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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ハーモニー / 伊藤計劃

⭐️⭐️⭐️⭐️

  伊藤計劃の第三作である「ハーモニー」。処女作の「虐殺器官」の後の世界を描きながらも、打って変わって穏やかな題名。巻末対談によると、「虐殺器官」という題名だけで母に本を捨てられてしまった、という少年のブログ記事があって申し訳なく思い穏やかな題名にしたのだそうだ。

  しかし、これをアルファベットにすると、伊藤計劃らしいとんがり方となる。

 

<harmony/> by Itoh Project 2008

 

</>で挟まれたHTML的な題名になっている。そして五章の題名全てが、下記のコードで区切られる。

 

 <emotion-in-Text Markup Language:version=1.2:encoding=EMO-5903787>

<!DOCTOTYPE etml PUBLIC :-//WENC//DTD ETML 1.2 transrational//EN>

<etml:lang=ja>

<body>

(本文 lang=ja → 日本語)

</body>

</etml>

 

  HTMLがHypertext Markup Languageの略であることから容易に想像できるように、この作品はetml1.2という言語で書かれていることが分かる。終章<part:number=epilogue:title=In This Twilight/>で説明があるので引用する。

 

このテクストはetmlの1.2で定義されている。etml1.2に準拠したエモーションテクスチャ群をテキストリーダにインストールしてあれば、文中タグに従って様々な感情のテクスチャを生起させたり、テクスト各所のメタ的な機能を「実感」しながら読み進むことが可能であるように書かれている。

 

  そう、これは伊藤計劃が創造した本作の舞台となる近未来世界のコンピューター言語であり、現代人の我々にとってはそのソースコードとしてしか読めない代物なのである。

  早い話が、このブログもHTML編集できるわけで、下記の文庫本の表紙絵もAMAZONの指定したHTMLを「HTML編集」画面にコピペすることで画像として現れる。

  引用は「見たまま」編集だと「“」をクリックするだけでよいが、HTML画面で編集するなら「<blockquote></blockquote>」タグで囲む。

 

  そのようなソースコード編集の画面としてしか、この本は読めない、と考えれていただければよい。なかなか面白いアイデアであるし、これが書かれた2008年と言えば私のような素人でもブログをhtmlで書いていた時代だから、彼にとってはこのようなetml言語を創造することは容易かったし、また書いていて面白かったのではないか、と思う。ちなみに「感情テクスチャ」としては

 

<anger></anger>,<surprise>(以下終了コード略), <question>,<fear>,<shout>,<disappointment>,<panic>,<boredom>,<laugh>,<horror>

 

などが、「メタ的な機能」としては

 

<list:item></list>,<log:phonelink:>,<rule>,<reference>,<definition>,<commonsense>,<movie:>

 

などが用いられている。これがテキストリーダで読めたら、と思わずにいられない。

 

  前置きが長くなったが、本作は「虐殺器官」のラストシーンの「大災禍」の数十年後を想定した作品となっている。

  前者が言葉による人類の相互憎悪をテーマとしていたのに対して、本作では人類の「意識そのものの喪失」をテーマとしている。

  というとアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」を思い出す方も多いと思うが、それとは全く異なる彼独特の理論武装によって突き詰めたアプローチがなされており、且つそれがエンターテインメントSFとして立派に成立しているところが本書の凄みである。

 

  「大災禍」の反省を経て、人類の殆どが健康に平和に暮らしている世界。子どもは世界にとって貴重な「リソース」であり、厳重な管理のもとにある。

  WatchMeという体内モニターにより病原生物はあっという間に排除され、病気が出現すれば素早く探知解析し個人用医療薬精製システムのメディケアメディモル(医療分子)を作成してくれる。老衰、事故、自殺以外の死は殆どの疾患は克服されている。

 

  そのような世界を憎悪する少女御冷ミァハと、彼女に感化された霧慧トァン(彼女の父親はWatchMeの開発者)と零下堂キアンが、ミァハがメディモルで作成した栄養吸収阻害剤を飲んで自殺を図るが、死んだのはミァハだけだった。そして13年後に物語は大きく動き出す。

 

  一見ユートピア小説のようで、実際はアルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」の系譜につながるディストピア小説となっている。2000年代最高の近未来SFの一つだと思うし、実際第40回星雲賞(日本長編部門)および第30回日本SF大賞を受賞し、「ベストSF2009」国内篇第1位に選出されている。

  ただ、前作もそうであったが少女レイプの設定が多いきらいがあるのだけが気になる。

 

  それにしても、この、ほぼあらゆる疾患が克服されたろくでもない世界を、余命わずかの伊藤計劃はどのような思いで書いていたんだろう、とおもうと切ない。

 

 

 

『21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、 人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。 医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、 見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア"。 そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―― それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、 ただひとり死んだはすの少女の影を見る―― 『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。 (AMAZON解説より)』