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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

収容所のプルースト / ジョセフ・チャプスキ

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  マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を完読できれば読みたいと思っていた本です。光文社古典新釈文庫版の翻訳をされている高遠弘美氏が第三巻「失われた時を求めて〈3〉第二篇・花咲く乙女たちのかげに I」の解説でこの書に言及し、手もとにテキストがあるわけでないのに

プルーストの表現を一旦自分のなかにいれて咀嚼し(中略)あまりにも見事に綴り直すチャプスキの「記憶」は、フローベールボードレールについて、本そのものが手もとになかったために、記憶だけで引用してすばらしい批評を書いたプルーストその人を想起させる。(中略)勘所を外さないその「引用」と原文を比べると、言いようのない感動に襲われる。(中略)何かの作品を愛するとはまさにこういうことでなければならない。

と絶賛されていたので、これは読まねばと思っていました。

 

  一方で根本的な疑問も二点ありました。

 

1: 収容所という極限の状況下で軍人が何故フランスの社交界と恋愛を延々と描き続けるこの作品を選んだのか?軍人捕虜たちがそれを本当に喜んで聞いていたのか?

2: 本当にテキストなしでこの数千ページに渡る長編小説を講義できるのか?

 

  先週(2020/6/26)ようやく「失われた時を求めて」を読み終えましたので、さっそく読んでみました。

 

1939年のナチスソ連による相次ぐポーランド侵攻。このときソ連強制収容所に連行されたポーランド人画家のジョゼフ・チャプスキ(1896 - 1993)は、零下40度の極寒と厳しい監視のもと、プルースト失われた時を求めて』の連続講義を開始する。その2年後にチャプスキは解放されるが、同房のほとんどが行方不明となり、「カティンの森」事件の犠牲になるという歴史的事実の過程にあって、『失われた時を求めて』はどのように想起され、語られたのか? 現存するノートをもとに再現された魂の文学論にして、この長篇小説の未読者にも最適なガイドブック。(本の帯の解説より)

 

  まず最初にお断りしておきますが、訳者によりますと、本書が本当に収容所内の講義の忠実な記録であるのかどうかに関しては多くの疑問があり、真相はわからないのだそうです。その上でですが一応は収容所内の講義録として上記1,2の疑問を検討していきたいと思います。

 

1について: 「収容所という極限の状況下で軍人が何故フランスの社交界と恋愛を延々と描き続けるこの作品を選んだのか?軍人捕虜たちがそれを本当に喜んで聞いていたのか?」

 

  まず状況については理解できました。この講義はチャプスキだけが行ったものではなく、皆がそれぞれの得意分野を講義しあったのです。その中にはイギリスの歴史、移民の歴史、建築の歴史、南米のことなど様々なテーマがあり、チャプスキ自身も

フランスとポーランドの絵画について、そしてフランスの文学について一連の講義(p016)

を行ったと書いています。

 

  「失われた時を求めて」は主要なテーマではあったのでしょうが、一連の講義の一部に過ぎなかった。それであれば、素直に頷けるところです。

 

  その目的は本書の原題名に端的に表れています。「(Proust) contre la decheance」は「精神の荒廃に抗する」(高遠氏)、「精神の『堕落』への抵抗」(岩津氏)という意味であり、人間性を失わないための捕虜たちの必死の努力だったのでしょう。チャプスキは端的に

精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆びつくのを防ぐために(p014)

この知的作業に取りかかったと述べています。

 

  次に、「軍人が」という点は私に大きな誤解がありました。チャプスキは軍人である前に画業を始めとして様々な分野に通暁した当時一流の文化人であり、パリ滞在歴もありフランス語も堪能、療養中に「失われた時を求めて」を読破しその評論も著していました。

 

  また、彼がパリに滞在していた時期、プルーストはまだ亡くなったばかりで、「失われた時を求めて」はまだ刊行が続いており、プルーストの生きた時代の名残が強く残っていました。講義を行うにはうってつけの人物であったわけです。

 

2について: 「本当にテキストなしでこの数千ページに渡る長編小説を講義できるのか?」

 

  ではそんな彼ですから、テキストなしでも完璧な作品の解題ができたのでしょうか?

 

  答えは一方ではNO、一方ではYES、というのが私の読んだ感想です。

 

NOに関して:   まずはチャプスキの覚え違いが多いです。分厚い書物に見えて講義録の部分は100P程度なのですが、その注釈が約30P,81点にものぼっており、その多くはチャプスキの記憶と本来の内容の齟齬の訂正です。

 

  読んだ者の実感から言うと、いくら注釈で訂正を読んでも未読の方には実感がわかないと思います。例えば「消え去ったアルベルチーヌ」の内容に触れた部分。

そして、一年もたたないうちに、旅先のヴェネツィアで彼女(=アルベルチーヌ)の突然の死を知らされたときには、ほかの女との短い恋に心を奪われていて、ほとんど気にも留めませんでした。(p095)

は二重三重に間違いを重ねていて、これはちょっとひどい。 注釈で訂正はされていますが、全体の流れの中で読まないとその間違いのこみいり方がよく分からないと思います。

 

  次に、この講義録だけで物語のあらすじを追うことは不可能である、ということです。断片的にあちこちで内容は提示されますが、ほんのサワリに過ぎずそれも時系列で追っておらず、これだけで全体のストーリーを知るのは不可能です。

 

  もちろんテキストなしで数千ページを完全に覚えられるわけもなく、覚え違いは仕方ない事ですし、系統的に内容を追って行くだけの時間も資料もなかったことは明白です。卑俗な言葉で言えば「チャプスキに罪はない」。

 

  ただ、それであれば本書の宣伝として 「この長篇小説の未読者にも最適なガイドブック」 と書くのは正しくない。ただの煽りに過ぎません。この点は出版社側に再考を求めたいところです。

 

 

  さあ、ここから本番!(またかよ、という声が聞こえそう)

 

 

YESに関して:   これはもう、チャプスキの講義内容のすばらしさに尽きます。さすが高遠弘美氏が絶賛するだけのことはあります。プルーストの人となりや交友関係、思想見識のバックグラウンドなどを十二分に把握したうえで、「失われた時を求めて」に関する文学論を展開していく様は圧巻です。いやむしろ、この本を叩き台にしてプルーストその人を論じている、とさえ感じます。

 

  まずは冒頭部、チャプスキがはじめて「失われた時」に出会った当時の回想から、その文体の特殊性を浮き彫りにしていくあたりには深く共感しました。

 

  フランス語習得の過程で、簡単なフランス語で書かれた二流小説から始まって1924年当時の流行だったコクトーやモランなどの電報みたいに短く乾いた文体を読んでいたチャプスキは、全く異質のプルーストの文体に驚きます。当時のチャプスキのフランス語の知識では

 

 無数の「ところで」を含み、多様で離れ合った要素を、思いがけない連想によって繋いでいきます。複雑にからみ合った主題を、まるで上下関係がないみたいに扱っていく奇妙な方法、このきわめて的確で豊かな文体がもつ価値を、わたしはほとんど感じ取ることができませんでした。

 

  彼がプルーストに目覚めるには1年後手に取った「消え去ったアルベルチーヌ」まで待たなければなりませんでした。そして病気療養中に全巻を読破し、その真価を体得したチャプスキは、ボイ・ジェレンスキポーランド語訳があまりにも「読みやすい」事を優先したためにプルーストの意図した正確な文体を伝えていない、と批判できるまでになっていました。

 

  このあたり、日本語訳でしか読めない私には耳の痛いところですが、とにかくプルーストの文体はフランスを始めとする欧州の人々にとっても特殊であり難解なのだ、と理解できました。

 

  そこからチャプスキはどんどん思索を深めていき、

 

・ プルーストとフランス芸術(特に画家ドガとの類似性)

・ 病弱なプルーストと生涯彼を愛し続けた母

・ 母方の従兄であるベルグソンの哲学の影響

・ トルストイとの類似性と異質性

・ 第一次世界大戦の影響、戦争前に出版された「スワン家の方へ」二冊の構成の完成度の高さ(これは私も強く感じました)

・ 貴族とスノビズムについて、特にそちらに引き寄せられていたスノブなバルザックとの比較

・ 肉体の愛の問題、変態や倒錯を美化も卑下もせず描写する態度

・ ポーランド作家との比較(これは率直に言って分かりませんでした)

 

等々の検討を経て

 

 『失われた時』の思想的な結論はほとんどパスカル的である

 

という、逆説的とさえ思える結論を導き出します。このあたり、本当にスリリングで読んだばかりの内容を反芻しつつ楽しめました。また、

あの長大な数千ページのなかに、「神」という言葉は一度も出てきません。にもかかわらず、というよりも、むしろだからこそ、過ぎ行く人生の快楽の礼賛は、パスカル風の苦い灰の味わいを残すのです。

という指摘には、驚きを禁じ得ませんでした。「一度も出て」来ないというのは厳密に言うと正確ではないのですが、たしかに主人公がすべてから去るのは、神の名のもと、宗教の名のもとにではない。巻単位でレビューしているとついつい見逃しがちな、西欧思想にとって最も重大な本質であるこの事実を教えてくれたチャプスキに感謝したいと思います。

 

  終盤で圧巻なのは「失われた時を求めて〈10〉第五篇・囚われの女 I」で描かれた偉大な作家ベルゴットの死についての考察です。フェルメールの「デルフトの眺望」を観に行きその前で死んだこの作家に関する文章の中にこそプルーストの真の芸術観があるとし、ドストエフスキの「カラマーゾフ」のゾシマ長老の 「人生の多くの事柄が、私たちの目には隠されている」 という台詞まで引用し論じます。

 

  そしてベルゴットの死をプルーストの死と重ね合わせ、晩年のプルーストとその仕事中の死について述べ、この講義は終了します。

 

 

  これだけの内容をテキストなしで論じたチャプスキ、それを筆記した二人の同僚、そして聞き手の捕虜たちの驚くべき知的水準の高さ。そのような将来の指導者層を葬りポーランドを弱体化すべくソ連は「カティンの森」(アンジェイ・ワイダ映画で有名)においておよそ2万5千人を虐殺したのです。