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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

約束された移動 / 小川洋子

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  久々の小川洋子。去年末に出た新刊です。

  「ブクレコ」や「本が好き!」などで私はこれまで、

 

「静謐で美しい」

「どこか狂っている世界」

「独特のエロティシズム」

小川洋子は細部に宿る」

 

といった表現で小川洋子を評価してきました。

  今回も例外ではなく、既レビューにあるように「エロに乏しい」ものの、一読してどれも小川洋子だなあとわかる作品が六作品並んでいて楽しめました。

  あえて言えば、文章やストーリー構成が達者になりすぎて、読みやすい分逆に強く印象に残る作品に乏しい、そんな気はしました。


  また、全体を通してのテーマは「移動」だそうですが、それに拘泥するとそれぞれの作品に集中できないので、あまり気にする必要はないと思います。敢えて言えば冒頭の表題作と最後の「巨人の接待」が「移動」というテーマに関しては出色の出来栄えだったと思います。
 

 

  以下寸評。

 

約束された移動 文藝2019秋季号

  表題作。

 ハリウッド俳優のBはすっかり落ちぶれてしまい、スクリーンで姿を見ることもなくなったが、昔は微笑むギリシャ彫刻と呼ばれ、世界中に熱狂的なファンを持つスターだった。

に始まり、

どれほどBが落ちぶれようと、世間から蔑まれようと、彼がいかに困難な道にも怯まない勇者であるか、私は知っている。(中略)彼は転落したのではない。象や無垢な少女や船長や、一家の名もない母に導かれ、行き着くべき場所に向かって、今も移動を続けているのだ。

 

に終わる、ロイヤルスイートルームの客室係の「私」の、宿泊するたびに本棚から一冊ずつ抜き取っていくハリウッド俳優への30年に渡る共感。

  

 ずばり、六作品中最高の出来だと思います。文章は精緻で破綻がなく、ストーリーに一切の無駄がない。処女作品集「完璧な病室」は不粗削りで不完全な文章が魅力でしたが、これはもう非の打ち所のない完璧な短編」。小川洋子の円熟を示す傑作だと思います。

  

  文学に関する知識が多いほど楽しめますが、映画「リバー・ランズ・スルー・イット」と1970年の大阪万博時の象の行進の映像(Youtubeに当時のニュース映像があります)を知っていれば、より楽しめます。

 

ダイアナとバーバラ 文藝2019夏季号

  漠然とですが、小川洋子の作品には「」の気配が希薄な気がします。この作品も祖母と孫娘の物語。

  孫娘はしっかりした子。祖母も元々キャリアウーマンでしっかりものでしたが、今はダイアナ妃が着ていたドレスを真似て自己流で洋裁して身にまとっては悲惨な目にあうというちょっとおかしいところがあります。この辺りの拘り方はまさに「小川洋子は細部に宿る」の典型。

 

  ということでダイアナは故ダイアナ妃ですが、バーバラはどうもこの老婆のことのよう。ば〜ばなんでしょうか?個人的にはこの呼び方大嫌いですが。


  兎にも角にも、その老婆から孫娘へ「わかりますよ、わかります」という口癖が受け継がれる物語。

 

元迷子係の黒目 文藝2019年冬季号

  出来立てのホヤホヤの作品ですね。これも少女と老婆のお話ですが、単なる祖母ではなく「ママの大叔父さんのお嫁さんの弟が養子に行った先の末の妹」というややこしい関係。こういうことを思いつくのも小川洋子ならでは。ちなみに初めての子が死産で子供はいない、ここにも母性の喪失が顔をのぞかせています。

 

  表通りに面した少女の家と、路地を挟んだ裏庭のこの老婆の家という狭い世界での二人の一夏の交流が描かれます。斜視という素材も、元キャリアウーマンで百貨店の迷子探しの達人という設定も、小川洋子らしくうまく料理はしていますが、正直それほどフックにはなっていないのが惜しい。

 

  むしろ熱帯魚飼育やグッピーの出産などの方が私も経験があるので面白かったですが、ちびまる子ちゃんにあったようなオチが来るんじゃないかな、と思って読んでいたらまさにその通りで、少女が気の毒ではあるのですが笑ってしまいました。

 

寄生 文藝2009年秋季号

  これは10年前の作品なので、他の収録作とはずいぶん雰囲気が違います。不条理とシュールが入り混じった気持ち悪さが魅力と言えば魅力で、かつ、珍しく若い男性が主人公のせいか、なんとなく村上春樹を連想させるところがありました。

 

黒子羊はどこへ 『どうぶつたちの贈り物』PHP 2016年一月号収録作が底本

  これは唯一テーマがあたえられて書いた小説だそうで、名前に動物が隠れた作家、それぞれの動物をテーマに書くという特集だったそうです。ということでお題は「洋子」のなかの「羊」。

  主人公は寡婦でやはり子供はいないのですが、何故か子供に好かれ、羊と子どもたちの面倒をみているうちに託児所「子羊の園」の園長となります。彼女のひそかな楽しみは夜になるとこっそり音楽を聴きにクラブへ出かけ、お目当ては歌手Jの歌を聴くこと。ただしライブ会場には入らず裏口の排気口から漏れてくる歌声に耳を傾けるだけ。なんとなく背徳的なにおいが立ち込めたかと思うと一転して死の匂いが。。。このあたりが小川洋子ファンにはたまらない魅力。

 

巨人の接待 文芸春樹2009年12月号初出、文春文庫「甘い罠」収録作が底本

  ヨーロッパアルプス東南端の地域言語でしか話さない有名作家とその通訳との日本での数日間を静謐な筆致で描き切り、「言葉を伝えていく事」の難しさ、大変さ、そして大切さ小川洋子独特の感性で描いていて、締めにふさわしい素晴らしい作品だと思いました。

 

  彼女が傾倒していた「アンネ・フランク」関係の作品や、人気作「ことり」にも通じる題材がこの作品にも取り入れられていて、そういった作品を好きな方にはより楽しめると思います。

  ということで、この作品だけは「移動」について引用しておきましょう。

 

 十五歳の時、戦争が起こった。(中略)一家は強制収容所に送られ、巨人一人だけが生き残った......バラックAからBへ。収容所Cから収容所Dへ、さらにEへ。家畜列車で、無蓋列車で、あるいは徒歩で、赤十字のキャンプから療養所へ、難民施設へ、簡易宿泊所から炭鉱へ、農場へ、四十歳でペン一本の生活に入り、生まれ故郷に戻ってくるまで、彼の人生は移動の連続だった。移動することが彼にとっての苦難の象徴となった。

 

  

 

 

こうして書棚の秘密は私とB、 二人だけのものになった―― ハリウッド俳優Bの泊まった部屋からは、決まって一冊の本が抜き取られていた。 Bからの無言の合図を受け取る客室係……「約束された移動」。 ダイアナ妃に魅了され、ダイアナ妃の服に真似た服を手作りし身にまとうバーバラと孫娘を描く…… 「ダイアナとバーバラ」。 今日こそプロポーズをしようと出掛けた先で、見知らぬ老女に右腕をつかまれ、占領されたまま移動する羽目になった僕…… 「寄生」など、“移動する"物語6篇、傑作短篇集。(AMAZON解説)