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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

落下する夕方 / 江國香織

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    久々の江國香織の小説は慈雨のように私の心を満たした。

 

  原田知世菅野美穂の共演で映画化された作品「落下する夕方」です。映画は率直なところ凡庸な出来で、不思議な、というか妙な雰囲気で、この二人の魅力が今一つ伝わってきませんでした。この映画を見た頃、江國香織を知らなかったので、原作を読んでみようとは思いませんでした。

 

  去年随分たくさんの彼女の作品を読んで、満を持して、読んでみました。やはり江國香織の感性は鋭く、そして文章の天才でした。あり得ないような人間関係をリアルでもなく浮世離れすることもなく「江國香織の内的世界」として描ききる、その手腕はお見事。

 

これは、すれちがう魂の物語です。すれ違う魂の、その一瞬の物語です。(江國香織) 

 

  華子菅野美穂でも演じきれなかったほど、江國香織の文章にかかると鮮烈な印象を残します。彼女は突然現れ、華奢で怠惰で何もしないのに、いないとその存在感が露わになり、彼女のもとには多くの人が集まってくるけれど、彼女は誰をも愛していない。たぶん自分自身も。そして突然舞台から去っていく。

 

「もう梅雨だな」
健吾が言い、私は空気の匂いをかぎながら、隣を歩いた。
しずくの一つ一つが埃を抱きこんだようなむうっとする雨の夜が、目の前に続いていた。雨は充分につめたく、おおらかに官能的で、しのしのとやさしかった。華子みたいに。
「引っ越そうと思うの」
15ヶ月前の健吾のように、私はしずかにそう言った。

 

  江國香織の魅力はその文章の独特の雰囲気にあります。だからおそらく、映画化は、とても難しいのです。

 

 

  心というのは不思議です。自分のものながら得体が知れなくて、時々怖くなるほどです。
  私の心は夕方に一番澄みます。それはたしかです。(江國香織

 

「ぬるい眠り」でも「プルキニエ現象(青い夕方)」のことを書いておられましたが、江國さんは本当に夕方が好きですね。

 

『梨果と八年一緒だった健吾が家を出た。それと入れかわるように押しかけてきた健吾の新しい恋人・華子と暮らすはめになった梨果は、彼女の不思議な魅力に取りつかれていく。逃げることも、攻めることもできない寄妙な三角関係。そして愛しきることも、憎みきることもできないひとたち…。永遠に続く日常を温かで切ない感性が描いた、恋愛小説の新しい波。(AMAZON解説より)』