一人称単数 / 村上春樹
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村上春樹の新刊です。あれ〜、ハルキストはやめたんじゃないのかよと言う声がセミンゴ方面から聞こえる気がしますが、懲りもせず読んじゃいます、テヘペロ。
さて春樹氏は「超長編」「短めの長編」を交互に出版するのをメインのリズムとして、その間に適宜「短編集」「エッセイ」「翻訳」を挟むと言うサイクルを律儀に繰り返しておられます。
で、この新刊短編集は「女のいない男たち」から数えて6年ぶりとなります。
全部で八作からなりますが、最後だけ書き下ろしと言うのは「女のいない男たち」と同じ手法で、その最終作にしてタイトル作で全体をまとめています。それ以外はすべて「文學界」に掲載された作品です。
そのタイトルですが、shinさんがすでにレビューで書いておられるように、ジョン・アップダイクの評論集「Assorted prose(一人称単数)」から拝借しているものと思われます。
しかしそれだけではないはず。なぜなら、彼には馴染み過ぎた「僕」という一人称単数の文体から卒業することができずに苦しんだ時期があったからです。そしてそれをなんとか克服し三人称で物語を語れるようになったのが「海辺のカフカ」であると、どこかで述べておられました。
その旧村上文体に久しぶりに戻りたくなったのか、それともそんな軛を気にしない境地に達して遊んでみられたのかはわかりませんが、今回の作品はすべて「一人称単数」で書かれており、あのナイーブな「僕」が帰ってきた感満載です。ですので元ハルキストとしては比較的楽しく読むことができましたが、数多のアンチを産んだスノブさも同時に戻ってきておりますので、ツッコミどころも満載。
では各作品を見ていきましょう。タイトル作を星三つとして採点もしてみました。
「石のまくらに」 ☆☆☆ 石の枕といえば漱石枕流(草枕)を思い起こしますが、漱石とは何の関係もありません。一言で言うと「ザッツ・ハルキ!」、春樹が嫌いな人が一番嫌がるタイプの作品。
大学生の主人公がバイト先の(その日に辞める)年上の女性と一晩をともにする話で、裸になって布団に入っての彼女の最初の一言がすごい。
「ねえ、いっちゃうときに、ひょっとしてほかの男の人の名前をよんじゃうかもしれないけど、それはかまわない?」
ご丁寧に二度も出てくるこの台詞、アンチの皆さん、盛大に蕁麻疹出してください。
その後も春樹節全開でなんとなく切なくてきっちり「死のイメージ」もついて回る。加えて主語が「僕(一人称単数)」で書かれていることもあり、初期の春樹作品を彷彿とさせます。一番手としては悪くないと思いました。
ちなみに「石のまくらに」はその女性が詠む和歌(二首あり)中の七文字。まあお世辞にもうまいとは言えない和歌ですが、それも春樹さんのテクニック。
「クリーム」☆☆☆ この話の主人公は「ぼく(やはり一人称単数)」で、十八歳の時に経験した奇妙な出来事について、ぼくはある年下の友人に語っている
。例によって例の如く、
いずれにせよ、ぼくが十八歳だったのは遥か昔のことだ。ほとんど古代史みたいなものだ。おまけにその話には結論がない。
なんてフレーズがついてます。さあ、アンチの皆さん、盛大に(ry。
浪人中に昔一緒にピアノを習っていた一つ年下の女の子から突然リサイタルの招待を受け、神戸の山の上まで行ってみたが、そんなリサイタルは開催されておらず、近くの公園の四阿で休憩しているうちに過呼吸となり、気がつくと目の前に老人が座っている。その老人から
「中心がいくつもありながら外周を持たない円」
を思い描けと言われる。
禅問答ですかっ!?
と、これまたツッコミをいれたくなりますが、それでもやっぱり春樹さんにしか書けない文章なのですね、これが。
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」 ☆☆☆☆ この小品の主人公も「僕」ですが、まあそんなことはどうでもいい。村上春樹のチャーリー・パーカー愛に溢れた愛すべき作品です。
個人的な感想ですが、多分村上春樹は名盤と言われる「Getz/Gilberto」のスタン・ゲッツのもっさりとしたアルトサックスに満足していないんじゃないかな。
「ウイズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」 ☆☆☆☆☆ 表紙イラストでチラッと見えている、モノトーンのハーフ・シャドウの四人の顔が印象的なジャケットが「With the Beatles」、初期の代表作です。
「僕」の高校時代の記憶の中のこのジャケットは、一回しか会わなかった美少女が大事そうに抱いていました。そしてその美少女はこの物語には関係ないのです、なんじゃそりゃ、と言われそうですがこのあたりの話の進め方が村上春樹。
別の同級生とガールフレンドとなり、ある日曜の朝約束を一週間間違えて(彼女曰くですが)彼女の家に行くと、普段彼女があまり語りたがらない兄だけしかいませんでした。その兄にはある病気があるのですが、僕はその兄に頼まれて(よりにもよって)芥川の「歯車」の最後を朗読する羽目になります。
約十八年後東京で僕はその兄と偶然再会し、思いもかけぬ妹(僕の元彼女)の消息を聞かされます。
この作品は素晴らしい。「病」や「死」と隣り合わせにあるからこそ美しく切ない「生」の描写がそこにはあり、私が村上春樹の熱烈なファンであった頃の香りが漂ってきます。これ一作だけでも買った価値があると思いました。
「ヤクルト・スワローズ詩集」 ☆☆ 箸休め的な一品。ヒルトンのヒットを見て作家になろうと思った(「職業としての小説家」)くらい根っからのスワローズファンで知られる氏らしい作品、というよりほとんどエッセイですね。だから「僕」は村上春樹、間違いない。そして作中詩の出来は、う〜ん、多くは語るまい。
「謝肉祭(Carnaval)」 ☆☆ クラシックにも造詣の深い氏のこと、当然シューマンの「謝肉祭」から題名をとっています。
50を過ぎた「僕」はこれまで知り合った中で最も醜い女性
F*をクラシックコンサートで偶然出会った友人から紹介されます。ここから春樹氏お得意の韜晦に満ちた文章で美醜に関する考察が延々と綴られます。
そしてF*はクラシックに造詣が深く、ハイソです。代官山の瀟洒な3LDKマンションに住み、BMWの最新セダンを乗り回し、オーディオはアキュフェーズ とリンで固め(アキュ使いだった私としては意義あり)、一流ブランドの服に身を包む。で、二人のクラシック談義から、全てのピアノ作品の中でシューマンの「謝肉祭」が一番という事になり、いろんなピアニストの「謝肉祭」を聴きまくる。
はい、スノブです。アンチの方をマジで挑発してますよ、これは。
まあそれはともかく、ピアノ曲の一番に「謝肉祭」をあげる人はまずいないですよね〜、でも春樹氏はそこからシューマンの狂気について語り、仮面の下に隠された顔について語り、無理やりF*と結び付けるのですが、かなり無理があります。
そしてそこからの展開、F*の正体が明らかになるところが、個人的にはとってもつまらなかったです。
ブルックナーが好きで人間女性にしか欲情せず、七人の女性の「名前」を盗んだ猿の究極の恋愛と孤独の物語を、どこか関東の北の方の温泉で「僕」が聞かされる。なんじゃそりゃ、の世界ですな。
最後に一捻りあるとはいうものの、春樹氏得意のメタファーなのか、それともお書きになっているようにテーマ?そんなものはどこにも見当たらない
のか、悩むだけ時間が無駄な気がしました。
「一人称単数」 ☆☆☆ 冒頭にも書いたようにこれだけが書き下ろしです。初出ですので読んでのお楽しみということで内容は伏せておきますが、最後に恥を知りなさい
と罵倒されるあたり、結構世評を気にしておられてそれを逆手にとって本気で自分の小説をパロってるんじゃないか、とさえ思いました。
ということで、原点回帰なのか自己パロディなのかはご本人に聞いてみないとわかりませんが(多分聞いても答えない)、元ハルキストにとっては懐かしい香りがする作品集でした。星は合計24個、一作当たり三つという極めて妥当な線に落ち着いたのでした。