Count No Count

備忘録、採点表

私の家では何も起こらない / 恩田陸

⭐️

  とことんつまらない。昔読んだホラーだか幽霊話だかのオマージュらしいけれど、どの話も水準以下。もっと凄いものを書ける人がこの程度の短編でお茶を濁しておいて、最終話で一丁前のゴタクを並べている。ファンをなめるなよな、という感じ。内容は書く気もしないので、AMAZON解説を参照されたい。

 

  「夢違」が前半そこそこの出来だったけれど、恩田陸さんとカドカワは余程相性が悪いらしい。

 

『小さな丘に佇む古い洋館。この家でひっそりと暮らす女主人の許に、本物の幽霊屋敷を探しているという男が訪れた。男は館に残された、かつての住人たちの痕跡を辿り始める。キッチンで殺し合った姉妹、子どもを攫って主人に食べさせた料理女、動かない少女の傍らで自殺した殺人鬼の美少年―。家に刻印された記憶が重なりあい、新たな物語が動き出す。驚愕のラストまで読む者を翻弄する、恐怖と叙情のクロニクル。(AMAZON解説より)』

逆説の日本史21幕末年代史編IV / 井沢元彦

⭐️⭐️⭐️

   井沢元彦の逆説の日本史、幕末年代史編もいよいよ大詰めに入った。前巻の大混乱期に続いて1865年から1869年まで、日本史史上最高の激動期で、薩長同盟の成立、四境戦争(第二次長州征伐)、大政奉還王政復古鳥羽・伏見の戦い慶喜遁走、江戸城無血開城上野彰義隊の壊滅、会津戦争、そして明治への元号改元明治天皇即位と息つく暇もないほどその後の日本を決定する大事件が連続する。

 

  このあたり「尊王攘夷」~「薩長同盟」~「明治維新」と事実の羅列だけで学ばせられる社会の教科書に沿っただけの授業では本当にわかりにくい。敵味方、攘夷開国が目まぐるしく変化するのを把握するのは中学生であった私には本当に難しかった、というか謎であった。それを助けてくれたのは司馬遼太郎先生をはじめとする幾多の小説群であったが、いまならこの井沢氏の本を読むのが一番合理的にかつ脚色なしにこの激動の時代を把握できるのではないかと思う。

 

  そしてこの間、前巻に引き続いて多くの著名人が死んでいる。一番の大物は高杉晋作坂本龍馬中岡慎太郎であろうが、一番気の毒なのは赤報隊相良総三であろう。薩摩に踊らされ、騙されたうえでの惨死はそれこそ祟りを恐れても不思議はないのだが、「卑怯者、陰険な」薩摩の西郷大久保にとっては何ほどのものでもなかったようである。

 

  高杉晋作については病死で間違いないのだが、今でも犯人探しが盛んなのは坂本・中岡の方である。これに関しては中岡慎太郎の証言や、後年の今井某の供述によりなどにより見回り組の犯行とされている。それでは面白くない人々がいろいろと推理するのだが、井沢氏の論旨は面白みはないが明快で説得力がある。それは読んでのお楽しみということで。

 

  今回敢えて不満を挙げるとすれば、銀英伝を読み終わったばかりでもあり、幕末のヤン・ウェンリーともいえる大村益次郎の戦術をもう少し詳細に語ってほしかった。

 

  巻末が近づくにつれ、井沢氏得意の怨霊祟り信仰が今回は出てこないのかなと心配していたが、最後にどんと出てきた。孝明天皇の死後跡を継いだ明治天皇であるが、実は践祚しただけで、明治に元号改元したのは、ほぼ日本の趨勢が「新政府軍」に決定した2年後の慶応4年8月27日である。その前日8月26日が重要。この日は逆説の日本史思想を貫く「大魔王崇徳院の命日なのである。このあたりの詳細を述べて、幕末年代史編は幕を閉じる。

  賛否両論はあれ、井沢氏のぶれない日本史観に基く、見事な締めであった。

『怒濤の「幕末年代史編」堂々完結! 『週刊ポスト』誌上で好評連載中の歴史ノンフィクション『逆説の日本史』。ペリーによる黒船来航から始まった「幕末年代史編」最終章が、満を持して文庫化されました。 長州の高杉晋作が正義派(討幕派)を率いて功山寺で挙兵した1865年から、翌年の薩長同盟成立を経て、大政奉還そして王政の大号令へ。そしてついに明治維新がなった1868年までの激動の4年間を詳説。「高杉晋作は本当に“長州絶対主義者”だったのか?」「“犬猿の仲”であった薩長を接近させた坂本龍馬の“秘策”とは何だったのか?」「“孝明天皇暗殺説”は信じるに足る学説なのか?」「官軍に対する“江戸焦土作戦”とは勝海舟のブラフだったのか?」などなど、歴史の狭間に埋もれがちな数々の謎と疑問を、切れ味鋭い「井沢史観」で解き明かします。 維新から150年。「明治維新とは一体何だったのか?」について、あらためて考え直すための最良の一冊です。(AMAZON解説より)』

逆説の日本史20幕末年代史編III / 井沢元彦

⭐️⭐️⭐️

  井沢元彦の「逆説の日本史」、この度文庫版でも幕末編が完結したので、残っていた二冊をまとめて読んでみた。

 

  幕末史はあまりにも資料が多すぎ、事件や登場人物が多すぎ、全体像を把握するのがとても難しい時代である。それを井沢は年ごとに分けて検討し、それを貫くキーマン7人(勝海舟岩倉具視西郷隆盛大久保利通桂小五郎坂本龍馬高杉晋作)の動向を中心に据えることによって全体像をつかむ、という手法を用いて明快にまとめている。そして裏主人公として、ここまでややこしい内乱状態となってしまった原因思想である「朱子学」の害を常に念頭に置いている。

 

  さて、ペリーの来航から始まった未曽有の大混乱の時代、幕末もこのNo.20で第三巻目に入る。ラス前である。混乱の度はますます深まり、生麦事件や第一次寺田屋事件が起こった1862年、日本の一藩を相手にイギリス(薩英戦争)とフランス(馬関戦争)が戦争を仕掛けた1863年、西郷が赦免され長州が京都から追われ長州征伐が行われた1864年の3年間だけで一冊。ものすごく濃い。というか、これほど国の内部がバラバラになっていてよくもまあ欧州列強に日本が植民地化されなかったものだと、あらためて呆然としてしまう。

 

  もう尊王攘夷派対幕府開国派なんて単純な図式では語れない。尊王の中にも討幕派と公武合体派があり、攘夷を主張していても勝海舟に感化されて開国派に変わった者もいるし、攘夷を唱えていないと危ないので攘夷と言っているが内心は開国やむなしと思っている者もいた。そのあたりを井沢は手際よく解説しつつ、持論を展開している。高杉晋作はおそらくは内心開国やむなしと思っていたが、それを言うと確実に殺されるので言わなかったのだろう、という推論には私も賛成である。

 

  ちなみにサブタイトルは「西郷隆盛と薩英戦争の謎」となっているが、西郷隆盛勝海舟と言った「プラスのヒーロー」より、「マイナスのヒーロー長州藩一橋慶喜の方が目立ってしまう皮肉な巻となっている。

  一橋慶喜は「二心どの」と言われたほどころころ態度を変え、井沢に言わせれば「何もしなかったこと」「すぐに意見や態度を変えた事」により、結果論的に見れば日本を正しい方向に導いてしまった男として描かれる。徳川最後の将軍は実に情けない男であったからこそ日本は救われたのである。

 

  それよりはるかに「問題児」だったのは長州藩である。吉田松陰高杉晋作桂小五郎伊藤博文井上馨と言った英傑を輩出しながらも、この時代の長州はどうしようもなく過激な討幕攘夷に凝り固まっていた。久坂玄瑞あたりがその首謀であるのだが、もう考え方が無茶苦茶なのに本人たちは大真面目である。エキセントリックでアブナイ、実力差を見せつけられながらも精神論で列強に勝てると思い込んでいた集団が引っ張っていたのである。この時点では、人格者西郷隆盛にさえも見放されていた。

 

  この2年後に薩長同盟が締結された、というのはこの時点での事実の羅列を見ていると信じられない気がする。ちなみに薩長同盟の立役者は新劇の架空の人物月形半平太(一般には武市半平太と思われているが、井沢によれば実は月形洗蔵)だと思われていた。それが坂本龍馬であると広く知らしめたのは司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」の功績である。(ただ、このあたりには実はいろいろな経緯があり月形仙蔵も実際それを画策していた、それは本書と次巻で詳細に語られている。)

 

  その司馬先生は長州のエキセントリックさが嫌いだった。大日本帝国陸軍長州閥で握られたことにより無謀な太平洋戦争に突入し日本が破れた、という認識は本書でも随所に紹介されている。

 

  それにしてもこの時代、本当に多くの人材が切られて死に、割腹して死んだ。小説や漫画で読むとドラマチックであるが、こうして史実として列挙されると、無惨としか言いようがない。

  ちなみにるろうに剣心のモデルとされている熊本藩河上彦斎も本書で一度だけ登場する。佐久間象山を殺害した場面である。「人斬り」と呼ばれたほどの凄腕の殺し屋は五人だけだったそうだが、そのうち彦斎だけは後に佐久間象山について勉強し改心の上明治時代まで生き延びた。

 

『覚醒した薩摩、目覚めなかった長州 世にに言う「八月十八日の政変」で京を追われた長州は失地回復を狙って出兵を行なうも、会津・薩摩連合軍の前に敗走する。この「禁門(蛤御門)の変」以降、長州と薩摩は犬猿の仲となるが、その後、坂本龍馬の仲介で「薩長同盟」が成立。やがて両藩は明治維新を成し遂げるために協力して大きな力を発揮した――。 以上はよく知られた歴史的事実であるが、じつは禁門の変以前の薩長の関係は大変良好であった。策士・久坂玄瑞の働きにより、すでに「薩長同盟」は実質的に成立していた、と言っても過言では無い状態だったのである。 では、友好だった両藩が、「八月十八日の政変」「禁門の変」へと突き進み互いに憎しみあい敵対するようになったのはなぜなのか? そこには、兄・島津斉彬に対するコンプレックスを抱えた“バカ殿”久光を国父に戴き、生麦事件や薩英戦争を引き起こしながらも「攘夷」の無謀さに目覚めた薩摩と、“そうせい侯”毛利敬親が藩内の「小攘夷」派を抑えきれず、ついには「朝敵」の汚名を着ることにまでなってしまった長州との決定的な違いがあった。(AMAZON解説より)』

銀河英雄伝説 全15巻BOX SET / 田中芳樹

⭐️⭐️⭐️⭐️

  銀河英雄伝説、通称「英伝」、SFファンのみならず、本好きアニメ好きの方なら知らぬ者はないだろう傑作大河スペースオペラ田中芳樹の代表作である。

  もともとは徳間書店から出ていたが、田中芳樹曰く「創元SF文庫を終の棲家と定めた」そうで、この全15巻(正伝10巻、外伝5巻)のBOX SETも創元社から出ている。

  もちろん私も徳間時代に正伝は読んでいたが、外伝で読んでいないものがいくつかあったので、星野宜之のイラストになるBOXのイラストにも惹かれて買ってみた。ちなみに創元SF文庫版のイラストは星野氏が担当されたそうである。

 

  もともとスペースオペラという単語には蔑称的な意味合いも含まれており、善悪がドンパチで対決する単純なストーリーを宇宙にもっていっただけ、というような代物を指したようである。

 

  ところが、この英伝や、それと機を一にする機動戦士ガンダムのあたりから、単純な善悪で判断しない深みのある物語が展開されるようになった。リアルタイムでその時代を知っているものからすると、はじめは善悪の対決として描かれた「宇宙戦艦ヤマト」の悪のボスだったデスラー総統の人気が高くなり、単純な善対悪の構図が崩れ始めたのがきっかけではないかと思う。

  そこへ、成熟期を迎えていた日本のSF小説の質の高さや独自のスタイル、価値観等を消化しつつ重厚長大な戦記物をかける才能が現れた、それが田中芳樹であった、ということだろう。

 

   だから正伝10巻に関しては

 

読むベし

 

の一言。

 

  ゴールデンバウム王朝自由惑星同盟フリー・プラネッツ)の何世紀にもわたる対立・戦争の中で双方に滓のように沈殿した堕落・腐敗を、稀代の天才ラインハルト・フォン・ローエングラムが一掃して誕生したローエングラム王朝、そして敗者として生き残り稀代の戦術家ヤン・ウェンリーの遺志を継いだ若きユリアン・ミンツを代表とする残党たちが守ろうとした共和・民主主義。

  その凄まじい戦いが繰り広げられた激動の数年間を、歴史書的に俯瞰したスタイルで描き尽した田中芳樹の筆力には改めて脱帽した。

  その物語に貫かれた、軸のぶれない政治論・統治論・戦略論・戦術論には初読当時圧倒されたものだった。今回は読むペースが早過ぎ、繰り返し繰り返し同じことが語られ続けるので辟易しないでもなかったが、やはりこれがないとこの物語はただのヒーローものの単純なスぺオペに堕してしまうだろう。

 

  さて、その「英雄」たち。完全無欠とも言えるラインハルト・フォン・ローエングラムと、欠点だらけだが憎めない、そして戦術家としては天才的なヤン・ウェンリーを対立軸として

 

ラインハルトと大勢の忠臣たち」 VS 「ヤンと少しの愉快な仲間たち

 

一人一人の個性の描き方は、これだけ多くの人物像をよく描き分けたな、というくらい面白い。前者ではやはりヘテロクロミアオスカー・フォン・ロイエンタールが傑出している。次いでミッターマイヤーオーベルシュタインが双璧だが、他にも語りつくせないほどの人材の宝庫。後者ではユリアンは勿論、キャゼルヌシェーンコップアッテンボローポプランあたりの悪口雑言皮肉合戦が読みどころだろう。

 

  また、悪役っぽいキャラにも、老犬を可愛がらせたり(オーベルシュタイン)、報奨金をあっさり全額慈善寄付してしまったり(ラング)といった意外な一面を見せるあたりも憎い。

 

  一方女性キャラは田中芳樹があまり得意とするところではないのかもしれない。ラインハルトの姉アンネローゼ、妻となるヒル、ミッターマイヤーの妻エヴァンゼリン、ヤンの初恋の人ジェシ、妻となるフレデリカ、いずれも「女性」としては描き方が浅い。むしろキャゼルヌも頭の上がらない奥様のオルタンスさんがこの物語では一番の好キャラである。

 

  さて、スぺオペものである以上、戦闘シーンが如何に残酷なものであっても華になってしまうのは仕方のないところ。どんな無益な戦いであろうと、いかに戦略と補給と情報が大事と言っても、戦術による勝負の決し方が面白くないと、物語としては凡庸になってしまう。その点、この「銀英伝」は見所一杯である一方で、批判も山とある。戦いが二次元的であるとか、なんで広大な宇宙で両陣営の通れるのがイゼルローン回廊フェザーン回廊の二か所しかないんだ、とか。今回再読してみてこれはいかんなあと思ったのは、劣化ウラン弾をガンガン使いまくっていること。廃絶宣言が出されている現在からみるとさすがの田中も先見の明がなかったな、と思わざるを得なかった。

 

  しかし、そのような瑕疵があるとは言え、結局のところ、やはり面白い。特にラクル・ヤンマジカル・ヤンの腕の見せ所である、二回に渡るイゼルローン要塞乗っ取りはその白眉であろう。二回目の攻略時の暗号二種類は最高に笑える。

  敢えて文句を言わせてもらえば、二人の英雄の死をどう描くか、エンディングでユリアンをどう活かすか、この点についてはやや不満がある。ネタバレになるが、死に方が見事だったのは、ロイエンタールオーベルシュタインビュコックメルカッツシェーンコップの5人だと思う。

 

  ジークフリートキルヒアイスが入ってないじゃないか、というご意見もあるだろう。田中芳樹も第二巻でキルヒアイスを死なせてしまったのを相当後悔していたらしい(ちなみにこれは当時の編集者金城氏の指示だったとのこと)。

  それゆえ外伝5巻ではキルヒアイス大活躍で、「ユリアンのイゼルローン日記」にさえも顔を出すくらい、キルヒアイス・オン・パレードである。田中芳樹の罪滅ぼし、といったところか。

 

  ただ、私としてはアンネローゼ、ラインハルト、キルヒアイスの濃厚すぎる関係には正伝でも食傷気味だったのが、さらに鼻につくほどになってしまった。

 

  よって外伝で一番面白かったのは第2巻「ユリアンのイゼルローン日記」。次点でローゼンリッター(薔薇の騎士団)が活躍する第3巻「千億の星、千億の光」というところ。

  それにしても、無名のヤンが一躍英雄となり、後の参謀で妻となるフレデリカと知り合うきっかけともなった「エル・ファシルの脱出劇」だけで一冊の本にしてくれるのじゃないかと期待していたのが、外伝4「螺旋迷宮」で最初にちょっとふれられただけで、その後あまり面白くもない探偵劇になってしまったのは残念の極みだった。

 

  外伝を読破するためだけに大人買いしたのは、う~ん、ちょっともったいなかったかな。でも正伝が読めてよかったので、まあ後悔はしていない。

 

  この文庫版15冊にも、外伝最終巻の「田中芳樹のロング・インタビュー」を除いてすべて錚々たるメンバーの解説がついている。にもかかわらず、ここを触れていない、という不満があるところを二点最後にあげておきたい。

 

#1:田中芳樹ユーモア・センス: これだけ重い物語を一気に読ませてくれるのは、笑わせるツボを心得た会話や、歴史記述を装ってしれっと書く彼のユーモア・センスである。10巻で笑いどころのない巻は全くない。にもかかわらず誰も彼のユーモアについて触れていない。これは不思議だ。

 

#2:ゲルマン的名前はやはりヒトラーナチス・ドイツを連想させる:これは初代ガンダムにも通じるところがあるが、帝国軍はゲルマン系の名前で統一され、雰囲気的にもナチス的な印象が強い。だからナチスを賛美しているというわけでもないし、ゲルマン的名前を用いたことについて田中芳樹は一応説明している。しかし、ナチス・ドイツの人名や制服が何となくかっこいいという、いかにも日本人的な歴史認識の浅さが根底にあるのではないか、という危惧がぬぐえない。

『銀河系に一大王朝を築きあげた帝国と、民主主義を掲げる自由惑星同盟が繰り広げる飽くなき闘争のなか、若き帝国の将“常勝の天才"ラインハルト・フォン・ローエングラムと、同盟が誇る不世出の軍略家“不敗の魔術師"ヤン・ウェンリーは相まみえた――。 日本SF史にその名を刻む壮大な宇宙叙事詩銀河英雄伝説』正伝10巻と外伝5巻を、特製文庫BOXに収納してセット販売します。BOXのイラストは、創元SF文庫版を飾った星野之宣氏のカバーイラストを使用。外側に5点、内側に6点をあしらいました。(AMAZON解説より)』

吸血鬼 / 佐藤亜紀

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

  佐藤亜紀を読むシリーズもこの作品でついに(小説は)終了である。2016年の「吸血鬼」。参った。ひれ伏す思い、とはこのことだ。

 

  この物語は限りなく陰鬱で限りなく寒々として限りなく残酷で限りなく狡猾で、そして限りなく美しい至高の佐藤亜紀の世界である。

 

  文章、文体、プロット、構成、時代考証、微妙な謎の残し方、余韻、すべてに完璧。佐藤亜紀がついにたどり着いた小説という表現形式の一つの極北。皆川博子はこう評している。

 

怪異の外衣を纏った、迫力と緊張感。流麗な文体のリズム。

読んでいる間、時折、私は文章で音楽を視たのです。

 

本作は詩の紹介で始まる。

詩人アダム・クワルスキは、代表作「すみれ」をこう始めている。

ー 野のすみれよ、可憐な紫紺の花よ

馥郁と香る小さな五弁の花よ

誰がお前のことを忘れるだろう

吹き荒ぶ冬の嵐を突いて

漂泊の旅路を彷徨う時にも、おお、すみれよ、

懐かしい野に咲くお前のことを忘れはしない

 

  この、クワルスキというポーランドの寒村の領主貴族が「吸血鬼」なのか? と思わせておきながら、安直な吸血鬼譚にはならない。佐藤亜紀だから、なり得ない、というべきか。

 息もつかせぬ展開で怒涛の如く話は進み、最後にクワルスキに文学青年としてあこがれを抱いていた役人のゲスラと、クワルスキの妻で土着の靭さを感じさせるウツィア二人のシーン。

 

 夕闇の中で殆ど見分けが付かないウツィアの顔を、ゲスラーは注視する。二人はそのまま動かない。穏やかな日暮れだ、と。暫くしてからゲスラーは呟く。- こんな薄闇があるとは考えた事もなかった。やっと落ち着いた気がするのは不思議ですよ。

 ウツィアの唇が細く息を洩らす。面紗が微かに動く。笑ったのか、溜息を吐いたのかはわからない。そうね、と彼女は言う。- もっと穏やかな闇も、私たちにはあるでしょう。

 

 佐藤流様式美の極致。この文章を彼女の作品の最後の最後で読めたことは私にとってこの上ない僥倖であった。

 

  一方で「一見さんお断り」作品でもある。上述したように、題名で想像するようなありきたりの(ドラキュラ伯爵のような)「吸血鬼」譚ではない。また、地の者の訛りを日本語でここまで読みにくくする必要があるのか、と思う執拗さは理由あってのことだが、完全について来れる者だけついてきなさいの世界。

 

     とても佐藤亜紀なら先ずこれを読みなさい、とは言えない。この本を本気で読むなら、下記の小説を全て読んでから。そうすれば至福の時を過ごせるだろうと思う。もちろん全ての小説を読んでいるわけではないが、21世紀の日本の小説の中で傑出した存在であると思う。

 

『独立蜂起の火種が燻る十九世紀のポーランド。 その田舎村に赴任する新任役人のヘルマン・ゲスラーとその美しき妻・エルザ。この土地の領主は、かつて詩人としても知られたアダム・クワルスキだった。 赴任したばかりの村で次々に起こる、村人の怪死事件――。 その凶兆を祓うべく行われる陰惨な慣習。 蹂躙される小国とその裏に蠢く人間たち。 西洋史・西洋美術に対する深い洞察と濃密な文体、詩情溢れるイメージから浮かび上がる、蹂躙される「生」と人間というおぞましきものの姿。(AMAZON解説より)

 

佐藤亜紀を読むシリーズ

バルタザールの遍歴

戦争の法

鏡の影

モンティニーの狼男爵

1809

天使

雲雀

ミノタウロス

醜聞の作法

金の仔牛

スウィングしなけりゃ意味がない

夢違 / 恩田陸

⭐️⭐️⭐️

  提督とあかつき姐さんがレビューしてたので、興味を惹かれた。なんにせよ、恩田陸さんだし。

  ちなみに題名は「ゆめたがい」ではなく、「ゆめちがい」だそうだ。終章で出てくるある有名な仏像の名前から題名がとられていると考えてよいと思う。となると、常識的には「ゆめたがい」だろう。ただ、ネットで調べると「ゆめちがいとも読む」と書いてあって、どちらでもいいと言えばいいようである。しっくりこないけど。

 

  さて、それはさておき、今回は陸さんにしてはきっちりとした構成で、得意技大風呂敷広げっぱなし、投げっぱなしジャーマンといった展開を期待する向きにはは残念と言えば残念。(まあ細かいところではツッコミどころ満載ではあるが。)

 

  夢を可視化できるようになったら、そして予知夢を見る能力が強い女性がいたら、という「If」は面白い設定であるし、それを陸さんならではの言葉を用いて独自の世界を構築していく力量はさすが。 

  ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」から「沈める寺」までの三連の前奏曲、和水仙八咫烏等の小道具も前半は効果的に用いられていると思う。

 

  ただ、いやな予感がしていた通り、後半奈良県が主舞台となって来ると(奈良県出身の私には)違和感を強く感じるようになる。「まひるの月を追いかけて」もそうだったが、陸さんが書くとどうも現実の奈良県と乖離してしている感が強い。それこそ夢の中の奈良県か、という感じ。途中で出てくるH市(=郡上八幡)の方にも是非ご意見を伺いたいものである。

 

  まあそれはともかく、集団無意識・集合的無意識タイムリープの扱いにかなりの無理があるとは思うが、旅情SFミステリーとしてはまずまずうまくフィニッシュしたと思う。

  提督がこだわっておられたエピローグ的な最終章とその前の真の最終章の結末の齟齬については、古藤結衣子が「夢違」に成功した、ということでいいのではないかと思う。

 

夢の映像を記録した「夢札」、それを解析する「夢判断」を職業とする浩章のもとに、奇妙な依頼が舞い込む。各地の小学校で頻発する、集団白昼夢。浩章はパニックに陥った子供たちの面談に向かうが、一方で亡くなったはずの女の影に悩まされていた。日本で初めて予知夢を見ていると認められた、結衣子。災厄の夢を見た彼女は―。悪夢が現実に起こるのを、止めることはできるのか?戦慄と驚愕の新感覚サスペンス! (AMAZON解説より)

激しく、速やかな死 / 佐藤亜紀

⭐︎⭐︎⭐︎

     今のところ、「天使」のスピンオフ集「雲雀」を除けば唯一の短編集である。例によって舞台はフランス革命前後の欧州がメインだが、珍しく当時の新天地アメリカも登場する。もちろん佐藤亜紀流で、ではあるが。なお本作も本文中では余計な説明一切なしなので、巻末に「作者による解題」がついている。

 

弁明:   ご存知マルキ・ド・サド侯爵の一人語りで繰り広げられるドタバタ劇。短編集のしゃれたアペリティフとなっている。あのサド侯爵をここまで笑い飛ばせる作家はってのはそういないだろう。さすが佐藤亜紀である。

 

激しく、速やかな死: この作品のみ書き下ろし。題名はカエサルの言葉だそうだが、それをもたらしてくれる「主役」はフランス革命の象徴ともいえるあの「ギロチン」。ギロチンにかかる前の収容所施設の中の陰鬱、そして延々としゃべり続ける男。なかなかに幻想的な佳作である。アメリカの作曲家ココリアーノの「ヴェルサイユの幽霊」へのオマージュだそうである。

 

荒地: フランス革命でギロチンにかかる前にアメリカへ逃れたフランス貴族。しかしそのアメリカも「不毛」の一言だった。本作品集の中でも屈指の力作ではあるが、佐藤亜紀を読み続けた来たファン以外には難解で退屈そのものだろう。ちなみに主人公の名前は一切明かされないが、解題においてフラオー伯爵夫人への書簡であると書いてあるところからしタレイランである。

 

フリードリヒ・Sのドナウへの旅: ウィーンはシェーンブルンのナポレオン閲兵時におきた、突発的なナポレオン暗殺未遂。ゆえに周到な準備と計画をもって行われたもう一つのナポレオン暗殺未遂事件「1809」のスピンオフとも言える。

  十七歳のドイツ人青年の狂信がもたらしたごく単純で無計画な単独犯行。何の打算もなく、だれに吹き込まれたわけでもなく、フランス皇帝ではなくナポレオン・ボナパルトという男を殺さねばならないと考えてやってくる暗殺者。こちらのほうがよほど厄介だ。故にナポレオンはこの事件をなかったことにせねばならなかった。

 

金の象嵌のある白檀の小箱: オーストリアの高名な政治家メッテルニヒの夫人がパリから夫に宛てた書簡、という形式をとっている。夫の浮気相手のロール・ジュノとその夫ジュノ将軍の夫婦喧嘩の顛末を皮肉たっぷりに書き送っている。自分の過去の浮気も隠さない豪胆なメッテルニヒ夫人。きっとメッテルニヒもニヤニヤ笑いながら読んでいるのだろう。哀れなのはジュノ将軍、ナポレオンに訴えても

一々連中の妻敵(めがたき)を討ってやっていたら、まともな仕事をする暇がないだろうが

と一蹴される始末。げに強気は女性なり。「内容はロール・ジュノの回想録による」と解題しているので本当にあった話らしい。

 

アナトーリとぼく: ぼくはくまである。くまだからひらがなとカタカナしかかけないのでぶんしょうはひらがなとカタカナでつづられていく。アナトーリというなまえからわかるように、これはトルストイの「せんそうとへいわ」をてっていてきにわらいとばしたさとうあきりゅうのかいしゃくである。さとうあきはかいだいでこういっている。

何度読んでもピエールは道徳フェチの糞ナルシストであり、救い難き利己主義者である。

 あのながいはなしをなんどもよんでいるんだ(わらい。

 

漂着物: ボードレールに寄せた散文詩である。見事な締め方に感服する。

 

『危険を孕まぬ人生は、生きるに値しない。サド侯爵、タレイランメッテルニヒ夫人、ボードレールetc.―歴史の波涛に消えた思考の煌きを華麗な筆で描き出した傑作短編集。 (AMAZON解説より)』

 

佐藤亜紀を読むシリーズ

バルタザールの遍歴

戦争の法

鏡の影

モンティニーの狼男爵

1809

天使

雲雀

ミノタウロス

醜聞の作法

金の仔牛

スウィングしなけりゃ意味がない