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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

Maybe a fox / Kathi Appelt & Alison McGee

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  東日本大震災の遺児の感想文が話題になり、「本が好き!」でもレビューが引きも切らない「ホイッパーウィル川の伝説」の原作がこの「Maybe a fox」。児童文学だから大したことないとは言わないけれど、大の大人が(大人目線で)褒めまくるのも違和感が強い。

  とは言え、読まずに僻目に見てバイアスがかかった思い込みをしているだけではよくないだろうと思い、とりあえず原書を読んでみることにした。

 

  梗概は下記AMAZON解説か、あまたある「本が好き!」のレビューを参考にしていただきたい。人間パートとキツネパートを二人の作家が分担して完成させたそうだが、全体を通しての文体に二人が書いたという違和感はなく、スムーズに話は流れていき、最後にはちょっとした感動が待ち受けている。

  そういう意味ではよくできた作品となっている。とは言え、仕事の合間に一、二日で読める程度の内容。各章は短く、文章も平易。elementary schoolの高学年くらいから十分読めるだろう。

 

  本音を言えば「After Sylvie」以降の中盤がだるいし、終盤~ラストもよく言えば「スピリチュアル」(アメリカのスピリチュアル系は結構怪しいのが多いが)、大人目線で言えば「子供だまし」。

  まあそこは児童文学という事で許容できるとしても、アフガニスタンがとってつけた感ありまくり。さすがアメリカ人が書いただけあって、地球の反対側のよく分からんところに行った若者二人のうち一人が帰ってこなかった、という身勝手情弱な記述しかない。

 

  邦訳は未読だが表紙絵・装丁と題名の美しさで随分得しているんだろうな、という気はする。なんせ、原題は「たぶんキツネ」だもんな。そういう意味では出版社、編集者と翻訳者の功績大。若手翻訳家や出版社を応援するなら、こういうところをほめてあげればいいのに。

  

  閑話休題、その題名だけでも想像できる通り、英単語と翻訳日本語(レビューで確実なもの)で随分印象が違う。キーとなる単語を比較してみよう。

 

・ホイッパーウィル川 → Whippoorwill River 

  上述したようにこの本がヒットしたのは「ホイッパーウィル川の伝説」という題名の美しさも大きな要因だと思う。で、その元のスペルがこれ、随分ややこしい。弱い意志を鞭打つ、みたいなスピーキングネームだが、ホイッパーウィルではまずそのニュアンスは伝わらない。発音にしてもウィッ・プァウィルくらいが正しいんじゃないかな?もちろんそれでもニュアンスが伝わるわけじゃないんだけど。

 

奈落の淵 → The Slip 

  「奈落の淵」とはまた大げさな、と思っていたが、原書では単純に「Slip」。滑りやすいところ、みたいな感じだろう。勿論落ちたら助かりそうにないところという説明は入っている。

  一方キツネ世界では「Disappearance」と呼んでいる。こっちの方が高尚だ(笑。冗談はともかく「Slip」と「Disappearance」の訳し方なんかが翻訳家の腕の見せ所だと思うんだけど、いきなり「奈落の淵」じゃなあ。

 

セナ → Senna 

  特別な魂を宿した牝狐の名前。これはセナでいいんだけど、スペルがSennaだと知って思わず笑ってしまった。というのも、Senna(センナ)はよく知られている、下剤となる植物の名前。なんでこんな名前をつけたかな?そのあとも出てくる度に苦笑してしまって苦労した。

 

  そのほかにも父がJulesを呼ぶときの愛称Juley-Jules、宝(Jewery)とかけているようでオシャレな言い回しだが、これをどう訳しているんだろう、またあまりお目にかからない擬音語「Kapow!」(銃撃音)はどう訳しているんだろう、なんて興味は尽きない。

 

  まあ、そういう単語や言い回しから始まり、全体として、児童文学はやさしい、わかりやすい訳を心がけるので、えてして原文と邦訳で印象が違うことが多い。もちろん対象年齢の人たちが邦訳だけを読むのは全く問題ない。でも大の大人がレビューするのなら、それも若手翻訳家応援企画の一部とするのなら、原書と比較して翻訳家の個性や力量を検討してみよう、というレビュアーが出てきてもいいんじゃないかな。

 

  義務教育程度の英語を勉強してれば二日で読めるぞ

  

 

『Sylvie and Jules, Jules and Sylvie. Better than just sisters, better than best friends. Jules’ favourite thing is collecting rocks, and Sylvie’s is running – fast. But Sylvie is too fast, and when she runs to the most dangerous part of the river one snowy morning to throw in a wish rock, she is so fast that no one sees what happens when she disappears. At that very moment, in another part of the woods, a shadow fox is born: half of the spirit world, half of the animal world. She, too, is fast, and she senses danger. When Jules goes to throw one last wish rock into the river for her lost sister, the human and shadow worlds collide with unexpected consequences. Written in alternate voices – one Jules, the other the fox – this searingly beautiful tale tells of one small family’s moment of heartbreak as it unfolds into something epic, mythic, shimmering and, most of all, hopeful. (quoted from AMAZON)』

 

真説宮本武蔵 / 司馬遼太郎

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  司馬遼太郎の剣豪を主題にした短編集。

 

  表題作は、吉川英治版でない、漫画バガボンドでもない、限りなく事実に近いだろう宮本武蔵を活写した司馬遼太郎の真骨頂。

 

  もちろんおつうは出てこない(あれは吉川英治の創作)。有名な佐々木小次郎との巌流島の決戦も武蔵の前半生唯一の公式仕合ではあったが、

 

それは戦場での武功ではなく、芸術者の芸名をあげたにすぎなかった。武蔵は卑く(ひくく)あつかわれた。この不幸は、武蔵の晩年までつきまとう。

程度のものだった。たしかに武蔵は強かったが、彼の才能の中で最も卓越していたのは「見切り」という計算力だった。要するに試合の相手を選ぶとき、必ず己よりも弱いと見切ってからでなければ、立ち合わなかった。

 

  だからといって、無名の兵法家ばかり倒していても名声は得られない。そこで狙いを定めたのが京都の名門吉岡家であった。吉岡家にとってはいい迷惑である。しかも当時の吉岡家の当主直綱は相当の使い手で、史実としては「相打ち」の引き分けという記録しか残っていない。蓮台野も一乗寺の決闘もおそらく史実ではない。

 

  しかしその真説の生涯の方が深い感動を呼ぶ。さすが司馬遼太郎の筆である。

 

  そして、吉岡家の兄弟を描いた「京の刺客」も面白い。

 

  また、宮本武蔵を尊敬しながらも、一代で途絶えてしまうような凄すぎる剣術ではなく、誰もが理詰めで習得できる北辰一刀流を開いた「千葉周作」も面白い。

 

 

『剣豪の強さを比較できる傑作短編集! 史上最強の剣豪といわれる宮本武蔵。彼の才能の中で、最も卓越したのは「見切り」という計算力だった。試合の相手を選ぶとき、必ず己よりも弱いと見切ってからでなければ、立ち合わなかった……。通説の裏に潜む、武蔵の実像に迫る表題作ほか、さまざまな生き方をした、有名無名五人の剣客を描く短編集。(AMAZON解説より)』

Hyde / Daniel Levine

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  スティーヴンソンの名作「The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr.Hyde」をHyde氏側から描いた小説。原作が画期的な名作だったのでそこそこの作品にはなっているだろうとは思ってはいたが、かなりよく考え抜かれた面白い小説になっていた。

 

  作者はDaniel Levine、アメリカの若手小説家で、これが処女作だそうである。このアイデアを小説にするには随分長い時間を要した、と書いているが、それだけになかなか見事なデビュー作になっていると思う。彼はこの小説を書こうとした理由を二つ挙げている。

 

1:ヴィクトリア朝時代のモラルでは単純に「Jekyll=善、Hyde=悪」と分けざるを得なかったが、果たしてそうなのか?原作を注意深く読むとスティーブンソン自身も単純にそうではないと感じていた節がある。極端な話、JekyllがLanyon医師を狂気から死に追い込む必然性がない。

 

2:この小説はCarew卿殺人事件がヤマとなるマーダー・ミステリーであるが、この殺人を「coincidence」で片づけてよいものか?というのも、この殺人を現場のそばの邸宅のメイドが窓から目撃しており、しかもそのメイドが「Hyde氏は一度自分のご主人様を訪問したことがあるから覚えていた」と証言している。そのご主人様とは誰なのか、そしHyde氏の訪問の理由は何だったのか?

 

  1は所謂「コロンブスの卵」で、こうして読んでみれば、130年Hyde氏側からの小説を書こうとするものが現れなかったのが不思議な位である。ヴィクトリア時代の善悪の間の「shades of grey」や「Sympathy for the Devil」を許さない(作者解説より)時代は、遠の昔に終わっているというのに。

 

  2はなかなか面白い着眼点である。スティーブンソンも、そこを突いてくるか、とあの世で苦笑いしているだろう。

 

  物語は

 

Henry Jekyll is dead.

 

という文章で始まる。Edward Hyde自死を前にした述懐が続き、そして事の顛末を彼が最初から最後まで語る、という構成になっている。

 

  前半は上記の作者の思惑に即して、その伏線を敷くために費やされる。原作には出てこなかった人物が次々と登場して新しい物語を構成し、当時のイーストエンドソーホーの猥雑とした雰囲気もよく描けている。

 

  そしてそこから、原作でのUtteson氏の名文句

 

If he be Mr.Hyde," he had thought, "I shall be Mr.Seek."

 

をもじった謎の手紙が次々にHyde氏の元に届き彼の不安を煽ったかと思うと、センセーショナルにロンドンの裏社会の処女少女凌辱ビジネスを追及する新聞が彼の隠れ家に次々と張り付けられて彼の周囲をざわつかせる展開となる。

  この流れの中では、Hyde氏は積極的な「悪」ではなく、受動的に「悪」を演じさせられる哀れな存在のように思えてくる。ではその下手人はいったい誰なのか?時々Hyde氏が記憶をなくしている時間がカギなのだろう。

 

  そして後半。期待とは異なり、肉付けは十分されているものの一本調子な展開となる。すなわち、

 

Carew卿殺人事件 ~ Lanyon医師宅での変身 ~ 自宅での薬切れからのHyde氏のCyanide服毒自殺

 

で終わる原作の流れが、原作に忠実にHyde氏側から描かれていくのである。

 

  ストーリーとしては、この前半と後半のつながりが今ひとつ有機的でないのが惜しいと思う。

  特にJekyll氏の不能Hyde氏のお盛んなのを対比させるべく登場する二人の女性、特にHyde氏が買い、しばらく奇妙な同居生活を送り、彼の心無い癇癪で去らせることになる十代の娼婦Jeanieについて、もう少し具体的に話を後半につなげてほしかったと思う。

 

  その一方、この話以前にJekyll博士がフランスで二重人格の少年Emile Verlaineの薬剤治療(今で言えば人体実験だが)を施していて、自らの変身のヒントを得た、という事を徐々に明かしていく設定は秀逸だと思う。

 

  それに比べれば、Jekyll博士の悪の原因が父の虐待にある、なんてのはあまりにもありきたり過ぎて、その結果のインポテンツはギャグか!?とさえ思ってしまう。

 

  まあ前半の伏線を全部回収しながら話を膨らませればもっと長くなってしまうわけで、それもどうかなとは思う。というのは、ただでさえ原作の4倍のボリュームは長く感じたからだ。

 

  原作との一番の違いは、構成が一直線で単調なこと。これでネタの割れている話を四倍の分量で読ませるのはちょっと辛い。

 

  文章に関しては、原作では登場人物の台詞に通常の引用符(”-----")を用いていたのに、この作品ではそれがない。地の文と台詞が分かたれずにつながって進んでいく。JekyllとHydeの台詞はイタリック体にしてあるので、これは彼のスキル、文体なんだろうけれど果たして必要なものなのかどうか?はっきり言って読みにくかった。

 

  この小説を読んでからそのあとに収録されている原作をざっと再読してみると、やはり切れがあって、三段重ね構成なのに100P程度にまとめてぱっと終わっていて、スティーヴンソン見事なり、と思う。稀代のストーリーテラーだったことを再認識した。

 

  医学的な観点からの考察は、職業上かえって書きにくい。「本が好き」でdarklyさん、DBさん、efさんという凄腕の三人が考察されているのでそちらをご覧いただきたい。

 

 

” “An ingenious revision” of Robert Louis Stevenson’s classic Gothic story told through the eyes of the fiend (The New York Times Book Review).

 

 Mr. Hyde is trapped, locked in Dr. Jekyll’s house, certain of his inevitable capture. As the dreadful hours pass, he has the chance, finally, to tell his side of the story—one of buried dreams and dark lusts, both liberating and obscured in the gaslit fog of Victorian London’s sordid backstreets.

 

 Summoned to life by strange potions, Hyde knows not when or how long he will have control of “the body.” When dormant, he watches Dr. Jekyll from a distance, conscious of this other, high-class life but without influence. As the experiment continues, their mutual existence is threatened, not only by the uncertainties of untested science, but also by a mysterious stalker. Hyde is being taunted—possibly framed. Girls have gone missing; a murder has been committed. And someone is always watching from the shadows. In the blur of this shared consciousness, can Hyde ever truly know if these crimes were committed by his hands? (quoted from AMAZON)”

クレオパトラの夢 / 恩田陸

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  オネエ喋りの神原恵弥(めぐみ)シリーズ第二弾。「MAZE」があまり面白くなかったので、随分ほったらかしにしてあったが、やっと読んだ。

 

  恩田陸と言えば「大風呂敷広げ過ぎの畳み忘れ」が特徴なのだが、これは逆。前半思わせぶりにいろんな謎を散りばめておいて、後半の尻すぼみ感が半端じゃない。

 

  主人公のおねえキャラで何とかもってる感じだが、彼に親近感が湧くかと言われればそうでもない。「ブラック・ベルベット」という第三弾があるらしいが、たぶん読まないだろう。(とMAZEでも思ったのにこれを読んでしまったわけだが)

 

 『北国のH市を訪れた神原恵弥。不倫相手を追いかけていった双子の妹を連れ戻すという名目の裏に、外資製薬会社の名ウイルスハンターとして重大な目的があった。H市と関係があるらしい「クレオパトラ」と呼ばれるものの正体を掴むこと。人々の欲望を掻きたててきたそれは、存在自体が絶対の禁忌であった―。謎をめぐり、虚実交錯する世界が心をとらえて離さない、シリーズ第二作! (AMAZON解説より)』

展覧会の絵 / イリーナ・メジューエワ

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   先日紹介したメジューエワさん自身の著書で解説されていた、ショパンの「別れの曲」とムソルグスキーの「展覧会の絵」が入っているライブアルバム。彼女の大好きな魚津の新川文化ホールでのライブ録音で時系列で言えばこの作品が本邦での初ライブアルバムとなる。彼女のライブはそのまんま収録するのでよく咳などの雑音が入るが、それが気にならないほどの熱を帯びた演奏が聴けるし、スタインウェイの響きがとてもよく分かる。

 

  彼女は暗譜している曲でも必ず譜面を見て演奏する、いわば譜面原理主義だが、それだけに自身の著書の解説を読みながら聴くと、なるほどと首肯させられるところが多々ある。

  例えば「別れの曲」がエチュードであることはよく知られているが、では、どのような練習になるのかはあまり聞いたことがない。彼女の解説によると、この曲はポリフォニールバートの練習になり、それにより奏者の表現力が試されるそうだ。ショパンは結構細かくテンポや表現について指示をしていて、それを忠実に守りながらルバートすることは、それは難しい事だろう。特に彼女の言う事にはショパンは左手はリズムを守りつつ右手でルバートすることを求めているという。それを忠実に守って演奏するとどうなるか。そのお手本がこのアルバムの「別れの曲」なんだと思う。

 

  ロシア人の血が騒ぐ「展覧会の絵」はゆったりと雄大に演奏している。ピアノを思いきり響かせる演奏で、音の強弱のメリハリが凄い。

  一聴しただけでは私がこの曲の評価基準としているキーシンの方がきっちりとした演奏に聴こえるのだが、何度も本を読みながら聴いていると、これが正しいのかなと思えてくる。彼女の推薦するアファナシエフに似た演奏ではないかと思う。

 

  その他のショパンも聴きどころ一杯だが、普段あまり耳にしないメトレルの「おとぎ話(Sonata in F major op26-3)もいい。メジューエワさんが好きな作曲家で、日本人にも知ってもらいたいとよく演奏されている。

 

 

【曲目】
ショパン
 ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 作品26の1
 エチュード 変イ長調 作品25の1《エオリアンハープ》
 エチュード ホ長調 作品10の3《別れの曲》
 エチュード ハ短調 作品10の12《革命》
〈ムソルグスキ〉ー
 展覧会の絵
メトネル
 おとぎ話 へ短調 作品26の3
ショパン
 プレリュード ロ長調 作品28の1
 プレリュード イ長調 作品28の7

2004年12月、新川文化ホール(富山県魚津市)で行われたリサイタルを収録したもので、ショパンムソルグスキーを中心としたプログラムです。注目すべきはムソルグスキーの《展覧会の絵》。
深いスコアの読みと豊かなイマジネーションから生み出される新鮮な解釈によってこの傑作に新たな光をあてることに成功しています。巨大なスケール感とライヴならではのテンションの高さも圧倒的。
アンコールで弾かれたメトネルショパンもコンサートの雰囲気をよく伝えています。
なお、ブックレットにイリーナ本人のエッセイを収録しているのも見逃せません。

録音:2004年12月2日 新川文化ホール(富山県魚津市AMAZON解説より)

神様のボート / 江國香織

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  あり得ないような設定をするっと読ませてしまう江國香織。今回はちょっと狂気を孕んだ母葉子と普通の娘草子の物語。二人の語りが交互に入り、娘の成長とともに少しずつ少しずつ二人の心の距離が開いていくところが読みどころで、最後の一文まで気が抜けない。

 

  ギタリストで楽器店を営む男と「骨が溶けるような恋」をして草子を産んだ母。しかし彼女はピアノの先生の妻だった。男は必ず戻ると約束をして二人のもとを去った。先生はもちろん悪い人ではないが、離婚し、彼女に東京にいてほしくないと言った。

 

  二人は「神様のボート」に乗って引っ越しを繰り返す「ねなしぐさ」になる。母はピアノの先生やバーの手伝いをしながら生計を立て、ロッド・スチュワートの歌を(特にWhen I need youを)くちずさみ、たばことコーヒーとチョコレートを栄養源に、あの人が必ず戻ってくるという強い思い(そこには様々な美化が加えられている)を支えに、そして草子を生きがいにしている。どの土地にも「慣れることがない」。

 

  こういうキャラクタは江國さんの十八番だが、今回はその娘草子の小学校時代から高校生までの視点で、この母と根無し草生活を客観的に描写し、母の夢の不毛をあぶりだしていく。

 

  草子は全寮制の高校に入ることで、母の叶うはずのない夢を追いかけるだけの生活と訣別する。母は激しく動揺するものの受け入れる。

 

  そして最後の3ページをどうとるか。何気なく読んでしまえば、単純で奇跡的なハッピーエンド。でも何かおかしい、引っ掛かりを感じる、という人は多いだろう。もしかしたら母は死んだのかもしれない。どんな文章なのか是非お読みいただきたい。これが江國マジック。彼女はあとがきでこう語っている。

 

小さなしずかな物語ですが、これは狂気の物語です。そして、いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だと思っています。(1999年時点)

 

 

 

 

『昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子"。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの"“神様のボートにのってしまったから"――恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遥かな旅の物語。(AMAZON解説より)』(なお、AMAZONにはどういう訳か英語と書いてありますが日本語です)

落下する夕方 / 江國香織

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    久々の江國香織の小説は慈雨のように私の心を満たした。

 

  原田知世菅野美穂の共演で映画化された作品「落下する夕方」です。映画は率直なところ凡庸な出来で、不思議な、というか妙な雰囲気で、この二人の魅力が今一つ伝わってきませんでした。この映画を見た頃、江國香織を知らなかったので、原作を読んでみようとは思いませんでした。

 

  去年随分たくさんの彼女の作品を読んで、満を持して、読んでみました。やはり江國香織の感性は鋭く、そして文章の天才でした。あり得ないような人間関係をリアルでもなく浮世離れすることもなく「江國香織の内的世界」として描ききる、その手腕はお見事。

 

これは、すれちがう魂の物語です。すれ違う魂の、その一瞬の物語です。(江國香織) 

 

  華子菅野美穂でも演じきれなかったほど、江國香織の文章にかかると鮮烈な印象を残します。彼女は突然現れ、華奢で怠惰で何もしないのに、いないとその存在感が露わになり、彼女のもとには多くの人が集まってくるけれど、彼女は誰をも愛していない。たぶん自分自身も。そして突然舞台から去っていく。

 

「もう梅雨だな」
健吾が言い、私は空気の匂いをかぎながら、隣を歩いた。
しずくの一つ一つが埃を抱きこんだようなむうっとする雨の夜が、目の前に続いていた。雨は充分につめたく、おおらかに官能的で、しのしのとやさしかった。華子みたいに。
「引っ越そうと思うの」
15ヶ月前の健吾のように、私はしずかにそう言った。

 

  江國香織の魅力はその文章の独特の雰囲気にあります。だからおそらく、映画化は、とても難しいのです。

 

 

  心というのは不思議です。自分のものながら得体が知れなくて、時々怖くなるほどです。
  私の心は夕方に一番澄みます。それはたしかです。(江國香織

 

「ぬるい眠り」でも「プルキニエ現象(青い夕方)」のことを書いておられましたが、江國さんは本当に夕方が好きですね。

 

『梨果と八年一緒だった健吾が家を出た。それと入れかわるように押しかけてきた健吾の新しい恋人・華子と暮らすはめになった梨果は、彼女の不思議な魅力に取りつかれていく。逃げることも、攻めることもできない寄妙な三角関係。そして愛しきることも、憎みきることもできないひとたち…。永遠に続く日常を温かで切ない感性が描いた、恋愛小説の新しい波。(AMAZON解説より)』

ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ / イリーナ・メジューエワ

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    ロシア出身で現在は日本在住の名ピアニスト、メジューエワさんのピアノ曲解説本。ピアニストの視点からの解説はさすがに鋭い。

 

 

  とは言え、彼女は日本語で文章は書けないので、編集者と家人の力を借り、語りのセッションを9回繰り返して完成させたそうです。その分だけ彼女の言いたいことを編集者が対談的な語り口で書いてくださっているので、素人にも意外に分かりやすい内容となっています。もちろんプロにはプロの読み方があり、レベルに応じて理解度は違うと思いますが。

 

  取り上げられているのは

 

バッハ: 「平均律クラヴィーア集」「ゴルトベルク変奏曲

モーツァルト: 「ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」」

ベートーヴェン: 「ピアノ・ソナタ第14番「月光」「ピアノ・ソナタ第21番」

シューマン: 「子どもの情景より「トロイメライ」」「クライスレリアーナ

ショパン: 「別れの曲」「ピアノ・ソナタ第二番」

リスト: 「ラ・カンパネラ」「ピアノ・ソナタロ短調

ムソルグスキー: 「展覧会の絵

ドビュッシー: 「月の光」

ラヴェル: 「夜のガスパール

 

と、バロックから現代まで歴史の要点を押さえた選曲。特にバッハ平均律が「旧約聖書」と呼ばれ、ベートーヴェンピアノ・ソナタが「新約聖書」と呼ばれるほど、ピアニストにとって大事なのか、がよく分かる解説でした。

 

  ピアニストならではの視点も満載。現代音楽の基礎を築いたバッハも「手の感覚」で作曲していたと感じるところや、ショパンベートーヴェン両方をやる人は少数派でそれは二人のぴあニズムアがあまりに違うから。ポリフォニーの発想が違いすぎると語るところなど。

 

  そのような理論を越えた感想も面白い。お暗示ロマン派でもショパンはリアリスト、シューマンは現実を超えた世界に憧れて飛んで行って、結局クレイジーになってしまったとか。その他にもクスッと笑えるようなエピソード満載。

 

  そしてやはり彼女の故郷ロシアの音楽である「展覧会の絵」の解説は力が入っています。彼女の演奏を聴きたくなりました。

 

  推薦盤も参考になります。全然違うスタイルのような気がするアファナシエフを尊敬しているところにはちょっと驚きました。一方で彼女の正確かつダイナミックなスタイルから連想させるリヒテルが多く出てくるところは納得。ちょっと残念なのは、彼女の推薦する演奏にあまりにも古い演奏者が多い事。コルトーやユーディナなど、チョイスはなるほどとは思いますが、プロの方には勉強にはなっても、私のようにオーディオマニアで聴く方専門の者にはもう少し新しい録音を取り上げてほしかったです。

 

  まあ、彼女のアルバムを集めて行けばいいんですが(笑。

 

  

ブライトの憂鬱 / 竹宮恵子

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竹宮惠子の名作「私を月まで連れてって!」のスピンオフ作品。あの名脇役おヤエさんの息子ブライトの憂鬱な日々。何故に?

 

 

  以前竹洗会推薦の「エデン2185」をレビューしましたが、今回はもう一つのスピンオフ作品「ブライトの憂鬱」を読んでみました。なんせあのおヤエさんの息子の話らしいので、こりゃ読まなくっちゃね、てなもんです、はい。

  いつも仏頂面と子供らしくない優雅な身のこなしで「憂鬱なブライト」は今日もゆく――。おヤエさんとハリアンの双子の兄妹ブライトとナナ、そしてダンとニナにまた会える! SFラブコメの金字塔「私を月まで連れてって!」続編登場!!  収録作品:ブライトの憂鬱 Vol.1 / ブライトの憂鬱 Vol.2 / ブライトの憂鬱 Vol.3 フレンドリーな悪魔 /ブライトの憂鬱 Vol.4 氷のように輝く君に (AMAZON解説より)

 

  「エデン2185」が原作とは全く別のシリアスなストーリーであったのに比べるとこちらはスーパーハウスキーパーおヤエさん(なんと第一話ではまだやっている!)、底抜けに明るくてライトなハリアンはもちろんのこと、原作の主人公ダン・マイルドニナ・フレキシブル・マイルドもバンバン出てくるのでコミカルSF路線まっしぐら。サブリナもちょっとだけ顔を出しますし。

 

  というわけで「エデン」ほどの傑作ではありませんが、「私月」ファンにはこちらの方が楽しめます。

 

  でもそんな中で、主人公のブライトだけはいつも仏頂面で不機嫌、そして優等生。ハリアンに言わせれば宇宙事故で亡くなった兄のブライトそっくりなんだそうで、遺伝もあるんでしょう。

 

  でもブライトの憂鬱は、いくつものファクターが組み合わさってのこと。

 

・ 双子の妹ナナとともに、彼女を守るために生まれてきたこと

・ 彼はESPで人の心を読めてしまうこと

・ 彼は優秀眉目秀麗学業優秀で、ナナは贔屓目に見ても凡庸な女性でしかないこと

・ シェラトン家という巨大財閥の後継者であることが運命づけられていること

 

というわけで、近づいてくる女性や大人たちの下心をいやというほどESPで読ませられ続けてりゃ、憂鬱にもなります。スーパーレディである母とも対立しがちに。。。

 

  そんな彼のESP能力を制御するためもあって家庭教師に送り込まれるのがニナ、大人のニナとあのロリコン・ニナ、双方の形態をとれるところが笑わせます。

 

  で、彼の心配をよそにそれなりのレディに育ったナナは、あるパーティでシェラトンの取引先のテラフォーミングを多がける会社の息子の好青年、レナルド・サーペンタインに惹かれます。

 

  気に入らないブライトは(まあそれだけが理由じゃないんですが)地球を離れ、火星ステーションのハイスクールに進学。そこで、ナチュラルで心の裏の読めないクア・テイという同級生と出会い、彼の成長の契機となります。

 

  一方でナナはレナルドと結婚を前提としたお付き合いを始めるとブライトに報告。気に入らないブライトは、、、

 

  まあそこからの大騒動は読んでお楽しみ、そして後半ではブライトに幻の恋人ができてしまいます。なんとSPで交感しあうこの二人ですが、彼女の方はまだ生まれてもいない!

 

  もし生まれたら、彼との年の差は丁度ダンとニナとおんなじ。。。

 

  ハイ、勘のいい方はもうお分かりですね。「私月」ファンとすれば読まざるを得んでしょう(w。

 

  おヤエさんも母となっても相変わらずではありますが、本作以上に脇役に回っていて残念。でも、一か所だけ「やったね」というシーンが。おヤエさん、ダン、ニナの3ショットをちらっとお見せしておしまいです。

 

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おヤエさん、マイルドに脳天キーック!

 

夜は短し歩けよ乙女 (DVD)

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  森見登美彦の代表作と言える人気作品「夜は短し歩けよ乙女」のアニメ映画化。去年公開時見逃していてようやくDVDで観た。

 

  うーん、映画館で金払って見なくて良かった、というのが正直な感想。シュールでコミカルな原作の雰囲気を画風で再現しようとしたんだろうけれど(それが評価されていたことも知っているが)、そして中村佑介のキャラクタデザインはモリミーにはお馴染みで安心して観ていられれるけれど、残念ながら今の日本のアニメのレベルからするとプロの作品とは言えないような作画品質。声優も、素人を多用していることもあり、決してひどいというのではなないのだが、この物語の内容を借りて言えば学園祭レベル。

 

  この映画単体でいうと、☆一つ、あまり見る意味はないだろう。原作ファン、モリミーファン専用映画。知らないで観た人には是非原作を読んでほしい。

 

 

『 京都を舞台に描かれるちょっと風変わりなベストセラー青春恋愛物語の金字塔が 最高のキャスト&スタッフでアニメーション映画化!

 

【物語】 クラブの後輩である“黒髪の乙女"に思いを寄せる“先輩"は 今日も『なるべく彼女の目にとまる』ようナカメ作戦を実行する日々を送っていた。 空回りし続ける“先輩"と天真爛漫に歩き続ける“乙女"。 京都の街で、個性豊かな仲間達が次々に巻き起こす珍事件に巻き込まれながら、不思議な夜がどんどん更けてゆく。 外堀を埋めることしかできない“先輩"の思いはどこへ向かうのか! ?

 

【スタッフ】

原作:森見登美彦夜は短し歩けよ乙女』(角川文庫刊)

監督:湯浅政明/脚本:上田誠(ヨーロッパ企画)/キャラクター原案:中村佑介

音楽:大島ミチル/主題歌:ASIAN KUNG-FU GENERATION

制作:サイエンス SARU/製作:ナカメの会

 

【キャスト】

先輩:星野 源

黒髪の乙女:花澤香菜

学園祭事務局長:神谷浩史

パンツ総番長:秋山竜次(ロバート) ほか

 

©森見登美彦KADOKAWA/ナカメの会 (AMAZON解説より)