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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ふうらい姉妹 第二巻 / 長崎ライチ

⭐︎⭐︎⭐︎ 

  あかつき姐さんに勧められて読んだ長崎らいちの「ふうらい姉妹」にはまってしまったので第二巻。第十四回ー二十六回、「回想録」「いろどり広場」収録。各章の合間に諸種外国語版台詞の「世界のふうらい姉妹」が挟まれる。

 

  あいかわらずまったりしたギャグとペースで進んでいくが、前半のハイライトは姉れい子のお見合い。お隣の御節貝(おせっかい)おばさんの勧めで、お相手は非常にシャイな斜井田タケシさん。お互いの特技、体操の話で盛り上がり、意外にも話は進展し、ゆる~い笑いの中でデートまで進んでいく。

 

  レギュラー陣も健在。個人的にお気に入りの馬七馬七(ばななばしち)画伯も健在。れい子に問われてデートのアドバイス

まず

①相手が人間かどうかちゃんと確認すること

確認できたら

➁とにかく失敗を恐れず挑むこと

相手が象なら、失敗したら踏まれるからね

馬七画伯、ナイスアドバイス

 

  で、公園での初デートで偶然馬七画伯に遭遇、さてその結果は?

 

「おねーちゃんデートどうだった?」

「斜井田さんが

馬七さんをお父さんと呼んで

お年玉が降ってきて

そしてぐるぐる回された」

「すごーい かっこいい♡」

 

 

  妹のしおりの方は、クラス劇「ちら雪姫」の主役ちら雪姫役がくじで当たってしまう第十七回がハイライト。当たって動揺するしおり、

「先生 私 セリフが覚えられないと思う」

「毒りんごを食らった後は寝てればいいから大丈夫!」

「 ホッ」

 先生、ナイスアドバイス

 

  さて、第二十三回でついにふうらい姉妹の家族事情の一端が判明する(ほんとかどうか微妙だが)

「あら ママが残してくれたお金が 底をついてきたみたい」

ええええっ お姉ちゃん それは大変!! あの 私

出稼ぎにいってきます」

「しおり! ・・・・・今日は家庭訪問で先生がいらっしゃるというのに」

 やはりふうらい姉妹のママは亡くなっているようである。で、しおりの先生の家庭訪問に姉の奇想天外な対応が始まる。

 

  というわけで、あとは面白かった会話をいくつか。

「お見合いの人から連絡ないね (中略) 電話してみたら?」

「いきなり?」

「じゃメール」

「いきなり? やはり最初はテレパシーから」

「ないの(心の声 あったらメールや電話は要らないの)」

 

 

「渋柿が混ざってるから気をつけて食べるのよ♡」

なんで混ぜたの!?

 

「なんかもうマトリョーシカが頭から離れなくなった」

「ええ」

「買いに行ってきます 南米コロンビアへ」

「ロシアだよ」

ロシア!? では買い物ついでに

北方領土の件をむし返してきます」

「そういうのはお姉ちゃんの係じゃないよ」

 

その他いろいろ楽しめます。待て次巻!(やるのか?)

 

 ふうらい姉妹

 

 

『ベスト(残念な)姉妹・オブ・THE・ワールド。 「じわじわくる」と話題の4コマ漫画の最新巻! 天に二物を与えられなかった、残念な姉・れい子、 その姉に似てると言わざるを得ない、勿体ない妹・しおり。 姉妹ふたりの、驚きと失笑と姉妹愛に満ちた毎日! お見合い、デートに家庭訪問と、にぎやかな出来事が詰め込んである第2巻。 (AMAZON)』

熱帯 / 森見登美彦

⭐︎⭐︎⭐︎

    森見登美彦の最新刊が出た。題名は京都とは何の関係もなさそうな「熱帯」。熱帯密林に予約注文しておいたのだが、届いた本を見てびっくり。

 

分厚い

 

なんと523Pもある。こんなもん持ち歩けるか。 と思ったが、さすがモリミン、ページターナーである。あちこち持ち歩いて、ずんずん読まされてあっという間に読了してしまった。

 

  のはいいのだが、よく言えば自らおっしゃっているように、

我ながら呆れるような怪作である

が、 悪く言えばの失敗作ではなかろうか。それにはモリミンが一時期心身症で書けなくなった、というお気の毒な事情が介在していたことは承知しているが、正直なところモリミンほんとに大丈夫なのか、と思った。

 

  そりゃこのページ数を見ても、内容を読んでも、気力復活後相当力を入れて書いておられるのは理解できる。メタ的に言えば、この小説中の「だれも結末を知らない幻の作品『熱帯』」に現実になった可能性もあったわけで、最低限そうならなかったことはよかった。

 

  が、めでたく完結してどうなったか?第一章の文章にズバリ書いてある。

 

  それがどんな物語であるかということを一言で説明するのは難しい。推理小説ではないし、恋愛小説でもない。歴史小説でもないし、SFでもなく、私小説でもない。ファンタジーと言われればファンタジーだが、それでは何も説明をしたことにならない。

  とにかく、なんだかよく分からない小説なのである。

 

全くもってその通りで、「千一夜物語」と「ロビンソン・クルーソー」と「きつねのはなし」と「夜行」をごったまぜにしてモリミン流千一夜物語にしてみました、みたいな代物が出来上がってしまったのである。

 

  具体的に検討していこう。と言ってもまだ出たばかりなので具体的な内容はAMAZON解説に書いてあることだけにしておく。

 

  まず、ウェブ文芸誌「マトグロッソ」に掲載された第一章から第三章まではいかにもモリミンらしい語り口で、AMAZONの解説の

 

汝にかかわりなきことを語るなかれ――。そんな謎めいた警句から始まる一冊の本『熱帯』。 この本に惹かれ、探し求める作家の森見登美彦氏はある日、奇妙な催し「沈黙読書会」でこの本の秘密を知る女性と出会う。そこで彼女が口にしたセリフ「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」、この言葉の真意とは? 秘密を解き明かすべく集結した「学団」メンバーに神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと「部屋の中の部屋」。

 

パートがそれにあたる。ここまでは上々の出来で、本に関するミステリーとして「千一夜物語」を絡めつつ話が進んでいく。ここで一旦中断してしまったことは本当に惜しい。

  そして今回書き下された第四、五章はAMAZON解説の

 

 幻の本をめぐる冒険はいつしか妄想の大海原を駆けめぐり、謎の源流へ!

 

パート、これが問題である。モリミンが心身症から立ち直り、新味を出そうとして頑張っているとは思うのだが、冷静に読めば彼がなお七転八倒している印象を受ける。

 

  この第四、五章、モリミンはいきなりそれまでの流れを断ち切り、小説内小説「熱帯」を何の前置きもなく書いてしまった。よって小説全体としての流れがぎくしゃくしている。

   そしてこのパート、一人称で語られていくのだが、その「僕」が誰なのか明記されておらず、ちょっとイライラする。もちろん前半に答は提示されているが、かと言って小説内小説「熱帯」であると明記されているわけではないので、もしかして違うのかもという、もやもやした不安がぬぐえないまま話が進む。最後にやっぱりそうかとは思うものの、納得させてくれる種明かしではない。

 

  極めつけは「後記」である。

「あらゆることが『熱帯』に関係している。この世界が全て伏線なんです。」

とおっしゃっている、その前半の世界の伏線をすべて回収すべき場所であるはずが、全く違う方向(世界?)へ話が飛ぶ。

 

何のための前半だったんだ?

 

と呆れてしまうこと請け合いである。前半三章での一番の謎は、小説内小説「熱帯」を何故誰も最後まで読めないのか、何故中盤以降の記憶が皆曖昧なのか、であるが、それがこの後記では全く説明できない。故にそれを探求する前半での学団員の行動はすべて無意味となってしまった。

 

  とまあ散々こき下ろしたが、モリミンファンにはやっぱり嬉しい新作であるし、これだけの長い話をグイグイ読ませるのはさすがだとは思う。

 

  それにしても熱帯まで来てさえ、モリミンは京都から離れられないのだな。  

 

天子蒙塵 第四巻 / 浅田次郎

⭐︎⭐︎⭐︎

  浅田次郎先生の近代中国史シリーズ第五部「天子蒙塵」いよいよ完結、という事で、第三巻に次いで読了。感無量と言いたいところだが、率直なところ尻すぼみ感しか残らなかった。この巻だけをとってみれば、すべてのエピソードが中途半端なまま。恩田陸に勝るとも劣らない投げっぱなしジャーマン。期待していた西安事件まではまだ遥か遠い。何のために張学良を描き続けてきたのか、と腹立たしくなるくらい本巻での張学良の扱いはぞんざいだ。龍玉に関しては何をかいわんや。何とも言いようがない。

  これで完結だ、と言われても納得できるファンがどれだけいるのか?浅田先生の筆力が尽きた、と言うならそれまでだが。

 

  ラストは伏せておくが、「蒼穹の昴」に始まる壮大なこのシリーズはつまるところ、清朝末期の静海県の寒村の極貧家の兄弟妹、とりわけ李春雲(春児)と、放蕩息子梁文秀の物語だったのだ、ということ。そしてテーマは「没法子(メイファーヅ)(しょうがない)と言わないこと」。その点に関してだけは、浅田先生は志を貫いた。その一点だけに絞って敢えて☆三つを謹呈する。浅田先生お疲れさまでした。

 

『王道楽土を掲げる満洲ラストエンペラー・溥儀が再び皇帝の位に昇ろうとしている。そんななか、新京憲兵隊大尉が女をさらって脱走する事件が発生。二人の逃避行はパリへと向かう。一方、欧州から帰還した張学良は、上海に繰り返し襲い来る刺客たちを返り討ちにしていた。 日本では東亜連盟を構想し後に「世界最終戦論」を説く石原莞爾関東軍内で突出した存在になりつつあり、日中戦争突入を前に、日本と中国の思惑が複雑に絡み合う。 満洲に生きる道を見いだそうとする少年二人の運命は? この世を統べる力を持つ龍玉にまつわる伝説は、ついに最終章へ。『蒼穹の昴』シリーズ第5部、完結!(AMAZON解説より)』

ふうらい姉妹 / 長崎ライチ

⭐️⭐️⭐️

  あかつき姐さんのレビューを見て速攻で買った、ホノボノ系ギャグ漫画。

 

  長崎ライチという漫画家は全く存じ上げなかったが、姉妹による漫画ユニットで姉が原作担当、妹が作画担当だそうである。ちなみにこの漫画が作者初の単行本となったそうで、Wikipediaによると

 

美人だが感覚が常識からズレている姉・山本れい子と、しっかり者に見えるが感覚がズレている妹・山本しおりのおかしな日常を描いたギャグ漫画。姉の天然ボケに対して妹がツッコミを入れるやりとりが繰り広げられるが、その妹も姉に似て天然ボケの気があり、周囲に波紋をもたらす。少女漫画風の絵柄で美貌の姉妹が描かれているので、表面的にはギャグ漫画には見えないが、「並のギャグ漫画以上に狂った作品」との評価もある。

 

だそうである。基本4コマ漫画で、二つで一話の8コマ漫画の時もある。だから長くて8コマの中にギャグが一つは入っているわけで、テンポが良い。そしてそのギャグと、いかにもな少女漫画風の主人公二人の見かけのギャップが面白い。

 

  とくに「美人だけど阿呆の残念な姉(帯より)」山本れい子のセリフは破壊力抜群である。

 

「姉妹似てるって言われるのは、嬉しいわね。多分、いでんこのなせる業ね」
 (妹に博識ね、と言われて、博識の意味が分からず)
 「そうよ……。お姉ちゃんははくしきの傾向があるの」

 

  (妹にアマチュアレスリングとプロレスの違いを訊かれて)

「恥じらいがあって胸を隠しているのがアマチュア、パンツ一丁で潔いのがプロレスよ」

 

  (浦島太郎について)

「はっ、あんな昔に苗字を!?浦島のやつ庶民のふりしやがって」

 

  ここでしっかり者の妹がツッコミを入れれば普通の漫才風になるわけだが、その妹山本しおりも、「しっかり者に見えて阿呆な勿体ない妹(帯より)」なので、「ダブルぼけ」漫才となってしまう。ダブルぼけと言えば笑い飯なんかが代表的だが、う~ん、まあ、あれの女版というわけでもなく、あかつき姐さん曰くの

 

「突っ込みがあるようでないような緩やかで穏やかな(?)世界」

 

が繰り広げられている。

 

  ちなみにこの姉妹以外の家族は全く登場しないので、どういう家庭かは全く不明。ふうらい、というくらいだからあちこちを転々としているのかといえば、そうではない。固定したキャラクターが周囲にいる。とくに画家の馬七馬七(ばななばひち)先生は秀逸であるし、しおりが憧れる同級生高橋タケル君はいいやつである。

 

  というわけで読後感の良いギャグマンガであった。では第二巻、第三巻を買うかというと、さてどうしたものやら。。。

 

なんて素敵にジャパネスク2 / 氷室冴子

⭐︎⭐︎⭐︎

  氷室冴子の「なんて素敵にジャパネスク」復刻版2。最初は前巻のかろみを踏襲して、あいもかわらず瑠璃姫は

「冗談はよしのすけ。」 

なんてセリフを連発して笑わせてくれるが、中盤から後半にかけて徐々に物語はヘビーになっていく。

 

  ネタバレになるが、前巻で「夭逝した」と書いた、幼いころ一緒に遊んだ「吉野君」はどうも生きているらしい。そして当時の東宮(今の帝で瑠璃姫に気がある別名鷹男)を亡き者にしようとした「入道の変」の関係者かもしれない。

  というあたりから暗雲が立ち込め、瑠璃姫の住いの三条邸は放火されるわ死人は出るわ、あげくに瑠璃姫は首を締められ絶体絶命のところまで追い詰められる。

 

  高彬との三角関係(といっても瑠璃姫は処女のママであるが)をどう始末するのか、そして美貌の反逆者吉野君をどう処理するのか、氷室冴子の手腕が問われる後半から終盤。物語は見事な展開を見せる。そして一面雪の吉野のラストシーンは、さぞやコバルトファン女子の感涙を絞っただろうと思われる。まことに見事なフィニッシュであった。

 

  これで終わるのが正解だろう。あかつき姐さんが二冊で十分と教えてくれた理由がよく分かった。あらためて氷室冴子のご冥福をお祈りする。

 

  吉野君、遊んでたもれ!

 

 

『瑠璃姫に好意を持つ鷹男(実は東宮)が即位して新帝に。瑠璃姫に求愛してくるが、許婚である高彬は、帝の意向を尊重すると言う。業を煮やした瑠璃姫は尼寺に駆け込むが、その夜実家の三条邸が炎上し…!? (AMAZON解説より)』

なんて素敵にジャパネスク / 氷室冴子

⭐️⭐️⭐️

  先日読んだ「ザ・チェンジ」の系譜をつぐ氷室冴子の代表作の一つ、私でも題名くらいは知っている「なんて素敵にジャパネスク」。冊数が多いのでためらっていたが、あかつき姐さんによると第二巻までで十分ということで、復刻版がそこまで出ているので読んでみた。まずは第一巻。

 

  一言でいうと、コミカルな少女漫画を平安時代にもっていったような、面白くてハラハラドキドキ、ちょっとムネキュンの少女小説。「ザ・チェンジ」で会得した笑いのツボを見事に活かしている。これはコバルトファンに人気が出るわなあ、と納得。

 

  ヒロインである身分高き家柄の令嬢瑠璃姫の紹介からはじまり、成り行きで婚約者になってしまった筒井筒(おさななじみ)の高彬との初夜に何故か必ず(お約束で)邪魔が入り、そのうち雪だるま式に話が大きくなり、最後は東宮(今でいう皇太子)を亡き者にしようとする陰謀を瑠璃姫が(結果的に)どういうわけか解決してしまうという、「入道の変」がメイン・ストーリーとなる。

  通い婚の平安時代、読み物といえば「源氏物語」と相場が決まっている頃の身分高き深窓の令嬢といえば、

 

 一生に数回外出すればいい方

 

だったそうだが、それではこんな騒動が成立しない。だから瑠璃姫は幼いころやむを得ない事情により吉野で祖母と暮らし、夭逝した「吉野君」と野原で遊びまわっていた、という設定になっている。なるほどうまい。

 

  というわけで瑠璃姫お転婆で気が強く、自立心も強く、それ以上に好奇心満々で行動派。お付きの女房小萩の気苦労も絶えないが、この小萩もミーハーで結構面白い。そして瑠璃姫と対極にある令嬢二の宮東宮の叔母藤宮のキャラクタ設定もうまい。

 

  言葉使いも現代風になっていて、そういえば彼女は「現代では」という説明をよくする。そのあたり、読む少女層に「難しく考える必要はないのよ、今の女子と同じ思考回路の持ち主なんだから」と氷室冴子が言ってくれている感じが好ましく、大ヒットの要因となったのでは、と思ったりもした。

 

  例えばこんな言い回し。

(父の陰謀で入り込んだ男から逃げて幼馴染の高彬に助け舟を出されて)

「そ、そうよ、絶対、そうよっ。あたしと高彬は、ぶっちぎりの仲よっ!」

 

  こんな言い回しをするなら、わざわざ時代小説にしなくてもよさそうなものだという見方もあるかもしれない。確かにストーリー自体はいわゆるラノベの範囲を出ない。

  が、そこをしっかりとした時代考証平安時代にもっていったからこそこれだけ面白い話が出来上がったのだ、と思う。数多く挿入される和歌も含め、氷室冴子のその力量には敬服した。

 

  第二巻へ続く。

  

『時は平安―。京の都でも一、二を争う名門貴族の娘、瑠璃姫は十六歳。初恋の相手・吉野君の面影を胸に抱いて独身主義を貫く決心をしていた。だが世間体を気にする父親は、結婚適齢期をとっくに過ぎた娘にうるさく結婚を勧めてくる。ついにある夜、父親の陰謀で無理やり結婚させられることに!?多くの読者に愛された名作が復刻版で登場! (AMAZON解説より)』

屍者の帝国 / 伊藤計劃 X 円城塔

⭐️⭐️

  伊藤計劃の未完の遺作「屍者の帝国」を、円城塔が遺族の了解を得て、3年という年月を費やして完成させた壮大なスケールのSF作品。

 

  とは言ってみたものの、パラレルワールドSFと呼べばいいのか、スチームパンクと呼べばいいのか、19世紀オールスター・パスティーシュとでも呼べばいいのか、とにかく壮絶に奇妙な作品である。

 

  伊藤の遺作自体が「死者をパンチカード(今でいうOSのような感じ)とプラグインで労働力として利用する」というシェリー夫人の「フランケンシュタイン」に似せたコンセプト、そしてシャーロック・ホームズに出会う前のワトソン君が主人公、「ドラキュラ」のヴァン・ヘルシング教授と出会うのが物語の始まりなのであるから、そのコンセプトを引き継ぐとこうなるのもむべなるかな、という面はある。

 

  そして地球を一周するワトソンに同行するのが、ロビンソン・クルーソーフライデー屍者の秘書)、実在の旅行家バーナビー、途中から割り込んでくるのが「風と共に去りぬ」のレット・バトラー。

  インドからアフガン、日本、アメリカ合衆国、そして英国へと目まぐるしく変わる舞台、おまけに最後はノーチラス号

  なかなかにクールなスチームパンクにしたのも構想としてはよく考え抜かれている。

 

  そして虚実ないまぜの新しい登場人物。「カラマーゾフの兄弟」のアレクセイ(アリョーシャ)、クロソートキン(コーチャ)、フョードロフドミートリィ、上述のフライデーレット・バトラー伊藤計劃お気に入りの007シリーズのM、そして紅一点、リラダンの「未来のイブ」からハダリ。真打は「フランケンシュタイン」から、ザ・ワン。ちなみにハダリーはエピローグで偽名を使う、その名もアイリーン・アドラ。あのホームズが「the woman」と呼んだ女性である。

 

  実在の人物もわんさか。上述のバーナビーに始まり、リットングラント元大統領明治天皇川路利良大村益次郎寺島宗則山澤清吾エジソンチャールズ・ダーウィン、等々枚挙にいとまがない。

 

  これだけオールスターで地球一周すれば面白くないはずはないだろう、と思うのだが、そこが「屍者の帝国 」だけに暗い。重くて暗くて難解である。まあそれもそのはず、あの時代にありえない技術で死者を動かすという構想を理論的に解明しようというのだから無理があり過ぎる。そして長過ぎる。

  

  そして、文体はやはり伊藤計劃とは異なる。その尋常でない知識量と想像力には通じるものがあるが、多弁すぎて文章が重い。

  題材や展開はスリリングで面白いのだから、もう少し読みやすく書く手もあったのではないかと思う。

 

  で、肝心のテーマである。伊藤計劃の「ハーモニー」のテーマが「意識とはなにか」であったのに倣おうとしたのとか、本作では「魂とは何か」に最終的には焦点を絞り、最後にザ・ワンに延々と語らせる。その答えは伏せておくが、あんまりじゃないの?、と言うのが率直な感想である。

 

  というわけで、円城塔の苦労と努力には敬意を払わざるを得ないが、素晴らしい成功作とは言えない、というのが正直なところ。著者のあとがきの終文を最後に引用する。

 

屍者の帝国 』をお届けする。

賞賛は死者に、嘲笑は生者に向けて頂ければ幸いである。

 

二〇一四年九月        円城塔

 

『屍者復活の技術が全欧に普及した十九世紀末、医学生ワトソンは大英帝国の諜報員となり、アフガニスタンに潜入。その奥地で彼を待ち受けていた屍者の国の王カラマーゾフより渾身の依頼を受け、「ヴィクターの手記」と最初の屍者ザ・ワンを追い求めて世界を駆ける―伊藤計劃の未完の絶筆を円城塔が完成させた奇蹟の超大作。 (AMAZON解説より)』

内田光子 ピアノ・リサイタル @ 兵庫芸術文化センター

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Mitsuko Uchida Piano Recital

 

2018.11.2  19:00-21:00

兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール

主催:兵庫県兵庫県立芸術文化センター

 

内田 光子 Mitsuko Uchida : Piano

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PROGRAM:

シューベルト ピアノソナタ
Franz Shubert   Piano Sonatas

 

第4番 イ短調 D.537 No.4 in A Minor, D537

I-IV

第15番 ハ長調 D.840 No.15 in C major, D840

I,II only

- intermission -

第21番 変ロ長調 D.960 No.21 in B flat major

I-IV

Encore

シェーンベルク 3つのピアノ小品 作品11より

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Self-Reference ENGINE / 円城塔

⭐️⭐️

P, but I don't believe that P.

 

で始まる円城塔の短編集。二部20編で構成され、プロローグとエピローグがつく。

 

第一部: Nearside

  う~ん。。。。。

  下記のキャッチコピーはよくできている、としか言いようがない。

 

  円城流「夢十夜」だと言われれば、は~そうですか、としか言いようがない。

 

  面白いですか、と言われれば、まあ見栄を張って言えば面白いと思いますけど、としか言いようがない。

 

  とりあえずこの人はラプラスの悪魔に魅入られてしまっているのだろうな、というのが第一部の印象。

 

第二部:Farside

 

  こちらの10編はとにもかくにも緩やかな連携を有し、第一部でもしばしば出てきた「巨大知性体」の緩やかな滅亡を描いている。

 

  「イベント」以降人間を必要としなくなった多元宇宙の無数の巨大知性体群の管理を平然と何の前触れもなく踏み越えてやってきた普通の老人然とした「超の三十乗超越知性体」アルファ・ケンタウリ星人。これが人類と巨大知性体の異星人とのファースト・コンタクトであった。

 

  そこから徐々に巨大知性体は陰にこもり始め、結局は自分たちは滅亡したと結論づける。でも人類とは会話できる。終盤の「echo」と「return」で一応の説明と落とし前をつけてくれるが、まあ理解しろというほうが無理な、なんとなく雰囲気を楽しむ壮大な物語である。

 

   一例をあげてみる。こんな文章で始まるエピソードを理解できるだろうか。

 

最近距離の太陽が急速にその半径を縮小して空間四次元方向に消えていき、この地域の夜が訪れる。(Infinity)

 

入力ミスではない。本当にこの文章なのである。 

 

  伊藤計劃が「意識」と言うものを突き詰めていたように、円城も「わたし」という存在を理論的に徹底的に詰めていく。そうするとこうなる。エピローグから抜粋してみる。

 

私は多分、あらかじめ存在しないものとして突然に発生しなかった。だから、私は誰にでも作られえたし、自分で自分を作ったのかもわからない。言ってみれば、私は、ラプラスの悪魔とは正反対のなにかであるというのが近いのかも知れない。私はある一瞬に存在しなかったが故にそれまでもそれからも未来永劫、存在することがない。

(中略)

 私の名はSelf-Reference ENGINE

 全てを語らないために、あらかじめ設計されなかった、もとより存在していない構造物。

 最初期に設計された計算機、Difference EngineやAnalytical Engine、そしてDifference Engineの遥かな後継だ。

 私は完全に機械的に、完全に決定論的に作動していて、完全に存在していない。

 それとも、Nemo ex machina。

 機械仕掛けの無。

 (エピローグ Self-Reference ENGINE)

 

  円城自身が「常に私は伊藤計劃の後塵を拝してきた。」と他所で述べているが、まあそうだわなあ、と思う。もちろんそんじょそこらの作家が書ける類の作品ではないが、同時に書かれた「虐殺器官」のような、だれが読んでも面白い、というところからは遥か彼方にある。  しかしこの引用のような文章が延々と続くことを愉悦と感じられる人にはこの上ないカタルシスをもたらしてくれるだろう。

 

『彼女のこめかみには弾丸が埋まっていて、我が家に伝わる箱は、どこかの方向に毎年一度だけ倒される。老教授の最終講義は鯰文書の謎を解き明かし、床下からは大量のフロイトが出現する。そして小さく白い可憐な靴下は異形の巨大石像へと挑みかかり、僕らは反乱を起こした時間のなか、あてのない冒険へと歩みを進める―軽々とジャンルを越境し続ける著者による驚異のデビュー作、2篇の増補を加えて待望の文庫化。 (AMAZON解説より)』

The Indifference Engine / 伊藤計劃

⭐️⭐️⭐️

  盟友円城塔の「Self-Reference ENGINE」とよく似た題名の伊藤計劃の短編小説集。実際円城塔と合作した「解説」という実験的な(あまり面白くはないが)作品もある。

  元々一つのまとまった短編集として書く(描く)意図があったわけではなく、彼の遺した雑多な作品の寄せ集めであり、伊藤計劃マニア向けの本と言えるだろう。

 

  ショート漫画「女王陛下の所有物」と、「ロシアより愛をこめて(From Russia, with love)」をもじった題名の「From the Nothing,With Love.」は彼が好きだった007シリーズへのオマージュ。映画では不死身のジェームズ・ボンドも、伊藤計劃流に解釈すればグロテスクで哀しい幽霊(スクープ)的存在となる。悪くはないが読後感はあまりよくない。

 

  表題作の「The Indifference Engine」はアフリカ某国の憎み合う二つの種族の虐殺劇という点で、かつてのウガンダ内戦を思い出す。身勝手な白人たちに二つの種族が憎みあわないよう「心の注射」をされた少年兵の心の葛藤をドライで速いテンポで描いているところが彼らしいが、佐藤亜紀の「戦争の法」も参考にしたそうだ。

 

  「Heavenspace」は後の「虐殺器官」の雛型。村上春樹の「蛍」と「ノルウェイの森」の関係と大体同じだが、違うのは「Heavenspace」が未完で終わっているところ。彼が尊敬していた小島秀夫の「スナッチャー」を彼流に書こうとしているので、この展開での作品も見て見たかった気がする。。

 

  まあその他いろいろあるが、割愛する。

 

  最後の「屍者の帝国」が未完の遺作。ヴィクトリア朝時代のイギリスで既に死体を「道具」として蘇らせる技術が確立している。文中にも出てくるので、シェリー夫人の「フランケンシュタイン」を下敷きにしていることは明らか。

 

  主人公の医学生はなんと、ジョン・H・ワトソン!最後にワトソン君がロシア帝国とせめぎ合うアフガンへ行くことが示唆されて終わるので、確かにあのワトソン君だろう。あのシリーズの彼も第二次アフガン戦争に従軍しているのは衆知のとおり。伊藤がこのまま書き継いでいればあの名探偵も登場したのだろうか?

 

  さらには「ドラキュラ」で有名なあの吸血鬼ハンターで有名なヴァン・ヘルシングも教授兼スパイとして登場する。

 

  残念ながら本格的なミステリーSFとなるのか、雑多な名作のパロディとなるのかわからないまま序章的なところで伊藤は世を去り絶筆となってしまったが、その後円城塔が3年かけて長編小説として完成することとなる。どう処理しているか気になるので、これはいずれ読む予定。

 

 

『ぼくは、ぼく自身の戦争をどう終わらせたらいいのだろう―戦争が残した傷跡から回復できないアフリカの少年兵の姿を生々しく描き出した表題作をはじめ、盟友である芥川賞作家・円城塔が書き継ぐことを公表した『屍者の帝国』の冒頭部分、影響を受けた小島秀夫監督にオマージュを捧げた2短篇、そして漫画や、円城塔と合作した「解説」にいたるまで、ゼロ年代最高の作家が短い活動期間に遺したフィクションを集成。 (AMAZON解説より)』