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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ふうらい姉妹 / 長崎ライチ

⭐️⭐️⭐️

  あかつき姐さんのレビューを見て速攻で買った、ホノボノ系ギャグ漫画。

 

  長崎ライチという漫画家は全く存じ上げなかったが、姉妹による漫画ユニットで姉が原作担当、妹が作画担当だそうである。ちなみにこの漫画が作者初の単行本となったそうで、Wikipediaによると

 

美人だが感覚が常識からズレている姉・山本れい子と、しっかり者に見えるが感覚がズレている妹・山本しおりのおかしな日常を描いたギャグ漫画。姉の天然ボケに対して妹がツッコミを入れるやりとりが繰り広げられるが、その妹も姉に似て天然ボケの気があり、周囲に波紋をもたらす。少女漫画風の絵柄で美貌の姉妹が描かれているので、表面的にはギャグ漫画には見えないが、「並のギャグ漫画以上に狂った作品」との評価もある。

 

だそうである。基本4コマ漫画で、二つで一話の8コマ漫画の時もある。だから長くて8コマの中にギャグが一つは入っているわけで、テンポが良い。そしてそのギャグと、いかにもな少女漫画風の主人公二人の見かけのギャップが面白い。

 

  とくに「美人だけど阿呆の残念な姉(帯より)」山本れい子のセリフは破壊力抜群である。

 

「姉妹似てるって言われるのは、嬉しいわね。多分、いでんこのなせる業ね」
 (妹に博識ね、と言われて、博識の意味が分からず)
 「そうよ……。お姉ちゃんははくしきの傾向があるの」

 

  (妹にアマチュアレスリングとプロレスの違いを訊かれて)

「恥じらいがあって胸を隠しているのがアマチュア、パンツ一丁で潔いのがプロレスよ」

 

  (浦島太郎について)

「はっ、あんな昔に苗字を!?浦島のやつ庶民のふりしやがって」

 

  ここでしっかり者の妹がツッコミを入れれば普通の漫才風になるわけだが、その妹山本しおりも、「しっかり者に見えて阿呆な勿体ない妹(帯より)」なので、「ダブルぼけ」漫才となってしまう。ダブルぼけと言えば笑い飯なんかが代表的だが、う~ん、まあ、あれの女版というわけでもなく、あかつき姐さん曰くの

 

「突っ込みがあるようでないような緩やかで穏やかな(?)世界」

 

が繰り広げられている。

 

  ちなみにこの姉妹以外の家族は全く登場しないので、どういう家庭かは全く不明。ふうらい、というくらいだからあちこちを転々としているのかといえば、そうではない。固定したキャラクターが周囲にいる。とくに画家の馬七馬七(ばななばひち)先生は秀逸であるし、しおりが憧れる同級生高橋タケル君はいいやつである。

 

  というわけで読後感の良いギャグマンガであった。では第二巻、第三巻を買うかというと、さてどうしたものやら。。。

 

なんて素敵にジャパネスク2 / 氷室冴子

⭐︎⭐︎⭐︎

  氷室冴子の「なんて素敵にジャパネスク」復刻版2。最初は前巻のかろみを踏襲して、あいもかわらず瑠璃姫は

「冗談はよしのすけ。」 

なんてセリフを連発して笑わせてくれるが、中盤から後半にかけて徐々に物語はヘビーになっていく。

 

  ネタバレになるが、前巻で「夭逝した」と書いた、幼いころ一緒に遊んだ「吉野君」はどうも生きているらしい。そして当時の東宮(今の帝で瑠璃姫に気がある別名鷹男)を亡き者にしようとした「入道の変」の関係者かもしれない。

  というあたりから暗雲が立ち込め、瑠璃姫の住いの三条邸は放火されるわ死人は出るわ、あげくに瑠璃姫は首を締められ絶体絶命のところまで追い詰められる。

 

  高彬との三角関係(といっても瑠璃姫は処女のママであるが)をどう始末するのか、そして美貌の反逆者吉野君をどう処理するのか、氷室冴子の手腕が問われる後半から終盤。物語は見事な展開を見せる。そして一面雪の吉野のラストシーンは、さぞやコバルトファン女子の感涙を絞っただろうと思われる。まことに見事なフィニッシュであった。

 

  これで終わるのが正解だろう。あかつき姐さんが二冊で十分と教えてくれた理由がよく分かった。あらためて氷室冴子のご冥福をお祈りする。

 

  吉野君、遊んでたもれ!

 

 

『瑠璃姫に好意を持つ鷹男(実は東宮)が即位して新帝に。瑠璃姫に求愛してくるが、許婚である高彬は、帝の意向を尊重すると言う。業を煮やした瑠璃姫は尼寺に駆け込むが、その夜実家の三条邸が炎上し…!? (AMAZON解説より)』

なんて素敵にジャパネスク / 氷室冴子

⭐️⭐️⭐️

  先日読んだ「ザ・チェンジ」の系譜をつぐ氷室冴子の代表作の一つ、私でも題名くらいは知っている「なんて素敵にジャパネスク」。冊数が多いのでためらっていたが、あかつき姐さんによると第二巻までで十分ということで、復刻版がそこまで出ているので読んでみた。まずは第一巻。

 

  一言でいうと、コミカルな少女漫画を平安時代にもっていったような、面白くてハラハラドキドキ、ちょっとムネキュンの少女小説。「ザ・チェンジ」で会得した笑いのツボを見事に活かしている。これはコバルトファンに人気が出るわなあ、と納得。

 

  ヒロインである身分高き家柄の令嬢瑠璃姫の紹介からはじまり、成り行きで婚約者になってしまった筒井筒(おさななじみ)の高彬との初夜に何故か必ず(お約束で)邪魔が入り、そのうち雪だるま式に話が大きくなり、最後は東宮(今でいう皇太子)を亡き者にしようとする陰謀を瑠璃姫が(結果的に)どういうわけか解決してしまうという、「入道の変」がメイン・ストーリーとなる。

  通い婚の平安時代、読み物といえば「源氏物語」と相場が決まっている頃の身分高き深窓の令嬢といえば、

 

 一生に数回外出すればいい方

 

だったそうだが、それではこんな騒動が成立しない。だから瑠璃姫は幼いころやむを得ない事情により吉野で祖母と暮らし、夭逝した「吉野君」と野原で遊びまわっていた、という設定になっている。なるほどうまい。

 

  というわけで瑠璃姫お転婆で気が強く、自立心も強く、それ以上に好奇心満々で行動派。お付きの女房小萩の気苦労も絶えないが、この小萩もミーハーで結構面白い。そして瑠璃姫と対極にある令嬢二の宮東宮の叔母藤宮のキャラクタ設定もうまい。

 

  言葉使いも現代風になっていて、そういえば彼女は「現代では」という説明をよくする。そのあたり、読む少女層に「難しく考える必要はないのよ、今の女子と同じ思考回路の持ち主なんだから」と氷室冴子が言ってくれている感じが好ましく、大ヒットの要因となったのでは、と思ったりもした。

 

  例えばこんな言い回し。

(父の陰謀で入り込んだ男から逃げて幼馴染の高彬に助け舟を出されて)

「そ、そうよ、絶対、そうよっ。あたしと高彬は、ぶっちぎりの仲よっ!」

 

  こんな言い回しをするなら、わざわざ時代小説にしなくてもよさそうなものだという見方もあるかもしれない。確かにストーリー自体はいわゆるラノベの範囲を出ない。

  が、そこをしっかりとした時代考証平安時代にもっていったからこそこれだけ面白い話が出来上がったのだ、と思う。数多く挿入される和歌も含め、氷室冴子のその力量には敬服した。

 

  第二巻へ続く。

  

『時は平安―。京の都でも一、二を争う名門貴族の娘、瑠璃姫は十六歳。初恋の相手・吉野君の面影を胸に抱いて独身主義を貫く決心をしていた。だが世間体を気にする父親は、結婚適齢期をとっくに過ぎた娘にうるさく結婚を勧めてくる。ついにある夜、父親の陰謀で無理やり結婚させられることに!?多くの読者に愛された名作が復刻版で登場! (AMAZON解説より)』

屍者の帝国 / 伊藤計劃 X 円城塔

⭐️⭐️

  伊藤計劃の未完の遺作「屍者の帝国」を、円城塔が遺族の了解を得て、3年という年月を費やして完成させた壮大なスケールのSF作品。

 

  とは言ってみたものの、パラレルワールドSFと呼べばいいのか、スチームパンクと呼べばいいのか、19世紀オールスター・パスティーシュとでも呼べばいいのか、とにかく壮絶に奇妙な作品である。

 

  伊藤の遺作自体が「死者をパンチカード(今でいうOSのような感じ)とプラグインで労働力として利用する」というシェリー夫人の「フランケンシュタイン」に似せたコンセプト、そしてシャーロック・ホームズに出会う前のワトソン君が主人公、「ドラキュラ」のヴァン・ヘルシング教授と出会うのが物語の始まりなのであるから、そのコンセプトを引き継ぐとこうなるのもむべなるかな、という面はある。

 

  そして地球を一周するワトソンに同行するのが、ロビンソン・クルーソーフライデー屍者の秘書)、実在の旅行家バーナビー、途中から割り込んでくるのが「風と共に去りぬ」のレット・バトラー。

  インドからアフガン、日本、アメリカ合衆国、そして英国へと目まぐるしく変わる舞台、おまけに最後はノーチラス号

  なかなかにクールなスチームパンクにしたのも構想としてはよく考え抜かれている。

 

  そして虚実ないまぜの新しい登場人物。「カラマーゾフの兄弟」のアレクセイ(アリョーシャ)、クロソートキン(コーチャ)、フョードロフドミートリィ、上述のフライデーレット・バトラー伊藤計劃お気に入りの007シリーズのM、そして紅一点、リラダンの「未来のイブ」からハダリ。真打は「フランケンシュタイン」から、ザ・ワン。ちなみにハダリーはエピローグで偽名を使う、その名もアイリーン・アドラ。あのホームズが「the woman」と呼んだ女性である。

 

  実在の人物もわんさか。上述のバーナビーに始まり、リットングラント元大統領明治天皇川路利良大村益次郎寺島宗則山澤清吾エジソンチャールズ・ダーウィン、等々枚挙にいとまがない。

 

  これだけオールスターで地球一周すれば面白くないはずはないだろう、と思うのだが、そこが「屍者の帝国 」だけに暗い。重くて暗くて難解である。まあそれもそのはず、あの時代にありえない技術で死者を動かすという構想を理論的に解明しようというのだから無理があり過ぎる。そして長過ぎる。

  

  そして、文体はやはり伊藤計劃とは異なる。その尋常でない知識量と想像力には通じるものがあるが、多弁すぎて文章が重い。

  題材や展開はスリリングで面白いのだから、もう少し読みやすく書く手もあったのではないかと思う。

 

  で、肝心のテーマである。伊藤計劃の「ハーモニー」のテーマが「意識とはなにか」であったのに倣おうとしたのとか、本作では「魂とは何か」に最終的には焦点を絞り、最後にザ・ワンに延々と語らせる。その答えは伏せておくが、あんまりじゃないの?、と言うのが率直な感想である。

 

  というわけで、円城塔の苦労と努力には敬意を払わざるを得ないが、素晴らしい成功作とは言えない、というのが正直なところ。著者のあとがきの終文を最後に引用する。

 

屍者の帝国 』をお届けする。

賞賛は死者に、嘲笑は生者に向けて頂ければ幸いである。

 

二〇一四年九月        円城塔

 

『屍者復活の技術が全欧に普及した十九世紀末、医学生ワトソンは大英帝国の諜報員となり、アフガニスタンに潜入。その奥地で彼を待ち受けていた屍者の国の王カラマーゾフより渾身の依頼を受け、「ヴィクターの手記」と最初の屍者ザ・ワンを追い求めて世界を駆ける―伊藤計劃の未完の絶筆を円城塔が完成させた奇蹟の超大作。 (AMAZON解説より)』

内田光子 ピアノ・リサイタル @ 兵庫芸術文化センター

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

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Mitsuko Uchida Piano Recital

 

2018.11.2  19:00-21:00

兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール

主催:兵庫県兵庫県立芸術文化センター

 

内田 光子 Mitsuko Uchida : Piano

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PROGRAM:

シューベルト ピアノソナタ
Franz Shubert   Piano Sonatas

 

第4番 イ短調 D.537 No.4 in A Minor, D537

I-IV

第15番 ハ長調 D.840 No.15 in C major, D840

I,II only

- intermission -

第21番 変ロ長調 D.960 No.21 in B flat major

I-IV

Encore

シェーンベルク 3つのピアノ小品 作品11より

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Self-Reference ENGINE / 円城塔

⭐️⭐️

P, but I don't believe that P.

 

で始まる円城塔の短編集。二部20編で構成され、プロローグとエピローグがつく。

 

第一部: Nearside

  う~ん。。。。。

  下記のキャッチコピーはよくできている、としか言いようがない。

 

  円城流「夢十夜」だと言われれば、は~そうですか、としか言いようがない。

 

  面白いですか、と言われれば、まあ見栄を張って言えば面白いと思いますけど、としか言いようがない。

 

  とりあえずこの人はラプラスの悪魔に魅入られてしまっているのだろうな、というのが第一部の印象。

 

第二部:Farside

 

  こちらの10編はとにもかくにも緩やかな連携を有し、第一部でもしばしば出てきた「巨大知性体」の緩やかな滅亡を描いている。

 

  「イベント」以降人間を必要としなくなった多元宇宙の無数の巨大知性体群の管理を平然と何の前触れもなく踏み越えてやってきた普通の老人然とした「超の三十乗超越知性体」アルファ・ケンタウリ星人。これが人類と巨大知性体の異星人とのファースト・コンタクトであった。

 

  そこから徐々に巨大知性体は陰にこもり始め、結局は自分たちは滅亡したと結論づける。でも人類とは会話できる。終盤の「echo」と「return」で一応の説明と落とし前をつけてくれるが、まあ理解しろというほうが無理な、なんとなく雰囲気を楽しむ壮大な物語である。

 

   一例をあげてみる。こんな文章で始まるエピソードを理解できるだろうか。

 

最近距離の太陽が急速にその半径を縮小して空間四次元方向に消えていき、この地域の夜が訪れる。(Infinity)

 

入力ミスではない。本当にこの文章なのである。 

 

  伊藤計劃が「意識」と言うものを突き詰めていたように、円城も「わたし」という存在を理論的に徹底的に詰めていく。そうするとこうなる。エピローグから抜粋してみる。

 

私は多分、あらかじめ存在しないものとして突然に発生しなかった。だから、私は誰にでも作られえたし、自分で自分を作ったのかもわからない。言ってみれば、私は、ラプラスの悪魔とは正反対のなにかであるというのが近いのかも知れない。私はある一瞬に存在しなかったが故にそれまでもそれからも未来永劫、存在することがない。

(中略)

 私の名はSelf-Reference ENGINE

 全てを語らないために、あらかじめ設計されなかった、もとより存在していない構造物。

 最初期に設計された計算機、Difference EngineやAnalytical Engine、そしてDifference Engineの遥かな後継だ。

 私は完全に機械的に、完全に決定論的に作動していて、完全に存在していない。

 それとも、Nemo ex machina。

 機械仕掛けの無。

 (エピローグ Self-Reference ENGINE)

 

  円城自身が「常に私は伊藤計劃の後塵を拝してきた。」と他所で述べているが、まあそうだわなあ、と思う。もちろんそんじょそこらの作家が書ける類の作品ではないが、同時に書かれた「虐殺器官」のような、だれが読んでも面白い、というところからは遥か彼方にある。  しかしこの引用のような文章が延々と続くことを愉悦と感じられる人にはこの上ないカタルシスをもたらしてくれるだろう。

 

『彼女のこめかみには弾丸が埋まっていて、我が家に伝わる箱は、どこかの方向に毎年一度だけ倒される。老教授の最終講義は鯰文書の謎を解き明かし、床下からは大量のフロイトが出現する。そして小さく白い可憐な靴下は異形の巨大石像へと挑みかかり、僕らは反乱を起こした時間のなか、あてのない冒険へと歩みを進める―軽々とジャンルを越境し続ける著者による驚異のデビュー作、2篇の増補を加えて待望の文庫化。 (AMAZON解説より)』

The Indifference Engine / 伊藤計劃

⭐️⭐️⭐️

  盟友円城塔の「Self-Reference ENGINE」とよく似た題名の伊藤計劃の短編小説集。実際円城塔と合作した「解説」という実験的な(あまり面白くはないが)作品もある。

  元々一つのまとまった短編集として書く(描く)意図があったわけではなく、彼の遺した雑多な作品の寄せ集めであり、伊藤計劃マニア向けの本と言えるだろう。

 

  ショート漫画「女王陛下の所有物」と、「ロシアより愛をこめて(From Russia, with love)」をもじった題名の「From the Nothing,With Love.」は彼が好きだった007シリーズへのオマージュ。映画では不死身のジェームズ・ボンドも、伊藤計劃流に解釈すればグロテスクで哀しい幽霊(スクープ)的存在となる。悪くはないが読後感はあまりよくない。

 

  表題作の「The Indifference Engine」はアフリカ某国の憎み合う二つの種族の虐殺劇という点で、かつてのウガンダ内戦を思い出す。身勝手な白人たちに二つの種族が憎みあわないよう「心の注射」をされた少年兵の心の葛藤をドライで速いテンポで描いているところが彼らしいが、佐藤亜紀の「戦争の法」も参考にしたそうだ。

 

  「Heavenspace」は後の「虐殺器官」の雛型。村上春樹の「蛍」と「ノルウェイの森」の関係と大体同じだが、違うのは「Heavenspace」が未完で終わっているところ。彼が尊敬していた小島秀夫の「スナッチャー」を彼流に書こうとしているので、この展開での作品も見て見たかった気がする。。

 

  まあその他いろいろあるが、割愛する。

 

  最後の「屍者の帝国」が未完の遺作。ヴィクトリア朝時代のイギリスで既に死体を「道具」として蘇らせる技術が確立している。文中にも出てくるので、シェリー夫人の「フランケンシュタイン」を下敷きにしていることは明らか。

 

  主人公の医学生はなんと、ジョン・H・ワトソン!最後にワトソン君がロシア帝国とせめぎ合うアフガンへ行くことが示唆されて終わるので、確かにあのワトソン君だろう。あのシリーズの彼も第二次アフガン戦争に従軍しているのは衆知のとおり。伊藤がこのまま書き継いでいればあの名探偵も登場したのだろうか?

 

  さらには「ドラキュラ」で有名なあの吸血鬼ハンターで有名なヴァン・ヘルシングも教授兼スパイとして登場する。

 

  残念ながら本格的なミステリーSFとなるのか、雑多な名作のパロディとなるのかわからないまま序章的なところで伊藤は世を去り絶筆となってしまったが、その後円城塔が3年かけて長編小説として完成することとなる。どう処理しているか気になるので、これはいずれ読む予定。

 

 

『ぼくは、ぼく自身の戦争をどう終わらせたらいいのだろう―戦争が残した傷跡から回復できないアフリカの少年兵の姿を生々しく描き出した表題作をはじめ、盟友である芥川賞作家・円城塔が書き継ぐことを公表した『屍者の帝国』の冒頭部分、影響を受けた小島秀夫監督にオマージュを捧げた2短篇、そして漫画や、円城塔と合作した「解説」にいたるまで、ゼロ年代最高の作家が短い活動期間に遺したフィクションを集成。 (AMAZON解説より)』

ハーモニー / 伊藤計劃

⭐️⭐️⭐️⭐️

  伊藤計劃の第三作である「ハーモニー」。処女作の「虐殺器官」の後の世界を描きながらも、打って変わって穏やかな題名。巻末対談によると、「虐殺器官」という題名だけで母に本を捨てられてしまった、という少年のブログ記事があって申し訳なく思い穏やかな題名にしたのだそうだ。

  しかし、これをアルファベットにすると、伊藤計劃らしいとんがり方となる。

 

<harmony/> by Itoh Project 2008

 

</>で挟まれたHTML的な題名になっている。そして五章の題名全てが、下記のコードで区切られる。

 

 <emotion-in-Text Markup Language:version=1.2:encoding=EMO-5903787>

<!DOCTOTYPE etml PUBLIC :-//WENC//DTD ETML 1.2 transrational//EN>

<etml:lang=ja>

<body>

(本文 lang=ja → 日本語)

</body>

</etml>

 

  HTMLがHypertext Markup Languageの略であることから容易に想像できるように、この作品はetml1.2という言語で書かれていることが分かる。終章<part:number=epilogue:title=In This Twilight/>で説明があるので引用する。

 

このテクストはetmlの1.2で定義されている。etml1.2に準拠したエモーションテクスチャ群をテキストリーダにインストールしてあれば、文中タグに従って様々な感情のテクスチャを生起させたり、テクスト各所のメタ的な機能を「実感」しながら読み進むことが可能であるように書かれている。

 

  そう、これは伊藤計劃が創造した本作の舞台となる近未来世界のコンピューター言語であり、現代人の我々にとってはそのソースコードとしてしか読めない代物なのである。

  早い話が、このブログもHTML編集できるわけで、下記の文庫本の表紙絵もAMAZONの指定したHTMLを「HTML編集」画面にコピペすることで画像として現れる。

  引用は「見たまま」編集だと「“」をクリックするだけでよいが、HTML画面で編集するなら「<blockquote></blockquote>」タグで囲む。

 

  そのようなソースコード編集の画面としてしか、この本は読めない、と考えれていただければよい。なかなか面白いアイデアであるし、これが書かれた2008年と言えば私のような素人でもブログをhtmlで書いていた時代だから、彼にとってはこのようなetml言語を創造することは容易かったし、また書いていて面白かったのではないか、と思う。ちなみに「感情テクスチャ」としては

 

<anger></anger>,<surprise>(以下終了コード略), <question>,<fear>,<shout>,<disappointment>,<panic>,<boredom>,<laugh>,<horror>

 

などが、「メタ的な機能」としては

 

<list:item></list>,<log:phonelink:>,<rule>,<reference>,<definition>,<commonsense>,<movie:>

 

などが用いられている。これがテキストリーダで読めたら、と思わずにいられない。

 

  前置きが長くなったが、本作は「虐殺器官」のラストシーンの「大災禍」の数十年後を想定した作品となっている。

  前者が言葉による人類の相互憎悪をテーマとしていたのに対して、本作では人類の「意識そのものの喪失」をテーマとしている。

  というとアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」を思い出す方も多いと思うが、それとは全く異なる彼独特の理論武装によって突き詰めたアプローチがなされており、且つそれがエンターテインメントSFとして立派に成立しているところが本書の凄みである。

 

  「大災禍」の反省を経て、人類の殆どが健康に平和に暮らしている世界。子どもは世界にとって貴重な「リソース」であり、厳重な管理のもとにある。

  WatchMeという体内モニターにより病原生物はあっという間に排除され、病気が出現すれば素早く探知解析し個人用医療薬精製システムのメディケアメディモル(医療分子)を作成してくれる。老衰、事故、自殺以外の死は殆どの疾患は克服されている。

 

  そのような世界を憎悪する少女御冷ミァハと、彼女に感化された霧慧トァン(彼女の父親はWatchMeの開発者)と零下堂キアンが、ミァハがメディモルで作成した栄養吸収阻害剤を飲んで自殺を図るが、死んだのはミァハだけだった。そして13年後に物語は大きく動き出す。

 

  一見ユートピア小説のようで、実際はアルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」の系譜につながるディストピア小説となっている。2000年代最高の近未来SFの一つだと思うし、実際第40回星雲賞(日本長編部門)および第30回日本SF大賞を受賞し、「ベストSF2009」国内篇第1位に選出されている。

  ただ、前作もそうであったが少女レイプの設定が多いきらいがあるのだけが気になる。

 

  それにしても、この、ほぼあらゆる疾患が克服されたろくでもない世界を、余命わずかの伊藤計劃はどのような思いで書いていたんだろう、とおもうと切ない。

 

 

 

『21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、 人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。 医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、 見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア"。 そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―― それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、 ただひとり死んだはすの少女の影を見る―― 『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。 (AMAZON解説より)』

虐殺器官 / 伊藤計劃

⭐️⭐️⭐️⭐️

  読んでおかねばと思いつつ、未読という作家が何人かいるのだが、伊藤計劃もその一人。この度やっとこの処女作を手に取った。

 

  私は日本のSF小説は海外、特にアメリカのSFに比して停滞気味だと長く思ってきた。実際SFマガジン700海外篇国内篇を比べても明らかに海外篇のほうが優れていると感じる。(それぞれリンク先の「ゆうけい」というHNが私のレビュー)

  その一因として日本ではSFの書き手(描き手)が小説に集中せず、アニメ、漫画、映画、ゲームソフト等の分野に散らばってしまうことが大きいと思う。

 

  前置きが長くなったが、それらすべてのエッセンスを体得し、これだけの小説を書ける「伊藤計劃」というずば抜けた才能が2000年代に存在したことを知らなかったのは痛恨であった。2007年にこの作品でデビューしてわずか二年で早逝されたのは誠に惜しい、と今更私が言う必要もないほど高く評価されておられるのだが、そう思った。

 

  概要は下記のAMAZON解説の通りだが、彼の持つ膨大な知識と情報の中から適切なガジェットを選び出し、それらを手際よく精密に積み重ねて実に見事なポスト9.11のパラレル・ワールドを構築している。そこには先に述べた日本の多ジャンルに渡るSFの要素(特にRPGゲーム)、ハリウッド映画、当時のウェブ状況などが色濃く反映されている。ミームなどという懐かしい単語も出てくる(今でも使うことは使うが)。

 

 実際、巻末の円城塔との対談で伊藤はこう語っている。

 

ネタはなんだってかまわないけど、とりあえずアルゴリズムや構造、あるいは文字のパターンで状況を乗り切れるんじゃないか、と。僕は、文体とかネタとか、わりと細かい装飾だけで立ち上げているような小説を書いていると自覚しています。

 

ディテールを異様に細かくしていけば、普通のことを書いてもSFになると、ギブスンの『パターン・レコグニション』から学びました。

 

  そしてそのようなガジェットの精巧な構築の中でどれだけ作者の個性を前面に押し出していくか?この作品では暗殺対象の男、ジョン・ポールの提唱する人間の脳内に存在する「虐殺器官」という点に収斂させているところ凄みがある。そして淡々とした文体がそのおぞましさを際立たせる。

 

  この小説のひな型であった「Heavenspace」(「The Indifference Engine」所収)では小島秀夫の「スナッチャー」を模倣していたが、この長編化において

 

言葉」による相互憎悪が社会を崩壊させる

 

という斬新でかつ残酷なテーマに置き換えたところがこののはまさに慧眼。

  ジョン・ポールの「虐殺器官」説の具体的説明がないところが不満、というレビューをAMAZONなどで多く目にしたが、学会雑誌に投稿するならともかく、フィクションなのだから所詮解説は不可能。この程度に浅く描いたほうがむしろ余韻を残すと思う。

 

  一方で主人公ラヴィス・シェパードは暗殺機関に属しながら、実に繊細な人間である。小児兵士に対する躊躇ない殺人のための感情マスキングへのささやかな反感が澱のようにたまっていく様、交通事故でほとんど死んでいる母の生命維持装置を止めることを承諾したことへの絶えざる後悔と自責の念、ジョン・ポール捕捉のため近づいた愛人ルツィアへの思慕の思いと贖罪願望。ジョン・ポールのこの世界に対する真意への唐突なシンパシー。

  このあたり、大森望の解説中にある佐藤亜紀の感想が正鵠を得ていると思う。

 

一読して感じ入ったのはその繊細さだ。もちろん題材は、タイトルと表紙に偽りなく、凄まじいわけだが、にも拘らず、ちょっとないくらい繊細なのだ。凡百の繊細ぶった、その実どうしようもない粗野な代物とは対極にある、題材に対する繊細さ。その背景の現実に対する繊細さ。(中略)今ここにおける切実な事柄を拾い上げ、見詰め、語った小説 - まさに今、私やあなたのいる世界で起こっていることを語った小説だ。

  

 

『9・11以降の、“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう…彼の目的とはいったいなにか?大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは?現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション。 (AMAZON解説より)