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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

偶然の聖地 / 宮内悠介

☆☆☆☆☆

  またまたひっさしぶりのレビューになります。「宮内悠介を読もう」シリーズ、今回は2019年の「偶然の聖地」です。おや、まだ続いていたのか!という声が聞こえてきますね。うん、前回の「あとは野となれ大和撫子」が6月23日、その前の「カブールの園」がその9ヶ月前、昨年9月ですからむべなるかな、ではあります。

 

  この三ヶ月、全く宮内悠介を読んでいなかったわけではなく、「ディレイ・イフェクト」があまりにつまらなかったので書く気をなくし(をいをい、この「偶然の聖地」はあまりにも長くて読む気をなくし、、、あ、やっぱり読んでなかったか。。。でですね、読み始めると実に面白かったんですよ、これが!今まで読んだ宮内の作品の中で最高にスリリングで最高に面白かったです。

 

 

小説という、旅に出る。 国、ジェンダーSNS――ボーダーなき時代に、鬼才・宮内悠介が届ける世界地図。本文に300を超える「註」がついた、最新長編小説。 秋のあとに訪れる短い春、旅春。それは、時空がかかる病である――。人間ではなく世界の不具合を治す“世界医”。密室で発見されたミイラ化遺体。カトマンズ日本食店のカツ丼の味。宇宙エレベーターを奏でる巨人。世界一つまらない街はどこか・・・・・・。オーディオ・コメンタリーのように親密な325個の注釈にガイドされながら楽しく巡る、宮内版“すばらしい世界旅行”。“偶然の旅行者”たちはイシュクト山を目指す。合い言葉は、「迷ったら右」!――大森望(書評家)(講談社BOOK倶楽部紹介ページより)

 

  というわけで、今はなき「In Pocket」という冊子に一回5ページずつ程度で2014-2018年の4年間延々と掲載され続け、In Pocketの廃刊が決まってようやく落とし前をつけた、という大長編であります。

 

  もともと「エッセイと小説の中間あたり」の作品を依頼され始まった連載だそうで、途中著者もそのことを忘れていたそうですが、兎にも角にもあまりにぶっ飛んでいるので注釈が必要だろうと、何と300超もの注釈をつけて2019年に単行本化されました。

 

  このエッセイ的なところと注釈が相まって、お得意の中央アジア、バックパッキング、コンピュータープログラミングへの思いのたけをぶち込んだ虚実ないまぜ具合がファンとしてはとても心地良いです。ほんと「In Pocket」が廃刊せず、だらだら延々続いていてほしかったと思うくらいです。

 

  内容を語るのは野暮というものですが、この世界はどこかの誰かがプログラミングしたもので、それが神であろうがなかろうが必然的にバグが存在する。そのバグの最たるものが中央アジアの幻の霊峰「イシュクト山」。その山に運命を翻弄される三組のペアと、バグを修正する「世界医」二人がくんずほぐれつ、入子構造、誰が味方か敵か、これはメタフィクションか現実か、もう訳がわからないまま話は暴走し、終盤ようやく全容が明らかとなります。

 

  じゃあ終盤まで退屈かというとそんなことはない。まず一章が5ページ程度と読みやすいですし、エッセイと小説の間的な著者のだべり方が心地よくスルッと読めちゃいます。おまけに注釈がついており、それがまた面白い。

 

  「暗くてヘビー」という宮内悠介のイメージを「超動く家」で払拭し、本作でついにその独特の世界観とユーモアを両立させ、大長編に仕上げた傑作だと思います。

 

  ファンの方で未読の方は是非どうぞ。逆に言えば宮内悠介を本作から入るべきではないかな、とも思いますが。。。

 

  え〜、実に久しぶりのレビューでしたが相変わらず「内容を語らない」Yasuhiroの本領発揮はできたかな、と思います(ヲイヲイ。

 

宮内悠介を読もうシリーズ

盤上の夜(2012)

ヨハネスブルグの天使たち(2013)

エクソダス症候群(2015)

アメリカ最後の実験(2016)

彼女がエスパーだったころ(2016)

スペース金融道(2016)

カブールの園(2017)

あとは野となれ大和撫子(2017)

超動く家にて(2018)