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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ペテロの葬列 / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️

   宮部みゆきの杉村三郎シリーズ第三弾にして文庫本上下巻に渡る大作。「ペテロの葬列」という題名のうち、ペテロはレンブラントの名画「聖ペテロの否認」に描かれたイエスを裏切った弟子ペテロである。葬列とは被害者が加害者になり連綿と続く悪の連鎖のことである。ということで、一市井人杉村三郎が悪を観察し続けるシリーズ三作目は、かの豊田商事に端を発する悪徳詐欺商法の闇を描き尽している。

 

 杉村三郎が巻き込まれたバスジャック事件。実は、それが本当の謎の始まりだった――。『誰か』『名もなき毒』に続くシリーズ第三弾。 今多コンツェルン会長室直属・グループ広報室の杉村三郎は、ある日、拳銃を持った老人によるバスジャックに遭遇する。事件は3時間ほどであっけなく解決したかに見えたが、実はそれが本当の謎の始まりだった――。 事件の真の動機に隠された、日本という国、そして人間の本質に潜む闇。杉村三郎が巻き込まれる最悪の事件。息もつかせぬ緊迫感の中、物語は二転三転、そして驚愕のラストへ。2014年、小泉孝太郎主演で連続ドラマ化。 (AMAZON解説上巻)

 

杉村三郎らバスジャック事件の被害者に届いた「慰謝料」。送り主は?金の出所は?老人の正体は?謎を追う三郎が行き着いたのは、かつて膨大な被害者を生んだ、ある事件だった。待ち受けるのは読む者すべてが目を疑う驚愕の結末。人間とは、かくも不可思議なものなのか―。これぞ宮部みゆきの真骨頂。 (AMAZON解説下巻)

 

  冒頭のバスジャック事件は鮮やかな筆捌きでさすが宮部と思わせる。ただ、三作目ともなって来ると、テレビドラマのシリーズもののように、どうしてこれだけこの人(杉村三郎)ばかりが事件に遭遇するの、という感が否めない。

  そして、人質同士で妙な連帯感が生まれてしまい、AMAZON解説にある、送り付けられてきた被害者慰謝料を(いくら事情があるとはいえ)警察へ報告をしないことに決めるあたりは、さすがに無理がありすぎる。それに、いくら義父に相談済みとは言え巨大コンツェルンの総帥の娘の入り婿と言う立場をわきまえていないと思わざるを得ない(これには作者側の理由があるのだが)。

  また、人質によって慰謝料が違う理由もそう決めた送り主の判断も、今ひとつ要領を得ない。

 

  だから杉村三郎の行動もさすがに今回は暴走気味である。ここからはネタバレになる。

 

  その理由として、宮部みゆきはこの杉村三郎を延々三作も引っ張っておいて、妻菜穂子と離婚させ、巨大コンツェルンからも引き離すつもりだったのである。そのための伏線や本筋と無関係のエピソードが満載のため、長くなってしまった、と言うのが今回の作品が上下巻に渡った理由である。

 

  三作とも解説を担当されているミステリ評論家杉江松恋氏の解説は的確ではあるがほめ過ぎである。本作は作者都合が多すぎる。

 

  個人的には、バスジャックした老人が「トレイナー」であったという設定にいささか感慨深いものがあった。悪い意味でだが。

  このトレイナーとは、一時期日本で流行した合宿による新人研修セミナーの指導員、コンサルタントのことである。テレビでよく特集されていたが、限界を超えるような肉体的鍛錬をしたり、明らかに洗脳じゃないかというような頭ごなしの人格否定をしたりで文字通り「飼い慣らされた豚」に新社会人を追い込んでしまうようなものだった。幸い私の職種には無関係だったが、自分がもしこういう研修を受けさせられたら即退社するか自殺するかどちらかだな、と思った覚えがある。

  こういうセミナーを請け負う業者が悪徳商法のノウハウを受け継いだという作者の設定が本当なのかどうか私は知らないが、十分有り得ることであったのであろう。

 

 

名も無き毒 / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️

  続いて杉村三郎シリーズ第二弾。杉村三郎と彼を取り巻く人々、環境が「誰かーSomebody」で提示されているので、二作目はすっと作品世界に入っていける。

 

『今多コンツェルン広報室に雇われたアルバイトの原田いずみは、質の悪いトラブルメーカーだった。解雇された彼女の連絡窓口となった杉村三郎は、経歴詐称とクレーマーぶりに振り回される。折しも街では無差別と思しき連続毒殺事件が注目を集めていた。人の心の陥穽を圧倒的な筆致で描く吉川英治文学賞受賞作。(AMAZON解説より) 』

 

  手あたり次第悪意という毒をまき散らす女、猛毒の青酸カリによる連続殺人事件、土壌汚染と言う毒、毒の三題噺と言った趣。

  この三つは巧妙に絡め、杉村三郎とその家族を窮地に追い込んでいく宮部みゆきのプロットは相変わらず巧みであるし、丁寧な文章はもう抜群の安定感である。AMAZON解説にもあるように圧倒的な筆致でもある。文学賞を受賞して当然であろう。感動もする。ただ、全編でまき散らす毒に当たり気味のせいか、その感動がイマイチ弱い、と思うのは彼女にあまりにも多くを求め過ぎか。また毒に重きを置くあまり、人物造型がやや浅い気もする。

 

  それにしても、原田いずみという女のまき散らす毒はすごい。

  特に、何の罪もない兄の結婚式の最後で場を混乱の極みに落とし込み、後に兄の妻を自殺させることにもなった、嘘で固められた壮絶なスピーチは「えぐい」の一言。読むのが辛く目を覆いたくなるほどだ。

  小説家はフィクションとは言え、ここまで書けるのかと思ってしまう。

 

  閑話休題、二作を読んでどうにも気になるのが、杉村三郎と言う人物にそれほどの魅力がないところ。連作を意識してか、わざと主人公を浅く書いているのかもしれないが。。。今回巨大コンツェルン会長の愛娘である、元々病弱な妻菜穂子心理的にもかなり痛手を蒙っているので、次作「ペテロの葬列」では家族にそれ相応の波風が立つのかもしれない。

 

 

誰か-Somebody / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️

  宮部みゆき杉村三郎シリーズ第一作。2003年の作品なので、2001年の「模倣犯」とそう離れていない時期である。「理由」「模倣犯」で心身共に疲弊した宮部が再び社会派ミステリーに挑んだわけだが、さすがに「模倣犯」ほどの重さはなく、主人公を刑事でも探偵でもないごく普通の広報室の社員に設定したところからも分かるように、自転車轢き逃げ事件(それもおそらく子供の過失による)という比較的軽い事件を提示して物語は始まる。

 

『今多コンツェルン広報室の杉村三郎は、事故死した同社の運転手・梶田信夫の娘たちの相談を受ける。亡き父について本を書きたいという彼女らの思いにほだされ、一見普通な梶田の人生をたどり始めた三郎の前に、意外な情景が広がり始める―。稀代のストーリーテラーが丁寧に紡ぎだした、心揺るがすミステリー。  (AMAZON解説より)

 

  そこから、被害者の過去、娘二人のうち姉の過去の恐怖の思い出、勝ち気で積極的な妹のある秘密など、いつも通りの語り口で宮部は真実を少しずつ丁寧に明らかにしていく。

  そしてその結末はほろ苦い。というか、納得できないほど杉村三郎という男にとっては理不尽である。以下漠然としたネタバレになるのでご了解いただきたい。

  懸命に探り当てた被害者の過去は娘姉妹には語るに語れないものであったし、姉妹の間にあった秘密については結局疎まれ恨まれただけで終わってしまう。巨大コンツェルンの会長である義父から頼まれた仕事自体も果たせなかった(このことに関しては義父は十分納得しているが)、これではあんまりではないか。

  顔もわからない電話越しの会話で昔被害者と秘密を共有した女性の魂を救済してあげたこと、ひき逃げ犯の中学生を自主的に出頭させるのに一役買ったことだけが救いといえば救いとなり、本作は終わる。

 

 わたしたちはみんなそうじゃないか?自分で知っているだけでは足りない。だから、人は一人では生きていけない。どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ。

 

人情派宮部みゆきの本領発揮の一文で、題名の説明にもなっている。

 

  そして、杉村三郎のほうも、姉妹から投げかけられた毒に存外平然としている。実の母から浴びせられ続けた毒ですっかり免疫ができていたから、という説明がなされる。

 

  シリーズ化するつもりがあったのだろう、この杉村三郎の現在の境遇と家族(妻、娘)については今回詳細に語られるが、本人に関しての記載は浅い。母との確執の原因も語られないし、巨大コンツェルンの会長の妾腹の娘との結婚の詳しい経緯も語られていない。そのあたりはまた、第二弾「名もなき毒」以降で語られるのであろう。

 

 

 

フェルメール展 @ 大阪市立美術館

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今朝コンタクト眼科の診察、買い物を済ませ,その後フェルメール展に行ってきた。 alt

 

阪神高速天王寺で降りてすぐの天王寺地下駐車場に車を止める。ポルシェ・マカンの隣が空いていたのでそこに止めて記念撮影(w。

 

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地上に上がると天王寺公園。昔は路上カラオケ屋が立ち並ぶディープ大阪な雰囲気がたちこめていたが、今はオサレなてんしばというカフェなどが立ち並ぶエントランスエリアとなっている。巨大なあべのハルカスも見える。 alt

 

で、大阪市立美術館

 

vermeer.osaka.jp

 

フェルメール展

 

2000年にここが主催で催された時はものすごいブームとなり、2〜3時間待ち当たり前で私も恐ろしいカラオケ屋の前から2時間以上並んだ覚えがある。 今日も始まったばかりだしそれくらい覚悟で行ったが、なんとガラガラ。さっと入れて、絵もゆっくり観ることができた。

 

今回きたフェルメールは6点。

 

1:マルタとマリアの家のキリスト alt

(絵葉書)

 

2:取り持ち女 alt

(絵葉書)

 

3:リュート調弦する女 alt

(マグネット)

 

4:手紙を書く女 alt

(マグネット)

 

5:恋文

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(絵葉書)

 

6:手紙を書く女と召使い

 

 

このうち今回初来日したのは「取り持ち女」。
 
娼家で男が金貨を渡しながらもう胸をお触りしてる(笑。横の取り持ち婆あのなんとも下卑た顔、いやあゲスの極み乙女的で面白かった。意外とマチエールや色も素晴らしく保存状態も良好。ドレスデン国立古典絵画館所蔵。
 
 

興味深かったのは、現存する彼の作品の中で最も大きく、最初期の、唯一の宗教画と言われる「マルタとマリアの家のキリスト」。スコットランド・ナショナル・ギャラリー所蔵。

 

三人三様の表情、服の色合い、光と陰影、さすがフェルメール だけの事はある。

 

そのほかの4点はもう現物を過去に見ていますし、よく取り上げられる絵画なのでまた会えましたな、という感じ。 alt

 

テンシバにあるイタリアンレストラン青いナポリイン・ザ・パークでランチ。ランチプレートのボリュームがすごかったので満腹になったし美味しかった。

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帰宅してもまだ日は高く、洗車。ここしばらくの雨や雪でホイールやタイヤが大分汚れていたので、そこと下回りはケルヒャーで洗った。 それでもまだお腹がもたれていたので、ジムへ。プールで1200くらい泳いで帰った。 

ソロモンの偽証 / 宮部みゆき

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐️

  宮部みゆきが心血を注ぎ完成させた傑作「ソロモンの偽証」。1990年のクリスマスイブから1991年8月20日までのわずか8カ月間の物語であるが、それを宮部は小説新潮に2002年から2011年まであしかけ9年をかけて連載し完結させた。その量たるや、原稿用紙にしてのべ4700枚に渡る超大作である。もう名匠と呼んでいいだろう成島出監督で映画化もされ大変な反響を読んだのも記憶に新しいところ。

 

  内容はよく知られているように、中学校内裁判という、良く言えば斬新、悪く言えばトリッキーな題材である。

 

  クリスマスイブの夜に中学校校内で中学二年の不登校児が転落死した。状況に鑑みて学校も警察も自殺で処理、家族も納得していた。しかし後日同学年の札付きの不良三人組による他殺であるという怪文書が三通三か所に送られ、そのうちの一通がある偶然と悪意からマスコミに漏れ、大事件に発展する。一時沈静化したに見えたが、同じクラスの少女の交通事故死、三人組の仲間割れによる一人の大怪我と事態は急展開を見せる。しかし学校の対応は鈍い。納得いかないまま中学三年生になっていた当時のクラス委員の少女は、夏休みの卒業制作として「学校内裁判」を提案。賛同者を得、周囲の反対を押し切って裁判は開始され、思わぬ真相が明らかとなっていく。

 

  ざっと概観するとこのようなストーリーなのだが、これを宮部は三部に分け、「事件」「決意」「裁判」と起承転結を見事に整理し、数多くの登場人物を主役から脇役、端役、大人、子供、老人にいたるまできっちりとその人物像を描き切る。単純に善悪で区別しないでその心理の奥底まで掘り下げる手腕はフィクションとは言え、見事の一言に尽きる。そこに暖かい視線が感じられるところが如何にも宮部みゆきらしい。柔の宮部みゆき、剛の高村薫といったところか。

 

  敢えて言うと、巷間多くの批判があったように、中学二年でこれだけのことをやってのけられるのか、実際の事件に対して模擬とは言え陪審員制度の裁判を行う権利、資格があるのかと言う点に疑問は残る。私も違和感を禁じ得なかったし、高校二年くらいにすれば現実味を帯びてくるのに、と思わないでもなかったが、中学二年にこだわった理由を最終盤で作者は明らかにしている。

 

十四歳はそんなもんじゃないのか。みんな自意識過剰でまわりとゴリゴリぶつかって、不安定な心は優越感とコンプレックスのカクテルで、傷ついたり傷つけたり、何年かそういう時期を過ごして、満身創痍になって抜け出していくんだ。(第III部 法廷(下) p409)

 

  これは自殺した少年の兄の弟への感慨の一部であるが、 この物語に登場する中学2~3年生の誰もかれもが、学校と言うヒエラルキー社会の中でどんな立場にいようと否応なく経験している。そして「校内裁判」という厳しい試練の中で、関与したほぼすべての生徒が、それぞれの立場、個性、性格の中でもがき苦しみつつ成長していく様は感動的でさえある。

  よって宮部が中2という年齢設定をしたことに納得せざるを得ない。特に素晴らしかったのは、弱虫で目立たない、しかし心の中にどす黒い闇を秘め、父母殺害未遂まで起こした野田健一と言う少年。彼が弁護人補佐を務める中で変化していく様が素晴らしい。宮部もこの少年には特に感情移入していたようで、エピローグ「二〇一〇年、春」において彼を新人教師として同校に赴任させ、校長に懇願されて同校の伝説となっている「学校内裁判」について語り始めるところでこの長大な物語は終わる。作品の冒頭へ回帰する見事なエンディングである。

 

「何でもお話しできます」「どんなことでも」「あの裁判が終わってから、僕ら」

「- 友達になりました」

だだいま。

僕は、城東第三中学校へ帰ってきた。

もう、あの夏は遠い。(第III部 法廷(下) p466-7、抜粋)

 

   その意味では、この物語は社会派ミステリーとしてだけでなく、ビルドゥングスロマン小説としても極めて優れた小説であると読了してまず感じた。そのことをもう少し詳しく書こうかとも思ったのだが、松山巌氏が解説で詳細に書いておられた。。。「理由」のレビューでも同様のことがあったが、レビューを趣味とする者にはつらいところだが、まあ仕方がない。

 

  閑話休題、ミステリーとして読んでも勿論一流の小説である。バブル経済最終盤の1990年と言う時代を背景に、弁護士、探偵、ルポライター等々の多彩な職業の登場人物を要所要所でうまく裁き、中学生の裁判という言わば絵空事にリアリティを持たせ、緻密に物語を構築してほとんど隙を見せない。9年間よくぞこれだけの集中力を維持できたものである。「模倣犯」でも述べたが、医学的な面においてはやはり宮部は甘いと言わざるを得ない描写がちらほらするが、今回はそれが致命的な瑕疵にはなっていない。

  敢えて個人的な嗜好から苦言を呈すると、浅井松子と言う少女が何故交通事故死しなければならなかったのか、必然性に乏しいし、本当に可哀相である。ミステリーとしての構成上仕方ないのかもしれないが、その事がいつまでも心にひっかかっていた。

  また、最後の陪審員の判決の後の説明は、死亡した少年の両親が傍聴しているという事に鑑みてあまりにもむごい。作者の特徴である感情移入の強さの裏返しなのかもしれない。

 

  最後に小説・文章の技法に関して、その描写は隅々まで目が行き届いており、文体には特段の個性はないものの独特の柔らかさがあり、原稿用紙4700枚に及ぶ膨大な量の最後までグイグイ読ませる。まさに小説スクールの優等生である。

  特に物語冒頭の部分、松山巌氏も絶賛されていたが、ある街の小さな電気店の店主が店の前の電話ボックスから出てきた少年に声をかける部分は秀逸である。

  このキーパーソンとなる少年が「大丈夫です」と答えた後、一瞬の逡巡を見せる。それが心にひっかかった店主は、戦時中に疎開する自分を見送る母が見せた逡巡を思い出す。その母は急に乳飲み子が病気になったため疎開できなかったのだ。そして母子は翌日に東京大空襲で死亡してしまう。物語の展開を暗示させ、名もない電気店の老人の人生で背負ってきたものを鮮やかにさっとデッサンしてしまう。見事である。

 

  文庫本の最後に収録された「負の方程式」と言う短編は、主人公二人のいかにもな将来像がちらりと顔を見せる。宮部らしいサービス精神であるが、一方で蛇足の念を禁じ得ない。

 

もう一度 事件を調べてください クリスマス未明、一人の中学生が転落死した。柏木卓也、14歳。彼はなぜ死んだのか。殺人か、自殺か。謎の死への疑念が広がる中、“同級生の犯行"を告発する手紙が関係者に届く。さらに、過剰報道によって学校、保護者の混乱は極まり、犯人捜しが公然と始まった――。ひとつの死をきっかけに膨れ上がる人々の悪意。それに抗し、真実を求める生徒たちを描いた、現代ミステリーの最高峰。(1)(AMAZON解説)

 

もう一度、事件を調べてください。柏木君を突き落としたのは―。告発状を報じたHBSの報道番組は、厄災の箱を開いた。止まぬ疑心暗鬼。連鎖する悪意。そして、同級生がまた一人、命を落とす。拡大する事件を前に、為す術なく屈していく大人達に対し、捜査一課の刑事を父に持つ藤野涼子は、真実を知るため、ある決断を下す。それは「学校内裁判」という伝説の始まりだった。 (2)

 

あたしたちで真相をつかもうよ――。二人の同級生の死。マスコミによる偏向報道。当事者の生徒たちを差し置いて、ただ事態の収束だけを目指す大人。結局、柏井卓也はなぜ死んだのか。なにもわからないままでは、あたしたちは前に進めない。そんな藤野涼子の呼びかけで、中学三年生有志による「学校内裁判」が幕を上げる。求めるはただ一つ、柏木卓也の死の真実。 (3)

 

遂に動き出した「学校内裁判」。検事となった藤野涼子は、大出俊次の“殺人”を立証するため、関係者への聴取に奔走する。一方、弁護を担当する他校生、神原和彦は鮮やかな手腕で証言、証拠を集め、無罪獲得に向けた布石を着々と打っていく。明らかになる柏木卓也の素顔。繰り広げられる検事と弁護人の熱戦。そして、告発状を書いた少女が遂に……。夏。開廷の日は近い。 (4)

 

空想です――。弁護人・神原和彦は高らかに宣言する。大出俊次が柏木卓也を殺害した根拠は何もない、と。城東第三中学校は“問題児”というレッテルから空想を作り出し、彼をスケープゴートにしたのだ、と。対する検事・藤野涼子は事件の目撃者にして告発状の差出人、三宅樹理を証人出廷させる。あの日、クリスマスイヴの夜、屋上で何があったのか。白熱の裁判は、事件の核心に触れる。 (5)

 

ひとつの嘘があった。柏木卓也の死の真相を知る者が、どうしてもつかなければならなかった嘘。最後の証人、その偽証が明らかになるとき、裁判の風景は根底から覆される――。藤野涼子が辿りついた真実。三宅樹理の叫び。法廷が告げる真犯人。作家生活25年の集大成にして、現代ミステリーの最高峰、堂々の完結。20年後の“偽証”事件を描く、書き下ろし中編「負の方程式」を収録。 (6)

 

 

模倣犯 / 宮部みゆき

⭐︎⭐︎⭐︎⭐️

  宮部みゆきの本領、社会派ミステリーの傑作「理由」に続く超大作「模倣犯」である。読んでもいないし、映画も見ていないがそんな私でも大体どうい内容かは知っているほどの有名作品。こういうタイプの犯人は怖気が振るうほど大嫌いなので読んでいなかったがついに挑んでみることにした。

  読むのに辛い物語だったし、医学的記述の面で読者に誤解を与えたという点は許容しがたいがそれをあらかじめ分かった上でなら、この文庫本で5巻ある長大な小説は読む価値が十二分にある。宮部みゆき渾身の力作である。

 

文庫版第一巻:

墨田区・大川公園で若い女性の右腕とハンドバッグが発見された。やがてバッグの持主は、三ヵ月前に失踪した古川鞠子と判明するが、「犯人」は「右腕は鞠子のものじゃない」という電話をテレビ局にかけたうえ、鞠子の祖父・有馬義男にも接触をはかった。ほどなく鞠子は白骨死体となって見つかった――。未曾有の連続誘拐殺人事件を重層的に描いた現代ミステリの金字塔、いよいよ開幕! (1)(AMAZON解説より)

 

  快調な出だしである。見えぬ犯人、被害者家族、警察、ルポライターを中心に同心円を描くようにその周囲、過去に関わる人物まで、多くの登場人物を手際よくさばいていく宮部の手腕は健在、というか絶頂期なのではないかと思わせる。長大な構想なので焦らずじっくりと筆を進めているのも好ましい。

 

  一点瑕疵を挙げるとすれば、私の専門分野である医学的記述にがっかり

  ある女性がショックのあまり精神に異常をきたし道路に飛び出しトラックにはねられる。倒れて意識がなく耳から血を流している。脳外科の基本中の基本的知識として明らかに頭蓋底骨折を起している。にもかかわらず「強度の脳震盪」だけとは笑ってしまう。おまけに「脳波は正常だが意識がない」。どういう意味なんだかこちらが教えてほしい。大体電気ノイズだらけのICUで微弱な電気活動である脳波のモニターはほとんど不可能で普通はやらない。CTがすぐ撮れる時代にわざわざ脳波をモニターする意味は殆どない。あるとすれば脳死判定の時だけだ。

 

  実はここだけではない。あとがきで某精神科医に謝辞を呈しているが、その精神疾患の記述も含めて、全巻に渡って宮部みゆきの医学的考証は甘いし明らかな間違いもある。あちこちに書き散らすのも無礼なのでここで一点だけ致命的だと思うところを書いておく。主要登場人物である高井和明の目の病気(病名は書いていない)について、第四巻にこういう記述がある。

 

要するにこの視覚障害は、目の機能ではなく脳の問題なのだ。左目がまったく”ものを認識していない”状態であるということは、イコール左目を司る右脳の機能の一部が休んでいるわけだ。(文庫版第四巻P192)

 

  神経解剖のイロハのイの時点で間違っている。医学生向けの簡単な解剖学の本さえ読んでいないのではないか?でなければこんな頓珍漢な文章は書けるはずがない。左目の網膜から出た視神経は視交叉と言う場所で半分ずつ左右の脳に別れて脳内を走行し後頭葉の視覚中枢に終わる。右目も同様。よってたとえもし左目が全盲であっても両側脳とも右目からの情報は受け取っている。

  主要登場人物の高井和明がこの病気であることを本人も周囲の者もまったく気づかず幼少期を過ごしたため、愚鈍な人間とみなされそれが人格形成や犯人を含む友人関係に影響したという設定となっている。その根本のところでこんな記述をしていては物語の土台が脆弱だと言わざるを得ない。

 

  この件についてはさらに許しがたいおまけがついていた。宮部みゆきは文庫版あとがきにこう記している。

 

  二〇〇一年に単行本を上梓した当時、少なからぬ読者の皆様から、登場人物の一人「高井和明」の視覚障害についてお尋ねを頂きました。ご自身が、あるいは身近な方が同じ症状に悩んでいるので、もっと詳しいことを教えてほしいという内容のものでした。

  本書はフィクションであり、高井和明の患っている視覚障害の症状も、そのフィクションの内にあります。どうぞ、作中の描写を、現実の切実な健康問題の自己診断基準にされることのございませんよう、お願いいたします。

 

 

  SFやファンタジーならまだしも、これだけリアルな社会派ミステリーで書けば、医学の専門家でなければ容易に信じてしまうだろう。何を今さら、という時期にこんなことを書くのは許しがたい。どうせ書くなら遅くとも初版出版時だろう。

 

  宮部みゆきがこういう点でこれほど自分に甘いとは思わなかった。その点、高村薫女史は基本的な医学的記述のところで決して手を抜かない。専門家がその分野の文章を読んでおかしいと思われてしまえば、それは全体の信用性が失われる、という事を熟知されているからこその完全主義なのだ。

 

   一方で宮部みゆきの場合それを補っているのが、なめらかで破綻をきたさない語り口。高村女史の孤高で峻厳、時には読者をも突き放すような厳しい語り口とは対照的で、そりゃどちらが人気が出るのかは言うまでもない。それだけにこういうことに関してはより慎重になってほしかった。

 

  まあこの件はこれくらいにしておこう。さて物語は電話の向こうから被害者家族を散々いたぶり、マスコミを翻弄する犯人が実は複数犯ではないかという疑問が芽生え始めた頃、あまりにも突然に若い男性二人が交通事故死する。トランクには男の死体があった。この二人が今回の犯人だと推定して第一巻は終わる。

 

文庫版第二巻: 

鞠子の遺体が発見されたのは、「犯人」がHBSテレビに通報したからだった。自らの犯行を誇るような異常な手口に、日本国中は騒然とする。墨東署では合同特捜本部を設置し、前科者リストを洗っていた。一方、ルポライターの前畑滋子は、右腕の第一発見者であり、家族を惨殺された過去を負う高校生・塚田真一を追い掛けはじめた――。事件は周囲の者たちを巻込みながら暗転していく。(2)

 

  五巻の中では比較的短いが、読むのが嫌になるほど鬱陶しい巻である。第一巻で描かれた悪意に溢れる劇場型犯罪を、いよいよ「真」犯人である二人の男、ピース栗橋浩美(ヒロミ)の側から描き始める。この犯罪を始めたあまりにも身勝手で恐ろしい動機、目を覆いたくなる言動の数々。

  二人の性根が腐っているのは第一巻で想像がつくが、その人格形成過程が延々と語るのであるから、こういうのが苦手の私には読むのが辛い。特に町の薬屋の息子、栗橋浩美(ヒロミ)についてはその生い立ち、犯罪の切っ掛けとなる強迫観念を含め詳細に語られる。その同級生でパシリに使う上述した蕎麦屋の息子の高井和明(カズ)の家族についても語られる。第一巻の最後で死んだ二人がピースとヒロミではなく、このカズとヒロミであることもつらい。

  そしてこの劇場型犯罪をマスコミを通して見ている我々一般人の心理も遠慮なくえぐり出す。

  なおかつ、この一巻ではまだ二人が事故死するところまでいかない。

  ノンフィクションなら読む価値もあるし読まねばならないのだろうが、フィクションでまで読みたくはない。まあ、そいう人間をつくる宮部の精神的負担も理解できるし実力は認めざるを得ないが。

 

文庫版第三巻: 

 

群馬県の山道から練馬ナンバーの車が転落炎上。二人の若い男が死亡し、トランクから変死体が見つかった。死亡したのは、栗橋浩美と高井和明。二人は幼なじみだった。この若者たちが真犯人なのか、全国の注目が集まった。家宅捜索の結果、栗橋の部屋から右腕の欠けた遺骨が発見され、臨時ニュースは「容疑者判明」を伝えた――。だが、本当に「犯人」はこの二人で、事件は終結したのだろうか? (3)

 

  第三巻に入り、冒頭では視点が犯人側から一旦離れる。ヒロミのパシリ、蕎麦屋高井和明の一家、特に妹由美子の視点で事件は再び語られ始める。由美子は不審なカズを追いかけて見失い、第一巻で出てきたある少女と知り合う。この少女、大変な問題児なのだが、とりあえずは二人は別れ章を閉じる。おそらく次巻以降の伏線になるのだろう。

  それ以後は再びピースヒロミの犯罪の続きが描かれるが実は20人以上の女性を既に殺害していたことが判明する。そのやり方も「純粋な悪」そのもの。そして、第一巻の最後の交通事故の悲劇へ向かって後半は一気に物語が加速する。ヒロミを更生させたい一心のタカが如何にして巻き込まれヒロミと一緒に死んだのかが描かれる。無惨、の一言である。そしてタカを殺人犯に仕立てるプランに少し綻びが出てきていたことに焦っていたピースは、おそらくこれを奇貨として次巻以降では更に悪辣なことをやってのけるのだろう。

 

文庫版第四・五巻: 

  あと二巻は読んでのお楽しみという事にしておく。どうしてもある程度の内容を知りたい方は、下記AMAZON紹介を参考にされたい。

 

  とにかく圧倒的な構成力で怒涛の展開に持ち込む作者の力量には感服するほかない。犯人と目され死んでしまったカズの無実を訴え世間から白眼視される妹由美子ホワイトナイトとして再び姿を現すピースこと網川浩一を中心として、それまで登場させた様々な立場の登場人物を誰一人として捨て駒にすることなく有機的に関連付けて物語を構築していく様は圧巻。

  そして読者が何故ピースが題名の「模倣犯」なのか理解できずに進んでいく中、最終局面でそれを明らかにするシーンも印象的。この時代、まだネットではなくテレビという媒体がメインであったのだな、と言う若干の時代の違いを感じさせるところはあるし、網川のボロの出し方もこれまでのストーリー展開に比すると甘すぎるんじゃないかとも思う。

  それでもこの長大な物語を読み、人間とは、家族とは、大衆とは、そしてなぜ人は犯罪を犯すのか、を学ぶ価値はある。読むのに辛い物語ではあるが、医学的な瑕疵を除けば宮部みゆきの代表作という評価は十分首肯できるものであった。

 

特捜本部は栗橋・高井を犯人と認める記者会見を開き、前畑滋子は事件のルポを雑誌に連載しはじめた。今や最大の焦点は、二人が女性たちを拉致監禁し殺害したアジトの発見にあった。そんな折、高井の妹・由美子は滋子に会って、「兄さんは無実です」と訴えた。さらに、二人の同級生・網川浩一がマスコミに登場、由美子の後見人として注目を集めた――。終結したはずの事件が、再び動き出す。 (4)

 

真犯人Xは生きている――。網川は、高井は栗橋の共犯者ではなく、むしろ巻き込まれた被害者だと主張して、「栗橋主犯・高井従犯」説に拠る滋子に反論し、一躍マスコミの寵児となった。由美子はそんな網川に精神的に依存し、兄の無実を信じ共闘していたが、その希望が潰えた時、身を投げた――。真犯人は一体誰なのか? あらゆる邪悪な欲望を映し出した犯罪劇、深い余韻を残して遂に閉幕! (5)

 

すべての見えない光 / アンソニー・ドーア、藤井光訳

 

⭐️⭐️⭐️

  このブログも300記事目。そこで、このブログで最初に紹介したアンソニー・ドーアの「All The Light We Cannnot See」の邦訳をレビューしてみよう。

 

 

So really, children, methematically, all of light is invisible.
数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。(p367)

 

 

『孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド―。時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描き出す。ピュリツァー賞受賞の感動巨篇。ピュリツァー賞受賞(小説部門)、カーネギー・メダル・フォー・エクセレンス受賞(小説部門)、オーストラリア国際書籍賞受賞、全米図書賞最終候補作。 (AMAZON解説より)』

 

  長編2作、短編集2作だけ(2018年末現在)で、もうアメリカを代表する作家になってしまったアンソニー・ドーア。彼がピュリッツァー賞を受賞した「All The Light We Cannnot See」の邦訳。訳者は「シェル・コレクター」「モリー・ウォール」の故岩本正惠さんから交代して新進気鋭の若手翻訳家藤井光氏。氏はこの作品で第三回翻訳大賞を受賞された。

 

  盲目のフランス人少女と孤児のドイツ人少年を中心として第二次大戦における独仏双方の悲劇を描いた大作で、この小説のレビューを初めて見たのがブクレコで3年前、レビュアーはK氏で結構厳しい評価だった。

  端的に言うと

 

  長くて平板で退屈で飽きる

 

  確かにこの小説の文体は独特で、極力感情表現を抑えた簡潔な現在形叙事文を連ねて小節とし、それを連ねること、なんと

 

  178小節14章

 

に及ぶ。確かに長くて平板である。で、今は無きブクレコでコメントのやり取りをして、まず原書を読み、そのうち邦訳を読みますと約束した(気がする)のだが、後者を放置すること3年、先日ぷるーとさんのレビューを見て思い出し、ようやく手に取った。

  本自体の第一印象は

 

   分厚い・デカい!こんなに長い小説だったのか!(写真参照)

 

  そりゃKindleでは実感できないだろうと思われる向きもあるかもしれないが、例えば彼の処女作の「About Grace」は相当長く感じた。それに比べると本作はサクサク読めてそんなに長いとは感じなかったのだが。まあとにかくこれだけ分厚くて大きな本を読むのは久しぶり。

 

  一読、う~ん、確かに

 

  長くて平板

 

  K氏が感じておられたのはこういうことだったのだなあ、とようやく理解することができた。

  勿論、藤井光氏は殆ど直訳・逐語訳と言ってよいほど丁寧にドーア独特の文章を訳されており、そのご努力には頭が下がる。しかしその結果として文章が固かったり、少々分かりにくい日本文となっていたりするところがままある。例えばこんな感じ。

 

She touches a round white button on her uniform with what might be an inconvenienly trembling finger.
彼女は制服の白く円いボタンを、具合の悪いことに震えているかもしれない指で触れる。(p261)

 

英語では何ということもなくすっと流していけるのだが、それをきっちりと日本語に置き換えてしまうとこんなまわりくどい文章になってしまう。日英の文法の違い上仕方ないことではあるのだが、こういう風に流れを止めてしまうような文章が方々に散在していると、長く感じてしまうのもむべなるかなと思う。

  それに加えて感情表現の少ない叙事的な文章が連なることも相まって、原文で感じたよりも乾燥した素っ気ない文章となってしまっている印象が拭えない。

  だから美しく切ない物語なのに、感情移入するのに時間がかかり、また後日談が長いだけに飽きると言われればそれまで。

 

  以上。。。では面白くないので、ツッコミをば何ヶ所か。

 

#1:炎の海ってどうよ!  なんといっても、この作品の鍵となる巨大な伝説のダイアモンドの名前。青い石の中心にかすかに紅い色合いがあり「滴の内側に炎があるよう」でついた名前が「Sea of Flames」。確かに直訳すれば「炎の海」となるだろう。しかし日本語で炎の海って言ったら「あたり一面火事だ~」って意味ではないのか!?もうちょっとしゃれた名前をつけてほしかった。

 

#2:おしっこ漏れそうなのか大丈夫なのか?尿意はさして我慢できそうにない。」(p216)

  さして、がちょっとおかしい。さしてなら、そう大したことないと受けるのが普通、一体我慢できるのかできないのか、どっちだ?

 

原文:Her bladder will not hold much longer.

 

彼女の膀胱は(おしっこでパンパンで)もう持ちこたえられそうにない、だな。

 

#3:美しい文章なのに詰めが甘い!

外のどこかでは、ドイツ軍のUボートが水中の峡谷の上を音もなく動いていく。十メートル近いイカが、冷たい暗闇の中で、巨大な目とともに進んでいく。」(p194)

  マリー=ロールと父の最後の夜を描いた切ない章の、美しい文章。藤井氏の訳にも力が入っている!なのに「イカが巨大な目とともに進んでいく」ってどうよ。

 

原文:Somehwere out there, German U-boats glide above underwater canyons, and thirty-foot squid ferry their huge eyes through the cold dark.

直訳すればそうなのかもしれないけど、ここはやはり、深海の暗闇の中でダイオウイカの目だけが移動していくのが見える、って感じを強調すべきじゃないのか。

 

#4:ワインが眠たげになるのか?ヴェルナーの胃のなかでワインが眠たげに温かくなり」(p225)

  孤児院で貧しい生活しかしたことのないヴェルナーが、招かれて訪れたベルリンの富裕層の同級生宅で初めて味わう豪華な食べ物とワイン。これも印象的な場面だが「ワインが眠たげに」ってどうよ。

 

原文:Wine glows sleepily in Werner's stomach -

うん、これも直訳で正しいと言えば正しい。でもそこはやはり「(ヴェルナーは)ワインのせいで胃がポカポカして眠くなる」だろう。

 

#5:苦労は分かるが伝わってこないぞ!どういうことか理解したかったら、エティエンヌの家のなかを見るといい。家のなかのね。」(p293)

  収容所にいる父がマリー=ロール(もちろん読むのは大叔父エティエンヌ)に宛てた手紙。ものすごく大切な秘密が書いてあるのだが、当然厳しい検閲の目を逃れるため、わかる者にしかわからないように書いてある。ちなみにマリー=ロールもエティエンヌもこの時点で分かっていない。

  だから藤井氏もこの部分の訳は悩みに悩まれたと思うのだが、結局なんか変な文章になってしまっている。残念。

 

原文:If you ever wish to understand, look inside Etienne's house, inside the house.

この原文を読めば、父が娘に伝えたかった秘事は、ここまで読んできた読者にはハッキリ分かるはず。  


  と、いろいろとイチャモンをつけてはきたが、この大作に真摯に取り組まれた藤井氏のご努力には敬意を表したい。

  とにもかくにもマリー=ロールの父が組み立てた精巧な街模型のように、178のピースを用いてドーアが組み立てた第二次大戦中の独仏の架空世界は、目を見張るほど見事な出来栄え。多くの方に読んでいただきたいし、気に入ればできれば原書で味わっていただきたい。(英語以外に独仏露語が所々に挿入されているので、Kindleで読むのが良いと思う)

ネクロポリス / 恩田陸

⭐️⭐️

  投げっぱなしジャーマンとの評価も高い(?)恩田陸さん。今回は投げっぱではなかったものの、例によって例の如く上巻上々、下巻はひどい。前半星四つ、後半一つで平均2.5と言いたいところだが、結末があまりにもひどいので星二つ。

 

  この作品、興行プロレスに例えると分かりやすい。

 

  異界ファンタジーと、

  パラレルワールドSFと、

  殺人推理小説と、

  日英原住民比較文化人類学と

 

異種格闘技バトルロワイヤルで、前半はそれぞれが華麗な技を見せつけておいて、後半は収拾がつかなくなり、終盤は何じゃそれ状態になり、結局場外乱闘全員反則負け、みたいな。

 

 『懐かしい故人と再会できる場所「アナザー・ヒル」。ジュンは文化人類学の研究のために来たが、多くの人々の目的は死者から「血塗れジャック」事件の犯人を聞きだすことだった。ところがジュンの目の前に鳥居に吊るされた死体が現れる。これは何かの警告か。ジュンは犯人捜しに巻き込まれていく―。 』(上)『聖地にいる173人全員に殺人容疑が降りかかる。嘘を許さぬ古来の儀式「ガッチ」を経ても犯人は見つからない。途方にくれるジュンの前に、「血塗れジャック」の被害者たちが現れて証言を始めた。真実を知るために、ジュンたちは聖地の地下へ向かうが…。 』(下)

 

  大体四分の三のところあたりまで正統派ファンタジック・ミステリーでワクワクドキドキさせておいて、終盤にいきなりアナザー・ヒルパラレルワールド全てが合体するというのもひどいが、引用文の下巻解説の「真実を知るためにジュンたちは聖地の地下へ向かうが...。」の無意味さには呆然とする。

  パラレルワールドが合体してできた奇妙奇天烈な「祈りの城」にビビってしまい、もとへ、そこへ挑むべく、原住民ラインマンと犬のクロ、正体を現したキーパーソン・ケント叔父さん、そして主人公のジュンの三人と一匹は、一旦アナザー・ヒルから脱出し、船で祈りの城の海側へ回り、そこから岩壁を登っての、裏手からの侵入を試みる。

  この決死行が延々と描かれるのだが、普通ここからハラハラドキドキのバトルを展開していかなければいかんところだろう。それが結局何の邪魔だても入らず、誰にも襲われず、岸壁には登り路があり、裏手の門の閂は開いておりで、

 

  ただ、おりて船に乗ってまた上がってきました、閂開いてました。入りました、もうみんな揃ってネタバレ説明してました。。。。

 

一体何のためにこんな無駄なエピソードを書かねばならなかったのか。。。他にも本筋と関係ない無駄話はいっぱいあるが、これは極めつけ。ついでに言うと鳥居と祈りの城に吊るしてあった死体二体が誰だったか、と言う説明には開いた口が塞がらない。

 

  萩尾望都先生が真面目にこの架空の国の場所を検討しておられるのがお気の毒でしょうがない。先生、陸さんですからそんなに真面目に考えちゃダメですよ。。。

 

  ということで、安定の恩田陸クオリティを期待する方以外にはお勧めできない作品。

ICO イコ霧の城 / 宮部みゆき

⭐️⭐️

  クローゼットから発掘した宮部みゆきの二冊目は「ICO」。RPGで有名なICOのノベライズである。うちの子がやっていたのは時々見ていたが、寒色系で繊細なグラフィックの印象的な作品だった、と記憶している。宮部みゆきもこのICOの大ファンで、SCEの制作部に直接交渉して許可を得たそうである。

 

『何十年かに一人生まれる、小さな角の生えた子。頭の角は、生贄であることの、まがうことなき「しるし」。十三歳のある日、角は一夜にして伸び、水牛のように姿を現す。それこそが「生贄の刻」。なぜ霧の城は、角の生えた子を求めるのか。構想三年。同名コンピュータゲームに触発されて、宮部みゆきがすべての情熱を注ぎ込んだ、渾身のエンタテインメント。 (Amazon解説より)』

 

 

  というわけで当たり前なのだがプロットがいかにもRPGである。おそらくかなり忠実に原作のストーリーを追っているので、その世界観の概要が見えてくるまでかなり時間がかかる。

 

  そして主要ダンジョンである「霧の城」を一生懸命描写しておられるが、さすがに文字だけでそのややこしすぎる構造を描くには無理があり過ぎる。ここはやっぱり冒頭にダンジョンマップを入れてほしかった。

 

  というわけで宮部さんの熱意と努力は分かるけれど、オリジナルストーリーではないし、ICOはやってないしで、全く物足りなかった。ゲームをやれば再読してみる気になるかもしれないけれど、PS2もゲームも残ってないし残念。

 

理由 / 宮部みゆき

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

   どこかに書いたことがあるが、宮部みゆきが「怪物」的なを描くようになった時期と自身の阪神淡路大震災による心的疲労の時期が重なり、時代物以外の彼女の作品を読むことをやめてしまった。

  しかしその後も彼女は「理由」で直木賞を獲ったのを始め、「模倣犯」「名も無き毒」「ソロモンの偽証」と社会派ミステリーの話題作を次々と発表している。ブックオフに出かけても、新潮文庫版の彼女の赤表紙は圧倒的な存在感を放っているのは常に気になっていた。

  今回偶然に子供が持っていたファンタジー二冊を読んだが、やはりどこか遊び、余技的な感じがあるように思われたので、久々に社会派の宮部みゆきに戻ることにした

 

  まずは直木賞受賞作「理由」、バブル期に計画されバブル崩壊後に完成した荒川区超高層マンションの一室で起こった凄惨な一家四人殺人事件。それが解決して数年後に企画されたルポルタージュ、という形式の着想の妙、多角的視点からの人物造形、そして凄惨な事件の直接間接の膨大な数の証言から炙り出されてくるバブル経済崩壊の病根の深さ、そして最終的な事件の全貌提示。

  読了直後は、さすがだなという感想しか思い浮かんでこなかった。敢えて言うと、中盤から後半にかけての展開がやや重くてくどい感じがしないでもないが、それも周到な計算故のことと、最終二章を読めば納得せざるを得ない。

  高村薫女史の社会派ミステリーの80%くらいのところへは来ているだろう。と言えば宮部ファンに怒られるかもしれないが、私にとっては最大級の賛辞である。

 

『東京都荒川区超高層マンションで起きた凄惨な殺人事件。殺されたのは「誰」で「誰」が殺人者だったのか。そもそも事件はなぜ起こったのか。事件の前には何があり、後には何が残ったのか。ノンフィクションの手法を使って心の闇を抉る宮部みゆきの最高傑作がついに文庫化。 (AMAZON解説より)

 

  早々にネタバレされるので書いてもいいと思うが、この一室に住んでいて惨殺されたのは、購入した家族ではなかった。購入した元の家族はローン返済に行き詰まり、その部屋は裁判所の競売にかけられ、ある男が落札した。しかし諦めきれない家族はある男の入れ知恵で夜逃げ同然にいったん姿を消し、替わりに「占有屋」と呼ばれる偽家族が居座り、落札した男とトラブルになっていたのだ。その偽家族四人が惨殺されたのだから、当然落札者が疑われる。

  物語は、現場から逃げたために重要参考人となってしまったその落札者が泊まっていた簡易宿舎の主人の娘の高校生が、泣きながら交番に駆け込むところから始まる。

 

  バブルの頃からだろうか、素人の私でも「裁判所競売物件」と言うのはしばしば目にした。安くで土地やマイホームを手に入れられる手段としては魅力的だったが、当然ながらトラブルも多いという噂であり、実際周囲にいたバブルに踊らされている人でもさすがにそれに手を付けた人はいなかったと思う。そこに犯罪小説の着想を得た宮部みゆきはさすがである。

 

  さて、ここから具体的な内容を追っていこう。。。と思ったのだが、文庫本なので「解説」がついている。それも池上冬樹である。一読唖然。

  私が文字に起こそう、と頭の中で考えていたことが完璧にかつはるかに詳細に書かれている。何を書いても、それ、解説に書いてあったよ、の世界である。レビューをする者にとっては有難迷惑と言わざるを得ないが、これまたお見事としか言いようがない。

 

  簡単にまとめると、この物語は殺人事件のルポと言う形をとった、日本という国における、時には戦前まで遡った、様々な家庭像の提示である。しかもそれを描くことにより宮部みゆきは「家族」という言葉の持つ幻想を冷静にかつ冷酷に突き崩してしまう。

  物語の最後に、マンションを手放さざるを得なかった家族の長男が、犯人であった男のことについて尋ねられ、もしかしたら犯人と同じように偽家族で暮らしていたら僕も同じことをしていたかもしれない、と語る

  僕もおばさんたちを殺したんだろうか。

 〇〇〇〇の幽霊に会うことがあったら、それを訊いてみたいと、●●●●は言う。

 ●●●●の求める答えを〇〇〇〇は知っているだろうか。彼も知らないのではないか。

 だが、いつか未来のどこかで、それも思いの外近い未来のどこかで、ごく普通の人々が、ごく普通に、●●●●の疑問に答えることのできる時期が来るだろう。それは否応なしに来るのかもしれないし、我々が積極的に求めて到来させるのかもしれない。

 ○○○○の亡霊は、そのときようやく、成仏することができる。

(21 出頭)

 

 

  この作品が書かれたのは1999年、それから20年という月日が経過している。そして、宮部みゆきの洞察が正しかったことはもう誰も否定できない。○○○○の亡霊は、とうの昔に成仏しているだろう。

 

  ちなみに先にレビューしたファンタジーは、彼女がこれと「模倣犯」を書き上げた後、満足感と現実直視の辛さから、しばらくこの路線を離れようとして方向転換した結果とのこと。となると、次は「模倣犯」という事になる。長い旅が始まる。