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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ストレンジ・デイズ / 村上龍

⭐️

  ブックオフで買った二冊目の村上龍。これは長編だが未読だった。

 

  以前「MURAKAMI」のレビュー(たしかブクレコ)で書いたことがあるが、SM等の倒錯した性を露骨に扱い始めた龍に興醒めして一時離れていたことがあった。大長編でいうと、「愛と幻想のファシズム」(1987)と「希望の国エクソダス」(2000)の間で、この作品も1997年の発表でその最後の頃に当たる。

 

  中年の音楽プロモーション会社の社長反町がクソみたいな音楽しかできないやつらに絶望して引き籠りになり、妻子も実家へ帰らせ、無為の日々を過ごす。持っていたCDやらLPやらも、真の音楽をやっている15枚のアルバム以外はすべて捨ててしまった。そんなある日、深夜のコンビニで若い女性トラックドライバー、ジュンコと出会う。音楽テープを貸しているうちに、会話を交わすようになり、そして彼女が演技の天才であることを知り。。。

 

  と、いかにもな龍らしい設定で、序盤は進む。やや話があちこちする感じは否めないが、やっぱり場面場面の描写力は凄い。女性主人公ジュンコのセックスがギリギリのところで出てこないのもよい。唯一、アメリカ帰りの男が語る児童ポルノ撮影の話は反吐が出る。

 

  15枚のアルバムの名前、曲名で章立てしているが、それがちょっとおかしい。ジミヘンの「ブードゥー・チャイルド」は「ブードゥー・チャイルVoodoo Chile)」が正しいと思うし、ドアーズ、ビートルズローリング・ストーンズには正確には前に「ザ・(The)」がつく。そのビートルズの「アイ・ウィル・ビー・バック」は「アイル・ビー・バック(I'll be Back)」だし。日本語正式表記がたとえそうにしても、龍ならその辺は徹底的にこだわる筈だと思っていたのでとても残念だし、腑に落ちない。

 

  腑に落ちないと言えば、やはり一番の問題がストーリーのなげやり感。ジュンコがだんだんとその天才的な演技力を発揮していく辺りまでは面白いのだが、後半、物語は急速に失速する。そして何も大したことが起こらないのにドアーズではないが、ジ・エンドにしてしまう。

 

  一時期、龍の精神状態が良くなかったことは知っているが、この時期の龍がどんな状態だったのかはわからない。にしても、こんな駄作を書いて満足していたとは残念でならない。その当時の投げやり感絶望感を端的に表現したこの文章が皮肉にもこの作品自体に跳ね返ってきている気がする。

 

オレは文学なんてどうでもいいし、日本の小説なんてなくなってしまえばいいとずっと思ってたんだ、下らないとかそんな程度の問題じゃないよ、ほとんど犯罪だよ、どうでもいいことを、ひどい低級な技術で書いて、読者から金を取っているわけだろう?そういうのは犯罪だ。(「ブラウン・シュガー」)

私の中には等身大の虫が棲む!
雨の夜、深夜のコンビニで出会った反町とジュンコの奇妙な日々……。

絶望から狂気へと向かっていた反町は深夜のコンビニで天才的な演技力をもつ巨大トラックのドライバー・ジュンコに出会う。ゆるぎない眼差しをもつ彼女は血管の中にサナダ虫のような等身大の異生体を宿しているという。そして、2人の奇妙な生活が始まった──。現代社会の病理を予見する村上龍の傑作長編!! Amazon解説より)』