Count No Count

続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ままならないから私とあなた / 朝井リョウ

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

  朝井リョウを読むシリーズ、今回は「ままならないから私とあなた」です。2016年の作品で昨年文庫化されました。

 

「レンタル家族」 

「ままならないから私とあなた」

 

の二作が収録されています。なお単行本化されるにあたり「ままならないから私とあなた」に一章加筆修正されています。

 

  互いに連関しあう短編集という形式が朝井リョウの持ち味の一つですが、今回は共通項は全くありません。それなのに前者が20P程度の短編、後者タイトル作が200P over の長編とバランスの悪い二作を単行本にまとめたのには、共通したテーマがあるためです。それは

 

新旧正反対の価値観の対立

 

です。

 

  「レンタル家族」では、旧来の体育会系の腹を割って互いに全てをさらけ出してこそ本物の絆、良好な人間関係が築ける的思考と、現代的なレンタル友人、レンタル恋人などを利用したサービスによって提供されるかりそめの人間関係が現代では良い潤滑油となりうるという合理的思考との対立が

 

  「ままならないから私とあなた」では、旧来の人の個性や地道な努力主体のアナログ的音楽のあり方と、合理的効率的なプログラミングやネット配信を主体とした音楽ないし音楽産業のあり方との対立が

 

描かれます。両者とも主人公が旧来の価値観の持ち主であり、朝井リョウはそちらの方へ感情移入させつつ巧妙に話を進めていき、最後にあっと驚く展開でひっくり返して見せます。長編でも短編でもそのキレが変わらないところがすごいな、と感心しました。

 

  ただ、朝井リョウらしく、その「キレ」は決して単純明快で胸のすくような快いものではありません。むしろ後を引く後味の悪さを二作品とも感じます。

 

  「レンタル家族」はストーリーそのものがあまり心地よいものではなく、あんたにだけは、おかしいって言われる筋合い、ないと言い切るレンタル女子の反撃は見事なものですが、最後は解説の小出祐介氏がおっしゃるように闇に沈みゆく感が強いです。

 

  「ままならないから私とあなた」は2009年時に小学校5年生だった少女二人のその後13年間にわたる(加筆最終章を除く)交友と考え方の乖離の物語で、実によく計算され、うまく構成されています。

  主人公雪子はピシッとした答えがないピアノに熱中し、頭脳明晰で不合理な思考を拒絶する薫はピアノを早々にやめ、タブレットでの勉強に熱中します。先進的な音楽ユニットである『OVER』のファンであることは共通していても雪子はピアノ担当のメンバー個人のファンであり、薫はそのライブ構成や演出に興味を示します。それでも二人は親友であり続け、薫は雪子の音楽活動を自分なりにサポートしようとするのですが、そのような細かい差異の積み重ねが最後には決定的な価値観の差となり、2022年という近未来に二人は衝突します。

 

  互いの意見のぶつけ合いは本当にスリリングなもので、最初攻勢に出た雪子の意見を冷静沈着な天才薫が尽く論破するあたりは朝井リョウの力量を見せつけられる思い。ただ、その激論で吐き気を催した雪子に薫はある可能性を提言し、唐突に物語は終わってしまいます。

  この終わり方に批判があったのか、単行本化に際しもう一章加筆され、その結末が提示されます。この加筆にも賛否両論あるとは思いますが、あった方が後味はやや良いかな、とは思います。

 

  最後に一言。この次の長編が伊坂幸太郎の提唱した「海族と山族の対立」というテーマの螺旋プロジェクト参加作品「死にがいを求めて生きているの」なんですが、この作品を読むとその形式と内容をそのままうまく応用できたのであれだけの作品を書けたのだな、と感じました。

 

先輩の結婚式で見かけた新婦友人の女性のことが気になっていた雄太。 しかしその後、偶然再会した彼女は、まったく別のプロフィールを名乗っていた。 不可解に思い、問い詰める雄太に彼女は、 結婚式には「レンタル友達」として出席していたことを明かす。 「レンタル世界」

 

成長するに従って、無駄なことを次々と切り捨ててく薫。 無駄なものにこそ、人のあたたかみが宿ると考える雪子。 幼いときから仲良しだった二人の価値観は、徐々に離れていき、 そして決定的に対立する瞬間が訪れる。 単行本に、さらに一章分を加筆。少女たちの友情と人生はどうなるのか。 「ままならないから私とあなた」

 

正しいと思われていることは、本当に正しいのか。 読者の価値観を心地よく揺さぶる二篇。(AMAZON解説)