Count No Count

続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

死にがいを求めて生きているの / 朝井リョウ

⭐️⭐️⭐️⭐️

  先日「桐島、部活やめるってよ」をレビューした朝井リョウの新作。と言っても、格別これに興味があったわけではなく、私の大好きな伊坂幸太郎の新作「シーソーモンスター」を読もうと思ったら、それが螺旋プロジェクトの一環で、単独でも読めるけれど先にこれを読んでおくとより楽しめる、と書いてあったから。

 

  では螺旋プロジェクトとはなんぞや?リンク先を覗いてみると、

 

「小説BOC」1~10号に渡って連載された、8作家による壮大な文芸競作企画。
以下の3つのルールに従って、古代から未来までの日本で起こる「海族」と「山族」の闘いを描く。


だそう。ちなみに三つのルールとは

 

1:「海族」と「山族」、2つの種族の対立構造を描く
2: 全ての作品に同じ「隠れキャラクター」を登場させる
3: 任意で登場させられる共通アイテムが複数ある

 

  ふむふむ、要するにゲーム的要素を絡めたコラボだな。それで参加作家のファンをからめとって全部読ませよう、という姑息な、、、、、もとへ、、、、、壮大なプロジェクトらしい。


  で、第一回配本が朝井リョウの「死にがいを求めて生きているの」、桐島に勝るとも劣らない、キッチュな題名。まあ生きがいを求めて死んでいるよりはいいか。8作家の作品は原始・古代から近未来・未来にまで渡っているのが、本作は「平成」が舞台。

 

植物状態のまま病院で眠る智也と、献身的に見守る雄介。二人の間に横たわる“歪な真実”とは?毎日の繰り返しに倦んだ看護師、クラスで浮かないよう立ち回る転校生、注目を浴びようともがく大学生、時代に取り残された中年ディレクター。交わるはずのない点と点が、智也と雄介をなぞる線になるとき、目隠しをされた“平成”という時代の闇が露わになる―“平成”を生きる若者たちが背負う自滅と祈りの物語。(AMAZON解説)

 

  桐島と同様に登場人物の名前で章立てされている。この登場人物たちは、平成の世の中だけあって、戦争(兵役)もないし食うに困るようなことはない。でも高度成長期〜バブル期を経て訪れた、競争や対立を無理に押し隠したなんとも言いようのない閉塞感の中で生きている。

 

  例えば運動会の棒倒しの禁止しかり。

  テストの成績順の貼り出し取りやめしかり。

  神輿担ぎが男なら当たり前、女なら褒められる、それってあり?という男側の不満感しかり。

  競争社会からのドロップアウトを(不都合な真実は隠して)美化するマスコミしかり。

 

  そのような空気感を巧みに物語る中で、真の主人公である二人の男性、南水智也と堀北雄介の、小学生時代から、中学、大学と成長していく姿が描かれる。

 

     登場人物の語りの中で徐々に明瞭となる二人の性格と人生観の違いを丹念に追いかける緻密な語り口も見事なら、冒頭頭部外傷により植物状態となった智也を雄介が毎日のように見舞う、その“歪な真実”を終盤から最終章にかけ一気に暴いていく剛腕にも舌を巻く。

 

  さらには、お約束の「三つのルール」がきっちりとはめ込まれており、プロジェクトの一番バッターとしては出色の構成。

 

  が、、、しかし、、、このルールの「海族」と「山族」の対立を「歪な真実」の根幹にもってこなければならず、この作品の方向性が最後に大きくブレたのが誠に惜しい。

 

 「平成」という時代。対立や競争の押し隠し、弱者差別の排斥から生まれる逆差別感、「ナンバーワン」より「オンリーワン」の綺麗事。それらが産む閉塞感を見事に表現しておきながら、終盤ではオセロの白黒がバタバタとひっくり返るように、全てが「海族」と「山族」の対立に収斂されていく。。。

 

  堀北雄介と南水智也の友情の裏にある真実の種明かしとしては面白いのかもしれない、でも、これだけのものを書いておきながら全てが荒唐無稽と化す。。。プロジェクトの一環なんだから仕方ないでしょ、と言われればそれまでだが、それって勿体なくない?  と思わずにいられなかった。