f植物園の巣穴 / 梨木香歩
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新刊「椿宿の辺りに」がこの作品の続編だそうで、先にこちらをレビューしておこう。2008年の作品で、同傾向の作品である「家守奇譚」(2004)と続編の「冬虫夏草」(2013)の間に書かれており、また、彼女の最高傑作との呼び声も高い「沼地のある森を抜けて」(2005)もこの時期に書かれており、摩訶不思議系ファンタジスタ梨木香歩の創作意欲が最高潮に達していた頃に書かれた作品と言えるだろう。或いは「沼地」で疲弊した神経をクールダウンさせるためだったのかもしれないが。
で、本作、主人公佐田豊彦は父の影響で儒学に染まった堅物で植物園の園丁、その語りで延々と物語が綴られるので、文章としては硬いが、内容はと言えば、、、実にケッタイな話。真面目に取り合っても無駄なこと、流れに任せて読んでれば梨木香歩の意図するところがおのずと見えてくる仕掛けとなっている。
まあそれもそのはず、もういきなりネタバラシしちゃうが、最後の8ページ以外のほぼ全ては木の穴に落ちた主人公が二日間意識不明で寝込んでいた間に見た夢なのだ。
ただ、どの辺から夢に入っているのかが、定かでない。全部読み終わってから、ああこれは伏線だったのだな、と思わせるところがいくつかあるので、再読して確認すべし。
冒頭、f郷歯科という誰も来ないような歯医者に主人公は積年の虫歯を治療に行くわけだが、助手をしている歯科医の家内が犬になるあたりから相当怪しい。「前世が犬だから」と平然としている歯科医も相当怪しい。。。となると最初からじゃん、ということになるが、その境も定かでないままに夢のような現実のような話が延々と続き、その間梨木香歩得意の植物学をはじめとする自然描写の妙やアイルランド神話などを挟みつつ、読者の戸惑いをよそに物語はズンズン進んでいく。
中盤からいよいよ「f植物園の巣穴」に落ちた主人公佐田豊彦が、偶然出会ったカエル小僧とともにいよいよ水底の異界に入っていく。異界といってもそこは豊彦の馴染みの場所で過去も現在も一緒くたになったようなところ。
そこで豊彦は過去を振り返る。そして喪失した三人について封印されていた記憶が蘇ってくる。
子供時代の自分を可愛がってくれた、ねえやの千代。彼女がいなくなった真の理由。
三年前に他界した妻の千代。「女子供は度し難し」という儒教色に染まっていた己が妻にとっていた態度。
そして妻が流産した子供。 忘れていたその子に最後の最後に豊彦は佐田道彦という名前を与える。この辺は感動的。
そして現実世界に戻ってきた彼が見たのは、懸案の、流れの滞っていた植物園の「隠り江」が流れ始めている情景。。。ハッピーエンド近し!
と見せかけて、まだだよ〜ん(笑。
あと一捻りあって、ようやく豊彦は目覚める。以下本当に本当のネタバレ。
目が覚めるとそこにいたのは妻の美代。え、三年前に死んだんじゃないの?
違うのだ、流産の後、亡くなったねえやの名前と同じなのは不吉だと、改名させたのだった。それさえ忘れているとはなんと薄情な男。しかし彼は夢の中の経験で人が変わっている。彼は流産した子に道彦という名前をつけたと話し、美代は感動し涙する。その後の豊彦の態度は妻にとても優しくなり、あなたは変わりましたね、と美代を喜ばる。当然夫婦仲睦まじくなって、子供もできて、今度こそメデタシメデタシで終了。
さあ、ここからどう「椿宿の辺りに」につながっていくのか、楽しみである。
月下香の匂ひ漂ふ一夜。歯が痛む植物園の園丁は、誘われるように椋の木の巣穴に落ちた。前世は犬だった歯科医の家内、ナマズ神主、烏帽子を被った鯉、アイルランドの治水神と出会う。動植物と地理を豊かに描き、命の連なりをえがく会心の異界譚。 (AMAZON解説)
ゆんでめて / 畠中恵
⭐️⭐️⭐️⭐︎
しゃばけシリーズも九作目に入る。短編五本で一冊というのがもう恒例となっているが、毎回色々と趣向を凝らせ飽きさせないように努力されているのは立派。
今回は離れの火事で行方不明になってしまった屏風のぞきをめぐり、四年後から始めて、一年毎に遡って元の地点まで五本を並べるという凝った構成になっている。
そして驚いたのは最終話、これほどの大技でけりをつけるとは思ってもみなかった。ここまでのシリーズで最大のどんでん返しである。賛否両論はあると思うが、五編一作のマンネリ化を防ぐ意味ではとんでもなく効果的であることは間違いない。
屏風のぞきが行方不明になり、悲嘆にくれる若だんな。もしあの日、別の道を選んでいたら、こんな未来は訪れなかった?上方から来た娘への淡い恋心も、妖たちの化け合戦で盛り上がる豪華なお花見も、雨の日に現れた強くて格好良い謎のおなごの存在も、すべて運命のいたずらが導いたことなのか―。一太郎が迷い込む、ちょっと不思議なもう一つの物語。「しゃばけ」シリーズ第9作。(AMAZON解説)
一本目の題名「ゆんでめて」とは弓手馬手のこと。弓手は弓を持つ手で左、馬ては手綱を持つ手で右のことである。
珍しく「序」章がある。若だんなが、分家した義弟松之助・お咲き夫婦に子ができた祝いを持っていく途中、神様らしき影を見て思わず松之助の家とは逆の右方向へ行ってしまう。それが後悔の元であった。
本章に入ると、いきなり四年も経っている。そして続く三本の簡単な紹介が入る。
時が経つのは、本当に早いと、若だんなは思う。
友、七之助が取り持つ縁で、かなめと知り合ったのは去年だし(「こいやこい」)
花見をしてからは、もう二年経つ(「花の下にて合戦したる」)
雨の日おねと出会ったのは三年も前、(「雨の日の客」)
火事の日からは、既に四年も経っているのだ。(「始まりの日」)
この辺り手際よい処理で、後の三本の冒頭でも一つずつ減りながらリピートされるという、連作の妙を尽くしており上手いな、と思う。
さてその火事で長崎屋の離れが焼けてしまい、右手に行ったばっかりに帰るのが遅れてしまった若だんなは、妖怪を救うことができなかった。特に、屏風は黒焦げに焼けてしまい、付喪神の屏風のぞきが行方不明となっている。そして修理に出した屏風も行方不明となり、若だんなは途方に暮れている。そんな折、千里眼を持つという鹿島の事触れの噂を聞き、見つけ出して二人で捜索を始めるが。。。懸命の捜索の末、世の中にはどうしようもないことがあると若だんなが悟るラストには涙を禁じ得ない。
その後、千之助の縁談と若だんなのほのかな恋が艶やかな「こいやこい」、しゃばけオールスターズでひたすら賑やかに飛鳥山の花見騒動を描く「花の下にて合戦したる」、江戸に現れたおねというやたら強い謎の女性と江戸を襲った大雨による水害をリンクさせて解決に導く「雨の日の客」と、三本充実した内容の作品が続く。
しかし、「ゆんでめて」で行方不明になったはずの屏風のぞきがこの三本ではしれっと顔を覗かせているし、「花の下にて合戦したる」ではあの、若だんなを失明させたことのある生目神が突然現れて不可思議な言葉を残して消える。
微妙に整合性がとれないまま、最終話「始まりの日」に進むと、冒頭もう一度最初の弓手馬手のエピソードが記され、若だんなを迷わせ馬手へ行かせることになった神、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が生目神にその不注意を怒られている。
そして本編は「時売り屋」という奇妙な商いをしている男をめぐっての騒動となるが、率直なところやや奇妙でこれまでの作品に比べると精彩を欠く印象。
問題は最後である。事件は解決し、火事はボヤですみ長崎屋の離れは焼けていない。遠くの火の中に、若だんなは見たこともない小さな男の子や綺麗な娘御、雨の向こうに背の高い女子の姿を束の間見る。そして花の海の中から生目神が現れる。この生目神の言葉こそ、畠中恵さんが仕掛けたシリーズ最大の大技、もう荒技と行っていいかもしれない。
以下ネタバレになるが
「これよりは、弓手の道」
「始まるのは、知らぬ明日」
つまり、「ゆんでめて」「こいやこい」「花の下にて合戦したる」「雨の日の客」のエピソードは、この最終章をもって全てなかったことになったのである。いくら生目神が時を司ることができると言ってもねえ。。。。。まあ賛否両論あると思うが、今後の展開にどう影響を与えるのか、逆に楽しみでもある。
我らが少女A / 高村薫
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私が尊敬してやまない、現代日本を代表する作家、高村薫女史の新作がついに発表になった。題名は「我らが少女A」、かつては光り輝いていた女優志望の少女Aが社会の底辺で無惨にも殺される、その前に残したある証言がお宮入りした12年前の未解決殺人事件を揺り起こし、その事件の周囲にいた人物たちに再び静かな波紋を与えていく物語となっている。
前回の長編「土の記」から一転して、合田雄一郎を主人公とする警察小説シリーズに戻り、またその前のニュージャーナリズム的小説「冷血」とは一味違った、本格的クライムノベルへと回帰している。また、コアなファンには義兄にして微妙な同性愛的対象である加納祐介が冒頭から顔を見せるのも嬉しいところ。
とは言うものの、毎日新聞に一年間連載された小説であるにもかかわらず、物語は起伏に乏しく、終盤の盛り上がりも、あっと驚くようなどんでん返しもない。普通の犯罪小説や推理小説の面白さを期待しては完全に裏切られることになる。いみじくも作中で女史はこう語っている。
「小説や映画で、名探偵が得々として真犯人はおまえだと言い放つのとは違って、本ものの事件が暴く事実の一つひとつ、現実の一つひとつが自分たち身近な人間の皮膚を剥ぎ、臓腑をえぐる。何か新しい事実が分かっても、少しも嬉しくない。真相など分からないほうがいい。(p522-3)」
まあつまるところ、徹底したリアリズムによる社会描写と露悪気味とさえいえる個人の深層心理の追求という、二十世紀三部作以降ファン離れを加速させることになった「ついて来れる人だけついてきなさい」の高村薫主義は今回も全く揺らぐことなく貫かれているわけである。
だから私のような高村薫中毒者が単行本をむさぼる様に読むには格好の小説ではあったのだが、もし私がファンでもない単なる新聞読者であったなら、一年間も辛抱強く読んできて結末がこれか、と怒ると思う。
女史の深い洞察と取材力、ADHDの少年を別件で逮捕するという危ない橋を渡る胆力、そして強靭な文章と物語の構成力は健在ゆえ、小説として一級品であることは間違いない。だからこの作品の賛否両論が分かれるとすればまさしくこの、新聞連載小説にしてこれか、という読者サービス精神の欠如という一点だと思う。まあ「新リア王」の時にも全く動じなかった高村薫女史のことだから、今後もこの線は譲らないとは思うが。
とにもかくにも高村薫の文章に飢えていたものには嬉しい一冊であったし、私も昔武蔵境に住んでいた事があるので多摩を中心とした物語はとても郷愁を誘うことであった。
天使も怪物も眠る夜 / 吉田篤弘
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螺旋プロジェクトもいよいよ最終刊、八冊目となる未来編。アンカーを託された作家はクラフト・エヴィング商會の吉田篤弘。作品名は「天使も怪物も眠る夜」。螺旋プロジェクトのルールである「海族」と「山族」の争いにアンカーとして終止符を打つことはできるのか、そしてクラフトエヴィング商會らしい個性は打ち出せるのか?
私の結論を先に述べれば、よくまとめ切ったものだと感心したし、螺旋プロジェクトのアンカーに相応しい力量であったと思った。
物語は下記解説でわかるように、伊坂幸太郎の「スピン・モンスター」において東京を東西に分断する「壁」ができた2021年から74年が経過した2095年の東京が舞台となる。
〈懐かしい未来〉を舞台に「眠り姫」大捜索が始まる ――吉田篤弘が挑む、かつてない群像劇! 2095年、東京は四半世紀前に建てられた〈壁〉で東西に分断されていた。曖昧な不安に包まれた街は不眠の都と化し、睡眠ビジネスが隆盛を誇っている。 そんな中、眠り薬ならぬ覚醒タブレットの開発を命じられた青年・シュウは、謎の美女に出会い――。 伊坂幸太郎、朝井リョウをはじめとする人気8作家による 競作企画【螺旋プロジェクト】の1冊としても話題!
かつて、スーパーコンピューター・ウェレカセリが「争いによる人類の進歩」を目的として築かせた「壁」であったが、近未来を正確に予測できるまでになった文明の進歩に人類は恐れをなし、「レイドバック」と呼ばれる退行を選択した。
故に壁は有名無実となり、東西の行き来は実質上自由、ただ、壁周囲は「バラ線地帯」と呼ばれる立入禁止区域となり、イバラが生い茂り逃走した動物たちが住み着いている。一方東京全体は慢性的な「不眠の都」となり、眠りを妨げる面白い小説は焚書され「面白くない」小説がベストセラーとなり、眠りビジネスが隆盛を極めている。
この2095年の東京を舞台に、幻の映画「眠り姫の寝台」と幻の酒「Golden Slumber」を巡る群像劇が始まる。
なにしろ、人物紹介の見開きのイラストページに提示される人物だけで25人。このうち愛読家秘密結社の部長グスコーとブドリはおそらくクラフトエヴィングの吉田夫妻のカリカチュアと思われご愛嬌だが、その他の23人の人物を有機的にストーリーに取り込み、伏線を張り巡らせるだけでも大変である。
故に作者はこの群像劇を整理し、伏線をばらまいていくのにかなりの頁数を割かねばならず、前半から中盤にかけてやや冗長になってしまったきらいはあるが、グリム&ペローの童話「眠り姫」になぞらえた筋立てに目鼻をつけ、メルヴィルの「白鯨」ばりのクジラを利用して終盤物語を加速させたあとは、一番凡庸だった登場人物を「八番目の王子」にしたてて一気にラストまで読ませてしまった。
もちろん、螺旋プロジェクトの共通アイテムは無理なく取り込んであり、かつ、
「ウナノハテノガタ」からは「イソベリ」という言葉やウナクジラのエピソードを、
「コイコワレ」からは1945年のラムネを、
「死にがいを求めて生きているの」からは植物状態の海族の主人公の目覚めのラストや「アイムマイマイ」を、
「シーソーモンスター」からはもちろんその世界観を、
借用しているところは螺旋プロジェクトを読んできたものにとっては嬉しいサービスである。
そしてクラフトエヴィング商會らしいところはやはりその書籍愛であろう。面白い小説は焚書されるというのは「華氏451度」を思い起こさせるし、「眠り姫」(眠れる森の美女)「白鯨」に関しては上述の通り。
もちろんこの本の装丁もクラフトエヴィング商會が担当している。
果たして山族の八番目の王子はいばらの森を潜り抜けて、海族の眠り姫の元へたどり着けるのか、そして長い長い海族と山族の争いの歴史に終止符は打てるのか?それは読んでのお楽しみ。
というわけで、無理を承知の相当の力業ではあったが、物語と螺旋プロジェクト双方に見事な落とし前をつけた、吉田篤弘の力量に拍手を送りたい。
そして辛口甘口色々な評価をしてきたが、螺旋プロジェクトの八組九人の作家の皆さんに敬意を表したい。お疲れ様でした。
螺旋プロジェクト
原始 「ウナノハテノガタ」 大森兄弟
明治 「蒼色の大地」 薬丸 岳
昭和前期 「コイコワレ」 乾 ルカ
平成 「死にがいを求めて生きてるの」 朝井リョウ
未来 「天使も怪物も眠る夜」 吉田篤弘
ウナノハテノガタ / 大森兄弟
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螺旋プロジェクト#7。このシリーズもいよいよあと二冊、今回は大森兄弟の「ウナノハテノガタ」。
楽園ウナノハテノガタを信仰する海の民「イソベリ」は、死を知らない。精霊を司る少年・オトガイだけは真実を知り、死を恐れ、激化する山の民「ヤマノベ」との争いを止めようとする。しかしヤマノベ族の女・マダラコによる攪乱、神・ウナクジラの腐乱によって、「イソベリ」たちは混乱し、オトガイを追放してしまう。果たして少年オトガイは「イソベリ」たちに死を伝え、争いを止めることができるのか。命のはじまりとおわりに触れる、生々しい原始の詩。(AMAZON解説)
時代は「古代」に遡る。どれくらいの古代か?稲作はされていないので弥生より以前。器はあるようだが縄文でもなさそう。山族が弓矢を知っているので、石器時代とするのが妥当なよう。一方の海族は「昔々戦を逃れて大きな木造船で舞台となる浜辺にやってきた」という設定なので、石器時代の環太平洋文化圏か?
そう言えば、本作を読んでいる時に、タイムリーなニュースとして、国立科学博物館の台湾から与那国島への丸木舟での航海実験が話題になった。これが三万年前の旧石器時代だそうだ。大体この辺を想定しておけばいいのではないかと思う。
さて、螺旋プロジェクトのルールとして、山族の「ヤマノベ」と海族の「イソベリ」が出会ってしまい起こる争いが描かれるわけだが、古代を舞台にしているだけに非常に単純明快な小難しい理屈抜きの争いなので、逆に今までにない説得力がある。
海族の「イソベリ」は上に書いたように、遠い昔にこの浜辺(シオダマリ)に辿り着いて海辺の生き物を糧として極めて平和に暮らしている。今の日本ではないが平和ボケしすぎて、「死」という概念さえ捨ててしまっている。呼吸しなくなった者は「ハイタイステルベ(廃体を捨てる者の意味か?)」という役割を持つ者が小舟で沖の島へ運んでいくと、そこで「イソベリ魚」に変身し海の中で安楽に暮らすことになると信じている。
今のハイタイステルベはカリガイという男で、その妻ザイガイが頭に受けた大怪我で死んだので、息子のオトガイを連れて島へ渡る。そこで真実をオトガイが知り、ハイタイステルベを継ぐところから海族の話は始まる。
山族の「ヤマノベ」はシオダマリの背後のオオクチ壁と呼ばれる巨大な崖の上に住んでいて全く交流はない。言葉も異なる。イヌを飼って狩りをする生活をしている。一族に危機が訪れると、生贄を焼く慣習がある。
妊娠しているマダラコがその生贄として焼かれそうになるところからこの物語は始まる。マダラコの祈りが通じたのか、焼かれる寸前に大地震が起こり、マダラコは逃げ出し、崖が崩れたところからイソダマリに降りていき、イソベリたちと出会う。
そこから徐々にイソベリとヤマベリの交流が始まる。当初は全く言葉が通じないものの、地震を生き延び大けがしているヤマノベをイソベリが助けるところから友好的な関係で始まるが、ヤマノベが死者を火葬する慣習を知って驚愕し、更にはヤマノベが犬を使ってシオダマリの魚を乱獲し始めたところから風雲急を告げていく。しかもイソベリは死を知らないので弓矢による争いを恐れない。真実を知っているオトガイはそのことに恐怖する、という展開。
そしてルールその二。双方の特徴を持つ「見守り」として登場するのがウェレカセリという老人。伊坂幸太郎の「スピンモンスター」に出てきたスーパーコンピューターの名前をそのまま流用したのには思わずにんまり。ちなみにこの老人、喋り方がとても面白いので物語の絶妙なアクセントになっている。時空を超えて存在する預言者で、当然ながらヤマノベとイソベリの交流に猛烈に反対する。
イソベリとヤマノベ、交わっては離れてをくり返して来たっ。ぶつかって打ち消し合い、わだかまっては災いを引き寄せるっ。引き寄せるんだねっ。
残念ながら途中であっさり物語から消えてしまうが、彼の描き残した予言図を海族の主人公オトガイと山族のヒロインマダラコが解読し、巨大地震がもたらす大津波による双方の絶滅の危機を救おうとするところがクライマックスとなる。
というわけで、最初は何が書いてあるのかさっぱりわからないのだが、それが分かってくると、物語に引き込まれていく。なかなか面白い話であった。これから読まれる方へのヒントとして代表的な言葉を拾っておくと
ウナ = 海
オオキボシ = 太陽
アマクサ = 大麻草
マナフタ = 瞼
メカシ = 入れ墨
等々。ちなみに題名の「ウナノハテノガタ」は「海の果ての潟」、ハイタイステルベのカリガイが夢見る死者の理想郷である。
ウナの沖の沖のずっと沖、オオキボシが上るもっと沖にそこはある。カリガイにも、どんなところかなんてわからない。イソベリ魚がいるのかもしれない。まぶしく光り輝いているのかもしれない。(中略)大事なのは、本当にそこがある、ということだ。いつかあの舟(島にある大きな穴の開いた木の船)は必ず、ウナノハテノガタに向けてウナを渡っていくと。
ここにもウェレカセリの預言に通じるヒントがある。カリガイとウェレカセリは仲が良かったのだ。
螺旋プロジェクト
原始 「ウナノハテノガタ」 大森兄弟
明治 「蒼色の大地」 薬丸 岳
昭和前期 「コイコワレ」 乾 ルカ
平成 「死にがいを求めて生きてるの」 朝井リョウ
未来 「天使も怪物も眠る夜」 吉田篤弘
月人壮士 / 澤田瞳子
⭐️⭐️
螺旋プロジェクトも六作目に入り、いよいよ古代編。題名は「つきひとおとこ」と読む。これについては最後に解説。気鋭の歴史作家(といっても初耳だが)、澤田瞳子さんの作品。
時代は奈良時代後半、主人公は聖武天皇。歴史の教科書的には東大寺を建立されたことで有名な天皇である。東大寺と言えば私の母校。この天皇がいなければ母校はなかったわけで、極端な話、今の時代にまで影響を及ぼし続けている偉大な天皇と言える。
その反面、当時の人々にとっては傍迷惑この上ない天皇。女好きで数多の王女に手を出し、5年で4回(恭仁、難波、紫香楽、平城京)もの遷都を繰り返し、天孫でありながら仏教に深く帰依したはいいが鑑真を重んじるあまり旧来の仏教勢力を蔑ろにし、バカでかい大仏を建立を思い立つ。そんな聖武天皇は果たして、
稀代の聖帝か大いなる暗愚か
どちらであったのか、そしてどのような人間で何を考えて行動していたのか?
その真の姿を周囲の複数人物の証言によって炙り出していこうというのが、今回の澤田瞳子さんの試み。よくある形式であるが、うまく機能しているかと言えば残念ながらNO。正直に言ってあまり面白くはなかった。一応奈良の歴史は人並み以上に勉強した奈良県人でも地味な話だなあと感じるのだから、螺旋プロジェクトの一作として読まれる方には面白くも何ともないのでは、と危惧する。
さて、その螺旋プロジェクトに関しての設定は
・天皇家が「山」族
・藤原氏が「海」族
・片方の目が青い審神者(さにわ)として造東大寺司長官佐伯今毛人
・「螺旋形あるいは蝸牛形のアクセサリー」として塩焼王が作らせた巻貝の彫り物が道祖王、首(聖武天皇)、安積親王、阿部(後孝謙天皇、受け取れず)、光明氏、道鏡、藤原仲麻呂と渡っていく。ちなみに誰の命も助けた節はない。
個々の人物でその他にも海族山族の設定はあるが、大きく言って天皇家(山)を侵食していく藤原家(海)という構図で当時の権力闘争を描いている。
まあ、高校レベルの歴史の知識でもわかることだが、奈良時代と言うのは「あおによし」のイメージとは逆に陰惨な謀略や政略結婚と殺し合いばっかり。皇統家系図に至ってはややこしいことこの上なく、試験前の詰め込みでよくもこんなの覚えられたな、の世界。
そしてこの作品の時代はざっくり言って藤原四兄弟対反藤原勢力。その最たるものが長屋王変。そんなこんなで疲れ果てた海山半々の首(おびと)(聖武天皇)が天平勝宝八年五月二日に崩御したところから話は始まる。
阿倍(孝謙・称徳)の後継として皇太子に道祖王を立てるという遺詔は死の五日前に出ていたが、それを不満とする勢力が、今わの際のご遺詔がなかったかを探し回る。具体的には、橘諸兄が中臣継麻呂(清麻呂の三男)と僧道鏡の二人を使う設定。証言するのは
光明氏(皇后、自身の思いと遷都、安積親王の件について)
栄訓(僧、鑑真に反感)、
中臣継麻呂(長屋王変の証言者)、
道鏡(自身のご遺詔の真の目的)、
佐伯今毛人(上記、片目の青い審神者)、
藤原仲麻呂(首の真のトラウマについて証言)
の八人。結局誰もご遺詔などないと証言。途中でご遺詔探しを命じた当の橘諸兄も死亡。
なんじゃそりゃの世界だが、その混沌の中で見えてきたことをざっくりとまとめると
首(おびと)(聖武天皇)は山族(文武天皇)と海族(藤原宮子)の子、非正統なる藤原家の血が混じっていることに生涯悩む。宮子が早くに精神的失調をきたしたため、母の愛も知らずに育ったが故のマザコン。光明氏との間に男児が生まれずやっと生まれた基王もすぐに亡くなり、娘の阿倍以外に後継を託すものがいないことも負担になった。その阿倍も父や家系への複雑な思いと、慕っていた安積親王の客死で独身を貫く(ちなみに澤田氏は藤原仲麻呂による暗殺説を否定)。結局藤原氏から縁の遠い道祖王を皇太子に立てるのが天皇家を侵食し続ける藤原氏へのせめてもの反抗であった。
そして最後の証言者である藤原仲麻呂の言によれば
首さまはかつての大王の如く、天日嗣に連なる非の打ちどころのなき統治者ではない。山の形を借りた海、日輪の真似をした哀れなる月人壮士(つきひとおとこ)じゃ。
「天日嗣に連なる非の打ちどころのなき」後継者たり得たのは天智・天武双方の血を引く長屋王。藤原四兄弟の謀略により失脚自殺するが、これほどの大物、首の詔勅があったのかなかったのか。これが藤原仲麻呂の証言の最大の山場となる。う~ん、やっぱり地味な話。そしてエピローグでやっと首の独白が入って終わる。
よって、この作品ではここまでであるが、この藤原仲麻呂も後年失脚。道鏡は阿倍(孝謙天皇)の股肱の臣となり悪名を後世に残す(本当かどうかはわからないが)。
そして時は移ろい昭和末期、長屋王邸とみられる遺跡が奈良市二条大路南で発見された。世紀の大発見であったにもかかわらず、その場所には大型商業施設が建設されてしまった。長屋王は二度葬り去られたのだ。
螺旋プロジェクト
原始 「ウナノハテノガタ」 大森兄弟
古代 「月人壮士」 澤田瞳子
明治 「蒼色の大地」 薬丸 岳
昭和前期 「コイコワレ」 乾 ルカ
平成 「死にがいを求めて生きてるの」 朝井リョウ
未来 「天使も怪物も眠る夜」 吉田篤弘
気鋭の歴史作家が描き出す、聖武天皇の真実! '756年、大仏建立など熱心に仏教政策を推進した首(聖武)太上天皇が崩御する。道祖王を皇太子にとの遺詔が残されるも、その言に疑いを持った前左大臣・橘諸兄の命を受け、中臣継麻呂と道鏡は、密かに亡き先帝の真意を探る。しかし、ゆかりの人々が語るのは、母君との尋常ならざる関係や隔たった夫婦のありよう、御仏への傾倒、迷走する政……と、死してなお謎多き先帝のふるまいや孤独に沈む横顔ばかりで――。 伊坂幸太郎、朝井リョウをはじめとする人気8作家による競作企画【螺旋プロジェクト】の1冊としても話題!(AMAZON解説)
ころころろ / 畠中恵
⭐️⭐️⭐️
しゃばけシリーズ第八作。いつものように五編の短編が並んでいるが、今回はその全てを貫いて、若だんなの失明騒動を描いているところが面白い試み。
まず一作目の「はじめての」では、若だんな一太郎12歳の頃のほのかな初恋が描かれる。その初恋の少女の母が目を患っており、目の神様「生目神(いくめがみ)」のことにさらっと触れられる。
そして二番目の「ほねぬすびと」冒頭、一太郎が突然失明してしまい、大騒ぎに。そんな折も折り、長崎屋はある武家からの依頼を断りきれず困り果てている。それは、何度やっても失敗するから長崎屋の船で魚の干物を運んでほしいというもの。主人である一太郎の父は渋々ながら引き受け、無事干物を入れた籠は長崎屋の蔵に到着するが、その夜全ての籠から干物がなくなってしまい、父は窮地に立たさる。
目の見えぬ一太郎だが、そこは推理力でことの真相にたどり着き、武家の対面を汚さない解決法も思いつき、万事丸く収まる。が、一太郎は失明したまま。そしてこれは病ではなく、ある玉を紛失したためくだんの生目神が怒ってやったことではないか、ということに。
そして三番目の「ころころろ」は、手代の大妖白沢こと仁吉が若だんなの目を元に戻すべく、前作で河童に持ち去られたらしい玉を探して江戸中を奔走。手がかりはすぐに見つかるが、貧乏神金次のなせるわざか、やたらと妖たち、そしてあやかしの見世物小屋から逃げてきた少年に頼られてしまい、立ち往生。さらには悪鬼や見世物小屋の人間たちと対決する羽目になり。。。 仁吉の困りっぷりが笑える、一番躍動的な作品。
一方、四番目の「けじあり」は雰囲気が一変。今度は犬神こと佐吉の出番だが、なんと、その佐吉が嫁をもらい独立して小間物屋の主人となっている。その小間物屋に朝になると「けじあり」という文字が書かれた紙が貼られる。なんのことかさっぱりわからない佐吉。
そして鬼をやたら恐れ、退治してくれとすがる嫁。どんどん店構えが大きくなっていく小間物屋。この世のものと思えぬ妙な雰囲気が漂う中、後半物語は急展開、一太郎の失明騒動との関連が最後に明かされる。本巻でも一番幻想的な佳作。
最後の「物語のつづき」はいよいよ生目神と、一太郎&仁吉、佐助をはじめとする長崎屋の常連の妖たちとの対決。場所は例の、金には汚いが霊能力は極めて高い僧寛朝のいる上野広徳寺。神様にしては聞き分けのないひねくれ者の生目神、一太郎の目を元に戻したくば物語の続きを答えてみよと無茶な注文。桃太郎、浦島太郎、さらには自身の悲恋物語と提案していき、、、
面白いし、日本の神に関する考察がなかなか鋭いとは思うが、前二作で仁吉と佐助が見つけ出した玉との関連があまりはっきりと語られていないので、これまでの流れが断ち切られた感あり。
試みは面白いが、やや残念な印象を拭えない巻であった。
ある朝突然、若だんなの目が見えなくなってしまったからさあ大変。お武家から困ったお願いごとを持ち込まれていた長崎屋は、さらなる受難にてんやわんやの大騒ぎ。目を治すための手がかりを求め奔走する仁吉は、思わぬ面倒に巻き込まれる。一方で佐助は、こんな時に可愛い女房をもらっただって!?幼き日の一太郎が経験する淡い初恋物語も収録された、「しゃばけ」シリーズ第八弾。
チコちゃんに叱られる! / NHK「チコちゃんに叱られる!」制作班
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といきなりかましてみましたように、わたくし、今や国民的番組となったNHKの「チコちゃんに叱られる!」が大好きで毎週録画して観ております。
この番組、小生意気で何でも知ってる「永遠の5歳」チコちゃんが、ナイナイの岡村とゲスト二人にタメ口を聞きつつ、みんながこれまで見過ごしてきた素朴な質問を投げかけ、回答者がとんちんかんなことを言うと~、
CGの顔が真っ赤になり、眼がつり上がり~、火を吐いて~
をかますわけでございます。わたくし、この台詞が今年の流行語大賞の有力候補だと思っております。
で、なんと、チコちゃんのかわいいようなかわいくないようなボイスチェンジャーで変調した声の主は、驚いたことに、キム兄こと木村祐一さんです。
謎なのは、最後に出てくるカラスのキョエちゃんの声。誰なのかはまだ公開されていないためいろいろな憶測が飛び交っています。マジで歌がうまいので、「いきものがかり」の吉岡聖恵さんではないかとの説が有力らしいです。
また、俳優さんのショートコントも絶品です。私は木村多江さんの一人芝居の大ファンで、この前の「蚊」には涙しました(ホントスカ。
というわけで、このムック本には全部で17の質問と専門家の回答、それ以外に「チコの部屋」と題したミニコーナーなどなどが収められています。
ちなみに学生時代、 「入試に出ないしょーもない雑学の宝庫」 と呼ばれていたわたくしのこと、かなりの確率で当たります。まあ二つか三つに一つは軽い(をいをい。
例えばこの本に収められている中で言いますと、
「なんで人は右利きが多いの?」*1
くらいは軽い。
分からない人は~
え?それはお前の専門分野だからだろって?
フフフ、ではこれはどうだ? 「なんで都道府県の中で北海道だけ道がつくの?」*2
分からない人は~ ボーっと生きてんじゃねーよ!
そんな私が驚いたのは、 「なんでクジラはあんなに大きくなったの?」*3
を喰らってしまいました。
*1: 言葉を話すようになったから
*2: 面積が大きいから
*3: 食べ過ぎたから
ホントスカ!!!!!
ポーの一族 ユニコーン編
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
ついに出ました、世界にその名を轟かせるJapanese Shojo Manga「The Poe Clan」こと、萩尾望都先生の「ポーの一族」の最新巻「ユニコーン」。
いよいよ40年前の「ポーの一族」の最終章「エディス」と、前作「春の夢」の世界が融合し、新たなポーの一族の世界が構築されていく。
復習しておくと
「エディス」:1976年 ロンドン エヴァンズ家の火事の中、エディスを助けたエドガーとアランが 帰ろう、帰ろう、遠い過去へ もう明日へは行かない と業火の中に姿を消す。
「春の夢」:1944年 ウェールズ 白髪のユダヤ人少女ビアンカが、一族のファルカの力で一族の仲間入りをする。
そして本作により、「春の夢」の世界が本編と融合する。
Vol.1: 2016年 ミュンヘン 火事の40年後、一族もスマホを使う時代となったミュンヘンにエドガーが姿を現す。喜んで抱きつこうとしたファルカを「わたしを触るな」とエドガーは拒絶。
アーサー・トマス・クエントン卿の力で復活できたエドガーだったが、痩せて小さくなるとともに、触れられた途端に相手の気を吸い取る状態になっていたのだ。
エドガーは黒化した炭となってしまったアランを復活させてほしいとファルカに頼むが、それはできないこととファルカは拒絶。そこへ現れたのがファルカが怖れ忌み嫌うダイモンという男。この男、バリーとも呼ばれ、真の名前は不明。
エドガーと同じくキングポーの血をひく男でありながらキングポーに追放された過去があり、一族からは「悪魔」「疫病神」扱いされている。
しかしエドガーは アランを取り戻すためなら
ぼくは悪魔とだって契約する
という言葉を残し、ダイモンとともに去っていく。
Vol.2: ホフマンの舟歌(バルカロール) 1958年 ヴェネツィア ベネチアのサンタルチア協会のサルヴァトーレ主催のコンサートに招かれて、エドガー、アラン、ファルカ、ブランカがやってきて、ダン・オットマー(ルチア一族)と再会。そこに現れたのが、バリー。ここではミューズと名乗っている。
かつてここでキングポーが「世界で1番美しい舟歌」と評した「ホフマンの舟歌」(バルカロール)を、ミューズとかつてサルヴァトーレが恋したエステルの娘ジュリエッタが歌う中、エドガーはルチオ一族の始祖、シスター・ベルナドットと初めて出会う。エドガーがポーの一族とルチア一族の歴史を聴いている間、バルカローレに感激したアランはミューズを絶賛、ミューズはその礼に彼の真の名前を教える。しかしエドガーが帰ってきた時、アランはそのことを全く覚えていなかった。
Vol.3: バリー・ツイストが逃げた 1976年ロンドン
エドガーとアランがアーサー・トマス・クエントン卿にバラを送るために花屋を訪れた際、エドガーは「春の夢」でポーの村のバラを枯らして村を追放されたクロエを目撃し追いかけます。クロエに以前の凶暴性はなくなっており、エドガーに、1000年以上昔バリー・ツイストがバラを枯らして逃げたときのことを語って聞かせます。
クロエが老ハンナの導きによりポーの一族に加わった経緯、憧れていた美貌の持ち主フォンティーンのこと、その弟がバリーであること、そしてキングポーが自分たちの王国を作ろうとするフォンティーンとその取り巻きをどう始末したかが語られ、フォンティーンにまつわるポーの村の薔薇の秘密が明かされる。
そしてこの一か月後のエヴァンズ家の火事に話は回帰。エドガーとアランが業火の中に姿を消した後、エディスを助けたのはなんとこのバリーだったのだ。外から呆然と眺めるファルカ、シルバー、ビアンカ。ビアンカはファルカの問いに
(エドガーは、アランは)わかららないけれど どこかにいる どこかにいる
と答える。
Vol.4: カタコンベ 1963年 ローマ
アランに近づき、彼を自分の塔に誘うバリー。最後に絶体絶命の窮地に追い込まれたアランがついにバリーの真の名を思い出す。これは読んでのお楽しみ。
今回も「ホフマンの舟歌」を始め、オペラやクラシック音楽が満載で、美しい絵と音楽の中、ポーの一族の世界が展開されていく。
そして次回に期待したいのは当然ながら2016年のその後、アランは再生するのか? 待て、次号!(フラワーコミックスの回し者かっ!)
コイコワレ / 乾 ルカ
⭐️⭐️⭐️
螺旋プロジェクト#5、ここから女性作家が二人続く。まずは乾ルカの「コイコワレ」。「蒼色の大地」の明治と「シーソーモンスター」の昭和後期の間を埋めるピースで昭和前期が舞台。具体的には太平洋戦争末期の1944-5年の出来事を海族山族二人の少女を主人公として描いている。
これまでの作品に比べて地味だけれどジワリと胸に染みてくる好編であり、その中で螺旋プロジェクトのルールを荒唐無稽にならずとてもうまく活かしていた。特に付けているものの命を一度だけ救って壊れてしまうという、螺旋(あるいは蝸牛)型のアクセサリーを物語の中心に置いたところが乾ルカの炯眼。
太平洋戦争末期。日本の敗色が濃くなる中、東京から東北の田舎へ集団疎開した小学生たち。そのひとり、清子は疎開先で、リツという少女と出会う。「海」と「山」という、絶対相容れない宿命的な対立の出会いでもあった――。 戦争という巨大で悲劇的な対立の世界で、この二人の少女たちも、長き呪縛の如き、お互いを忌み嫌いあう対立を繰り広げるのだが……. 「螺旋」プロジェクト、激動の昭和前期篇、ついに登場!
敗色濃厚になりつつある日本、海族の少女清子は東京から宮城県の山奥の村に集団疎開してきた。優しい母と離れ、青い目が故に仲間外れにする同級生と共同生活するだけでも辛いのに、その村には決して相入れない種族である山族の少女がいた。おまけに宿所となる寺の子で否応なく顔を合わせてしまうことに慄然とし、吐き気がするほど激しい嫌悪感を抱く。唯一の心の拠り所は出立前に母からもらった手作りの螺旋の首飾り。
一方の山族の娘、リツは捨て子で山族の特徴である大きくとがった耳を持つが故に村の子供達から山犬と蔑まれている。彼女の味方は育ててくれたお寺の家族、特にリツが片想いしているこれまた寺のもらい子の健次郎と、山中に棲む炭焼きで彼女を拾って寺に預けてくれた源助という老人。源助は片目が青い。そのリツも当然ながら清子に猛烈な嫌悪感を抱く。
この静の清子、動のリツの二人の、狂的とも言える対立を軸に物語は進み、それに螺旋の首飾りが深く関わってくるという設定。
まずはリツが、赤紙が来て出征する健次郎にその螺旋のお守りをあげたくて清子に頭を下げるが激しく拒絶される。
リツはどうしても欲しくて、清子が風呂に入っている間に盗んでしまう。
健次郎はそれを察し、一晩だけつけて明日清子に返すとリツに言う。
その健次郎、出征前の夜山向こうの母親がいるかもしれない村へ雪の中でかけ、、、
ここから先を書いてしまうと興を削ぐので割愛するが、源助が拾って返しはしたものの清子は激怒、一方のリツも起こってしまった事件に逆恨み的に激怒、あげくに清子を山中の滝壺に落としてしまう。
これだけ激しい憎しみ合いの中で、二人はお互いに謝罪しお互いを許容していくことができるのか?清子には母、リツには源助という理解者・指導者はいるが、当然一筋縄ではいかない。挨拶をするようになっただけでも大変な進歩であるが、最後の最後まで和解までは至らない。そして別れの日、リツがようやく完成させたあるものを届けようとして待ち受けていた運命は?
その個人対個人の攻めぎあいの中でも、聡明な清子は、国対国の戦いの中で相手国のすべてを拒否するのではなく、個人のレベルでは母を思い恋人を思う気持ちは我々と変わらないのではないだろうか、というところへ思いを致していく。この辺りの話の進め方もとても自然で上手いと思った。
それにしても「コイコワレ」にはどういう漢字をあてるのが正しいのであろうか?この二人の関係は少なくとも「恋い恋われ」ではない。ヒントは各章の題名にあると思う。ヒントはおそらく「こう」で固めた凝った各章の題名にあると思う。
「逅」「恋う」「紅」「乞う」「光」「交」「攻」「効」「考」「劫」
「乞い乞われ」が文字的には一番しっくりくるが、「コワレ」は単なる受動形ではなく、首飾りの運命「壊れ」かも。私としては「乞い壊れ」を当てたい。
まあその首飾りに関するラピュタの飛行石のような超自然現象はあるものの、このシリーズの中では最も現実的に個人のレベルで対立と憎しみを深く掘り下げ、かつルールのアクセサリーをうまく使った佳作だと感じた。
なおプロジェクトのサービスとしては次の「シーソー・モンスター」へのバトンタッチとして、リツの夢の中で、教師になった清子の生徒として一瞬「みやこさん」が顔を出す。
螺旋プロジェクト
原始 「ウナノハテノガタ」 大森兄弟
古代 「月人壮士」 澤田瞳子
明治 「蒼色の大地」 薬丸 岳
昭和前期 「コイコワレ」 乾 ルカ
平成 「死にがいを求めて生きてるの」 朝井リョウ
未来 「天使も怪物も眠る夜」 吉田篤弘