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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

すべての見えない光 / アンソニー・ドーア、藤井光訳

 

⭐️⭐️⭐️

  このブログも300記事目。そこで、このブログで最初に紹介したアンソニー・ドーアの「All The Light We Cannnot See」の邦訳をレビューしてみよう。

 

 

So really, children, methematically, all of light is invisible.
数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ。(p367)

 

 

『孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド―。時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描き出す。ピュリツァー賞受賞の感動巨篇。ピュリツァー賞受賞(小説部門)、カーネギー・メダル・フォー・エクセレンス受賞(小説部門)、オーストラリア国際書籍賞受賞、全米図書賞最終候補作。 (AMAZON解説より)』

 

  長編2作、短編集2作だけ(2018年末現在)で、もうアメリカを代表する作家になってしまったアンソニー・ドーア。彼がピュリッツァー賞を受賞した「All The Light We Cannnot See」の邦訳。訳者は「シェル・コレクター」「モリー・ウォール」の故岩本正惠さんから交代して新進気鋭の若手翻訳家藤井光氏。氏はこの作品で第三回翻訳大賞を受賞された。

 

  盲目のフランス人少女と孤児のドイツ人少年を中心として第二次大戦における独仏双方の悲劇を描いた大作で、この小説のレビューを初めて見たのがブクレコで3年前、レビュアーはK氏で結構厳しい評価だった。

  端的に言うと

 

  長くて平板で退屈で飽きる

 

  確かにこの小説の文体は独特で、極力感情表現を抑えた簡潔な現在形叙事文を連ねて小節とし、それを連ねること、なんと

 

  178小節14章

 

に及ぶ。確かに長くて平板である。で、今は無きブクレコでコメントのやり取りをして、まず原書を読み、そのうち邦訳を読みますと約束した(気がする)のだが、後者を放置すること3年、先日ぷるーとさんのレビューを見て思い出し、ようやく手に取った。

  本自体の第一印象は

 

   分厚い・デカい!こんなに長い小説だったのか!(写真参照)

 

  そりゃKindleでは実感できないだろうと思われる向きもあるかもしれないが、例えば彼の処女作の「About Grace」は相当長く感じた。それに比べると本作はサクサク読めてそんなに長いとは感じなかったのだが。まあとにかくこれだけ分厚くて大きな本を読むのは久しぶり。

 

  一読、う~ん、確かに

 

  長くて平板

 

  K氏が感じておられたのはこういうことだったのだなあ、とようやく理解することができた。

  勿論、藤井光氏は殆ど直訳・逐語訳と言ってよいほど丁寧にドーア独特の文章を訳されており、そのご努力には頭が下がる。しかしその結果として文章が固かったり、少々分かりにくい日本文となっていたりするところがままある。例えばこんな感じ。

 

She touches a round white button on her uniform with what might be an inconvenienly trembling finger.
彼女は制服の白く円いボタンを、具合の悪いことに震えているかもしれない指で触れる。(p261)

 

英語では何ということもなくすっと流していけるのだが、それをきっちりと日本語に置き換えてしまうとこんなまわりくどい文章になってしまう。日英の文法の違い上仕方ないことではあるのだが、こういう風に流れを止めてしまうような文章が方々に散在していると、長く感じてしまうのもむべなるかなと思う。

  それに加えて感情表現の少ない叙事的な文章が連なることも相まって、原文で感じたよりも乾燥した素っ気ない文章となってしまっている印象が拭えない。

  だから美しく切ない物語なのに、感情移入するのに時間がかかり、また後日談が長いだけに飽きると言われればそれまで。

 

  以上。。。では面白くないので、ツッコミをば何ヶ所か。

 

#1:炎の海ってどうよ!  なんといっても、この作品の鍵となる巨大な伝説のダイアモンドの名前。青い石の中心にかすかに紅い色合いがあり「滴の内側に炎があるよう」でついた名前が「Sea of Flames」。確かに直訳すれば「炎の海」となるだろう。しかし日本語で炎の海って言ったら「あたり一面火事だ~」って意味ではないのか!?もうちょっとしゃれた名前をつけてほしかった。

 

#2:おしっこ漏れそうなのか大丈夫なのか?尿意はさして我慢できそうにない。」(p216)

  さして、がちょっとおかしい。さしてなら、そう大したことないと受けるのが普通、一体我慢できるのかできないのか、どっちだ?

 

原文:Her bladder will not hold much longer.

 

彼女の膀胱は(おしっこでパンパンで)もう持ちこたえられそうにない、だな。

 

#3:美しい文章なのに詰めが甘い!

外のどこかでは、ドイツ軍のUボートが水中の峡谷の上を音もなく動いていく。十メートル近いイカが、冷たい暗闇の中で、巨大な目とともに進んでいく。」(p194)

  マリー=ロールと父の最後の夜を描いた切ない章の、美しい文章。藤井氏の訳にも力が入っている!なのに「イカが巨大な目とともに進んでいく」ってどうよ。

 

原文:Somehwere out there, German U-boats glide above underwater canyons, and thirty-foot squid ferry their huge eyes through the cold dark.

直訳すればそうなのかもしれないけど、ここはやはり、深海の暗闇の中でダイオウイカの目だけが移動していくのが見える、って感じを強調すべきじゃないのか。

 

#4:ワインが眠たげになるのか?ヴェルナーの胃のなかでワインが眠たげに温かくなり」(p225)

  孤児院で貧しい生活しかしたことのないヴェルナーが、招かれて訪れたベルリンの富裕層の同級生宅で初めて味わう豪華な食べ物とワイン。これも印象的な場面だが「ワインが眠たげに」ってどうよ。

 

原文:Wine glows sleepily in Werner's stomach -

うん、これも直訳で正しいと言えば正しい。でもそこはやはり「(ヴェルナーは)ワインのせいで胃がポカポカして眠くなる」だろう。

 

#5:苦労は分かるが伝わってこないぞ!どういうことか理解したかったら、エティエンヌの家のなかを見るといい。家のなかのね。」(p293)

  収容所にいる父がマリー=ロール(もちろん読むのは大叔父エティエンヌ)に宛てた手紙。ものすごく大切な秘密が書いてあるのだが、当然厳しい検閲の目を逃れるため、わかる者にしかわからないように書いてある。ちなみにマリー=ロールもエティエンヌもこの時点で分かっていない。

  だから藤井氏もこの部分の訳は悩みに悩まれたと思うのだが、結局なんか変な文章になってしまっている。残念。

 

原文:If you ever wish to understand, look inside Etienne's house, inside the house.

この原文を読めば、父が娘に伝えたかった秘事は、ここまで読んできた読者にはハッキリ分かるはず。  


  と、いろいろとイチャモンをつけてはきたが、この大作に真摯に取り組まれた藤井氏のご努力には敬意を表したい。

  とにもかくにもマリー=ロールの父が組み立てた精巧な街模型のように、178のピースを用いてドーアが組み立てた第二次大戦中の独仏の架空世界は、目を見張るほど見事な出来栄え。多くの方に読んでいただきたいし、気に入ればできれば原書で味わっていただきたい。(英語以外に独仏露語が所々に挿入されているので、Kindleで読むのが良いと思う)