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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

楽しみと日々 / マルセル・プルースト

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  「失われた時を求めて」以外で岩波文庫版で手に入るマルセル・プルーストの作品はもう一つあり、これも読んでみました。「楽しみと日々」というヘシオドスの「仕事と日々」を衒った題名の第一作品集で、短篇、散文、詩などから成っており、一つ一つが短いので安心して読めました(笑。

 

プルースト(1871‐1922)が20代前半に書いた短篇小説・散文・詩をまとめた第一作品集。鋭敏で繊細な感受性、細部にわたる緻密な観察、情熱や嫉妬といった心理の微妙かつ執拗な探究、スノビスムへのこだわりなど、大作『失われた時を求めて』にも見られる特徴の数々が本書にはすでに現れている。作家プルーストの原点。 (AMAZON解説より)

 

  1892〜94年に彼が同人誌などに寄稿した作品を集め、師のアナトール・フランスに序文を、挿絵画家マドレーヌ・ルメールに花々の挿絵を依頼し作成された豪華本で、1896年にようやく完成しました。彼はこれを自費出版し、しかも買ってくれそうな友人知己には献呈したため、ほとんど売れなかったそうです。

 

  それ故に「社交界で有名な有閑作家が手遊びに書いて道楽で出版した」程度にしか思われず、文学界では話題にも登らなかったのですが、その評価が一変したのはやはり「失われた時を求めて」(「スワン家のほう」(1913)「花咲く乙女たちのかげに」(1919))で彼が一挙に有名になってからでした。

 

  雑多な作品を集めて詰め込んだと思われていたそうですが、構成を見るとおそらくそうではなくプルーストらしい美学が垣間見えます。

 

 序(アナトール・フランス

 献辞

シルヴァニー子爵バルダサール・シルヴァンドの死 *

ヴィオラントあるいは社交生活 *

イタリア喜劇序章 **

ブヴァールとペキュシュの社交趣味と音楽マニア *

ド・ブレーヴ夫人の憂鬱な別荘生活 *

画家と音楽家の肖像 ***

若い娘の告白 *

晩餐会 *

悔恨、時々に色を変える夢想 **

嫉妬の果て *

 

*: 短編小説

**: エチュード的散文

***: 詩

 

中央に詩集である「画家と音楽家の肖像」を配し、その前後に「小説ーエチュードー小説」を対称的に配置していることがわかります。選から漏れた作品も、この文庫版には収録されています。

 

付録

夜の前に

思い出

アレゴリー

つれない男

 

「夜の前に」は女性の同性愛をテーマとしてあるので外したと考えられています。「つれない男」は初出が1896年で長い間行方不明であったものを書簡研究家コルプ氏が執念で探し出し、なんと1978年になってようやく日の目を見たそうです。

 

  小説では愛、背徳、苦悩、嫉妬、死、スノビズム、芸術といったテーマが上流階級の社交界を舞台として描かれ、その背後にはプルーストの同性愛対象であったと言われる音楽家レーナード・アーン等の影がちらつき、散文では花、月、海、木立等々の自然描写がパリやノルマンディーといった「土地の名」とともに鮮やかに描かれています。

 

  どれもこれも全て「失われた時を求めて」において花開く材料ばかりで、この頃の修練があの大作につながっていくのだな、という感慨をいだきながら読んでいました。

 

  しかし、あの大作をもし彼が発表せずに亡くなっていたらどうだったか?

 

自意識過剰がプンプン鼻につく、華美な文章で埋め尽くされた、有閑作家の若書き

 

という評価のまま、文学史の彼方にうずもれてしまっても致し方のないところだったと思います。アナトール・フランスが序を書くのを嫌がったので出版が遅れたという話も(代筆という噂まであった)満更作り話でもないのでは、と思います。

 

  個人的には「庶民」の描写がほとんどないことに薄っぺらさを感じました。「失われた時を求めて」では女中のフランソワーズを始めとして多くの庶民階級を描いており、貴族、ブルジョア、庶民という三階層全てを登場させることにより作品に厚みをもたらしていたのだな、と今更ながらに再確認できました。

 

  以上のことを鑑みるに、やはりこれは「失われた時を求めて」を読んでから読む本なのでしょう。私にはクールダウンとしてちょうどよかったと思います。

  未読の方には、例えばエチュードの「悔恨、時々に色を変える夢想」の習作群あたりが、自分がプルーストの文章に親和性があるかどうか、「失われた時を求めて」を読み続けられそうかのリトマス試験紙になると思います。

 

  試しに、いかにもな文章を二つ挙げておきます。気に入ればこの本を踏み台にして「失われた時を求めて」にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

 

 僕は貴女の花を取りはずす。貴女の髪をもち上げる。宝石をちぎり取る。貴女の肉肌に届き、砂に打ち寄せる海のように、僕のキスがあなたの肉体を覆い、打つ。しかし貴女自身は僕の手を逃れ、貴女といっしょに幸福も去っていく。(p262、二十五 愛の光による期待の批判)

 

 現実だけでは満足できないことを予感したかのように、初めて悲しみを覚えるよりも前に、まず生を嫌悪し神秘の魅力に惹かれる人々。海はそういう人々を魅惑してやまないだろう。まだどんな疲れも覚えたことがないのに、もう憩いを必要とする人々を海は慰め、漠たる昂揚に誘うだろう。(p266、二十八 海)