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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

世界地図の下書き / 朝井リョウ

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  デビュー作「桐島、部活やめるってよ」と螺旋プロジェクトの「死にがいを求めて生きているの」の間を埋める「朝井リョウを読むシリーズ」もこれで最後の作品となります。2013年の「世界地図の下書き」です。前年の「何者」での直木賞受賞に続き、この小説でも「坪田譲治文学賞」に輝いています。

 

  ただ、この二作は全く様相を異にしており、前作が就職活動をメインテーマとした大学生たちの物語、本作は児童養護施設を舞台にした児童小説です。彼の本領が「何者」路線であることは明らかで、本作品のような児童小説は珍しい、というか実質この一作のみ、敢えて言えば「星やどりの声」が似た路線かな、と思える程度です。

 

  その執筆動機は現実の事件にありました。彼曰く、高校バスケット部の部長が顧問からの体罰を受けて自殺したというニュースに触れて“『逃げる』という選択肢が彼の頭の中に浮かばなかったのはどうしてなのだろう”という考え、この物語の種が生まれたそうです。

 

  「逃げ場がない」という感覚、これは確かに今の日本の若者を覆う閉塞感なのでしょう。そしてそれは小さな子どもたちまで及んでいるのではないか。子どもたちに“今いる場所から逃げる、もとい、自分の生きる場所をもう一度探しに行く”という選択を教えてあげたいという思いから、敢えて自らの目指す路線から離れた作品を書こうとする。。。

 

朝井リョウってやさしいな、と思いますね。

 

    さて、物語を見ていきましょう。主人公太輔児童養護施設青葉おひさまの家」に入所するところから第一章「三年前」が始まります。彼が所属することになった「一班」のメンバー紹介を兼ねた序章です。

 

太輔: 小学三年生 両親が交通事故で死亡。伯父宅に引き取られるが伯父の家庭内暴力で入所。

佐緒里: 中学三年生 リーダー的存在、両親が離婚し弟だけ親戚が引き取る。

淳也、麻利兄妹: 小学三年、一年。関西から入所。兄は気が弱く、妹は甘えん坊。

美保子: 小学二年生、母の家庭内暴力で入所、おませ。

 

  第二章「晩夏」から最後の「」までの五章が本編で、序章の3年後、太輔は六年生になっています。太輔もすっかり「青葉おひさまの家」のみんなと打ち解けており、大学受験で忙しい佐緒里に代わって小学生たちのリーダー的存在になっています。とは言え、施設では守られている彼らですが、小学校というカースト社会、さらにその向こうにある大人の世界との軋轢に否応なくこの五人は翻弄されます。

 

太輔は戻ってきてほしいと願う伯母とやはりうまくいかず、

淳也、麻利は小学校でいじめを受け、

美保子の母のDVはおさまらず、

そして

佐緒里は北国の親戚の工場で働かねばならなくなり、あれほど頑張っていた大学受験を諦めることとなります。

 

  それぞれの嵐は第四章「暮秋」でまとめて最高潮に達し、絶望感が漂います。その中でも小学生四人、特に佐緒里に憧れている太輔はなんとか失意の佐緒里を慰めたいと思い、ある企画を考えつきます。それは無くなってしまった「蛍祭り」というお祭りにおける「願いとばし」という小さなランタンを熱気球のように飛ばすイベントを復活させて、遠い北国へ行ってしまう佐緒里に最後に見てもらおおうというものでした。

 

  ただこの「願いとばし」はとても小学生だけでできるものではありません。そこからの後半部は内緒で奔走する彼らの微笑ましい情景が描かれます。ちょっと犯罪的な行為もあり、これはよくないんじゃないかな、と思う箇所もありますが、ちゃんと朝井リョウはそのあたりフォローしています。

 

  なんだかんだでとにもかくにも「願いとばし」は成功し、明日には去ってしまう佐緒里と四人は町の高台にある神社からランタンが空に浮かぶ情景を目にすることができました。   しかし、その高台での会話の中で去っていくのは佐緒里だけではないことが次々とわかっていきます。動揺する太輔。涙する三人。

 

  ランタンで励ましてもらった佐緒里は、今度はみんなを励まします。

 

「大丈夫」「私たちは、絶対にまた、私たちみたいな人に出会える」 「いじめられたら逃げればいい。笑われたら、笑わない人を探しに行けばいい。(中略)逃げた先にも、同じだけの希望があるはずだもん」

 

  最初に書いた朝井リョウの思いが結晶した台詞に目頭が熱くなります。本作の苛烈なプロットはむしろ「人生はそんなに甘くない、どこに逃げてもつらい事ばかり」と言っているようにも思えますが、束の間の希望であっても希望があるうちは生きていけるはず、そんな思いで終わらせたことには拍手を送りたいと思います。

 

「希望は減らないよね」 。