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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

どうしても生きてる / 朝井リョウ

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    朝井リョウを読むシリーズ、再び小説に戻って2019年の「どうしても生きてる」です。エッセイでは自分のことを猫毛で馬面、胴長短足猫背で痔持ちのスットコドッカーと卑下している朝井リョウですが、そんなスットコドッコイが書いたとは思えないほどずしんと来る冷徹な人間描写、捻りの効いた場面転換、ヘビーで暗いオチが彼の持ち味の一つです。今回もその作風を遺憾無く発揮しており、あらためて彼の才能と筆力に脱帽してしまいました。

 

  六作品からなる短編集で、今までと異なり相互連関はありません。テーマや内容は多岐にわたりますが、敢えて一言で言えば「現代の日本社会で働くことの難しさ、生活していくことの息苦しさ」ということになるでしょうか。

 

  エッセイで自分の年表を作っていたリョウですが、それによると彼は1989年生まれ。「ゆとり世代」とは言われるものの、彼らを取り巻く環境はそれまでの「わが世の春を謳歌」していた世代に比べて暗い。

 

・ 子供時代にバブル時代が終焉を告げ、

・ 「構造改革」なるもので非正規雇用が増え労働環境が一変し、

・ 大人になっていく時期とインターネットや携帯電話の普及がリンクし、

・ 成人したばかりの頃に東日本大震災が起こり、

 

それ以降日本経済は停滞期から衰退期に入ります。

 

  このゆとり世代の就職は「何者」でリョウ自身が描いていたように厳しく、その難関を突破して飛び込んだ一般社会はパラダイムシフトの真っただ中。

 

  高村薫流に言えばあなたは、生産性と称して少ない数の従業員を酷使するような旧態依然の企業に未来があると思うか。(時代へ、世界へ、理想へ)という一般企業の停滞、一発当てようとする有象無象のベンチャー企業の浮沈の繰り返し、現代の黒船と言えるGAFAや中国の巨大企業の浸食といった混沌とした様相を呈しています。

 

  その諸相を高村薫女史はガサっと大づかみにして総論的に論じておられましたが、朝井リョウは各論的にその労働現場で逼塞する人たちをスケッチしていきます。よって今回のケースレポートの題材となる主人公たちは、転職や妊娠出産のラストチャンスである30-40歳あたりの年齢層が中心となっています。

 

  彼等彼女等には仕事、子育て、親の介護などの現実の負担が重くのしかかっており、それでいて日本の経済成長の見通しは立たず、その一方でネット社会という過去になかったいびつに便利な世界が併存している。惹句ととともにまとめてみます。

 

健やかな論理』(死んでしまいたい、と思うとき、そこに明確な理由はない。心は答え合わせなどできない。)では、バツイチの一流企業勤務の女性がマッチングアプリでセックスフレンドを見つけ出し、自殺記事をみてネットのSNSの大海の中からその人物を特定して楽しんでいるうちに、自らのアイデンティティが崩壊しそうになる。

 

流転』(家庭、仕事、夢、過去、現在、未来。どこに向かって立てば、生きることに対して後ろめたくなくいられるのだろう。)では、大学時代に漫画で生きていくことを決意しデビューまでこぎつけた男がそこで行き詰まり、彼女の妊娠を都合の良い理由にして就職する。20年後、起業しようと誓い合った友人を裏切る瀬戸際に立たされ、この間変わらない音楽スタイルを貫いているバンドのライブ会場を訪れる。

 

七分二十四秒めへ』(あなたが見下してバカにしているものが、私の命を引き延ばしている。)では、非正規雇用の女性が、誰もが見下し毛嫌いする「迷惑系Youtuber」の画像を眺め続ける。

 

風が吹いたとて』(社会は変わるべきだけど、今の生活は変えられない。だから考えることをやめました)では、進学を控える子供二人、「出世」とは名ばかりの配置転換で消耗する夫、親の介護問題、鬱屈だらけの職場等々、考えなければならないことは山ほどある毎日を送る主婦に強い風が吹く

 

そんなの痛いに決まってる』(尊敬する上司のSM動画が流出した。本当の痛みの在り処が映されているような気がした。)では、共働きの妻の企業が時流に乗り躍進し、自分が転職した電子決済の企業は中国の大企業と大手携帯会社の提携という圧倒的攻勢に耐えきれそうにない。妊娠を望む妻の前ではインポになってしまうのに、出会い系サイトとカーシェアリングを利用して背徳の行為に耽り続ける。そんな彼にはちっとも「大丈夫」ではないのに「大丈夫です」と会社のために言い続けた元上司がSMプレイの溺れた理由がわかる。そんなの痛いに決まってる。

 

』(性別、容姿、家庭環境。生まれたときに引かされる籤は、どんな枝にも結べない。)では、外れ籤を引かされ続けた女性がそれをバネに大学卒業後大手演劇ホールのホール長まで登りつめ、幸せな結婚、そして妊娠までしたのに、胎児に関する衝撃の事実が明らかになった翌日の仕事中東日本大震災が起こってしまうという、あり得ない確率の凶事が立て続けに起こる。

 

  重く澱んだ世相から独特の感性で選び出した、いかにも今の日本にいそうな人たち。彼等彼女等を独特の筆致とアイデアで徐々に追い詰めていくリョウ。それに加えて凄いのは、物語が終わっても登場人物の人生は終わらないということを作者が明確に意識しているところ。演劇は暗転すれば終わる(「籤})けれど、現実では生きなければいけない明日は来る(「風が吹いたとて」)のです。

 

  そういう意味では、これからの日々にほのかな明かりが見える「籤」が共感しやすい作品だと思いますが、ドロドロで醜い「そんなの痛いに決まってる」の救いようのなさもまた朝井リョウの真骨頂です。ずしんと重く心にのしかかる、読み応えのある作品集でした。