縛られる気は全くなく、アメリカ時代の恋人と合えばセックスしてしまいます。酒も尋常でなく強い。そんなある日妬みからの投書がもととなり、熊木は他の男とのセックスの事実を知りマンションを出ていきます。

 

三女の育子は29歳で一風変わっています。一人暮らしで、クリスチャンではないがキリストが好きで、置物や葉書をいくつも持っています。「人はなんのために生きているのか」を日々考えこまめに日記に書き続けています。一方で西部劇に出てくる娼婦のように求められればセックスします。でも基本的には「家庭」というものに憧れており、隣家と親しくなっていきます。また、離婚した両親を一番気遣っているのも育子です。

 

    もちろんこんなにきっちりと描き分けられているわけでなく、コロコロと三人の視点が入れ替わりつつ日々の描写が進んでいき、最後に一波乱あるものの劇的な展開とはならずに収斂していきます。ただ、その中で一番変われないと思っていた確実に麻子が変わっていきます。粘り強くその様を描き切った江國さん、お見事です。

 

  てなわけで、なんとなくDragon Ashの「静かな日々の階段を」を思い出したり、治子と育子にイヴァンとアレクセイ(・カラマーゾフ)をちょっと重ね合わせてみたり、そんな風に彼女の滋味ある文章を味わい、読み終えたのでした。

 

犬山家の三姉妹、長女の麻子は結婚七年目。DVをめぐり複雑な夫婦関係にある。次女・治子は、仕事にも恋にも意志を貫く外資系企業のキャリア。余計な幻想を抱かない三女の育子は、友情と肉体が他者との接点。三人三様問題を抱えているものの、ともに育った家での時間と記憶は、彼女たちをのびやかにする―不穏な現実の底に湧きでるすこやかさの泉。

 

 

パーマネント神喜劇 / 万城目学

⭐︎⭐︎⭐︎

  万城目学の小説で唯一未読だったのが2017年発表の「パーマネント神喜劇」でした。この春に文庫化されたのでようやく読んでみました。

 

 派手な柄シャツを小太りの体に纏い、下ぶくれの顔に笑みを浮かべた中年男。でもこれは人間に配慮した仮の姿。だって、私は神だから──。千年前から小さな神社を守る恋愛成就の神は、黒縁メガネにスーツ姿の同僚と共にお勤めに励む。昇進の機会を掴むため、珍客がもたらす危機から脱するため、そして人々の悠久なる幸せのため。ちょっとセコくて小心で、とびきり熱い神様が贈る縁結び奮闘記!

 

 

 

狐火の家 / 貴志祐介

⭐︎⭐︎⭐︎

   防犯探偵榎本シリーズ二作目です。一作目の「硝子のハンマー」が好評を博し、シリーズ化の要望に応えて書かれた4篇の短編をまとめたのがこの「狐火の家」で、さらに4篇を編んだのがカドフェスで読んだ「鍵のかかった部屋」ということになります。ちなみに計9作全てテレビドラマ「鍵のかかった部屋」でドラマ化されました。

 

  防犯ショップ店長にして盗みのプロでもある榎本径(TVでは大野智)と彼を泥棒と疑い(本作ではほとんど確信)ながらも頼らざるを得ない弁護士青砥純子戸田恵梨香)のホームズ&ワトソン的なコンビが「密室殺人事件」を解決していくわけですが、遊びのほとんど無いハードな長編であった「硝子のハンマー」から一転して、ここからの短編群はいい意味で肩の力が抜けており、このコンビのユーモラスな面が前面に出ており、なかなか楽しめました。

 

  余談ながら、青砥の携帯着信音はこのシリーズ全体の楽しみの一つで、音楽(特にロック)ファンは楽しめます。ちなみに「狐火の家」ではアリス・クーパーのダミ声で「The Telephone Is Ringing!」、いけてる〜(笑。

 

  ではテレビも思い出しつつ、四作品を簡単にレビューしてみます。

 

狐火の家」(TV Episode 7)

    名優にて演出家でもある吉田鋼太郎さんが被害者の父親役をやっていて印象深かった回です。

 

  長野県の片田舎の素封家の古い一軒家で父が帰ると娘の女子中学生が殺されていました。家全体が密室というのは無理があるように思われますが、たまたまその日は雨という気候や正面のリンゴ農園で近所のおばさんが仕事してたりといった条件が重なり実質上密室化していました。しかも不良家出息子の残したらしきライターについた匂いで警察犬に追尾させるもダメだったという、念には念をいれた設定となっています。

 

  よって、仕方なく、という感じで第一発見者の父が勾留され、その弁護、というよりは所属事務所の密室担当として、たまたま長野県のリゾートに合コン休暇で来ていた青砥純子が呼び出され、プンプン怒りながら愛車Audi A3で現場へ向かいます。最初は自分一人で密室トリックを解こうとした青砥でしたが、やっぱり無理で榎本を呼び出すという今後ルーチン化しそうな展開へ。

 

   一旦榎本を使って脱出可能であることを実証し、読者をミスリードさせるプロットは秀逸。「狐火」やポットン便所のでかい「クモ」(青砥純子は蜘蛛恐怖症!)などの舞台装置もなかなかいい雰囲気を醸している佳篇でした。

 

黒い牙」(TV Episode 4)

    ペット殺人事件。TVでは殺された被害者の妻を白石美帆さんが演じていて、嫁姑問題、離婚問題まで絡んでいましたが、原作はシンプルで一場面、短時間解決の短編でした。それだけに気持ち悪さ倍増、よく白石さん、あんな役やりましたね(汗。

 

  被害者は大事に育てていた「黒い牙」を持つペットたちのうちの一匹に咬まれて死んでしまったのですが、それはわざわざ借り上げて完全防備でドアを閉めてしまえば完全密室になるマンションの一室。

 

  登場人物は青砥純子と彼女にペットたちの引き取りを依頼した被害者の友人古澤(もちろんマニア)、そして被害者の妻の美香の三人だけ。榎本は電話でだけの登場(ちなみに青砥が最初に電話した時は「仕事中」)。

 

  青砥弁護士は榎本との電話のたびに外に出ては、喧嘩してる二人と「ペットたち」がゴロゴロいる部屋に恐怖に怯えつつ入らなければならない、その様が実にユーモラス。ついでに言うとメスのペットにはキャメロン、シャーリーズ、ニコールといった、チャーリーズエンジェルにでもできそうなステキな名前がついており、被害者がいかに彼女たちを愛していたかが伺えて微笑ましい(か?)。

 

  まあありえんくらい気色悪いトリックですが、これを一時間かそこらで解決されてしまうユーモラスな短編に仕上げた貴志祐介さんはエライ。

 

盤端の迷宮」(TV Episode 3)

    被害者の恋人の女流棋士相武紗季さんが演じ、ちょい役(それも竜王)で作者貴志祐介さんが特別出演された回でした。

 

  ホテルの一室で鍵ロックに加えてチェーンロックまでかかった状態で刺殺されていた将棋棋士。恋人の女流棋士は警察に三人の将棋関係者の名前を容疑として挙げます。しかし「硝子のハンマー」で登場した、泥棒榎本に情報を流してやる見返りに手伝わせる警視庁捜査一課のクセ者「ハゲコウ」こと鴻野警部補がわざわざ榎本を呼びつけて確認させても、密室は破れそうにない。

 

  さあ、犯人は誰?相武紗季がやるくらいでしょうからその恋人でしょうと思ったあなた、人間の棋士のような先入観は捨てて、将棋AIのようにあらゆる可能性を検証するように(笑。

 

  今回珍しいのは、というか、ここまでで初めてのパターンですが、青砥と榎本が真っ向から対立すること。これもなかなかいいパターンだなと思いました。

 

犬のみぞ知る」(TV Episode 8)

  フッフッフ〜、バカミス再び!

 

  というかこちらが先なんですが。実は「硝子のハンマー」で唯一の遊びネタとして、舞台となった介護サービス会社に松本さやかという副社長秘書がいて、内緒で副業で舞台女優をしているという設定がありました。その劇団の名前がなんと「土性骨(どしょっぽね)」。この名前には見覚えがありました。そう、最初に読んだ「鍵のかかった部屋」の4作目「密室劇場」のアングラ三流劇団です。「密室劇場」は一つの事件が解決して青砥が(無理やり?)劇団の演劇を見せられているところから始まります。

 

  ここまで言えばお分かりかと思いますが、そのミッシングリンクを埋めるのが本作なのです。劇団の主宰者が自宅で殺害されたが放し飼いの番犬がその殺害時刻に限って吠えなかった。アリバイがないのが3人でそのうちの一人が犬になつかれていた松本さやか

 

  もうこの作品に難しいことを書いても仕方ない。「密室劇場」に負けず劣らずのバカミスです。笑って読み流すべし。あえていうと、青砥が微妙に「天然」であるとすれば、女優として恥ずかしくない美貌の持ち主松本さやかはいい具合に頭のネジが抜けている。このあたりを楽しみましょう。残念ながらテレビでは松本さやかもこの劇団も出てこないんですよね〜。

 

  以上、なかなかよくできた推理ミステリだったと思います。なのになんで「鍵のかかった部屋」はあんなトンデモトリックになっていったのかなあ(嘆息。

 

  最後に一言だけ、短編でディテイルの書き込みよりトリックの謎解きに重きを置くようになると、(バカミスは別として)人の命をあまりにも軽く扱っているなという気がしないでもありませんでした。テレビドラマだとまあこんなもんかと流せますが、小説として読むにはちょっと辛い感じ。それならミステリを読むなよ、と言われればそれまでなんですが。

 

 

長野県の旧家で、中学3年の長女が殺害されるという事件が発生。突き飛ばされて柱に頭をぶつけ、脳内出血を起こしたのが死因と思われた。現場は、築100年は経つ古い日本家屋。玄関は内側から鍵がかけられ、完全な密室状態。第一発見者の父が容疑者となるが……(「狐火の家」)。表題作ほか計4編を収録。防犯コンサルタント(本職は泥棒?)榎本と、美人弁護士・純子のコンビが究極の密室トリックに挑む、防犯探偵シリーズ、第2弾!月9ドラマ『鍵のかかった部屋』原作! 

 

 

硝子のハンマー / 貴志祐介

⭐︎⭐︎⭐︎

  先日TVドラマ「鍵のかかった部屋」の原作(同名短編集)の(やや辛口の)レビューをしたのですが、文庫本であと二作あるとのことで、乗りかかった舟、とにかく読んでみることにしました。

 

  まずは「硝子のハンマー」です。テレビでは本作が最終話で二週連続で放映されました。玉木宏のいい具合な汚れ方がカッコよくて、大野君との対決の演技も印象的でしたが、彼があんな仕事してれば「あ、この男が犯人だな」とみんな分かっちゃうという難点はありました。 。

 

   そのテレビドラマでは大金をせしめた榎本(大野君)が高飛びしちゃうのですが、原作ではこれが第一話でしかも600P近い長編小説でした。巻末インタビューを読むと、貴志祐介氏のミステリ初挑戦作で、綿密な取材を行い執筆に長い年月をかけたそうです。その結果好評を博し、2005年日本推理作家協会賞も受賞しておられます。。

 

 日曜日の昼下がり、株式上場を間近に控えた介護サービス会社で、社長の撲殺死体が発見された。エレベーターには暗証番号、廊下には監視カメラ、窓には強化ガラス。オフィスは厳重なセキュリティを誇っていた。監視カメラには誰も映っておらず、続き扉の向こう側で仮眠をとっていた専務が逮捕されて……。弁護士・青砥純子と防犯コンサルタント・榎本径のコンビが、難攻不落の密室の謎に挑む。(文庫本裏表紙解説)

 

  一読して感心したのは構成の妙で、第一部「見えない殺人者」、第二部「死のコンビネーション」の二部から成ります。

 

   第一部では、社長殺人事件の発生状況、経過、誤逮捕された専務の弁護を引き受けた美人女性弁護士青砥純子と防犯ショップ店長にて実は盗みのプロの榎本径との初めての出会いが手際よく描かれます。   そして密室トリックの探索といくつもの仮説の検討と破棄が重ねられた末、榎本がようやくこいつは、デッド・コンボだ!と密室トリックを見破るところまでで終了。

 

  第二部はいきなり犯人の視点に切り替わります。偽名に成りすましヤクザから逃げて故郷を後にし東京に出てきた事情、東京での生活と職にありつくまで、そして犯行を思いつき実行する過程が綿密に描かれます。その結果盗難と殺人は見事に成功するものの、疑心暗鬼に苛まれるようになり、最後は榎本の理詰めの問い詰めで窮地に追い込まれ、さらには決定的な証拠を示されて屈服します。

 

  犯人を第二部で早々に飽かしてしまうというリスクを追ってまでこの倒叙形式にしたのは正解だと思います。第一部で榎本と青砥のトライアル&エラー、介護ロボットという目新しいガジェット、ビル管理清掃のテクニックが既に十分説明されているので、興味をそがれることはありませんでした。

 

  インタビューによると、最初は犯人も違う人間で、このような構成も考えていなかったが、書いていくうちにこういう形になっていったそうです。結果的にこの犯人設定と構成は成功していると思いますし、著者渾身の綿密な取材と考え抜かれたトリックには敬服しました。

 

  もちろん主人公の魅力もこういうミステリの大事な構成要素ですが、TVドラマシリーズにもなったように榎本と青砥のキャラも既にこの作品で確立していますし、シリーズ化の要望があったことも頷けます。佐藤浩市(芹沢豪弁護士)をコミックリリーフとして立てたTVスタッフもさすがではありますが。

 

  ただ一点、私の専門分野である医学的考証には大いに異議あり。あまりたくさん言いすぎると嫌味になっちゃいますから、一点だけ。

 

脳外科手術で切った後の頭蓋骨は弱いので普通の人よりずっと弱い衝撃ですぐ死んでしまう

 

ことはありません。今回のトリックのような「デッド・コンボ」程度で死亡発見される可能性は極めて低いと思います。

 

  これだけ防犯や介護やビル管理やら薬剤やらの取材をしておきながら、直接死因に対する考証がなおざり過ぎる。とても残念です。

 

  とは言うものの、まあ私のこだわりは普通の方には関係ないことであり、小説的には☆四つ入れてもいい内容でした。また、玉木宏を犯人役にもってきて脚本を書き上げたテレビスタッフにも敬意を表します。たしかにマーブルさんのおっしゃる通りかなり忖度していましたけどね。 

 

 

地下街の雨 / 宮部みゆき

⭐︎⭐︎

  宮部みゆきの現代小説はもう大概読み尽くしているのですが、ブックオフに行くとたまに「あ、これは読んだことがない!」という作品に出くわします。この「地下街の雨」も先日見つけた未読品で、調べてみると1994年集英社から出版された短編集で1998年に文庫化されていました。そして今回たまたま同社のナツイチ2020のリストに上がっており、コミュニティ企画参加も兼ねて読んでみました。

 

  が、う~ん、いくら比較的初期の作品とは言え、これは出来が悪いな~、というのが偽わらざる感想です。

 

  宮部みゆきさんはデビューまでに随分長い文学修行をされた方で、講談社の小説作法教室で山村正夫氏等の薫陶も受けられています。ですからデビュー当時からしっかりとした文章と巧みなプロットの小説を書いておられ、そこへ社会問題やSF要素などを巧みに取り入れて一流の作家になっていかれました。

 

  よって現代小説、時代小説、SF小説、長編、中編、短編、なんでもござれ、何を書かせても常に水準以上のクオリティを保てるオールマイティな方だと思っています。

 

  それだけに期待しすぎたのかもしれませんが、本作は「出来の悪いものだけ詰め込んだんじゃないか?」と訝るくらい面白くなかったです。確かに「小説作法」的には破綻はしていないんですが、彼女にしては読者への訴求力に乏しい。

 

  試しに同時期に出た短編集を調べてみましたところ、「ステップファザー・ステップ」「寂しい狩人」「鳩笛草」「人質カノン」などの錚々たる作品が揃っていますので実力がなかったわけでもない。さすがの宮部みゆきでも出来不出来のムラがあったのだな~と妙な感心をしてしまいました。

 

  とりあえず都会の片隅で夢を信じて生きる人たちを描く、愛と幻想のストーリー七篇を寸評してみます。

 

地下鉄の雨」 結婚直前で裏切られて失意のまま地下街の喫茶店でアルバイトをしている女性が主人公。その喫茶店に通ってくる謎の女。最初は同じ境遇で意気投合するも、段々とその異常性が露わになってきて。。。杉村三郎シリーズにとんでもない嘘つきのサイコパスの女がいましたが、この話はとんだしりすぼみの展開で、オチが弱すぎます。これが表題作とはつらい。

 

決して見えない」 雨の夜待てども来ないタクシー待ちをしている男の後ろに並んだ人の好さそうな老人の正体は?軽いホラーで、定石通りの夢オチ、そしてそのあと一ひねりはしてありますが、宮部に求められるクオリティではないですね。

 

不文律」 一家四人で海へ自動車で転落。常識的に考えて一家心中と思われますが、そこまでする理由がわからない。関係者のさまざまな証言だけで構成し、そこから真実を浮かび上がらせる手法はよく考えられてはいますが、真実が明らかになった時の衝撃に乏しかったです。

 

混線」 電話ストーカーを懲らしめる電話の精。その懲らしめ方がホラーでなかなか強烈ですが、そこへいたるまでの話が無駄に長い。

 

勝ち逃げ 」 一生独身で通した厳格な教師の伯母の死に際して明らかとなる失恋秘話。スケベな迷惑叔父の話を含めて前置きの状況説明がだらだら長く、今一つ盛り上がりにも乏しい。

 

ムクロバラ」 正当防衛で刺殺してしまった男の妄想に長年付き合わされて徐々に自分も蝕まれていく部長刑事。自分のためにも家族のためにもさっさと胃カメラ飲めよ、とツッコミたくなりました。

 

さよなら、キリハラさん」 耳の遠い祖母と親子四人計五人の騒々しい一家にある日突然、とんでもない事態が生じます。家の中に限り全員耳が聞こえなくなるのです。犯人は捜すまでもなく皆の前に堂々と現れ、銀河系共和国の元老院から派遣された音波Gメン「キリハラ」ですと自己紹介。ユーモアドタバタSF小説のまま突っ走ってくれたらよかったのに、種明かしが現実的過ぎでした。

 

  というわけで、なんと七篇すべて落第点!(個人の感想です)「宮部みゆきでもこういうことはある」ということが分かった短編集でした。  

 

 麻子は同じ職場で働いていた男と婚約をした。しかし挙式二週間前に突如破談になった。麻子は会社を辞め、ウエイトレスとして再び勤めはじめた。その店に「あの女」がやって来た…。この表題作「地下街の雨」はじめ「決して見えない」「ムクロバラ」「さよなら、キリハラさん」など七つの短篇。どの作品も都会の片隅で夢を信じて生きる人たちを描く、愛と幻想のストーリー。(AMAZON解説)

 

 

四畳半タイムマシンブルース / 森見登美彦

⭐︎⭐︎⭐︎

   森見登美彦待望の新刊「四畳半タイムマシンブルース」です。まずは長い前置きをば。

 

  先日レビューしたエッセイ「太陽と乙女」にも書かれていましたが、森見登美彦氏はは2011年8月に連載を抱え過ぎて頭がパンクして連載をすべて中断、長期休養を余儀なくされました。復帰後「聖なる怠け者の冒険」、「夜行」と宿題を片付け続け、2018年の「熱帯」を以て中断していた連載の後始末を全て終えました。

 

  ご本人はさぞや晴れ晴れされたでしょうが、やはりファンには昔の腐れ大学生もしくはが戻ってきてほしいという願望があります。本作はその願望を満たしてくれる「四畳半」シリーズの嬉しい復活です。

 

  冒頭リンク先のHPにてモリミー曰く「四畳半神話体系」と森見作品のアニメ版脚本を多く手掛けている上田誠さんの舞台作品「サマータイムマシンブルース」を合体させて16年ぶりの続篇を作ってみたとのこと、「やったね!」と拍手するしかありません。

 

  ましてや、中村佑介さんの手になる、右手に撮影用ハンディカメラを持ちカバンに「もちぐま」をぶら下げたヒロイン明石さんが大々的にフィーチャーされた表紙イラスト(下のリンクのサムネ参照)を見れば買わない手はない。早速読んでみました。

 

  と、ここまでの長い前置きでご理解いただけると思いますが、この作品を楽しむには少なくとも「四畳半神話体系」を読んでおく必要があります。その点ご了承いただき、レビューに入ります。

 

気ままな連中が”昨日”を改変。世界の存続と、恋の行方は!? 水没したクーラーのリモコンを求めて昨日へGO! タイムトラベラーの自覚に欠ける悪友が勝手に過去を改変して世界は消滅の危機を迎える。そして、ひそかに想いを寄せる彼女がひた隠しにする秘密……。 森見登美彦の初期代表作のひとつでアニメ版にもファンが多い『四畳半神話大系』。ヨーロッパ企画の代表であり、アニメ版『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』『ペンギン・ハイウェイ』の脚本を担当した上田誠の舞台作品『サマータイムマシン・ブルース』。互いに信頼をよせる盟友たちの代表作がひとつになった、熱いコラボレーションが実現!

 

  「サマータイムマシンブルース」は(名匠)本広克行監督、(タッパのある)瑛太、(天才)上野樹里主演で映画にもなったくらい有名な青春SFコメディで、大学の「SF研究会」の面々が壊れる前のクーラーのリモコンを取りに(どういうわけかそこにあった)タイムマシンで「昨日」に飛ぶ、そのはちゃめちゃな二日間を描いています。

 

  この「SF研究会」の面々を、オンボロアパート下鴨幽水荘に生息する腐れ大学生(三回生)の私、人の不幸で三杯飯が食える同回生小津、八回生の先輩樋口清太郎、映画サークル「みそぎ」でポンコツ映画を撮りまくる二回生明石さん、「みそぎ」部長の鼻持ちならない城ヶ崎、その恋人で歯科衛生士の羽貫さんといった面々に置換するとどうなるか。

 

  この二つのアホな世界は非常に親和性が高いと思われ、容易に合体し無益なエネルギーが倍増するでしょう。

 

    そしてそこへやってきた「モッサリした」学生田村君。彼はあの青くて丸々としたネコ型ロボットが遠い未来からこれに乗ってやってきたタイムマシンの座席部分を煮しめたように黒光りする古畳に置換したいかにもなマシンで25年未来の幽水荘(まだあったのか!)からやってきたのでした。

 

  さあそこから事態はクーラーのリモコンをめぐって予想に違わず

史上最も迂闊な時間旅行者たちが繰り広げる冒険喜劇! 「宇宙のみなさま、ごめんなさい」(帯のアオリより)

という大騒動に。

 

  そもそもタイムパラドックスなど全く気にしない小津や樋口師匠はともかく、バタフライイフェクト的に宇宙が崩壊すると心配する私や明石さんだって同時同人物重複存在のパラドックスを気にはしていない(遭遇しなければいいと思っている)ようです。

 

  読んでいて哀れだったのはクーラーのリモコン。小津にコーラをこぼされたのを発端に、一日前から持ってこられるわ、某時某所で沼に落とされるわ、大家さんの飼い犬ケチャに掘りあてられるわ、田村君に25年後から持ってこられるわ(まだ存在していたのが凄い)、登場人物以上の大冒険を繰り広げるのでした。

 

  さてこの阿呆なタイムトラベル劇の合間合間に繰り広げられる私の明石さんへのヘタレなアプローチ。まあうまくいくはずもないし、どうせ小津の悪だくみが待ち受けている。

 

  ところがです!このドタバタ騒動にかこつけて私は明石さんと五山の送り火を二人で見る約束を取り付けてしまったのでした、やったぜ「私」!

 

  それでも絶対うまくはいかないのがルーチンなのですが、驚いたことにラスト近く、

 そのとき彼女が「先輩」と囁いた。「五山送り火はどこで見物します?」

なんて腐れ大学生シリーズにあるまじき台詞が明石さんから飛び出すのでした。

 

  その一方で、もう一つの驚愕の事実が判明。私は田村君の鞄の中に古ぼけたもちぐまを見つけてしまいます。田村君を問い詰めたところ、母はやっぱり明石さんでした。

 

  では父は!?『田村』って誰!?

 

  これは読んでのお楽しみ。少なくとも師匠の樋口清太郎ではない。だって25年後も師匠は幽水荘の主として君臨しているのですから(あっ、一つネタバレしちゃった)。

 

  というわけで、久々に「四畳半」系統の新作を読めて幸せでした。次は狸だな。

 

 

どうしても生きてる / 朝井リョウ

⭐︎⭐︎⭐︎

    朝井リョウを読むシリーズ、再び小説に戻って2019年の「どうしても生きてる」です。エッセイでは自分のことを猫毛で馬面、胴長短足猫背で痔持ちのスットコドッカーと卑下している朝井リョウですが、そんなスットコドッコイが書いたとは思えないほどずしんと来る冷徹な人間描写、捻りの効いた場面転換、ヘビーで暗いオチが彼の持ち味の一つです。今回もその作風を遺憾無く発揮しており、あらためて彼の才能と筆力に脱帽してしまいました。

 

  六作品からなる短編集で、今までと異なり相互連関はありません。テーマや内容は多岐にわたりますが、敢えて一言で言えば「現代の日本社会で働くことの難しさ、生活していくことの息苦しさ」ということになるでしょうか。

 

  エッセイで自分の年表を作っていたリョウですが、それによると彼は1989年生まれ。「ゆとり世代」とは言われるものの、彼らを取り巻く環境はそれまでの「わが世の春を謳歌」していた世代に比べて暗い。

 

・ 子供時代にバブル時代が終焉を告げ、

・ 「構造改革」なるもので非正規雇用が増え労働環境が一変し、

・ 大人になっていく時期とインターネットや携帯電話の普及がリンクし、

・ 成人したばかりの頃に東日本大震災が起こり、

 

それ以降日本経済は停滞期から衰退期に入ります。

 

  このゆとり世代の就職は「何者」でリョウ自身が描いていたように厳しく、その難関を突破して飛び込んだ一般社会はパラダイムシフトの真っただ中。

 

  高村薫流に言えばあなたは、生産性と称して少ない数の従業員を酷使するような旧態依然の企業に未来があると思うか。(時代へ、世界へ、理想へ)という一般企業の停滞、一発当てようとする有象無象のベンチャー企業の浮沈の繰り返し、現代の黒船と言えるGAFAや中国の巨大企業の浸食といった混沌とした様相を呈しています。

 

  その諸相を高村薫女史はガサっと大づかみにして総論的に論じておられましたが、朝井リョウは各論的にその労働現場で逼塞する人たちをスケッチしていきます。よって今回のケースレポートの題材となる主人公たちは、転職や妊娠出産のラストチャンスである30-40歳あたりの年齢層が中心となっています。

 

  彼等彼女等には仕事、子育て、親の介護などの現実の負担が重くのしかかっており、それでいて日本の経済成長の見通しは立たず、その一方でネット社会という過去になかったいびつに便利な世界が併存している。惹句ととともにまとめてみます。

 

健やかな論理』(死んでしまいたい、と思うとき、そこに明確な理由はない。心は答え合わせなどできない。)では、バツイチの一流企業勤務の女性がマッチングアプリでセックスフレンドを見つけ出し、自殺記事をみてネットのSNSの大海の中からその人物を特定して楽しんでいるうちに、自らのアイデンティティが崩壊しそうになる。

 

流転』(家庭、仕事、夢、過去、現在、未来。どこに向かって立てば、生きることに対して後ろめたくなくいられるのだろう。)では、大学時代に漫画で生きていくことを決意しデビューまでこぎつけた男がそこで行き詰まり、彼女の妊娠を都合の良い理由にして就職する。20年後、起業しようと誓い合った友人を裏切る瀬戸際に立たされ、この間変わらない音楽スタイルを貫いているバンドのライブ会場を訪れる。

 

七分二十四秒めへ』(あなたが見下してバカにしているものが、私の命を引き延ばしている。)では、非正規雇用の女性が、誰もが見下し毛嫌いする「迷惑系Youtuber」の画像を眺め続ける。

 

風が吹いたとて』(社会は変わるべきだけど、今の生活は変えられない。だから考えることをやめました)では、進学を控える子供二人、「出世」とは名ばかりの配置転換で消耗する夫、親の介護問題、鬱屈だらけの職場等々、考えなければならないことは山ほどある毎日を送る主婦に強い風が吹く

 

そんなの痛いに決まってる』(尊敬する上司のSM動画が流出した。本当の痛みの在り処が映されているような気がした。)では、共働きの妻の企業が時流に乗り躍進し、自分が転職した電子決済の企業は中国の大企業と大手携帯会社の提携という圧倒的攻勢に耐えきれそうにない。妊娠を望む妻の前ではインポになってしまうのに、出会い系サイトとカーシェアリングを利用して背徳の行為に耽り続ける。そんな彼にはちっとも「大丈夫」ではないのに「大丈夫です」と会社のために言い続けた元上司がSMプレイの溺れた理由がわかる。そんなの痛いに決まってる。

 

』(性別、容姿、家庭環境。生まれたときに引かされる籤は、どんな枝にも結べない。)では、外れ籤を引かされ続けた女性がそれをバネに大学卒業後大手演劇ホールのホール長まで登りつめ、幸せな結婚、そして妊娠までしたのに、胎児に関する衝撃の事実が明らかになった翌日の仕事中東日本大震災が起こってしまうという、あり得ない確率の凶事が立て続けに起こる。

 

  重く澱んだ世相から独特の感性で選び出した、いかにも今の日本にいそうな人たち。彼等彼女等を独特の筆致とアイデアで徐々に追い詰めていくリョウ。それに加えて凄いのは、物語が終わっても登場人物の人生は終わらないということを作者が明確に意識しているところ。演劇は暗転すれば終わる(「籤})けれど、現実では生きなければいけない明日は来る(「風が吹いたとて」)のです。

 

  そういう意味では、これからの日々にほのかな明かりが見える「籤」が共感しやすい作品だと思いますが、ドロドロで醜い「そんなの痛いに決まってる」の救いようのなさもまた朝井リョウの真骨頂です。ずしんと重く心にのしかかる、読み応えのある作品集でした。

 

 

一人称単数 / 村上春樹

⭐︎⭐︎⭐︎

  村上春樹の新刊です。あれ〜、ハルキストはやめたんじゃないのかよと言う声がセミンゴ方面から聞こえる気がしますが、懲りもせず読んじゃいます、テヘペロ

 

  さて春樹氏は「超長編」「短めの長編」を交互に出版するのをメインのリズムとして、その間に適宜「短編集」「エッセイ」「翻訳」を挟むと言うサイクルを律儀に繰り返しておられます。

 

  で、この新刊短編集は「女のいない男たち」から数えて6年ぶりとなります。

 

  全部で八作からなりますが、最後だけ書き下ろしと言うのは「女のいない男たち」と同じ手法で、その最終作にしてタイトル作で全体をまとめています。それ以外はすべて「文學界」に掲載された作品です。

 

  そのタイトルですが、shinさんがすでにレビューで書いておられるように、ジョン・アップダイクの評論集「Assorted prose(一人称単数)」から拝借しているものと思われます。

 

  しかしそれだけではないはず。なぜなら、彼には馴染み過ぎた「」という一人称単数の文体から卒業することができずに苦しんだ時期があったからです。そしてそれをなんとか克服し三人称で物語を語れるようになったのが「海辺のカフカ」であると、どこかで述べておられました。

 

  その旧村上文体に久しぶりに戻りたくなったのか、それともそんな軛を気にしない境地に達して遊んでみられたのかはわかりませんが、今回の作品はすべて「一人称単数」で書かれており、あのナイーブな「」が帰ってきた感満載です。ですので元ハルキストとしては比較的楽しく読むことができましたが、数多のアンチを産んだスノブさも同時に戻ってきておりますので、ツッコミどころも満載。

 

  では各作品を見ていきましょう。タイトル作を星三つとして採点もしてみました。

 

石のまくらに」 ☆☆☆   石の枕といえば漱石枕流草枕)を思い起こしますが、漱石とは何の関係もありません。一言で言うと「ザッツ・ハルキ!」、春樹が嫌いな人が一番嫌がるタイプの作品。

 

  大学生の主人公がバイト先の(その日に辞める)年上の女性と一晩をともにする話で、裸になって布団に入っての彼女の最初の一言がすごい。

「ねえ、いっちゃうときに、ひょっとしてほかの男の人の名前をよんじゃうかもしれないけど、それはかまわない?」

ご丁寧に二度も出てくるこの台詞、アンチの皆さん、盛大に蕁麻疹出してください。

 

  その後も春樹節全開でなんとなく切なくてきっちり「死のイメージ」もついて回る。加えて主語が「僕(一人称単数)」で書かれていることもあり、初期の春樹作品を彷彿とさせます。一番手としては悪くないと思いました。

 

  ちなみに「石のまくらに」はその女性が詠む和歌(二首あり)中の七文字。まあお世辞にもうまいとは言えない和歌ですが、それも春樹さんのテクニック。

 

クリーム」☆☆☆   この話の主人公は「ぼく(やはり一人称単数)」で、十八歳の時に経験した奇妙な出来事について、ぼくはある年下の友人に語っている。例によって例の如く、

いずれにせよ、ぼくが十八歳だったのは遥か昔のことだ。ほとんど古代史みたいなものだ。おまけにその話には結論がない。

なんてフレーズがついてます。さあ、アンチの皆さん、盛大に(ry。

 

  浪人中に昔一緒にピアノを習っていた一つ年下の女の子から突然リサイタルの招待を受け、神戸の山の上まで行ってみたが、そんなリサイタルは開催されておらず、近くの公園の四阿で休憩しているうちに過呼吸となり、気がつくと目の前に老人が座っている。その老人から

 

中心がいくつもありながら外周を持たない円

 

を思い描けと言われる。

 

禅問答ですかっ!?

 

と、これまたツッコミをいれたくなりますが、それでもやっぱり春樹さんにしか書けない文章なのですね、これが。

 

チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」 ☆☆☆☆   この小品の主人公も「僕」ですが、まあそんなことはどうでもいい。村上春樹チャーリー・パーカー愛に溢れた愛すべき作品です。

  個人的な感想ですが、多分村上春樹は名盤と言われる「Getz/Gilberto」スタン・ゲッツのもっさりとしたアルトサックスに満足していないんじゃないかな。

 

ウイズザ・ビートルズ With the Beatles」 ☆☆☆☆☆    表紙イラストでチラッと見えている、モノトーンのハーフ・シャドウの四人の顔が印象的なジャケットが「With the Beatles」、初期の代表作です。

 

  「僕」の高校時代の記憶の中のこのジャケットは、一回しか会わなかった美少女が大事そうに抱いていました。そしてその美少女はこの物語には関係ないのです、なんじゃそりゃ、と言われそうですがこのあたりの話の進め方が村上春樹

 

  別の同級生とガールフレンドとなり、ある日曜の朝約束を一週間間違えて(彼女曰くですが)彼女の家に行くと、普段彼女があまり語りたがらない兄だけしかいませんでした。その兄にはある病気があるのですが、僕はその兄に頼まれて(よりにもよって)芥川の「歯車」の最後を朗読する羽目になります。

 

  約十八年後東京で僕はその兄と偶然再会し、思いもかけぬ妹(僕の元彼女)の消息を聞かされます。

 

  この作品は素晴らしい。「病」や「死」と隣り合わせにあるからこそ美しく切ない「生」の描写がそこにはあり、私が村上春樹の熱烈なファンであった頃の香りが漂ってきます。これ一作だけでも買った価値があると思いました。

 

ヤクルト・スワローズ詩集」 ☆☆   箸休め的な一品。ヒルトンのヒットを見て作家になろうと思った(「職業としての小説家」)くらい根っからのスワローズファンで知られる氏らしい作品、というよりほとんどエッセイですね。だから「僕」は村上春樹、間違いない。そして作中詩の出来は、う〜ん、多くは語るまい。

 

謝肉祭(Carnaval)」 ☆☆   クラシックにも造詣の深い氏のこと、当然シューマンの「謝肉祭」から題名をとっています。

  50を過ぎた「僕」はこれまで知り合った中で最も醜い女性F*をクラシックコンサートで偶然出会った友人から紹介されます。ここから春樹氏お得意の韜晦に満ちた文章で美醜に関する考察が延々と綴られます。

  そしてF*はクラシックに造詣が深く、ハイソです。代官山の瀟洒な3LDKマンションに住み、BMWの最新セダンを乗り回し、オーディオはアキュフェーズ とリンで固め(アキュ使いだった私としては意義あり)、一流ブランドの服に身を包む。で、二人のクラシック談義から、全てのピアノ作品の中でシューマンの「謝肉祭」が一番という事になり、いろんなピアニストの「謝肉祭」を聴きまくる。

  はい、スノブです。アンチの方をマジで挑発してますよ、これは。

 

  まあそれはともかく、ピアノ曲の一番に「謝肉祭」をあげる人はまずいないですよね〜、でも春樹氏はそこからシューマンの狂気について語り、仮面の下に隠された顔について語り、無理やりF*と結び付けるのですが、かなり無理があります。

 

  そしてそこからの展開、F*の正体が明らかになるところが、個人的にはとってもつまらなかったです

 

品川猿の告白」 ☆☆   また品川猿かよ。。。

  ブルックナーが好きで人間女性にしか欲情せず、七人の女性の「名前」を盗んだ猿の究極の恋愛と孤独の物語を、どこか関東の北の方の温泉で「僕」が聞かされる。なんじゃそりゃ、の世界ですな。

 

  最後に一捻りあるとはいうものの、春樹氏得意のメタファーなのか、それともお書きになっているようにテーマ?そんなものはどこにも見当たらないのか、悩むだけ時間が無駄な気がしました。

 

一人称単数」 ☆☆☆   冒頭にも書いたようにこれだけが書き下ろしです。初出ですので読んでのお楽しみということで内容は伏せておきますが、最後に恥を知りなさいと罵倒されるあたり、結構世評を気にしておられてそれを逆手にとって本気で自分の小説をパロってるんじゃないか、とさえ思いました。

 

  ということで、原点回帰なのか自己パロディなのかはご本人に聞いてみないとわかりませんが(多分聞いても答えない)、元ハルキストにとっては懐かしい香りがする作品集でした。星は合計24個、一作当たり三つという極めて妥当な線に落ち着いたのでした。