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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

謹訳 源氏物語 (2) / 紫式部、林望訳

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   リンボウこと林望先生の文庫版源氏物語第二巻です。本巻には

 

末摘花(すえつむはな)」「紅葉賀(もみじのが)」「花宴(はなのえん)」「(あおい)」「賢木(さかき)」「花散里(はなちるさと)」

 

の六帖が収められています。光源氏は18歳から25歳の男盛り、一番光り輝いていた時期にあたります。

 

  ということは、、、手あたり次第〇〇まくっていた時期でもあります。もう節操がないというか、抑えが効かないというか、時、所、立場、美醜、老若を問わないそのまめ男ぶりにはあきれるばかり。

 

   政権を握っていた左大臣の娘葵の上という正妻がありながら、

 

不義の子を孕ませてしまった義母藤壺に連綿と執着し、

 

藤壺の面影を持つ幼女若紫(後の紫の上)をじっくりと愛育してついには妻とし、

 

物語一の醜女末摘花を頭の中将と張り合い、

 

物語一の好色大年増(推定50代)典侍(ないしのすけ)とやっちゃって頭の中将に冷やかされ、

 

物語一の敵役弘徽殿の女御の妹朧月夜を行きずりにものにしその後も関係を続け、

 

夕顔と葵上を呪い殺した生霊だと忌避していた六条御息所斎宮となる娘に付き添って伊勢に下ると知れば惜しくなって会いにゆき、ついでに娘も気になり、

 

と、もう枚挙にいとまがない。

 

  そして一度でもものにした女性には、嫌がられようがなにしようがお構いなしにせっせと和歌入りの文(ふみ)を書き続け、会いたくなったらやっちゃって味方にしておいた手引きの女御を利用して忍び込む。このマメ男ぶり、

 

どんだけ~!?

 

てなもんです。

 

  そしてこの巻が尋常でない印象を与えるのはこれらの色恋沙汰の信じ難いタイミングです。

 

  まず義母藤壺を妊娠させてしまい、悶々と苦しんでいるはずの時期に、

 

その姪の幼い若紫を自邸に引き取り、将来の妻とする手筈を整えます。

 

末摘花とできてしまうのは、藤壺が悩み苦しみながら宮中へ戻ってすぐのことです。

 

そして不義の子が生まれ散々懊悩している時期に、政敵側の殿内で朧月夜を「私は何をしても許される立場の人間」だと言い放って(ほぼ)強姦しています。

 

  まだまだこんなもんじゃない。

 

  正妻葵の上が出産直後、呪い殺される現場を目撃して強烈な衝撃を受けているにもかかわらず、その喪中に若紫と最初の契りを結んでしまいます。

 

  まだまだまだこんなもんじゃない。

 

   父桐壺院が身罷られて間もなく、里帰りした藤壺のもとへ忍び込むに至っては開いた口が塞がらない。そりゃあ藤壺もどうしようもなくなって息子(後の冷泉帝)を残してでも出家しますわなあ。

 

  そしてとどめの大事件!この巻で最も魅力的な女性であり、右大臣の娘であり、光源氏を憎しみきっている弘徽殿の女御の妹である、朧月夜との密会の露呈。

 

  桐壺院死去後政権が右大臣側に移り何かことを起こせば追い落とされるという危うい時期にもかかわらず、彼女を忘れられず(彼女も光を忘れられないところが読みどころではあるのですが)策を尽くして通い詰め、挙句の果てに右大臣に見つかってしまう。激怒する右大臣ともっと激怒する弘徽殿の大后。。。

 

  って、どう考えても光源氏ってまともな神経の持ち主じゃないですよね。

 

  にもかかわらず、その美貌、立ち居振る舞い、舞い、楽奏等々何につけても万人を魅了して止まない。教養と知性、政治家としての人望は群を抜き、帝からの信頼は厚い。他人の不幸にはさめざめと涙し、同情し援助する。悩み事が深まれば厭世的となり、自分も仏道に入りたいとまで願う。。。

 

  「男の下半身は別人格」とはよく言ったもんですな。

 

  そんな別人格に振り回される女性たちの中で、一人だけ光源氏につけ込む隙を作らせなかった女性が一人いました。朝顔の斎院がその人です。

 

  光の父桐壺帝の弟、式部卿宮の娘なので従姉妹に当たります。17歳の頃から光源氏は色目を使っていますが、それを常にさりげなく受け流し続け、恥をかかせずに生涯相手にしませんでした。

 

  林真理子版でレビューしましたが、光源氏が落とせなかった女性は生涯で三人いました。残る二人は、六条御息所の娘秋好女御と夕顔の遺児の玉鬘、いずれも光源氏が大分おじさんになってからのことですから、その全盛期に落とせなかったのは朝顔の君ただ一人ということになります。その聡明さと意思の固さはこの物語でも一際異彩を放っています。

 

  その朝顔が、しつこく和歌をよこす光源氏を評して曰く、

 

なんと理解に苦しむことに、かくも同じように、恋の妨げになっている神を恨めしく思ったりする、この源氏の心の癖の見苦しさよ。

 

言い得て妙ですな。紫式部も書いていてささすがに呆れたんでしょう。

 

  てなわけでそんな緊急事態になってようやくしょぼんとなった光源氏は、故桐壺院の女御だった麗景殿(れいけいでん)の女御とその妹で昔々契ったことのある(またかよ)妹の三の君(花散里)としみじみ語りあってこの巻は終わるのでした。。。当然次巻では都落ちすることになります。

 

  さてさてリンボウ先生の筆は相変わらず恬淡としており、一歩間違えばエロ小説に堕しかねないこの巻も高雅にまとめておられます。「色気がない」という批判はやはり発売当時もあったのでしょう、巻末解説で敢然と反論しておられます。一言、

 

行間を読め!

 

と。この物語はそこらの三文小説と違ってあまり露骨な性愛描写などは出てこない

 

例えば源氏が初めて若紫と新枕(にいまくら)を交わす(と言えば聞こえはいいが、実際は無理やり犯したのだ)ところがあって、翌朝。「男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまわぬ朝あり」と書かれている。こう書いてあればすなわち、前夜の性交渉のために心身ともに打ちひしがれた紫の上が、それゆえに起きられない、また起きようとしないのだ、と読める。

 

当時の人々はちゃんと秘すれば花的な書き方の中に何があったか、その行間を読み取っていたのである。だからあなた方もそう読みなさい、と。

 

ハハ〜 m(_ _)m

 

というわけで、ノロノロと第三巻へ続きます。

 

源氏物語シリーズ

誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ

林真理子

六条御息所 源氏がたり(上)

六条御息所 源氏がたり(下)

小説源氏物語 STORY OF UJI

林望

謹訳 源氏物語 一

古典文学者としての知識と作家としての筆力で描き切った、現代語訳の決定版。藤壺の宮との不義の子の誕生、車争い、六条御息所の生霊、葵上の死、朧月夜との情事、紫の君との契り―。名場面の数々を収録した第二巻は、源氏、十八歳から二十五歳までを描く。 (AMAZON解説)

 

 

間宮兄弟 / 江國香織

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  江國香織の落穂ひろい、今回は「間宮兄弟」です。映画化されたこともあり江國さんの作品の中でもよく知られていますが、彼女が男性を主人公にするのは珍しいことなんですよね。そういう意味では異色作です。

 

女性にふられると兄はビールを飲み、弟は新幹線を見に行く。そんな間宮兄弟は人生を楽しむ術を知っている。江國香織もてない男性の日常を描いて話題になり、森田芳光監督の映画化も大ヒットした小説の待望の文庫化。(AMAZON解説)

 

  ちなみに映画は「の、ようなもの」の森田芳光監督がメガホンを取り、間宮兄弟のイメージにぴったりな佐々木蔵之介塚地武雅ドランクドラゴンの塚ちゃん)が期待通りの好演をしたのでとても楽しい佳作になっていました。

 

  一方の女優陣は、平凡でもてない二人の周りにいるごく普通の女性ばかりのはずなのに、ありえないほど豪華絢爛で、

 

  常盤貴子沢尻エリカ北川景子戸田菜穂中島みゆき(そう、歌手のみゆきさん!)

 

等々錚々たる面々でした。今では(いろんな意味で)実現不可能な豪華キャスティングですね。

 

  閑話休題、江國さん自ら解説して曰く、

 

  愉快に快適に暮らすのは有意義なことです。たとえ世間から多少「へん」に思われても。
  そういう人たちの話を書きたいとと思って『間宮兄弟』を書き始めました。(中略)
  この二人の男性には、自分のスタイルと考え方があります。それさえあれば大丈夫、と、私は個人的には思うのです。世界は荒野ですから、彼らがこの先どうなっていくのかはわかりません。わからないふうに書けていたら嬉しいです。

 

という主旨はよく理解できますし、実際そういう作品になっていたと思います。ただ、やはり江國さんの持ち味は、一見普通の女性が静かな狂気に蝕まれていくところを描くことにあります。

 

  そういう意味では、もてない兄弟がそれなりに奮闘してもそれほどの波風も立たず、やっぱり二人はふられ、また元の愉快に快適に暮らす二人の生活に戻っていくという展開は江國さん独特の毒気がなくてやや物足りなく感じました。

 

  もう一つ読む前に危惧していた事は、文章の天才江國さんが男性を主人公にすると村上春樹ぽくならないかということでした。

 

  そういう見方をしている人は私だけではないようで、文庫版解説をなんと村上春樹評論で有名な三浦雅士さんが書いておられました。当然ながら村上春樹にも言及しておられます。

 

  三浦氏曰く、ジェイズ・バー(「風の歌を聴け」1979)からロビンズ・ネスト(「国境の南、太陽の西」1992)へ、昭和から平成へ、ロウワー・ミドルからアッパー・ミドルへ、村上春樹は死に物狂いで働いた世代の子供たちが豊かさを少しずつ身に馴染ませる過程をこの二作品に反映させた。

  江國香織が登場するのはこの後者の頃、豊かさを身に馴染ませた子供たちの、その成長した姿を無理なく描く作家として、彼女が登場したのだと。

 

村上春樹の『風の歌を聴け』から『国境の南、太陽の西』までの道のり、つまり「昭和」から「平成」までの長い道のりが、遠近を構成しないで、まるでモザイクのようにそのまま背景になっているのである。明信も徹信も、「昭和」の破片をいつまでも身に着けているのである。

 

だから、やせて背の高い、オシャレに気を配ればけっこうもてるはずの明信を始めて見た女性教師が

 

顔を出した明信を見て、依子は、最悪だわ、と、思った。

 

という思いもします。

 

  そう、「今」を生きる女性たちが、兄弟とかかわる時だけそれとなく「レトロ」を感じる。特に昭和を知らない女子校生などは、面白がって徹信にまとわりつくまでになる。

 

  このへんがこの作品の面白さだと思います。もちろん昭和を否定するわけではない。だささとともに実直さもあるし、誠実でもある。特に二人が母親をとても大事にし、言いつけを守る姿はとても微笑ましいし、それもこの作品の重要なテーマだと思います。

 

  というわけでまたまた内容を語らないレビューになってしまいましたが、映画とセットで読めばより楽しめる佳作です。日々の生活に疲れ、たまにはホノボノしたい、という方にもおススメ、かな。  

 

  最後に今回一番印象に残った江國さんらしい文章を引用します。ラスト近く、母のいる静岡で過ごすお正月の一場面です。

 

三日間とも天気がよく、低い屋根屋根の上に広がった青い空を、明信は「モネの、日傘をさした女の絵の空みたい」だと思ったし、徹信は「クラプトンの”BLIND FAITH"のレコードジャケットみたい」だと思った。

 

 

 

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モネの日傘をさす女

 

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BLIND FAITHの当時物議をかもしたジャケ

 

謹訳 源氏物語 (1) / 紫式部、林望訳

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  先日から日本の古典中の古典「源氏物語」に挑戦しています。まずは入門本「 誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ」を読み、次いでその共著者である林真理子版の源氏物語、文庫版三冊を読み終えました。

 

  その三冊は妖艶にして濃厚、うまく原作の魅力を引き出しておられましたが、あくまでも自己流にまとめたものでご自身もおっしゃっておられたように原作を逐語訳されたものではありません。

 

  そこで次の段階として原作に忠実な現代訳を読んでみようと思い立ったわけですが、入門本のレビューにも書いたように与謝野晶子先生から始まって錚々たる作家の先生方が訳しておられてどれを読んでいいか迷ってしまいます。

 

  おまけに、私のような素人にはとっつきにくい。実際昔谷崎潤一郎版に挑戦したことはあるのですが、どこまでかは忘れましたが早々に諦めてしまいました。   そこで今回あらためて現代の訳者を探したところ、リンボウ先生こと林望氏が「謹訳」と題して原作に可能な限り忠実に訳されたことを知りました。しかも平成22年刊行の単行本をもとに平成29年に文庫化され、その際さらに増補修訂されたとのこと。

 

  林つながりなのも何かの縁、これにしよう!(をいをい)

 

ということで早速第一巻を手に取ってみました。本巻には 「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」 の五帖が収められています。巷間知られている様に54帖からなるわけですのでその一割にも満たないのですが、

 

・「いづれの御時にか女御更衣あまた候ひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ」桐壺の更衣光源氏を出産する段に始まり(桐壺)

 

・有名な「雨夜の品定め」(帚木)

 

光源氏手始めの空蝉との交情と別れ(空蝉)

 

・頭中将が雨夜の品定めで漏らした「常夏」であった女をそれと知らず愛人とし、その夕顔を(林真理子先生が入魂で描かれた)六条御息所の生き霊がとり殺す段(夕顔)

 

・出ました物語最大のヒロイン、「雀を犬君がにがしつる」の幼女若紫との北山での初めての出会いと執心、最終的な強奪(若紫)

 

・その間の、義理の母である光源氏の人生で最高の女性藤壺とのたった一度の逢瀬、そのコトによる藤壺の懐妊(若紫)

 

と、源氏物語と言えば思い浮かぶ有名なシーンのオンパレード。なんという内容の濃さ。さすが紫式部!というか、この辺までは絶好調でものすごい人気を呼んで、その後何年もの時間をかけて書き続けることになったというか、ハメになったというか、あるいは別に人物が書き足していったのか、だったのでしょう。とにもかくにもこの五帖は

 

THIS IS MURASAKI SHIKIBU!

 

と言って過言ではないでしょう。特に「雨夜の品定め」はりんぼう先生がおっしゃる様に

それがいつ書かれたのかという詮索はひとまず措くとして、この第一部に展開される様々の恋物語のモチーフを提示するという意味を持っている。

(第一部とは「桐壺」から「藤裏葉」までの33帖) となっています。ちょうどマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の第一巻「コンブレー」においてその後の主題の全てが包含されていたことを思い出します。恋愛の悦楽と苦悩、嫉妬と言った主題は古今東西を問わず、というところなのでしょう。

 

  ついでに言えば、自由気ままに恋愛に没頭していられる王族、貴族、ブルジョアを扱ったところも同じですし、先ほど述べた様に読んだことがない人でも最初のエピソードだけは知っているところも似ていますね。読むのが大変な大長編の運命なのかも(苦笑。

 

  さてリンボウ先生の現代訳ですが、林真理子版を読んだばかりであったので色気もなくて平板で退屈だなあ、という印象が拭えませんでした。六条御息所の扱いなんか、え、こんなもん?というくらい少ないですし、後半のヤマのはずの義母藤壺との一夜など、な、なんと

 

空行一行

 

で終わっちゃいますし。林真理子先生、どんだけ行間を読んでるねん(笑。

 

  しかし、とにもかくにもこれが原作と割り切って読むと、簡潔にして高潔、とてもわかりやすいのに香り高いことに気がつきました。おまけに文庫化に際して各章に小見出しがついたので後で読み返しやすくなっています。ということで、原作を追うにはいい選択だったと思います。

 

  ちなみにいづれの御時にか女御更衣あまた候ひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ」

 

  さて、もう昔のこと、あれはどの帝の御世であったか・・・・・・。   宮中には、女御とか更衣とかいう位の妃がたも多かったなかに、とびぬけて高位の家柄の出というのでもなかった桐壺の更衣という人が、他を圧して帝のご寵愛を独占している、そういうことがあった。

 

となっており、少し長くはありますがいい文章だと思います。特に原作当時の様に声に出して読むと味わいがある。ちなみにリンボウ先生はラジオで全巻音読を果たされたそうです。

 

  またこの物語のキモである和歌にも必ず注釈がついており、分かりやすい。京都北山で見初めた姫君を「紫の君」と呼ぶきっかけとなった歌を引用してみましょう。

 

手に摘みていつしかも見む紫の 根にかよひける野辺の若草 この手に摘んで、いつかは親しく相見たいと思うのは、 あの紫色の藤・・の御方の根の近くに萌え出ずる野辺の若草なのですよ

 

藤壺から血の繋がっている若紫へ。受け継がれていく光源氏の愛情の対象を見事に一つの句の中に読み込んだこの歌のままに、物語は進んでいきます。

 

  いやあ、もう第一巻からヘビーでした。またボチボチと読み進めていきたいと思います。

 

源氏物語シリーズ

誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ

林真理子

六条御息所 源氏がたり(上)

六条御息所 源氏がたり(下)

小説源氏物語 STORY OF UJI

 

カブールの園 / 宮内祐介

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   宮内悠介を読むシリーズ、今回は2017年の「カブールの園」です。二編の中編小説が収められており、芥川賞候補になり、第30回三島由紀夫賞を受賞しています。

  で、いきなりですが、心の琴線をガリガリこすられ、ひたすら圧倒され、KOされてしましました。

 

  日系アメリカ人の日本語と文化を次世代へ継承していくことの困難さとわたしたちの世代の最良の精神は、いったい、いかなる生に宿るのかを問うた「カブールの園

 

  幼少年期に英語が自分の中の日本語を追いつめ、日本語が自分の中の英語を追いつめるアメリカ生活を否応なく経験させられる日本人少年と、食っていくためにショープロレス興行の世界に飛び込む姉を描いた「半地下

 

  いずれもアメリカにおける「日本人」のあり様を臓腑をえぐる様な容赦ない筆致で描いています。当然ながら、いじめ、人種差別、暴力、薬物、PTSDなども双方で重要なテーマとなり、ひたすら重く暗くズシンと読む者の心にのしかかってきます。

 

  ちなみに「半地下」は宮内氏が22歳の頃の処女作に手を入れたもので、打算なしに、ただ裸で皆様の目の前に立つような作品と自己評価されています。

 

  まさにその通りでそれはあしたのジョーの「ノーガード戦法」の如くであり、強烈なカウンターをくらってしまいました。特に後半姉が急変するあたりからはひたすら号泣。。。

 

  いやいや、日頃から英書を読むのが好きですとか、日系四世シンガーのレイチェル・ヤマガタの大ファンですとか、あちこちに書き散らしているのが恥ずかしくなってしまいますね。

「なんにもわかってねえだろ!」

という宮内氏の声が聞こえてきそうで穴があったら入りたい。

 

  ということで今回は完全に降参、この辺で筆を置いておきます。

 

  まともなレビューは吉田あやさんとドラひこさんが書いておられますので、興味のある方はリンク先へ飛んでください。

 

  いやあ、次は若干軽そうですが、宮内悠介畏るべし!

 

宮内悠介を読もうシリーズ

盤上の夜(2012)

ヨハネスブルグの天使たち(2013)

エクソダス症候群(2015)

アメリカ最後の実験 彼女がエスパーだったころ(2016)

スペース金融道(2016)

超動く家にて(2018)

 

 

 サンフランシスコで暮らす移民三世のレイは、旅の途中にかつて日系人収容所であった博物館を訪れる。日本と世界のリアルがここに!

「カブールの園」は、友人とITベンチャー企業を立ち上げた日系アメリカ人女性の物語。ヨセミテ国立公園にひとりで訪れるはずが、青いフォードを運転するうちに、かつて祖父母が収容されていた日系人強制収容キャンプの跡地に向かって……。「日系女性三代の確執の物語、あるいは、マイノリティとしての私たちのこと」と宮内さんも語るように、日本人とアメリカのセンシティヴな状況をクールな文体で描きます。

「半地下」は、宮内さんが22歳の頃の処女作に手を入れたもので、ニューヨークの少年少女たちを描いています。「打算なしに、ただ裸で皆様の目の前に立つような作品」と宮内さんは言いますが、80年代という過ぎ去った時間への愛惜がこめられています。その瑞々しさには胸を打たれるのではないでしょうか。 2017年、三島由紀夫賞受賞作。

 

 

萩尾望都 紡ぎつづけるマンガの世界~女子美での講義より~

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   ども、久々の荻洗会(萩尾望都洗脳布教委員会)です。今回は女子美術大学での講義・対談集で、題して「紡ぎつづけるマンガの世界~女子美での講義より」。まとめておられるのは内山博子女子美術大学教授で、萩尾先生を女子美に2011年に客員教授として招き、半年に一回の講義、対談をセットアップし司会もされたのがこの内山先生だそうです。

 

  ご自身でも書いておられるように萩尾先生はあまり対談は得意ではないのですが、内山先生の人選の見事さで細密なヨーロッパ歴史絵巻から独創的なSFまでマンガ人生を振り返り、創作活動の源泉を語る面白い内容となっていました。

 

第1章 宇宙飛行士・山崎直子さんとの対談:宇宙・女性・漫画

  宇宙飛行士とはナイスな人選!当然ながら「11人いる!」「スター・レッド」などが取り上げれられています。この章が一番面白かったです。特に山崎さんの話でなるほどと思ったのは、宇宙に行くと地球は見下ろすものだと思っていたのが全くの逆で、宇宙船からは地球は見上げることになるという話。

 

第2章 トランスジェンダーのキャラクターは、どこから生まれてくるのか

  これは内山先生との対談。「11月のギムナジウム」「11人いる!」「マージナル」「A-A'」「X+Y」などが取り上げられています。その中でもやはり「11人いる!」の両性具有者フロルは萩尾先生お気に入りで熱く語れらています。

 

第3章 美術評論家中野京子さんとの対談:美術と漫画 歴史と漫画  

 

 「怖い絵」シリーズなどで一躍美術ブームを起こした中野先生との対談なので本書一番の読みどころでしょう。

 

  最初から「絵を金儲けの手段と考えて何が悪い、元凶は印象派」「皆さんもまずは売れないと話になりませんよ」などと会場をアジります。

 

  萩尾先生は「王妃マルゴ執筆中で、中野先生は「残酷な王と悲しみの王妃」を上梓されたところというタイミングだったので、カトリーヌ・ド・メディチメアリー・スチュアートなどの時代のヨーロッパが話題の中心になります。特にあのころの貴族の服の襟は非実用的だし描きにくいという話は美大ならではの話題で面白かったです。  

 

  個人的には「百億の昼と千億の夜」の阿修羅は、興福寺の阿修羅像の「」がポイントだったという話題に何度も首肯してしまいました。

 

第4章 萩尾望都さんへの10の質問

  これは知っている話が殆どでここでも語ってきた話が多いので割愛します。「ポーの一族」再開について詳しく語っておられるところが読みどころです。夢枕獏先生の強いリクエストがあったそうで、獏先生ありがとうございます!

 

第5章 シンガーソングライター・イルカさんとの対談:好きなことを一生やり続ける力

  イルカさんは女子美出身で現在は女子美客員教授もされているそうです。そのイルカさんが「トーマの心臓」が好きになった経緯が面白い。ラジオのパーソナリティをしていた頃、息子の冬馬君の名前は「トーマの心臓」と関係あるのかという葉書きが来て初めて知ったそうなのだとか。

 

  一方萩尾先生が「なごり雪」が好きという話を内山先生がふると、お礼を言いながらも

これは私の作詞・作曲ではない

とことわりを入れられるあたりに、イルカさんの律義さと矜持の両方を感じました。「なごり雪」は伊勢正三さんの作品ですからね。そのあたり、内山先生も萩尾望都先生もちょっと疎いのかも。

 

  イメージが違いすぎるのでぴんと来なかったのですが、お二人は同世代。でも生まれ育った背景、両親の教育方針は対照的というあたりの話からお二人の子供~少女時代の写真が続々出てきてなかなか微笑ましかったです。

 

  というわけで、萩尾望都に興味のある方にはお勧めの一冊です。 と、これだけで終わっても愛想がないので、先生お気に入りキャラ。ベスト3を紹介します。

 

オスカー(トーマの心臓)

エドガー(ポーの一族

フロル (11人いる!)

 

おまけ

レオくん (^^)! (レオくん)   

 

 

アメリカ最後の実験 / 宮内祐介

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   久しぶりの宮内悠介を読もうシリーズ、今回は2016年の作品で山本周五郎賞候補になった作品「アメリカ最後の実験」です。若い頃にアメリカ在住歴があり、ゲーマーでもあり、元プログラマーでもあり、DTMミュージシャンでもあるという彼のキャリアを存分に活かした「音楽格闘小説(吉田隆一氏の解説より引用)」で、さらにそこに連続殺人事件を絡ませたサスペンスアクションとなっています。

 

  音楽による格闘と言えば恩田陸の「蜜蜂と遠雷」を思い出しますが、あちらが東海地方の小都市を舞台にしたクラシックのコンクール小説であったのに対して、こちらはジャズをメインとしたなんでもありの異種格闘技、恩田さんの方が品の良いお嬢様小説に思えてくるほどド派手で奇想天外なストーリーでした。ちなみに作者は格闘漫画「グラップラー刀牙」の音楽版として構想を練ったそうです。

 

  そしてそのバックグラウンドとしてここではないどこか、誰も書いたことがない世界を書きたいと意気込んだ宮内悠介が選んだのは、アメリカ大陸清教徒が入植してネイティブアメリカンを駆逐しつつ巨大国家を築いていき、今や多民族がごった返す「合衆国」となったアメリの諸相がたっぷりと描かれているところも読みどころでした。

 

  そのアメリカという土地には元々ネイティブアメリカンの音楽があり、そこにアイリッシュ民謡、黒人音楽、ラテン音楽等様々な要素が持ち込まれ、それらを吸収しつつジャズ、ポップス、ロックを一大産業に発展させていった長い歴史があるわけですが、それでも   

征服者にかかわらず、土地そのものが孕む音楽というものがある

のではないか、と問う宮内悠介の言葉には考えさせられるものがありました。

 

  主人公(しゅう)はピアニスト、それも「共感覚」の持ち主で、音楽を聴くと眼前に奇岩群の立ち並ぶ赤茶けた荒野が見えるのです。これはかなり極端な設定ですが音に色を見たり、文字に味を感じるというのは実際にあります。例えば私の好きなピアニストのエレーヌ・グリモーさんはピアノの音に色を感じるそうです。この荒野の奇岩群のイメージはそのまま荒凉としたアメリカ西部の荒野地帯を象徴するかのようで、「主題」をなして何度も登場してきます。

 

  さて、その彼がアメリカ西海岸に現れるところから話は始まります。彼は西海岸では有名なグレッグ音楽院の入学試験を受けにきたのですが、その真の目的は昔この学院を受験したらしい父を探すためでした。

 

  彼の父俊一もピアニストで、脩と母を残し失踪してアメリカに渡り、謎のシンセサイザー「パンドラ」を作成していました。このシンセの設定は非常にマニアックで詳細は実際にお読み頂きたいのですが、ピアノでは下の音のシャープと上の音のフラットは微妙に異なるというところを表現できないのですがそれを可能にしたのが「パンドラ」なのです。う〜ん、マニアック(笑!

 

  それにしても、宮内悠介の音楽的素養とDTM、シンセなどの知識の豊富さには驚嘆すべきものがあります。うかうかしてるとあっという間に置き去りにされてしまうほど多様な知識をうまくストーリーに取り入れつつ話は進んでいきます。

 

  もちろん音楽院入学試験が核にはなるわけですが、その試験場で起こった殺人事件現場のホワイトボードに

The First Experiment of America(アメリカ最初の実験)

という文字が大書されていたことから、次々と共鳴現象のようにアメリカ各地で引き起こされていく第二第三・・・・の殺人事件。

 

  そして主人公たちは音楽バトルを重ねつつも否応なく「アメリカ最後の実験」に巻き込まれていきます。

 

  現代のアメリカで暮らすことの綺麗事ではすまない難しさ、そしてこの国の病根、ネイティブアメリカンの忸怩たる思い、様々な要素がごった煮のように詰め込まれておりストーリーをなぞっていては果てしなく長いレビューになってしまうので割愛しますが、第一の実験の犯人のアメリカ観を引用してみましょう。

 

 どのみち、メイフラワー号で祖国を逃れた漂着者の末裔だ。言語も文化も違う人々がいっとき集い、擬似家族をなし、刹那、アメリカという白昼夢を見ている。  解散までのひととき、忘れなれない輝くを放つバンドのように。

 

  そして最後の実験の犯人はネイティブアメリカンの末裔。

 

誇りを失った民がその日その日を生き延びてなんになる。そうだ。忌々しい故郷に、自分自身に流れる血に、銃口を向けてやるのだ。

 

  この犯人の引き起こした”アメリカ最後の実験”は、巡り巡って、この死んだ街(*)に黒い火を放ちます。(*:ネイティブアメリカンのリストリクション)

 

  その現場を鎮静化したのは、改良版「パンドラ」で純正律を奏でることにより試験会場を席巻したばかりの脩と同行していたネイティブアメリカン系女性。この騒動の最後に彼は、自分が見ていた荒野の奇岩群の共感覚のイメージが

 

 モンゴロイドのイメージなのではないか。  アジアで生まれ、ベーリング海峡を渡り、北アメリカから南アメリカへ長い旅をした、モンゴロイドの共通の無意識を、自分は見ているのではないか。

 

と感じます。そして自分が見ているのは未来なのだと。

 

  そうしてアメリカ最後の実験は終わりを告げますが、果たして最終的目標である父との再会は叶うのか?

 

  まあ全体として何でもかんでも盛り過ぎた感は否めず、音楽小説、格闘小説、ミステリ小説それぞれの要素をうまく処理しきれなかったきらいはありますが、彼第二の故郷アメリカへの愛憎相半ばする想いにかたをつけたことは評価されて然るべきかと思いました。   その辺りにレビューの重きを置いてしまい、ストーリーについてはほとんど触れないままになってしまいましたが(それでも十分長いって?)、宮内悠介ファンなら楽しめる内容だと思いますので是非どうぞ。

 

ここではないどこか、誰も書いたことがない世界を書きたい――気鋭の作家の新感覚小説! 失踪した音楽家の父を捜すため、西海岸の難関音楽学校を受験する脩。そこで遭遇する連鎖殺人――「アメリカ最初の実験」とは? ピアニストの脩が体感する〈音楽の神秘〉。才能に、理想に、家族に、愛に――傷ついた者たちが荒野の果てで摑むものは――西海岸の風をまとって、音楽が響き渡る……著者新境地のサスペンス長編。 

 

 

小説源氏物語 STORY OF UJI / 林真理子

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   林真理子源氏物語、最終三冊目はカッコつけて英語で「STORY OF UJI」、要するに宇治十帖の段です。この部分は原典、現代訳含めて全く未読で林版が初めてでした。

 

  いけぴんさんが「薫にイライラしてください」とレビューのキャプションにお書きになり、あかつき姐さんが「うじうじ宇治十帖」と突き放していたくらい主人公の薫中将の評判が悪くて若干心配していたのですが、、、

 

  それ以前の問題として、物語としてどうよ

 

  それまでの豪華絢爛、膨大な数のキャラが立ち、練りに練られた物語に比べると、登場人物は少なく、キャラの描き分けがありきたりで隅々まで気配りが行き届かず、ストーリーは平板で盛り上がりに欠け、結末が唐突で整合性に欠ける。(そこまで言うか)

 

  林真理子さんが悪いのであれば、前二作の生霊セレブ六条御息所のような明確な視点を持ちえず、三人称で淡々と進めてしまったのが原因かと思います。

 

  ただ、六条のような強烈なキャラがいないことは事実で、致し方ないとは思います。憑代となり得るのは薫を拒み続けて死んでしまう大君(おおいのきみ)くらいでしょうが、まあ彼女を語り手にしても面白くもなんともないでしょうねぇ。

 

  もちろん良いところもあります。特に色事の描写、自然描写はうまいな、と思いました。特に本作のクライマックスである匂宮と浮舟が二日間情欲に溺れまくる「浮舟」の段。浮舟が匂宮の指をかんでなつめを口に入れるという妖艶な場面まで創作して入魂の筆致でした。

 

  一方原作者の紫式部に責任があるのであれば、才能やネタの枯渇ということも当然ながらあり得ますが、それより一世一代の強烈キャラ光源氏を描き切ってもう終わりにしたかったのではないですかね。

 

  あまりの人気で周囲がやめるのを許してくれないのは現代でもよくあることですし。パッと思いつくだけでも、古くは002と009が流れ星になったのにやめさせてくれなかった「サイボーグ009」、最近ではどんな最強キャラを倒してもまたそれ以上が現れる「ドラゴンボール」などなど。

 

  閑話休題、そもそもこれは紫式部が書いたのか?という疑問さえ湧いてきます。林真理子さんの筆を通してですが、どうも今までの源氏物語と雰囲気が違いすぎるという印象をぬぐえませんでした。

 

  そこで、試しに「宇治十帖 作者 違う」でググってみたら出るわ出るわ、別人説は山ほどあるそうです。みんな思ってたんだ(苦笑。

 

     というわけで、とんだ塩レビューになってしまいましたが、知識豊富ないけぴんさんと違って私の場合原作を通しで読んでいません。ですので勝手に貶しっぱなしでほったらかしにもできないだろうと思い、原典に忠実な現代訳を読むことにしました。いろいろ調べてみるに、「謹訳」と銘打っておられるリンボウ先生こと林望版がよさげだなと思っております。(あかつき姐さん一押しの橋本治版はそれからね)

 

 古典文学の名作を林真理子が官能的に再構築 誠実だが真面目で性に対しても淡泊な薫と、好色で不誠実だが女性に優しく情熱的な匂宮。光源氏の血をひく、二人のイケメン貴公子が都から離れた、美しい水郷の地=宇治で繰り広げる恋愛ゲーム。裏切り、嫉妬、懐疑・・・。そしてふたりの間で翻弄される女、浮舟の揺れ動く心と、愛欲におぼれゆく様を、恋愛小説の名手、林真理子がリアルに、執拗に、そして官能的に描き切った問題作。 平安の恋愛小説の原初として、千年以上にわたって読み継がれてきた「源氏物語」の中でも、人気の「宇治十帖」部分を大胆に新解釈。世紀を超えた二股愛の末に、浮舟が向かった衝撃的末路は!? 美しい情景描写と、濃密にしてエロティックな性愛表現。さらにはスピード感溢れる展開に読み始めたら止まらない! 果たしてこれは古典文学なのか、それとも現代小説なのか? 前作「六条御息所 源氏がたり」(上下巻)に続く、林真理子版「小説源氏物語」の、いよいよ完結編です!

 

 

六条御息所 源氏がたり(下) / 林真理子

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  林真理子源氏物語六条御息所 源氏がたり」下巻に入ります。本巻では第十四帖「澪標」から第四十一帖「幻」まで、すなわち光源氏が京に戻ってから一生を終えるまでが、六条御息所の語りによって描かれます。

 

  下巻冒頭で六帖御息所は死んでしまい娘が心配で死霊と化してしまいますので、「生き霊7年、死霊で20年」という彼女の光源氏との関わりを考えると、本巻の方が圧倒的に長い時間が経過することになります。

 

  女遊びがすぎて都落ちした光源氏、さすがに懲りてそちらはほどほどに(やめないところがすごい)、人生の目標を栄華栄達に向けていきます。それに際してよすがとしたのが、若い頃に占い師に占ってもらった  

「御子は三人。おひとりは帝、おひとりは皇后となられましょう。そしてもうおひとりは太政大臣までのぼりつめられるはずです。」

という言葉。

 

  予言通り、藤壺との不義の子は本巻冒頭11歳にして新帝(冷泉帝)となりました。となると、亡き葵の上の忘形見の息子夕霧太政大臣、そして上京してきた明石の君の娘明石の姫君中宮となるはず。

 

  光源氏はこれを信じ、敢然と政権を獲りに行きます。美女には相変わらず色目を使うものの、かつての「恋の暴れん坊将軍」ぶりは影を潜め、成熟した政治家としての姿が下巻のメインとなります。

 

  六条御息所が死霊になってまで毒牙にかからないか心配した美貌の娘にしても、光源氏藤壺と共謀の上、自分達の息子である新帝の後宮に送り込んでしまいます。。

 

  やるな、光る君!

 

  と言ってあげたいところですが、ここまで頑張るのにはそれなりの訳があることは、死霊セレブもお見通し。ずばりライバルの存在です。実は新帝にはすでに二人の姫君が入内していたのです。この二人の父は、かたや、紫の上の兄でありながら自分を見捨てた兵部卿、かたや頭中将こと今の中納言(後太政大臣)なのです。

 

  憎き政敵と同期の親友、これは燃えますわな!そしてそれを冷ややかに見つめる六条御息所、という筆使いで林先生の語りは進んでいきます。

 

  その結果として、冷泉帝のある思惑もあり太上天皇まで登り詰め、位人身を極めてしまいます。そして六条御息所の領地だった六条の町ごとの広大な敷地に大邸宅を建て、紫の上花散里明石の君秋好中宮六条御息所の娘)と選りすぐりの美女を集め、さらには明石の姫君、そして亡き夕顔の娘である玉鬘を住まわせるという圧倒的な権勢ぶりを都中に知らしめることになります。

 

  しか〜し、光源氏の絶頂期はそこまで。その後は苦悩と凋落の日々が待ち受けていたのでした。その原因は大きく分けて二つ。

 

・ 一つは老いから来る、女性に対する魔力の減退です。

 

  若い頃は貴種からその周囲の女房たちまで手当たり次第に落とせていたのですが、年齢からくる分別と遠慮が微妙に光源氏の歯車を狂わせ始めます。

 

夕顔と頭の中将の間にできた娘玉鬘

 

六条御息所の娘秋好中宮

 

叔父式部卿宮の娘で昔から憧れ続けていた朝顔

 

この三人を光源氏は落とすことができませんでした。

 

  それも玉鬘は一瞬の隙を突かれて髭黒の大将にさらわれ、秋好中宮にはひたすら嫌がられ、朝顔にはなんときっぱりと断られる、という屈辱の敗戦続き。稀代のプレイボーイの落日です。

 

  そして齢四十を過ぎて朱雀院に押し付けられた女三の宮をなんと太政大臣(元頭の中将)の息子柏木に寝取られた上に子(後の)までできてしまいます。因果は巡るなんとやら、自ら若き日に藤壺にしてしまった過ちの返り討ちをものの見事に食らってしまったのでした。

 

そしてもう一つは女心の軽視。

 

  林真理子先生は光源氏がどんな女にも優しく面倒見はよかったことを認めつつも、女心の機微は分かっていなかった、嫉妬心を軽視していたことを六条御息所の言葉を借りて結構頻繁に糾弾されています。

 

  特に最愛の妻紫の上は度重なる光の浮気(特に流浪先で子までなしたこと)や自らが石女であることへの苦悩を深くしていきます。光源氏は彼女の嫉妬がかえって可愛く、なんでも許してくれると逆に変な信頼を置いていたのですが、それは大きな間違いでした。

 

  彼女は疲弊し衰弱していき、ついに仮死状態にまで追い込まれます。そこでようやく光源氏はことの重大さを理解したのでした。元の住居である二条へ戻りつきっきりで介抱する日々は続きますが、それで彼女の健康状態や彼に頼する態度が変わることはありませんでした。

 

  そして迎えた紫の上の死。それはとりもなおさず、最後の二章の題名にもなっている、天下一光る君の「落日」そして「終焉」なのでした。

 

  その二年後、自らも冥界に入ろうとする光源氏を迎えに何人かの女性が現われます。

 

 あの方が手をとるのは、いったいどなたなのでしょうか。藤壺さまか、それとも紫の上さまなのでしょうか。が、決して私ではありますまい。  あの方を見続けた私の旅はこうして終わります。それでもどうか私の名を聞いてくださいますな。一人狂恋の罪ゆえの地獄へ向かう卑しい女でございます。(p486)

 

  この文章に六条御息所を語り手に据えた林真理子光源氏がたりの魅力が詰まっている気がします。

 

  原典はさらさらと流れるように話が進んでいき話の抑揚や考察といったものとは無縁なのですが、林真理子さんはそこに数多くの登場人物の観察、心理の洞察、事件の因果の考察といった現代的批評精神を持ち込み、なおかつストーリーの取捨選択による起承転結のメリハリをつけられました。

 

  その結果としてこの「源氏がたり」は二色刷りの長大な漫画を濃厚なマチエールを持った油絵数枚に変えてしまったような印象を受けます。賛否両論あるかも知れませんが、私は見事な手腕であったと思います。

 

   最後に林真理子さんが六条の口を借りて光源氏に語りかけた言葉を引用しておきましょう。

 

「これからあと二年、あなたはぐずぐずと紫の上さまのことを恋い慕い続けるでしょう。そうしながらも時々は他の女をお抱きになり、その女を恋しいと思うはずです。それでよいのですよ。それでこそ輝く光の君です。世の中はあなたが口で言うほど、無常でもつらいものでもなかったはずです。そのことをお認めなさい。」(p485)

 

さて、残るは宇治十帖です。 

 

源氏物語』から・・・不倫と性愛の千年史 光源氏の子供を出産し、出家をした、父=前帝の妻、藤壺。そのことで罪の意識にさいなまれながらも、新たな女性たちとの関係をさらに広げる、主人公、光源氏。自らの罪の重さに、都を離れ須磨へと旅立つが、そこでもまた、新たな女性との関係を持っていく。後編にあたる本書では、光源氏が須磨から再び都に戻った後、亡くなるまでの壮年期、熟年期の恋愛、性愛を、丹念な心理描写、情景描写で描いていく。 最大の盛り上がりは、原書の第三十五帖「柏木」にあたるところ。光源氏と妻、女三の宮との間に生まれた子が、実は自らの子ではなく、不義の子であることを光源氏が知る場面。かつて自らが犯した罪と同じような状況で、自らに降りかかる因果。そのときの光源氏の心の内を、恋愛小説の名手、林真理子はどのように描いていくのか。 不倫あり、同性愛あり、ロリコンあり、熟女愛あり・・・現代にも通ずる、あらゆる性愛の類型が登場する、世界にも希なる恋愛大河小説。その結末や如何に! 誰もが学校の授業で習った、あの『源氏物語』が、実はここまで過激で、こんなに面白かったなんて! 

 

 

六条御息所 源氏がたり(上) / 林真理子

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  林真理子源氏物語。まずは前回紹介した「誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ」と下巻のあとがきを参照して執筆に至る経過を説明します。

源氏物語の千年紀に向けて、『源氏物語』を訳してほしい

との無茶ぶりな依頼を小学館から受けたのが、紫式部執筆の最古の記録のある1007年から数えて1000年目の2007年。一瞬

源氏物語』と言うのは作家にとっては高い高い頂である。与謝野晶子谷崎潤一郎瀬戸内寂聴といった時代を代表する作家が、長い年月をかけて挑むものである。

とひるんだものの、すぐに背伸びをしなければ成長はないと思い直して引き受けたのでした。そしてまず考えたことが、

今さら私が全訳してもつまらないだろう

ということ。そこで林さんは源氏物語を一旦分解し、新解釈をし、再構築することにしました。つまらないところはつまらないので省く一方、山本淳子先生を困らせるほど男と女のむつみごとについて徹底的に質問し

「どうして会ったこともない女に、恋い焦がれることが出来るのか」 「どうしてレイプまがいのことが許されたのか」

と言う疑問を一つ一つ解き明かしていき、

源氏物語の中で一番強烈な個性を持つ、六条御息所に目をつけ、彼女の一人称にする

ことを思いついたのです。これはもう全く林さんの慧眼でした。実際雑誌「和樂」連載時の反響はすごく、特に本巻のクライマックスである葵の上の死の場面は「本当に怖い」と大反響があったそうです。

 

  結果、文庫本「六条御息所 源氏がたり(上)」「同(下)」「STORY OF UJI」の三冊からなる林版源氏物語が完成しました。

 

  源氏物語は巷間知られているように五十四帖からなりますが、大きく分けて、光源氏が主人公の「桐壺」から「幻」(「雲隠」)までの41帖と、俗に宇治十帖と言われる「匂宮」から「夢浮橋」までの13帖からなります。

 

  本巻ではそのうち、光源氏誕生から、青年時代の栄華と失墜、須磨への都落ちから明石へ流れていくまで、帖名で言うと「桐壺」から「明石」までの13帖が収められています。

 

  とまたまた超長い前置きを書いてしまいましたが、物語はすでに述べたように、当時一流のセレブでありながら光源氏のやりたい放題に振り回され、嫉妬の鬼と化し生霊7年、死霊で20年となってしまった六条御息所を語り手に据えて、時系列を林流に整理して語られます。

 

  桐壺更衣、藤壺、空蝉、葵の上、夕顔、若紫、末摘花、花散里、尚侍の君、明石の君等々、源氏名の語源となった様々な女性について六女御息所が光源氏への愛憎をねっちりと込めて語り尽くします。

 

  なんせ、生き霊死霊ですから場所時代を問わず忍び込んでいけるので、恋の暴れん坊将軍光源氏の恋愛の数々、あんなことこんなことを実際に「見て」つぶさに語り尽くせますので、本当に便利な主人公です(笑。

 

  なんて笑ってる場合ではないのです。世評の通り、女の情念の凄さを描く林さんの筆致にはにタジタジになります。特に夕顔葵の上をとり殺すあたりは、原文の通りぼかしてはいても思わず背筋が寒くなります。本書最大の読み所と言えましょう。

 

  また、かわい子ぶりっこ夕顔の実はしたたかな面、末摘花の醜女ぶり、典侍の好色年増(にもほどがある)ぶりも遠慮会釈なく露わにする。これを光が言ってしまうとシャレにならんわけですが、六条御息所が語るのですから問題ない。林先生のほくそ笑む顔が目に見えるようです。

 

  とは言え、まあ六条御息所もかわいそうな女性です。東宮が亡くなったばかりにあんな傍若無人のプレイボーイにとりつかれてしまったのですから。

 

  その自他ともに認める性の傍若無人男、光源氏であってもちゃんとしっぺ返しが待ち受けていました。

・ 生き霊と恐れながらもあてにはしていた六条御息所は娘に付き従って伊勢に下り

・ 不義の子を産ませてなお執着を捨てきれないことに藤壺は遂に堪忍袋の尾がきれ激怒して発作的に出家し

・ 政敵右大臣家の妃候補(尚侍の君)に手をつけ、知られてもへっちゃらで通い詰めるうち、ある朝ついに現場を右大臣に見咎められ

 

これはまずいとやっと悟る。

 

おそいっちゅうねん!

 

というわけでこよなく愛し育てた紫の上を京に残し、光源氏は須磨に落ち延び、さらに明石入道の手引きで明石に腰を落ち着けることになります。

 

  そこで明石入道にせがまれるままに、 「ぼくちゃん、受領の娘でしかもド田舎そだちのイモ娘なんかイヤだなあ」 とか思いつつ、入道の箱入り娘と睦み合うことになりますが、これがまた思いの外の美人才女でビックリ。

 

  結構この明石の段を林先生は念入りに描かれており、下巻で紫の上と並ぶ存在感を示すものと思われます。

 

  と思わせぶりなことを書きましたが、源氏物語をご存知の方は、明石の君がこの上ない”幸い人となることをご存知でしょう。しかし六条御息所の視点から見ると、この女性も光源氏に翻弄された哀れな女性だったのです。

 

  ということで、原典にはない夜の御帳台のあんなことこんなことを入念に描き、生き霊セレブ視点で女性たちを見つめ直し、恋の暴れん坊将軍ぶりをいかんなく発揮させた林先生の源氏がたり、斬新でお見事でした。後半に続きます。

 

源氏物語シリーズ(化するのか!?)

誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ  

 

林真理子、衝撃の『源氏物語』新解釈!

 

帝の子として生を受けた主人公、光は、生まれたときから”みたこともない美しい若君”と呼ばれ、宮中の女性たちの脂粉に囲まれて成長する。幼くして母と死に別れた後、臣籍に降下され源氏の性を与えられた光。やがて左大臣の娘、葵の上と結婚するが、その頃から様々な身分の、様々なタイプの女性たちとの関係に明け暮れる。そしてついには、母に生き写しといわれる、父=帝の妻、藤壺とも関係を持つに至った光。その藤壺が産んだ子は・・・幼い頃の光に、うりふたつであった。 平安時代中期の京都を舞台に描かれた、紫式部による、世界最古にして最高の恋愛大長編小説を、恋愛小説の神様=林真理子が再構築し、現代的アレンジを加えることによって誕生した”小説版源氏物語”の前編。原書での第一帖「桐壺」から第十三帖「明石」までを中心に構成。 これまで、日本文学史上の数多の文豪が手がけてきた”源氏物語の訳”ではなく、大胆な章立ての変更。さらには、本来登場人物のひとりにすぎなかった六条御息所の”ひとり語り”という革新的手法を用いることによって、世界的古典文学の名作が、現代人にとってリアルに楽しめる、光源氏を巡る性愛の一大活劇となった! 

 

 

 

誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ / 林真理子、山本淳子

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   いきなりですが、「源氏物語」です。

  古文授業のマスト・フレーズ、理系には蕁麻疹のいづれの御時にか女御更衣あまた候ひ給ひけるなかにです。

 

  わたくし、受験勉強の参考書やガイド本等々でその内容は大体承知しているのですが、実は一回も完読したことがありません。

 

  原典(と言っても紫式部の直筆原稿など残っていないのですが)はムリムリ、さりとて現代語訳も与謝野晶子大先生に始まり、谷崎潤一郎田辺聖子円地文子橋本治瀬戸内寂聴今泉忠義等々、錚々たる先生方の名前を見ただけで怖気づいてしまいます。

 

  そこで「本が好き!」で古典レビューといえばこの人、いけぴんさん!

 

  以前から多くの源氏物語関係のレビューをされていますが、最近は林真理子さんの「小説源氏物語」(文庫版全三冊)を読まれていました。

 

  で、そのレビューを拝見し、、、大変面白そうであるし、、、

 

  わたしも三冊ならとりあえず読める!(そこかよ) と思い立ったのでした。

 

  そこでまずおさらいとして読んだのがこの本。その林真理子さんが一から勉強しなおすべく、源氏物語研究家の山本淳子先生にその魅力を伺った対談集で、源氏物語の内容、成立過程やその後の流布、影響、謎の多い紫式部の人物像等について要領よくまとめられています。

 

  まず山本先生が強調されているのは、「物語」という形式は当時はサブカルチャーであったことです。皇族貴族男子の学ぶべき格式の高い文学は漢詩や和歌であり、物語は女こどもの暇つぶしのための娯楽であったのです。それを時の帝や藤原道長などに読ませるほどにした紫式部の功績は大きかった。

 

  勝手な想像ですが、現代で言えば、漫画に市民権を与え世界に広める原動力となった手塚治虫萩尾望都等の漫画家が彼女に比肩しうるでしょうか。(竹洗会からのブーイングが聞こえる!ちなみに竹洗会は橋本治推し)

 

  そういう意味では、現代語訳で圧倒的な発行部数を誇るのが大和和紀さんの「あさきゆめみし」(1800万部、Wikipediaより)なのも(この千年の流布の仕方に「絵巻」が大きな役割を果たしたことも加味すれば)、現代における読まれ方として正しいのかもしれません。山本先生は頭中将の髪の毛がなぜか金髪と苦笑されておられますが。

 

  一方、林真理子さんが気になるのはやはり物語を彩る数多のヒロイン、そして小説の構造です。同じ主題を繰り返しながら壮大な交響曲へともっていくその手法に感嘆されていますが、その芯をなすのが紫の上であることでお二人の意見は一致。

さらに彼女(紫式部)のすごいところは、物語の中心に紫の上という太い線を置いたところです。いろんな女の人といろんなことをするけれども、物語には一本の大きな幹がある。「源氏物語」は、紫の上の成長の歴史とともにストーリーが進んでいくのです。

  そして物語の主題を担っていたのもミセス・パープル。

光源氏という男性の庇護を受け、でもだからこそいろいろな男女のありかたを考えさせられてて、傷つきもし、最後は「女ほどままならず哀れな存在はない」と嘆いて死ぬ。しかし、彼女の人生が敗北だったかというと、そうではない。

 

  それ以外の女性では、生霊7年、死霊で20年六条御息所おじさんはもうダメと気づかせる思いのほか重要な役割を担っているの玉鬘あたりに興味を持たれたようです。事実、林真理子さんは前半二巻の題名を「六条御息所 源氏がたり」にされました。

 

  その他にも山本先生の該博な知識で読みどころ満載です。とくに、先生は源氏物語」を和歌や日記、同時代の文学から読み取るという新しい視点の研究で注目を集めておられるだけあって、同時代の他の女流作家の作品との関連に関する話題が豊富でした。

 

  もちろんあの人、犬猿の仲と言われた清少納言の話も出てきます。おもしろかったのは、この二人を英王室のスポークスマンに例えての比較。

 

  清少納言が仕えた中宮定子が故ダイアナ妃紫式部が仕える彰子が現カミーラ妃で、ダイアナ人気が未だに高過ぎてカミーラさんが不人気なのと同様、故定子の人気が衰えないので彰子の影が薄い。そのことがスポークスマン・紫式部は面白くなかったのだ、というご意見には納得!

 

  ちなみにこの中宮定子いづれの御時にか女御更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ桐壺更衣のモデルであったというのが、山本先生のご意見です。

 

  と、冒頭に回帰したところでお開きとさせていただき、林版源氏物語を読んでいきたいと思います。駄文にお付き合いありがとうございました。

 

林真理子と山本淳子による源氏物語対談集 源氏物語千年紀にあたる今年は、源氏物語にますます注目が集まっている。 和樂にて源氏物語の小説連載が始まる作家・林真理子氏と 源氏物語研究のホープとして人気を集める山本淳子氏、二人の女性の対談集です。