Self-Reference ENGINE / 円城塔
⭐️⭐️
P, but I don't believe that P.
で始まる円城塔の短編集。二部20編で構成され、プロローグとエピローグがつく。
第一部: Nearside
う~ん。。。。。
下記のキャッチコピーはよくできている、としか言いようがない。
円城流「夢十夜」だと言われれば、は~そうですか、としか言いようがない。
面白いですか、と言われれば、まあ見栄を張って言えば面白いと思いますけど、としか言いようがない。
とりあえずこの人はラプラスの悪魔に魅入られてしまっているのだろうな、というのが第一部の印象。
第二部:Farside
こちらの10編はとにもかくにも緩やかな連携を有し、第一部でもしばしば出てきた「巨大知性体」の緩やかな滅亡を描いている。
「イベント」以降人間を必要としなくなった多元宇宙の無数の巨大知性体群の管理を平然と何の前触れもなく踏み越えてやってきた普通の老人然とした「超の三十乗超越知性体」アルファ・ケンタウリ星人。これが人類と巨大知性体の異星人とのファースト・コンタクトであった。
そこから徐々に巨大知性体は陰にこもり始め、結局は自分たちは滅亡したと結論づける。でも人類とは会話できる。終盤の「echo」と「return」で一応の説明と落とし前をつけてくれるが、まあ理解しろというほうが無理な、なんとなく雰囲気を楽しむ壮大な物語である。
一例をあげてみる。こんな文章で始まるエピソードを理解できるだろうか。
最近距離の太陽が急速にその半径を縮小して空間四次元方向に消えていき、この地域の夜が訪れる。(Infinity)
入力ミスではない。本当にこの文章なのである。
伊藤計劃が「意識」と言うものを突き詰めていたように、円城も「わたし」という存在を理論的に徹底的に詰めていく。そうするとこうなる。エピローグから抜粋してみる。
私は多分、あらかじめ存在しないものとして突然に発生しなかった。だから、私は誰にでも作られえたし、自分で自分を作ったのかもわからない。言ってみれば、私は、ラプラスの悪魔とは正反対のなにかであるというのが近いのかも知れない。私はある一瞬に存在しなかったが故にそれまでもそれからも未来永劫、存在することがない。
(中略)
全てを語らないために、あらかじめ設計されなかった、もとより存在していない構造物。
最初期に設計された計算機、Difference EngineやAnalytical Engine、そしてDifference Engineの遥かな後継だ。
私は完全に機械的に、完全に決定論的に作動していて、完全に存在していない。
それとも、Nemo ex machina。
機械仕掛けの無。
(エピローグ Self-Reference ENGINE)
円城自身が「常に私は伊藤計劃の後塵を拝してきた。」と他所で述べているが、まあそうだわなあ、と思う。もちろんそんじょそこらの作家が書ける類の作品ではないが、同時に書かれた「虐殺器官」のような、だれが読んでも面白い、というところからは遥か彼方にある。 しかしこの引用のような文章が延々と続くことを愉悦と感じられる人にはこの上ないカタルシスをもたらしてくれるだろう。
『彼女のこめかみには弾丸が埋まっていて、我が家に伝わる箱は、どこかの方向に毎年一度だけ倒される。老教授の最終講義は鯰文書の謎を解き明かし、床下からは大量のフロイトが出現する。そして小さく白い可憐な靴下は異形の巨大石像へと挑みかかり、僕らは反乱を起こした時間のなか、あてのない冒険へと歩みを進める―軽々とジャンルを越境し続ける著者による驚異のデビュー作、2篇の増補を加えて待望の文庫化。 (AMAZON解説より)』