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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

熱帯 / 森見登美彦

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    森見登美彦の最新刊が出た。題名は京都とは何の関係もなさそうな「熱帯」。熱帯密林に予約注文しておいたのだが、届いた本を見てびっくり。

 

分厚い

 

なんと523Pもある。こんなもん持ち歩けるか。 と思ったが、さすがモリミン、ページターナーである。あちこち持ち歩いて、ずんずん読まされてあっという間に読了してしまった。

 

  のはいいのだが、よく言えば自らおっしゃっているように、

我ながら呆れるような怪作である

が、 悪く言えばの失敗作ではなかろうか。それにはモリミンが一時期心身症で書けなくなった、というお気の毒な事情が介在していたことは承知しているが、正直なところモリミンほんとに大丈夫なのか、と思った。

 

  そりゃこのページ数を見ても、内容を読んでも、気力復活後相当力を入れて書いておられるのは理解できる。メタ的に言えば、この小説中の「だれも結末を知らない幻の作品『熱帯』」に現実になった可能性もあったわけで、最低限そうならなかったことはよかった。

 

  が、めでたく完結してどうなったか?第一章の文章にズバリ書いてある。

 

  それがどんな物語であるかということを一言で説明するのは難しい。推理小説ではないし、恋愛小説でもない。歴史小説でもないし、SFでもなく、私小説でもない。ファンタジーと言われればファンタジーだが、それでは何も説明をしたことにならない。

  とにかく、なんだかよく分からない小説なのである。

 

全くもってその通りで、「千一夜物語」と「ロビンソン・クルーソー」と「きつねのはなし」と「夜行」をごったまぜにしてモリミン流千一夜物語にしてみました、みたいな代物が出来上がってしまったのである。

 

  具体的に検討していこう。と言ってもまだ出たばかりなので具体的な内容はAMAZON解説に書いてあることだけにしておく。

 

  まず、ウェブ文芸誌「マトグロッソ」に掲載された第一章から第三章まではいかにもモリミンらしい語り口で、AMAZONの解説の

 

汝にかかわりなきことを語るなかれ――。そんな謎めいた警句から始まる一冊の本『熱帯』。 この本に惹かれ、探し求める作家の森見登美彦氏はある日、奇妙な催し「沈黙読書会」でこの本の秘密を知る女性と出会う。そこで彼女が口にしたセリフ「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」、この言葉の真意とは? 秘密を解き明かすべく集結した「学団」メンバーに神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと「部屋の中の部屋」。

 

パートがそれにあたる。ここまでは上々の出来で、本に関するミステリーとして「千一夜物語」を絡めつつ話が進んでいく。ここで一旦中断してしまったことは本当に惜しい。

  そして今回書き下された第四、五章はAMAZON解説の

 

 幻の本をめぐる冒険はいつしか妄想の大海原を駆けめぐり、謎の源流へ!

 

パート、これが問題である。モリミンが心身症から立ち直り、新味を出そうとして頑張っているとは思うのだが、冷静に読めば彼がなお七転八倒している印象を受ける。

 

  この第四、五章、モリミンはいきなりそれまでの流れを断ち切り、小説内小説「熱帯」を何の前置きもなく書いてしまった。よって小説全体としての流れがぎくしゃくしている。

   そしてこのパート、一人称で語られていくのだが、その「僕」が誰なのか明記されておらず、ちょっとイライラする。もちろん前半に答は提示されているが、かと言って小説内小説「熱帯」であると明記されているわけではないので、もしかして違うのかもという、もやもやした不安がぬぐえないまま話が進む。最後にやっぱりそうかとは思うものの、納得させてくれる種明かしではない。

 

  極めつけは「後記」である。

「あらゆることが『熱帯』に関係している。この世界が全て伏線なんです。」

とおっしゃっている、その前半の世界の伏線をすべて回収すべき場所であるはずが、全く違う方向(世界?)へ話が飛ぶ。

 

何のための前半だったんだ?

 

と呆れてしまうこと請け合いである。前半三章での一番の謎は、小説内小説「熱帯」を何故誰も最後まで読めないのか、何故中盤以降の記憶が皆曖昧なのか、であるが、それがこの後記では全く説明できない。故にそれを探求する前半での学団員の行動はすべて無意味となってしまった。

 

  とまあ散々こき下ろしたが、モリミンファンにはやっぱり嬉しい新作であるし、これだけの長い話をグイグイ読ませるのはさすがだとは思う。

 

  それにしても熱帯まで来てさえ、モリミンは京都から離れられないのだな。