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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

犬とハモニカ / 江國香織

☆☆☆

  先日ブックオフから「ポイント切れるぞ使わないのかこの野郎」という有難いメールをいただきました。そういえば新型コロナが流行り出してから全く行ってなかったな。。。

  というわけで緊急事態宣言も明けたので既読本売りも兼ねて行ってまりました。で、ポイントで買ったのはやっぱり安心の江國香織さん。今回は川端康成文学賞受賞の表題作を含む短編集です。

 

 

外国人青年、少女、老婦人、大家族……。空港の到着ロビーで行き交う人々の、人生の一瞬の重なりを鮮やかに掬い取った川端賞受賞の表題作。恋人に別れを告げられ、妻が眠る家に帰った男性の心の変化をこぼさず描く「寝室」。“僕らは幸福だ”“いいわ”――夫婦間の小さなささくれをそっと見つめた「ピクニック」。わたしたちが生きる上で抱え続ける、あたたかい孤独に満ちた、六つの旅路。(AMAZON解説より) 

 

    六篇の短編からなりますが、著者が後書きで書いておられるように色々な大人の事情で今回は少し抑え気味かな、という印象を受けました。特に表題作なんかは、え、これ以外にいくらでも川端文学賞に相応しい作品を江國さんは書いておられるでしょ、と思うくらいあっさりとした空港群像劇でした。

 

  もちろん全体を通して江國さんらしさ、村上春樹にも匹敵する文章の巧さは健在なんですが、江國流の色気、狂気、無邪気な残酷さのような要素が今ひとつ感じられず、個人的にはやや物足りなかったです。

 

  そんな中でも、今も延々チミチミ亀よりのろく読み進めている「源氏物語」に題材を取った「夕顔」、陽光が眩しいポルトガルを舞台にしたゲイのカップルの旅行譚を鮮やかな筆捌きで描いた「アレンテージョ」が今までの江國さんの枠を一歩踏み出した面白い作品だったかな、と思いました。

 

  というわけで、レビューもいつもよりあっさり目になってしまいましたが、汲めども尽きぬ江國さんの作品を今後もぼちぼちと追いかけていきたいと思います。

  

偶然の聖地 / 宮内悠介

☆☆☆☆☆

  またまたひっさしぶりのレビューになります。「宮内悠介を読もう」シリーズ、今回は2019年の「偶然の聖地」です。おや、まだ続いていたのか!という声が聞こえてきますね。うん、前回の「あとは野となれ大和撫子」が6月23日、その前の「カブールの園」がその9ヶ月前、昨年9月ですからむべなるかな、ではあります。

 

  この三ヶ月、全く宮内悠介を読んでいなかったわけではなく、「ディレイ・イフェクト」があまりにつまらなかったので書く気をなくし(をいをい、この「偶然の聖地」はあまりにも長くて読む気をなくし、、、あ、やっぱり読んでなかったか。。。でですね、読み始めると実に面白かったんですよ、これが!今まで読んだ宮内の作品の中で最高にスリリングで最高に面白かったです。

 

 

小説という、旅に出る。 国、ジェンダーSNS――ボーダーなき時代に、鬼才・宮内悠介が届ける世界地図。本文に300を超える「註」がついた、最新長編小説。 秋のあとに訪れる短い春、旅春。それは、時空がかかる病である――。人間ではなく世界の不具合を治す“世界医”。密室で発見されたミイラ化遺体。カトマンズ日本食店のカツ丼の味。宇宙エレベーターを奏でる巨人。世界一つまらない街はどこか・・・・・・。オーディオ・コメンタリーのように親密な325個の注釈にガイドされながら楽しく巡る、宮内版“すばらしい世界旅行”。“偶然の旅行者”たちはイシュクト山を目指す。合い言葉は、「迷ったら右」!――大森望(書評家)(講談社BOOK倶楽部紹介ページより)

 

  というわけで、今はなき「In Pocket」という冊子に一回5ページずつ程度で2014-2018年の4年間延々と掲載され続け、In Pocketの廃刊が決まってようやく落とし前をつけた、という大長編であります。

 

  もともと「エッセイと小説の中間あたり」の作品を依頼され始まった連載だそうで、途中著者もそのことを忘れていたそうですが、兎にも角にもあまりにぶっ飛んでいるので注釈が必要だろうと、何と300超もの注釈をつけて2019年に単行本化されました。

 

  このエッセイ的なところと注釈が相まって、お得意の中央アジア、バックパッキング、コンピュータープログラミングへの思いのたけをぶち込んだ虚実ないまぜ具合がファンとしてはとても心地良いです。ほんと「In Pocket」が廃刊せず、だらだら延々続いていてほしかったと思うくらいです。

 

  内容を語るのは野暮というものですが、この世界はどこかの誰かがプログラミングしたもので、それが神であろうがなかろうが必然的にバグが存在する。そのバグの最たるものが中央アジアの幻の霊峰「イシュクト山」。その山に運命を翻弄される三組のペアと、バグを修正する「世界医」二人がくんずほぐれつ、入子構造、誰が味方か敵か、これはメタフィクションか現実か、もう訳がわからないまま話は暴走し、終盤ようやく全容が明らかとなります。

 

  じゃあ終盤まで退屈かというとそんなことはない。まず一章が5ページ程度と読みやすいですし、エッセイと小説の間的な著者のだべり方が心地よくスルッと読めちゃいます。おまけに注釈がついており、それがまた面白い。

 

  「暗くてヘビー」という宮内悠介のイメージを「超動く家」で払拭し、本作でついにその独特の世界観とユーモアを両立させ、大長編に仕上げた傑作だと思います。

 

  ファンの方で未読の方は是非どうぞ。逆に言えば宮内悠介を本作から入るべきではないかな、とも思いますが。。。

 

  え〜、実に久しぶりのレビューでしたが相変わらず「内容を語らない」Yasuhiroの本領発揮はできたかな、と思います(ヲイヲイ。

 

宮内悠介を読もうシリーズ

盤上の夜(2012)

ヨハネスブルグの天使たち(2013)

エクソダス症候群(2015)

アメリカ最後の実験(2016)

彼女がエスパーだったころ(2016)

スペース金融道(2016)

カブールの園(2017)

あとは野となれ大和撫子(2017)

超動く家にて(2018)

あとは野となれ大和撫子 / 宮内悠介

☆☆☆

  久々の「宮内悠介を読もうシリーズ」です。調べてみたら前回の「カブールの園」のレビューからなんと9ヶ月経ってました。サボりすぎだな。

 

  それはともかく、本人はライトなものも書こうとはしておられるんですが、全体にヘビーなものが多い。で、前回のレビューに

 

次は若干軽そうですが、宮内悠介を読もうシリーズ、キツいっす!

 

なんてことを書いてました。で、その「軽そうな」作品と思ってたのが2017年の作品「あとは野となれ大和撫子」です。予想は半分あたり、半分はずれ、てな感じで結構な長編小説でした。

 

 

 

中央アジアのアラルスタン。ソビエト時代の末期に建てられた沙漠の小国だ。この国では、初代大統領が側室を囲っていた後宮を将来有望な女性たちの高等教育の場に変え、様々な理由で居場所を無くした少女たちが、政治家や外交官を目指して日夜勉学に励んでいた。日本人少女ナツキは両親を紛争で失い、ここに身を寄せる者の一人。後宮の若い衆のリーダーであるアイシャ、姉と慕う面倒見の良いジャミラとともに気楽な日々を送っていたが、現大統領が暗殺され、事態は一変する。国の危機にもかかわらず中枢を担っていた男たちは逃亡し、残されたのは後宮の少女のみ。彼女たちはこの国を―自分たちの居場所を守るため、自ら臨時政府を立ち上げ、「国家をやってみる」べく奮闘するが…!?内紛、外交、宗教対立、テロに陰謀、環境破壊と問題は山積み。それでも、つらい今日を笑い飛ばして明日へ進み続ける彼女たちが最後に掴み取るものとは―? (AMAZON解説より)

 

  後宮の女性たちの活躍といえば、1989年の第一回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した酒見賢一のデビュー作「後宮小説」を思い出しますね。舞台と時代は違えど、何となく雰囲気は似ているように思いました。

 

  かたや酒見の方は中世中国の時代考証をしっかりとした上で描かれる、中国風仮想国で繰り広げられるファンタジー小説

 

  そして本作は20世紀最大の環境破壊と言われる旧ソ連による灌漑事業により干上がった元アラル海(※)に建国された仮想国を舞台に、政変、ゲリラ、中央アジア周辺国との駆け引き、大国の思惑、そして一筋縄ではいかない環境問題などを綿密に考証して組み立てられた、若き後宮女性たちを主人公とするポリティカルフィクション。

 

  どちらも相当の力量と該博な知識がないと書けない代物で、宮内の場合は中央アジアから中近東を放浪した経験と膨大な参考文献を読み込むことにより自家薬籠中のものとしています。

 

  特に各章の終わりに挿入される日本人放浪者のコラムは、著者自身がこの世界に入りこんでいるようで面白かったです、章が終わるたびにニヤニヤしながら楽しんでおりました。

 

  惜しむらくは、このサイトでも多くの方が指摘されているように、終盤の事件解決の仕方が軽くて弱い。

 

  え、こんなことで「解決しましためでたしめでたし」でいいの?

 

よかねえよ、宮内さん!

 

てな感じで八方めでたく終わっちゃいました。できれば続編が欲しいところですね。この辺り、完璧に終わらせた酒見の方が一枚上手、かな。

 

  と、最後は辛口になっちゃいましたが、とても面白いポリティカル・フィクションであることは間違いなく、宮内悠介の作品の中では比較的明るくて読みやすい一本だと思います。

 

*: oldmanさんのレビューアラル海がいかに干上がっていったかを示す写真が掲載されていて、とても参考になります。

 

宮内悠介を読もうシリーズ

盤上の夜(2012)

ヨハネスブルグの天使たち(2013)

エクソダス症候群(2015)

アメリカ最後の実験(2016)

彼女がエスパーだったころ(2016)

スペース金融道(2016)

カブールの園(2017)

超動く家にて(2018)

薔薇のなかの蛇 / 恩田陸

⭐︎⭐︎⭐︎

  初期の恩田陸ファンにこよなく愛されてきた「理瀬シリーズ」の最新刊「薔薇の中の蛇」です。焼き粉の早速のレビューに書いてあるように待たせること

 

17年!  長すぎるわ!!

 

  ということで「三月は深き紅の淵を」(1997)、「麦の海に沈む果実」(2000)、「黒と茶の幻想」(2001)、「黄昏の百合の骨」(2007)と順調に進んできていきなり17年空いたわけですが、その間全く書いていなかったわけではなく、「メフィスト」という雑誌に不定期連載を続けて何とか完成したというのが実情、ご本人のインタビューを読むと

 

ひとえに私の体力が落ちたことや、他の仕事との兼ね合い

 

が原因だそう。今更直木賞とらんでもええから、こっちを先にして欲しかった、というファンは多いはず。

 

 

  さてこのシリーズ、北海道、屋久島、長崎と舞台を変えつつ、水野理瀬という深窓の令嬢的お嬢様が結構タフなヒールに育っていき、欧州マフィアの後継でいかにもな青年ヨハンとのコンビも確立し、ファンはその将来を嘱望していたわけですが、何と今回は日本を飛び出して英国はソールズベリーが舞台となります。

 

  ストーンヘンジで有名なところですが、早速その環状列石を利用して陰惨な殺人事件を導入部として描き、本編に入ると「ブラックローズハウス」と呼ばれる薔薇をかたどった某成り上がり貴族の屋敷にリセ・ミズノは登場。

 

  そこでド派手に殺人事件やら毒殺未遂やら主人失踪やらが起こり、お決まりのお宝鑑定団もあり〜ので盛り沢山。いかにもな本家英国の本格推理小説的に話は進んでいき、そこにスコットランドヤードやMI6、どっかのスパイさんたちも立ち回る中、我がリセ様は神秘的な雰囲気を湛えつつ、いろんな蘊蓄や推理を随所で披露し大活躍、当然ながら貴族の御曹司たちもドキドキ(笑。

 

  一方のヨハンはそこには登場せず、自分の邸(別荘?)で誰か友人の男性と会話している様が随所に挿入されるだけ。こちらは安楽椅子探偵小説の雰囲気。

 

  ということで古今東西のミステリを読み込んできた恩田さんらしい、圧倒的な筆致でグイグイ読者を引っ張っていくのはいいのですが、Kindle90%読み進んでも一向に事件収束の気配がなく、謎解きが始まらない。

 

  そう、恩田陸ファンなら思い当たるはず。

 

  これは、典型的な恩田流「投げっぱなしジャーマン」「風呂敷広げすぎの畳み忘れ」で終わるのではないかと!

 

  結論を言うと、一応何となくこれはこう言う事件だったんだな、と言う謎解きはなされ、理瀬とヨハンがソールズベリにやって来た目的意図は明かされますので「投げっぱなしジャーマン」ではないのですが、風呂敷広げすぎ感は否めない、みたいな感じでした。

 

  恩田陸ファンにはこのスカされかたがたまらないんですが、本格推理小説ファンなら怒り出すんじゃないかと思います。

 

  終わり。。。

 

最後に一言: 題名4割、内容6割がモットーの恩田陸さんなので、まあバランス的にはこんなもんかもしれない。

一度だけの大泉の話 / 萩尾望都

☆☆

   ども、久々の萩洗会(萩尾望都洗脳委員会)です。。。

 

  てな感じで竹洗会(竹宮惠子洗脳委員会)あかつきと二人して、できるだけ楽しい雰囲気で我が敬愛するモー様こと萩尾望都先生とあかつきの敬愛する竹宮惠子先生の作品をこのサイトで紹介してきたのですが、ついにそんな和気藹々の雰囲気を吹き飛ばす本を萩尾先生が上梓されてしまいました。ノンフィクションエッセイ「一度きりの大泉の話」です。

 

 

 

   まず初めにお断りしておきますが、萩尾望都竹宮惠子をはじめとする「大泉サロン派」「花の24年組」の少女漫画に興味のない人には何の益も無い本です。また萩尾、竹宮双方のファンには読むに辛い本です。

 

  ことの発端は、2016年に竹宮惠子が上梓した「少年の名はジルベール」というエッセイでした。代表作「風と木の詩」の主人公を題名にしたこの本の中で著者は萩尾望都の才能の凄さに畏怖と嫉妬を感じていた、と明かしました。

 

 

 

  これはかなりの反響を呼び、それが萩尾サイドに降りかかってきました。コメントや対談を求めらるたびに

本は読んでいません
協力できません

を繰り返してもまた半年毎に蒸し返されが続き、これは仕方がない、一度だけ語ろうと萩尾は決心します。そこで信頼できるインタビュアーを選んで語った筆記録を萩尾自身が文章に起こしたのがこの本です。(漫画家で今はマネージャーの城章子も深く関わっていますがここでは割愛します)

 

  結果、300頁を超える長い回顧録となってしまい、そこには竹宮を始めとするさまざまな漫画家や周辺にいた人々(特に竹宮のブレーンだった増山法恵)が登場し、萩尾ファンとしてはとても興味深いのですが、結局この本の核心は

 

第十一章 『小鳥の巣』を描く 1973年2月〜3月

 

にあります。この時期に萩尾は竹宮と増山に呼び出され、「ポーの一族」の一篇「小鳥の巣」と竹宮が以前から構想し続け萩尾も知っているある作品の関連について質問を受け、そのショックで心因性視覚障害をはじめとする重篤な健康障害に見舞われます。それ以後萩尾は竹宮との交流を断ち、彼女の作品も怖くて読めなくなります。。。

 

 

  そうか、そんなことがあったのか。

 

 

としか言いようがありません。これだけをとってみれば、竹宮(と増山)が一方的に悪い。

 

  でもそんな単純なものではないでしょう。竹宮は竹宮で苦しんでいたと思いますし、萩尾は萩尾で自分の言いたいことをうまく言えない、という欠点を持っていました。

 

  萩尾の対談や講演会を聴いたことのある方ならわかると思うのですが、彼女はそのイマジネーション溢れる雄弁な作品からは想像の出来ないほど、語りは訥々としていますし、内向的な印象を受けます。陰に篭ると二度とあの人は許せないと断交するタイプなのじゃないかと言われれば、残念ながら認めざるを得ません。

 

  しかし、そういうことを差し引いても萩尾望都は傑出した漫画家であり人格者です。ただ、竹宮とはこの先もおそらく交わる事はないのでしょう。それはご本人に言わせれば

時は過ぎ行き、二度と戻ることはない

のだし、城さんに言わせれば

覆水盆に返らず

です。下井草のマンションで起こったことは、彼女たちが夢見て描き続けた架空の世界ではなかったことに出来ても、現実世界ではどうしようもないのです。

 

  というわけで、あかつきのレビューにもコメントしたのですが、こういう経緯を知ってしまった以上、萩洗会、竹洗会と遊んではいられなくなったな、というのが偽らざる心境です。萩尾同様、意固地なのかもしれませんが(苦笑。

 

  最後に一言、竹宮を知らなければやっぱり今の萩尾はなかったと思うよ、あかつきさん。

クララとお日さま / カズオ・イシグロ、土屋政雄訳

☆☆☆

 

  先日レビューしたKlara and the Sunの邦訳です。訳者はいつもの通り土屋政雄氏。

 

 

 

  第一印象:本が分厚い!、こんな長い話だったのか!! (終了頁はp433)

 

Kindleで読んでいたので分かりませんでした。ストーリーは単純、場面転換もそれほど多くない。にしてこの長さ、日本語にすると文章が長くなるとはいえ、驚きました。

 

  第二印象:題名を童話的にしたのに文章は硬い

 

「the Sun」を「お日さま」にした時点で童話方向で柔らかく訳す方向性だったと思うのですが、技術翻訳出身の土屋氏、さすがにこの分野は苦手だったのではないでしょうか、文章の硬軟の使い分けが今回は今一つだったような気がします。

 

  第三印象:ところどころ単語がおかしい

 

この小説の主題AF(artificial friend)が「人工親友」。硬い!そんなネーミングで商品として売れます?手前味噌ですが原著レビューで書いた「お友達ロボット」の方が柔らかくてていいんじゃないかな。

 

原著で序盤一番戸惑った単語が「oblong」。長方形という意味では全然話が通じないので悩んでいましたが、しばらく読むうちに「タブレット端末」のことらしい、と分かってきます。この訳が「オブロン端末」、そんな端末聞いたことあります?

 

邦訳に興味があったのが「lift」、優秀な子供にするための遺伝子操作らしい(最後まで詳細は語られません)のですが、これが「向上処置」、うんまあまあこれは納得。

 

最後に逆にびっくりしたのが「シャーピ鉛筆」、なんじゃこれは!?

 

と、原文を確認したところ、「sharp pencil」、普通やん。。。もしシャープが商標登録の関係で使えないのなら、普通に鉛筆や色鉛筆でいいんじゃない?その辺は土屋氏の専門分野で何とでもなった気がするんですが。。。  

 

追記:これを「本が好き!」に掲載したところ、常連さんがこのサイトを教えてくれました。

 

news.yahoo.co.jp

 

 

 ということで、内容を語らないレビュー健在のYasuhiroでした。ちなみに

 

梗概を知りたい方はrodolfo1さんのレビュー

 

評論を読みたい方はぷるーとさんのレビュー

 

シンパシーを感じたい方はrokoさんのレビュー

 

ネタバレOKの方はクロニスタさんのレビュー

 

がお勧めです。

Klara and the Sun / Kazuo Ishiguro

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 

 お久しぶりです。コロナコロナで読む気力も失せてしばらく読書から遠ざかっていました。それでもこれだけは読まなければと3月からぼちぼちと読み始め、GWでまとまった時間を費やすることができ、ようやく完読しました(リンクはハードカバーにしてありますが、実際はKindleで読んでいます)。

 

 

 

 ノーベル賞作家となったKazuo Ishiguroの受賞後初の長編「Klara and the Sun」です。全世界からの期待がかなりのプレッシャーとなっていたことは容易に想像できますが、代表作「Never Let Me Go(私を離さないで)」路線で無難に来たな、というのが読み始めての第一印象でした。

 

 「私を離さないで」はKathy Hというクローン女性が来し方を独白するという形式で、臓器を提供するために生まれてきたクローンたちの哀しみを淡々とした筆致で描いた傑作近未来SFでした。そして本作はKlaraというAF(お友達ロボットとでも訳すのでしょうか)が病弱な少女Josieに仕えた日々を回顧するという、よく似た形式となっています。おそらくKazuo Ishiguroが人が生きていくことの意義、喜びや哀しみを最も表現しやすい文体なのでしょう、受賞後第一作で失敗が許されない以上無難な選択だったと思います。

 

  ただ惜しむらくはKlaraが子供相手のロボットであるためか(?)やや思考回路が幼く、メインの主人公が少女と少年の二人であることもあり、ジュブナイル小説的な印象が拭えません。

 後半もかなり進んでから小説世界の詳細な説明やJosieの病気の真相の説明がなされ、大人たちの思惑も深く描かれ始めてようやくエンジンがかかってきますが、それでもKlaraの健気な奮闘の幼さがブレーキとなり、クライマックスがジュブナイルを通り越しておとぎ話的になったのは残念でした。

 

  その意味では「Klara and the Sun」という題名自体が束縛になっていたのかもしれません。

 

  それでも最終章では、ようやくこれぞKazuo Ishiguroだと思える、深い思索と物寂しくも深い余韻を残す文章が続きます。この章のすべてのパラグラフで涙を禁じ得ませんでしたが、この短い会話だけはほっこりととさせてくれました。

 

'Thank you' I said 'Thank you for choosing me.' 'No-brainer.' Then she gave me a second hug, .....

 

  最後に原文と訳書について: 

  最近の彼の作品は全てそうであるように、本作も訳書が同時出版となっています。訳者はこれまたお馴染みの土屋政雄氏で題名は「クララとお日さま」となっています。これから購入して、この作品をどんな雰囲気で土屋氏が訳されているのか、また幾つか疑問だった箇所などを確認したいと思います。

謹訳 源氏物語 (2) / 紫式部、林望訳

⭐︎⭐︎⭐︎

   リンボウこと林望先生の文庫版源氏物語第二巻です。本巻には

 

末摘花(すえつむはな)」「紅葉賀(もみじのが)」「花宴(はなのえん)」「(あおい)」「賢木(さかき)」「花散里(はなちるさと)」

 

の六帖が収められています。光源氏は18歳から25歳の男盛り、一番光り輝いていた時期にあたります。

 

  ということは、、、手あたり次第〇〇まくっていた時期でもあります。もう節操がないというか、抑えが効かないというか、時、所、立場、美醜、老若を問わないそのまめ男ぶりにはあきれるばかり。

 

   政権を握っていた左大臣の娘葵の上という正妻がありながら、

 

不義の子を孕ませてしまった義母藤壺に連綿と執着し、

 

藤壺の面影を持つ幼女若紫(後の紫の上)をじっくりと愛育してついには妻とし、

 

物語一の醜女末摘花を頭の中将と張り合い、

 

物語一の好色大年増(推定50代)典侍(ないしのすけ)とやっちゃって頭の中将に冷やかされ、

 

物語一の敵役弘徽殿の女御の妹朧月夜を行きずりにものにしその後も関係を続け、

 

夕顔と葵上を呪い殺した生霊だと忌避していた六条御息所斎宮となる娘に付き添って伊勢に下ると知れば惜しくなって会いにゆき、ついでに娘も気になり、

 

と、もう枚挙にいとまがない。

 

  そして一度でもものにした女性には、嫌がられようがなにしようがお構いなしにせっせと和歌入りの文(ふみ)を書き続け、会いたくなったらやっちゃって味方にしておいた手引きの女御を利用して忍び込む。このマメ男ぶり、

 

どんだけ~!?

 

てなもんです。

 

  そしてこの巻が尋常でない印象を与えるのはこれらの色恋沙汰の信じ難いタイミングです。

 

  まず義母藤壺を妊娠させてしまい、悶々と苦しんでいるはずの時期に、

 

その姪の幼い若紫を自邸に引き取り、将来の妻とする手筈を整えます。

 

末摘花とできてしまうのは、藤壺が悩み苦しみながら宮中へ戻ってすぐのことです。

 

そして不義の子が生まれ散々懊悩している時期に、政敵側の殿内で朧月夜を「私は何をしても許される立場の人間」だと言い放って(ほぼ)強姦しています。

 

  まだまだこんなもんじゃない。

 

  正妻葵の上が出産直後、呪い殺される現場を目撃して強烈な衝撃を受けているにもかかわらず、その喪中に若紫と最初の契りを結んでしまいます。

 

  まだまだまだこんなもんじゃない。

 

   父桐壺院が身罷られて間もなく、里帰りした藤壺のもとへ忍び込むに至っては開いた口が塞がらない。そりゃあ藤壺もどうしようもなくなって息子(後の冷泉帝)を残してでも出家しますわなあ。

 

  そしてとどめの大事件!この巻で最も魅力的な女性であり、右大臣の娘であり、光源氏を憎しみきっている弘徽殿の女御の妹である、朧月夜との密会の露呈。

 

  桐壺院死去後政権が右大臣側に移り何かことを起こせば追い落とされるという危うい時期にもかかわらず、彼女を忘れられず(彼女も光を忘れられないところが読みどころではあるのですが)策を尽くして通い詰め、挙句の果てに右大臣に見つかってしまう。激怒する右大臣ともっと激怒する弘徽殿の大后。。。

 

  って、どう考えても光源氏ってまともな神経の持ち主じゃないですよね。

 

  にもかかわらず、その美貌、立ち居振る舞い、舞い、楽奏等々何につけても万人を魅了して止まない。教養と知性、政治家としての人望は群を抜き、帝からの信頼は厚い。他人の不幸にはさめざめと涙し、同情し援助する。悩み事が深まれば厭世的となり、自分も仏道に入りたいとまで願う。。。

 

  「男の下半身は別人格」とはよく言ったもんですな。

 

  そんな別人格に振り回される女性たちの中で、一人だけ光源氏につけ込む隙を作らせなかった女性が一人いました。朝顔の斎院がその人です。

 

  光の父桐壺帝の弟、式部卿宮の娘なので従姉妹に当たります。17歳の頃から光源氏は色目を使っていますが、それを常にさりげなく受け流し続け、恥をかかせずに生涯相手にしませんでした。

 

  林真理子版でレビューしましたが、光源氏が落とせなかった女性は生涯で三人いました。残る二人は、六条御息所の娘秋好女御と夕顔の遺児の玉鬘、いずれも光源氏が大分おじさんになってからのことですから、その全盛期に落とせなかったのは朝顔の君ただ一人ということになります。その聡明さと意思の固さはこの物語でも一際異彩を放っています。

 

  その朝顔が、しつこく和歌をよこす光源氏を評して曰く、

 

なんと理解に苦しむことに、かくも同じように、恋の妨げになっている神を恨めしく思ったりする、この源氏の心の癖の見苦しさよ。

 

言い得て妙ですな。紫式部も書いていてささすがに呆れたんでしょう。

 

  てなわけでそんな緊急事態になってようやくしょぼんとなった光源氏は、故桐壺院の女御だった麗景殿(れいけいでん)の女御とその妹で昔々契ったことのある(またかよ)妹の三の君(花散里)としみじみ語りあってこの巻は終わるのでした。。。当然次巻では都落ちすることになります。

 

  さてさてリンボウ先生の筆は相変わらず恬淡としており、一歩間違えばエロ小説に堕しかねないこの巻も高雅にまとめておられます。「色気がない」という批判はやはり発売当時もあったのでしょう、巻末解説で敢然と反論しておられます。一言、

 

行間を読め!

 

と。この物語はそこらの三文小説と違ってあまり露骨な性愛描写などは出てこない

 

例えば源氏が初めて若紫と新枕(にいまくら)を交わす(と言えば聞こえはいいが、実際は無理やり犯したのだ)ところがあって、翌朝。「男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまわぬ朝あり」と書かれている。こう書いてあればすなわち、前夜の性交渉のために心身ともに打ちひしがれた紫の上が、それゆえに起きられない、また起きようとしないのだ、と読める。

 

当時の人々はちゃんと秘すれば花的な書き方の中に何があったか、その行間を読み取っていたのである。だからあなた方もそう読みなさい、と。

 

ハハ〜 m(_ _)m

 

というわけで、ノロノロと第三巻へ続きます。

 

源氏物語シリーズ

誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ

林真理子

六条御息所 源氏がたり(上)

六条御息所 源氏がたり(下)

小説源氏物語 STORY OF UJI

林望

謹訳 源氏物語 一

古典文学者としての知識と作家としての筆力で描き切った、現代語訳の決定版。藤壺の宮との不義の子の誕生、車争い、六条御息所の生霊、葵上の死、朧月夜との情事、紫の君との契り―。名場面の数々を収録した第二巻は、源氏、十八歳から二十五歳までを描く。 (AMAZON解説)

 

 

間宮兄弟 / 江國香織

⭐︎⭐︎⭐︎

  江國香織の落穂ひろい、今回は「間宮兄弟」です。映画化されたこともあり江國さんの作品の中でもよく知られていますが、彼女が男性を主人公にするのは珍しいことなんですよね。そういう意味では異色作です。

 

女性にふられると兄はビールを飲み、弟は新幹線を見に行く。そんな間宮兄弟は人生を楽しむ術を知っている。江國香織もてない男性の日常を描いて話題になり、森田芳光監督の映画化も大ヒットした小説の待望の文庫化。(AMAZON解説)

 

  ちなみに映画は「の、ようなもの」の森田芳光監督がメガホンを取り、間宮兄弟のイメージにぴったりな佐々木蔵之介塚地武雅ドランクドラゴンの塚ちゃん)が期待通りの好演をしたのでとても楽しい佳作になっていました。

 

  一方の女優陣は、平凡でもてない二人の周りにいるごく普通の女性ばかりのはずなのに、ありえないほど豪華絢爛で、

 

  常盤貴子沢尻エリカ北川景子戸田菜穂中島みゆき(そう、歌手のみゆきさん!)

 

等々錚々たる面々でした。今では(いろんな意味で)実現不可能な豪華キャスティングですね。

 

  閑話休題、江國さん自ら解説して曰く、

 

  愉快に快適に暮らすのは有意義なことです。たとえ世間から多少「へん」に思われても。
  そういう人たちの話を書きたいとと思って『間宮兄弟』を書き始めました。(中略)
  この二人の男性には、自分のスタイルと考え方があります。それさえあれば大丈夫、と、私は個人的には思うのです。世界は荒野ですから、彼らがこの先どうなっていくのかはわかりません。わからないふうに書けていたら嬉しいです。

 

という主旨はよく理解できますし、実際そういう作品になっていたと思います。ただ、やはり江國さんの持ち味は、一見普通の女性が静かな狂気に蝕まれていくところを描くことにあります。

 

  そういう意味では、もてない兄弟がそれなりに奮闘してもそれほどの波風も立たず、やっぱり二人はふられ、また元の愉快に快適に暮らす二人の生活に戻っていくという展開は江國さん独特の毒気がなくてやや物足りなく感じました。

 

  もう一つ読む前に危惧していた事は、文章の天才江國さんが男性を主人公にすると村上春樹ぽくならないかということでした。

 

  そういう見方をしている人は私だけではないようで、文庫版解説をなんと村上春樹評論で有名な三浦雅士さんが書いておられました。当然ながら村上春樹にも言及しておられます。

 

  三浦氏曰く、ジェイズ・バー(「風の歌を聴け」1979)からロビンズ・ネスト(「国境の南、太陽の西」1992)へ、昭和から平成へ、ロウワー・ミドルからアッパー・ミドルへ、村上春樹は死に物狂いで働いた世代の子供たちが豊かさを少しずつ身に馴染ませる過程をこの二作品に反映させた。

  江國香織が登場するのはこの後者の頃、豊かさを身に馴染ませた子供たちの、その成長した姿を無理なく描く作家として、彼女が登場したのだと。

 

村上春樹の『風の歌を聴け』から『国境の南、太陽の西』までの道のり、つまり「昭和」から「平成」までの長い道のりが、遠近を構成しないで、まるでモザイクのようにそのまま背景になっているのである。明信も徹信も、「昭和」の破片をいつまでも身に着けているのである。

 

だから、やせて背の高い、オシャレに気を配ればけっこうもてるはずの明信を始めて見た女性教師が

 

顔を出した明信を見て、依子は、最悪だわ、と、思った。

 

という思いもします。

 

  そう、「今」を生きる女性たちが、兄弟とかかわる時だけそれとなく「レトロ」を感じる。特に昭和を知らない女子校生などは、面白がって徹信にまとわりつくまでになる。

 

  このへんがこの作品の面白さだと思います。もちろん昭和を否定するわけではない。だささとともに実直さもあるし、誠実でもある。特に二人が母親をとても大事にし、言いつけを守る姿はとても微笑ましいし、それもこの作品の重要なテーマだと思います。

 

  というわけでまたまた内容を語らないレビューになってしまいましたが、映画とセットで読めばより楽しめる佳作です。日々の生活に疲れ、たまにはホノボノしたい、という方にもおススメ、かな。  

 

  最後に今回一番印象に残った江國さんらしい文章を引用します。ラスト近く、母のいる静岡で過ごすお正月の一場面です。

 

三日間とも天気がよく、低い屋根屋根の上に広がった青い空を、明信は「モネの、日傘をさした女の絵の空みたい」だと思ったし、徹信は「クラプトンの”BLIND FAITH"のレコードジャケットみたい」だと思った。

 

 

 

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モネの日傘をさす女

 

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BLIND FAITHの当時物議をかもしたジャケ

 

謹訳 源氏物語 (1) / 紫式部、林望訳

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  先日から日本の古典中の古典「源氏物語」に挑戦しています。まずは入門本「 誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ」を読み、次いでその共著者である林真理子版の源氏物語、文庫版三冊を読み終えました。

 

  その三冊は妖艶にして濃厚、うまく原作の魅力を引き出しておられましたが、あくまでも自己流にまとめたものでご自身もおっしゃっておられたように原作を逐語訳されたものではありません。

 

  そこで次の段階として原作に忠実な現代訳を読んでみようと思い立ったわけですが、入門本のレビューにも書いたように与謝野晶子先生から始まって錚々たる作家の先生方が訳しておられてどれを読んでいいか迷ってしまいます。

 

  おまけに、私のような素人にはとっつきにくい。実際昔谷崎潤一郎版に挑戦したことはあるのですが、どこまでかは忘れましたが早々に諦めてしまいました。   そこで今回あらためて現代の訳者を探したところ、リンボウ先生こと林望氏が「謹訳」と題して原作に可能な限り忠実に訳されたことを知りました。しかも平成22年刊行の単行本をもとに平成29年に文庫化され、その際さらに増補修訂されたとのこと。

 

  林つながりなのも何かの縁、これにしよう!(をいをい)

 

ということで早速第一巻を手に取ってみました。本巻には 「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」 の五帖が収められています。巷間知られている様に54帖からなるわけですのでその一割にも満たないのですが、

 

・「いづれの御時にか女御更衣あまた候ひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ」桐壺の更衣光源氏を出産する段に始まり(桐壺)

 

・有名な「雨夜の品定め」(帚木)

 

光源氏手始めの空蝉との交情と別れ(空蝉)

 

・頭中将が雨夜の品定めで漏らした「常夏」であった女をそれと知らず愛人とし、その夕顔を(林真理子先生が入魂で描かれた)六条御息所の生き霊がとり殺す段(夕顔)

 

・出ました物語最大のヒロイン、「雀を犬君がにがしつる」の幼女若紫との北山での初めての出会いと執心、最終的な強奪(若紫)

 

・その間の、義理の母である光源氏の人生で最高の女性藤壺とのたった一度の逢瀬、そのコトによる藤壺の懐妊(若紫)

 

と、源氏物語と言えば思い浮かぶ有名なシーンのオンパレード。なんという内容の濃さ。さすが紫式部!というか、この辺までは絶好調でものすごい人気を呼んで、その後何年もの時間をかけて書き続けることになったというか、ハメになったというか、あるいは別に人物が書き足していったのか、だったのでしょう。とにもかくにもこの五帖は

 

THIS IS MURASAKI SHIKIBU!

 

と言って過言ではないでしょう。特に「雨夜の品定め」はりんぼう先生がおっしゃる様に

それがいつ書かれたのかという詮索はひとまず措くとして、この第一部に展開される様々の恋物語のモチーフを提示するという意味を持っている。

(第一部とは「桐壺」から「藤裏葉」までの33帖) となっています。ちょうどマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の第一巻「コンブレー」においてその後の主題の全てが包含されていたことを思い出します。恋愛の悦楽と苦悩、嫉妬と言った主題は古今東西を問わず、というところなのでしょう。

 

  ついでに言えば、自由気ままに恋愛に没頭していられる王族、貴族、ブルジョアを扱ったところも同じですし、先ほど述べた様に読んだことがない人でも最初のエピソードだけは知っているところも似ていますね。読むのが大変な大長編の運命なのかも(苦笑。

 

  さてリンボウ先生の現代訳ですが、林真理子版を読んだばかりであったので色気もなくて平板で退屈だなあ、という印象が拭えませんでした。六条御息所の扱いなんか、え、こんなもん?というくらい少ないですし、後半のヤマのはずの義母藤壺との一夜など、な、なんと

 

空行一行

 

で終わっちゃいますし。林真理子先生、どんだけ行間を読んでるねん(笑。

 

  しかし、とにもかくにもこれが原作と割り切って読むと、簡潔にして高潔、とてもわかりやすいのに香り高いことに気がつきました。おまけに文庫化に際して各章に小見出しがついたので後で読み返しやすくなっています。ということで、原作を追うにはいい選択だったと思います。

 

  ちなみにいづれの御時にか女御更衣あまた候ひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ」

 

  さて、もう昔のこと、あれはどの帝の御世であったか・・・・・・。   宮中には、女御とか更衣とかいう位の妃がたも多かったなかに、とびぬけて高位の家柄の出というのでもなかった桐壺の更衣という人が、他を圧して帝のご寵愛を独占している、そういうことがあった。

 

となっており、少し長くはありますがいい文章だと思います。特に原作当時の様に声に出して読むと味わいがある。ちなみにリンボウ先生はラジオで全巻音読を果たされたそうです。

 

  またこの物語のキモである和歌にも必ず注釈がついており、分かりやすい。京都北山で見初めた姫君を「紫の君」と呼ぶきっかけとなった歌を引用してみましょう。

 

手に摘みていつしかも見む紫の 根にかよひける野辺の若草 この手に摘んで、いつかは親しく相見たいと思うのは、 あの紫色の藤・・の御方の根の近くに萌え出ずる野辺の若草なのですよ

 

藤壺から血の繋がっている若紫へ。受け継がれていく光源氏の愛情の対象を見事に一つの句の中に読み込んだこの歌のままに、物語は進んでいきます。

 

  いやあ、もう第一巻からヘビーでした。またボチボチと読み進めていきたいと思います。

 

源氏物語シリーズ

誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ

林真理子

六条御息所 源氏がたり(上)

六条御息所 源氏がたり(下)

小説源氏物語 STORY OF UJI