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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

誰か-Somebody / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️

  宮部みゆき杉村三郎シリーズ第一作。2003年の作品なので、2001年の「模倣犯」とそう離れていない時期である。「理由」「模倣犯」で心身共に疲弊した宮部が再び社会派ミステリーに挑んだわけだが、さすがに「模倣犯」ほどの重さはなく、主人公を刑事でも探偵でもないごく普通の広報室の社員に設定したところからも分かるように、自転車轢き逃げ事件(それもおそらく子供の過失による)という比較的軽い事件を提示して物語は始まる。

 

『今多コンツェルン広報室の杉村三郎は、事故死した同社の運転手・梶田信夫の娘たちの相談を受ける。亡き父について本を書きたいという彼女らの思いにほだされ、一見普通な梶田の人生をたどり始めた三郎の前に、意外な情景が広がり始める―。稀代のストーリーテラーが丁寧に紡ぎだした、心揺るがすミステリー。  (AMAZON解説より)

 

  そこから、被害者の過去、娘二人のうち姉の過去の恐怖の思い出、勝ち気で積極的な妹のある秘密など、いつも通りの語り口で宮部は真実を少しずつ丁寧に明らかにしていく。

  そしてその結末はほろ苦い。というか、納得できないほど杉村三郎という男にとっては理不尽である。以下漠然としたネタバレになるのでご了解いただきたい。

  懸命に探り当てた被害者の過去は娘姉妹には語るに語れないものであったし、姉妹の間にあった秘密については結局疎まれ恨まれただけで終わってしまう。巨大コンツェルンの会長である義父から頼まれた仕事自体も果たせなかった(このことに関しては義父は十分納得しているが)、これではあんまりではないか。

  顔もわからない電話越しの会話で昔被害者と秘密を共有した女性の魂を救済してあげたこと、ひき逃げ犯の中学生を自主的に出頭させるのに一役買ったことだけが救いといえば救いとなり、本作は終わる。

 

 わたしたちはみんなそうじゃないか?自分で知っているだけでは足りない。だから、人は一人では生きていけない。どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ。

 

人情派宮部みゆきの本領発揮の一文で、題名の説明にもなっている。

 

  そして、杉村三郎のほうも、姉妹から投げかけられた毒に存外平然としている。実の母から浴びせられ続けた毒ですっかり免疫ができていたから、という説明がなされる。

 

  シリーズ化するつもりがあったのだろう、この杉村三郎の現在の境遇と家族(妻、娘)については今回詳細に語られるが、本人に関しての記載は浅い。母との確執の原因も語られないし、巨大コンツェルンの会長の妾腹の娘との結婚の詳しい経緯も語られていない。そのあたりはまた、第二弾「名もなき毒」以降で語られるのであろう。