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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ラピスラズリ / 山尾悠子

⭐️⭐️⭐️⭐️

  AMAZONからの佐藤亜紀関連のおすすめメールで山尾悠子という名前を久しぶりに見かけた。もう20年以上前になるだろうか、SF雑誌で時々見かけた名前で、純粋なSFというよりは今でいう幻想小説の範疇の方ではなかったかと思う。

 

 試しに「ラピスラズリ」という作品のAMAZON紹介を覗いてみた。

 

冬のあいだ眠り続ける宿命を持つ“冬眠者”たち。ある冬の日、一人眠りから覚めてしまった少女が出会ったのは、「定め」を忘れたゴーストで──『閑日』/秋、冬眠者の冬の館の棟開きの日。人形を届けにきた荷運びと使用人、冬眠者、ゴーストが絡み合い、引き起こされた騒動の顛末──『竃の秋』/イメージが紡ぐ、冬眠者と人形と、春の目覚めの物語。不世出の幻想小説家が、20年の沈黙を破り発表した連作長篇小説。(AMAZON解説より)

 

  やはり20年のブランクがあったのだな。なおこの作品は2003年に国書刊行会から刊行されており、1980年代にはもう執筆をやめておられたことになる。

  ちなみに「13ヶ月と13週と13日と満月の夜」などのYA小説の翻訳で知られる金原瑞人先生と同級生で共同で翻訳本も執筆されているそうである。

 

  さて、この連作小説を読んでみたのだが、なかなかの難物である。面白いか、と言われれば残念ながらNO。ストーリーの面白さや恐怖小説の怖さを期待して読むと完全に当てが外れることになる。

 

  ただ、とにかく言葉の選び方、文章の構成、着想・イメージが独特で、読んでいて不思議な浮遊感にとらわれる。

  文章は非常に硬質で、かつ長く、読者を跳ね返してしまうほど強い力を持っている。それなのに、読み進むにつれて読み終わった言葉が次々と崩れていき、刹那の文章しか読み取れない、という感覚に捉われること屡々であった。

 

  ちょっと説明が難しいのだが、吊り橋が通った後から次々と落ちていき、しかも霧で先が見えない、そんな感じ。この文体は現代詩人のものだな、と思って読み進んでいたのだが、あとがきでご自身が歌人であることを明かしておられた。う〜ん、歌人か。

 

  物語は五篇あるが、最初の三作がメインで、冬眠者(貴族階級)、使用人、荷運び人、森の住人、ゴーストの五者が織りなすタペストリーの如し。

 

銅版」: モチーフの提示。表三枚、裏三枚の銅版画が紹介される。若干のミスリードはあるものの、続く二作の謎明かしがほぼなされている。この作品自体も陰鬱で謎めいた雰囲気を漂わせており、うまい導入部である。

 

閑日」: 作者曰く

これは落ち葉枯れ葉の物語

冬眠者である少女とゴーストの偶然の邂逅から、銅版画で唯一説明されていなかった「冬の花火」が上がるまで。これはまだ比較的短いお話で理解はそれほど難しくない。

 

竃の秋」: 作者曰く

これは古びた竃の石が囁く秋の枯れ葉の物語

  五篇の中で最も長く、銅版画の5つの作品を内包した、この作品の中核をなす中編。長閑な題名とは裏腹の劇的展開で、冬眠者を中心にあと四者が全て顔を揃え、複雑怪奇なタペストリーを編んでいく。ゴーストよりもむしろ、冬眠する間の「よりしろ」である人形のイメージが怖い。

  「銅版」ではアトリエの主人が使用人の反乱による虐殺の物語と推測していたが、果たしてそうか?

  裏三枚にその謎を解く鍵はあり、「冬眠者」という存在の脆さがあるきっかけで露わになり、急速にカタストロフを起こす世界が描かれる。

 

  何が何だかよく分からないうちに話はどんどん進むので、何度か読み返すが、それでも言葉が現れては消えを繰り返す錯覚にとらわれてうまく読み進められない。

 

  この作品は期間をおいての再読を要すると思う。そして、これを読んだ後では後の短い二作は演奏会でのアンコール小品かエピローグのように感じる。 

 

ビアス」: この作品だけ、明らかに日本が舞台。それも文明が廃れた未来のようである。ここでも主人公は冬眠者的。

 

青金石」: 青金石とはタイトルとなっている「ラピスラズリ」のこと。フェルメールも好んだ当時は高級な顔料の原石である。

  そしてこれは前作とは逆に過去、それも13世紀に実在した、小鳥達と話した逸話で有名な、アッシジ聖フランチェスコフランシスコ)を主人公とした短編である。ちなみに貴族の娘キアラ(クララ)の断髪を行なったという回想シーンは実際の出来事。

  「冬眠者」は出てこないが、聖フランチェスコの元に木彫りの降誕祭の人物像を届ける「名もない者」が冬眠病を患っている。

 

  ちなみにこの五作品、気がつけば「メダイ」がキーアイテムとなっている。だからと言ってキリスト教色には染められてはいないのだが。

 

  最後の美しい文章がこの話、そして作品全体を締めくくり、冬眠から覚める春を思わせる。

 

  野の礼拝堂は垂直に天を指す尖塔を持ち、啓蟄の天使は低い雲間からその先端を目指して降りてくる。まだ充分には目覚めきれないように、浅い春の突風に満ちた空の一点で、うねりたなびく白衣に包まれて、降りてくる天使を一羽の鳥が春の野で見上げて、ほとんど気の遠くなる、歓喜して小躍りし、囀りに咽喉を膨らませながらぱっと翔びたちみえなくなる。ーこれは秋の枯れ葉に始まる春の目覚めのものがたり。