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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

虐殺器官 / 伊藤計劃

⭐️⭐️⭐️⭐️

  読んでおかねばと思いつつ、未読という作家が何人かいるのだが、伊藤計劃もその一人。この度やっとこの処女作を手に取った。

 

  私は日本のSF小説は海外、特にアメリカのSFに比して停滞気味だと長く思ってきた。実際SFマガジン700海外篇国内篇を比べても明らかに海外篇のほうが優れていると感じる。(それぞれリンク先の「ゆうけい」というHNが私のレビュー)

  その一因として日本ではSFの書き手(描き手)が小説に集中せず、アニメ、漫画、映画、ゲームソフト等の分野に散らばってしまうことが大きいと思う。

 

  前置きが長くなったが、それらすべてのエッセンスを体得し、これだけの小説を書ける「伊藤計劃」というずば抜けた才能が2000年代に存在したことを知らなかったのは痛恨であった。2007年にこの作品でデビューしてわずか二年で早逝されたのは誠に惜しい、と今更私が言う必要もないほど高く評価されておられるのだが、そう思った。

 

  概要は下記のAMAZON解説の通りだが、彼の持つ膨大な知識と情報の中から適切なガジェットを選び出し、それらを手際よく精密に積み重ねて実に見事なポスト9.11のパラレル・ワールドを構築している。そこには先に述べた日本の多ジャンルに渡るSFの要素(特にRPGゲーム)、ハリウッド映画、当時のウェブ状況などが色濃く反映されている。ミームなどという懐かしい単語も出てくる(今でも使うことは使うが)。

 

 実際、巻末の円城塔との対談で伊藤はこう語っている。

 

ネタはなんだってかまわないけど、とりあえずアルゴリズムや構造、あるいは文字のパターンで状況を乗り切れるんじゃないか、と。僕は、文体とかネタとか、わりと細かい装飾だけで立ち上げているような小説を書いていると自覚しています。

 

ディテールを異様に細かくしていけば、普通のことを書いてもSFになると、ギブスンの『パターン・レコグニション』から学びました。

 

  そしてそのようなガジェットの精巧な構築の中でどれだけ作者の個性を前面に押し出していくか?この作品では暗殺対象の男、ジョン・ポールの提唱する人間の脳内に存在する「虐殺器官」という点に収斂させているところ凄みがある。そして淡々とした文体がそのおぞましさを際立たせる。

 

  この小説のひな型であった「Heavenspace」(「The Indifference Engine」所収)では小島秀夫の「スナッチャー」を模倣していたが、この長編化において

 

言葉」による相互憎悪が社会を崩壊させる

 

という斬新でかつ残酷なテーマに置き換えたところがこののはまさに慧眼。

  ジョン・ポールの「虐殺器官」説の具体的説明がないところが不満、というレビューをAMAZONなどで多く目にしたが、学会雑誌に投稿するならともかく、フィクションなのだから所詮解説は不可能。この程度に浅く描いたほうがむしろ余韻を残すと思う。

 

  一方で主人公ラヴィス・シェパードは暗殺機関に属しながら、実に繊細な人間である。小児兵士に対する躊躇ない殺人のための感情マスキングへのささやかな反感が澱のようにたまっていく様、交通事故でほとんど死んでいる母の生命維持装置を止めることを承諾したことへの絶えざる後悔と自責の念、ジョン・ポール捕捉のため近づいた愛人ルツィアへの思慕の思いと贖罪願望。ジョン・ポールのこの世界に対する真意への唐突なシンパシー。

  このあたり、大森望の解説中にある佐藤亜紀の感想が正鵠を得ていると思う。

 

一読して感じ入ったのはその繊細さだ。もちろん題材は、タイトルと表紙に偽りなく、凄まじいわけだが、にも拘らず、ちょっとないくらい繊細なのだ。凡百の繊細ぶった、その実どうしようもない粗野な代物とは対極にある、題材に対する繊細さ。その背景の現実に対する繊細さ。(中略)今ここにおける切実な事柄を拾い上げ、見詰め、語った小説 - まさに今、私やあなたのいる世界で起こっていることを語った小説だ。

  

 

『9・11以降の、“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう…彼の目的とはいったいなにか?大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは?現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション。 (AMAZON解説より)