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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ねこのばば / 畠中恵

⭐️⭐️⭐️

  しゃばけシリーズ、第三巻。ますます好調ではあるが、二冊連続して短編集、しかも同工異曲的になってきており、だいたい展開が読めるようになってきた。次あたり、そろそろ本格長編も読みたいところ。

 

お江戸長崎屋の離れでは、若だんな一太郎が昼ごはん。寝込んでばかりのぼっちゃんが、えっ、今日はお代わり食べるって?すべてが絶好調の長崎屋に来たのは福の神か、それとも…(「茶巾たまご」)、世の中には取り返せないものがある(「ねこのばば」)、コワモテ佐助の真実の心(「産土」)ほか全五篇。若だんなと妖怪たちの不思議な人情推理帖。シリーズ第三弾。(AMAZON解説)

 

茶巾たまご」 病弱で寝込むのが常の若だんな一太郎、どういうわけか、妙に体調が良い。おまけに新しく売り出した薬が売れるわ売れるわ、小箪笥から金子が出てくるわ、食べ物の中から金の粒が出てくるわ、これはきっと福の神がやってきたに違いない、とあやかしを含めてお馴染みの一同は大騒ぎ。でも最近長崎屋にやってきたのは、金次という使用人ひとり。

 

  その金次という男、ひょんなことから海苔問屋にいられなくなって一太郎が引き取ってやったのだが、どうしたらこんなに貧相に見えるのかわからないような外見。しかもその海苔問屋は悪いこと続きで屋台骨が傾いているほど。どう考えても福の神ではない。そんな折り、その海苔問屋の娘さんが殺されたとの連絡が入り、早速一太郎は鳴家(やなり)たちを使嗾して真相を探り始める。

 

 この殺し、人情噺にしてはどす黒い意図でなされたものだった。ちょっと後味の悪い話だが、金次の正体が明らかとなるエピローグでちょっとほのぼの。

 

花かんざし」 久しぶりに大妖(おおあやかし)の手代、佐助と仁吉の二人からお許しが出て、外出した若だんな一太郎。例によって例のごとく、妖どももついてきて賑やかなご一行。で、今回は於りんという五つの女の子に遭遇。この女の子、妖が見えるらしく、鳴家(やなり)の一匹を捕まえて離そうとしない。一行の困り果てぶりはおもしろいが、なんとこの子、迷子だと判明。とりあえず長崎屋に連れて帰ってみれば、大妖の祖母の血をひく母おたえ、さすが世間の常識とは感覚がずれており、この子をいたく気に入り花かんざしをかざしたり、似合う服を見繕ったり、やたら世話を焼いて一太郎を辟易させる。岡っ引きが登場してさあ本格的に探そうということになった途端、於りんの曰く、

「帰ったら、於りんは、殺されるんだって」

この剣呑な訴えの真意、真相に一太郎と妖たちが迫っていく物語。於りんの母の病にまつわる結末はほろ苦いが、この於りんちゃん、また出てきそうな予感。

 

ねこのばば」 表題作、さすがに力が入っている。落語の三題噺じゃあないが、冒頭若だんなの周囲で起こった三つの不可思議な出来事を提示して、それを複雑に組み合わせていき、上野は広徳寺寺内で起こった殺人事件の真相を明かしていく話。

 

  猫又より恐るべきは、広徳寺の僧寛朝。以前若だんなが高額の寄進と引き換えに魔除けの護符を書いてもらった僧侶です。この僧、妖を恐れないばかりか、見破る能力にも長けている。実際、若だんなの護衛役でついてきた仁吉と佐助も一目で妖と悟ってしまう。

 

  ストーリーは込み入っているが、これだけ凝りすぎると終盤やや退屈。それよりもこの寛朝を今後のシリーズでも登場させようという意図があるのでは、と思わせる。

 

産土」  うぶすな、と読ませまる。長崎屋先代の妻、一太郎の祖母は狐系の大妖、皮袋(かわぶくろ)という超大物。その祖母が病弱な一太郎のためにつけた二人の手代が佐助(犬神)仁吉(白沢)。前巻では仁吉の過去、千年の片思いの物語が語られたが、本作はいよいよ犬神佐吉の出番。

 

  その出生の秘密がいきなり明らかにされるが、なんとこの犬神、産みの親は弘法大師こと僧空海なのだ。仁吉と同じく平安時代から生きてるのかよ、さすが妖。ただ、仁吉とちがってこの犬神、独り身で放浪の生活が続いていた。そんなある夜、助けた男に拾われて店の手代となり働き始めるが、店の取引先がどういうわけか次々とつぶれ始め、ご主人も悩んだ挙句「信心」に走り始め、若だんなも引きずり込まれ、、、。

  妖の匂いを嗅ぎつけた佐助はこの新興宗教集団と対決することになる。全体にダークな雰囲気の中で話は進み、救いようのない結末に。。。てっきり夢オチかと思っていたが、畠中恵は意外なほどうまいミスリードをやってのけた。異色で面白い一本。

 

たまやたまや」 再び通常の人情噺。今回は一太郎の幼馴染で栄吉の妹、お春にまつわるお話。このお春、一太郎のことをずっと想っているが、そろそろ嫁に行かないと行き遅れになってしまう。そんな折に舞い込んだ縁談話。

 

  栄吉から、暗にお春のその思いをあきらめさせてやってくれ、と頼まれた一太郎、さっそく身辺調査に乗り出すが、相手の男、身元はしっかりしているものの至って評判が悪い。おまけに恋人までいるらしい。ひょんなことからその男と一緒に武家屋敷の土蔵に閉じ込められる羽目になり、ひと騒動持ち上がる。

 

  武家だろうがなんだろうがお構いなしの仁吉と佐助の大活躍と一太郎の名推理、まあ予定調和の世界だが、一太郎とお春の幼い頃の思い出と最後の花嫁姿にほろりとする一編であった。

 

猫のまぼろし、猫のまどわし / 東雅夫編

⭐️⭐️⭐️

   東京創元社文庫創刊60周年祝企画のリストに「猫のまぼろし、猫のまどわし」という面白そうな本があったのでリンク先を覗いてみた。単独作品ではなく、アンソロジスト東雅夫氏の手になる、猫にまつわる東西の怪奇譚を集めたアンソロジー集だった。紹介文に曰く、

 

猫は愛らしいだけじゃない不思議な猫、妖しい猫、なぜか作家心をくすぐる存在なのだ。猫のあやかしを通じて東西の怪奇幻想譚を読み較べる、猫の魅力満載の贅沢な短編集。

 

  で、目次を見て、私の大好きな萩原朔太郎の「猫町」が入っていたので興味を惹かれ、他の作品も読んでみようと購入。

 

「猫」 別役実
  序章、導入部、あるいは編者曰くの前菜。別役実が大真面目に「猫は化ける」という「事実」を考証したエッセイ。別役らしい衒学的文章は面白みはないものの、導入部にはぴったり。編集の妙。

パート1:  猫町をさがして
猫町 散文詩風な小説」 萩原朔太郎
「古い魔術」 ブラックウッド(西條八十訳)
猫町」 江戸川乱歩
萩原朔太郎稲垣足穂」 江戸川乱歩
「喫茶店ミモザ」の猫」 日影丈吉
猫町紀行」 つげ義春

  パート1は東氏が打診された際、真っ先に思いついたという「猫町」対決で、メインは萩原朔太郎の有名な散文詩風小説「猫町」とイギリスの怪奇小説の大御所ブラックウッドの「Ancient Sorceries」の読み比べ。しかも、翻訳者に凝って、朔太郎と同時期の詩人、西條八十を持ってきた。よって、

東西対決 + 文章対決

の二つが同時に味わえる。これは読み応えがあった。同じ猫の町に迷い込む話でも、萩原がちょっと麻薬中毒がかってはいるもののドライでSF(パラレルワールド的説明あり)っぽいのに対して、ブラックウッドは正統派西洋風らしく、中世の魔女のサバトを思わせるダークでウェットな筆致で唸らせる。クライマックスの文章を比較してみよう。

瞬間。万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たわった。何事がわからなかった。だが次の瞬間には、何人にも想像されない、世にも怪奇な、恐ろしい異変事が現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた。(猫町、p36)

 

ああ、なんと押し寄せる潮のようにその情熱の沸き立ったことぞ!それは彼の内臓をゆがめ、欲望を夜空に花火のように打ち上げ、かれを妖巫(ウィッチ)の安息日(サバス)の魔術者の踊りへと追い立てた!星はかれの身辺に渦巻き、かれはもう一度月の魔術を仰いだ。山頂と森から突進し、谿を過ぎって崖から崖へと跳び、かれを吹きちぎる風の威力よ!・・・・・(古い魔術、p100)



  東西二人の作家、そして日本人二人の詩人のコントラストが見事。おまけにこの二つの小説を比較して論じた江戸川乱歩の随筆や、つげ義春猫町を探す話(+絵)で余韻を楽しませてくれる、これはアンソロジスト東氏の手腕が光るパート。

パート2: 虚実のあわいニャーオ
「ウォーソン夫人の黒猫」 萩原朔太郎
「支柱上の猫」オドネル(岩崎春雄訳)
「『ああしんど』」池田蕉園
「駒の話」 泉鏡花
「猫騒動」 岡本綺堂
「化け猫」 柴田宵曲
「遊女猫分食」 未達(須永朝彦訳)

  パート2は掌編が並びます。虚実のあわいと言っても現実に猫が化けるはずがない。それをいかにもっともらしく読ませるか、それぞれに趣向が凝らされている。この中ではやはり泉鏡花の作品が絶妙だと思うが、そのあとに岡本綺堂の半七捕り物帖を持ってきた東氏の選択もうまい。

パート3: 怪猫、海を渡る
「鍋島猫騒動」 作者不詳(東雅夫訳)
「佐賀の夜桜怪猫伝とその渡英」 上原虎重
「ナベシマの吸血猫」 ミットフォード(円城塔訳)
「忠猫の話」 ミットフォード(円城塔訳)
「白い猫」 レ・ファニュ(仁賀克雄訳)
「笑い猫」 花田清輝

  怪談噺の王道、佐賀藩鍋島猫騒動の和綴本絵図から始まり、その解説、海を渡ってミットフォードが編んだ「Tales of Old Japan」に収載された「The Vampire Cat of Nabeshima」の逆輸入和訳、比較のためのアイルランドの怪猫譚と続く。難解な(わけわからんという説もあり)文章で私に頭痛を起こさせたSF作家円城塔が洒脱に和訳しているのも一興。それにしても、日本では黒猫が恐れられるが、アイルランドでは白猫が恐れられているようで、文化の違い?なのかな。
  そして戦後文芸批評の大家花田清輝が映画「怪猫有馬御殿」をクソミソにけなした(褒めているという説もあり)エッセイで締めくくられる。返す刀でアリスネズミー映画も滅多斬りしているのも痛快。
  このパートも流れがスムーズでよく考えられているな、と思った。


「猫の親方 あるいは長靴をはいた猫」 ペロー(澁澤龍彦訳)
  妖猫譚フルコースのデザートは、ペローの名作童話「長靴を履いた猫」の澁澤龍彦訳。山尾悠子に多大な影響を及ぼした幻想作家だけに期待大だったが、どちらかと言えば軽妙洒脱な文章で、たしかにデザート。

  以上、アンソロジスト東氏の手腕が光る一冊、氏の解説の最後、注文の多い文章を引用して終わりにしよう。

あ、お客様、お出口は裏手のドアでございます。お帰りの前に、そちらの卓上に用意しましたクリームと香水と塩をお使いくださいね。そう、たっぷりと、まんべんなくにゃー!

 

 

 

 猫ほど不思議が似合う動物はいない。謎めいたところが創作意欲をかきたてるのか、古今東西、猫をめぐる物語は数知れず。本書は古くは日本の「鍋島猫騒動」に始まり、レ・ファニュやブラックウッド、泉鏡花岡本綺堂ら東西の巨匠による妖猫小説の競演、萩原朔太郎江戸川乱歩つげ義春の「猫町」物語群など21篇を収録。猫好きにも不思議好きにも堪えられないアンソロジー

 

しゃばけ / 畠中恵

⭐️⭐️⭐️

  「つくもがみ貸します」に次いで、いよいよ長大なシリーズの起点となった「しゃばけ」を読んでみた。

 

江戸有数の薬種問屋の一粒種・一太郎は、めっぽう体が弱く外出もままならない。ところが目を盗んで出かけた夜に人殺しを目撃。以来、猟奇的殺人事件が続き、一太郎は家族同様の妖怪と解決に乗り出すことに。若だんなの周囲は、なぜか犬神、白沢、鳴家など妖怪だらけなのだ。その矢先、犯人の刃が一太郎を襲う…。愉快で不思議な大江戸人情推理帖。日本ファンタジーノベル大賞優秀賞。(AMAZON解説より)

 

  解説にもあるように2001年の日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を受賞している。この時の大賞は粕谷知世 の「太陽と死者の記録」という作品。う~ん、知らん。  

  冗談はともかく、ファンタジーノベル大賞の歴史の中でもこの「しゃばけ」ほど成功した作品はないのではないか。その後シリーズ化されて現在第14巻まで出ているし、ドラマ化、アニメ化とメディアミックスが展開されたのも周知の事実。

 

  ファンタジーノベルとしては内容的には優秀賞でも仕方ないかな、とは思うが、ヒットする要因がたくさん詰まってることは確か。

 

・ 江戸時代を舞台にした時代物

・ 主人公一太郎がヘタレにみえて意外に芯がしっかりしている

・ 主人公の世話役の大妖、佐助仁吉をはじめとする妖(あやかし)の面々がなかなか魅力的

・ ストーリーがべただけど面白い

・ 人情噺でほろりとさせる

 

  これだけ揃えば、あとは作者の文章の力量次第だが、デビュー作にして時代ものをこれだけ書ければ十分。「高直」(こうじき、高価の意)なんて古い単語が頻出するが、それが違和感なくストーリーに溶け込んでいる。ちなみにAMAZON解説にあるあやかしの名前「鳴家」は「やなり」と読ませる。

 

  と言うわけで、この「しゃばけ」、猟奇殺人事件の謎を追う単独作品としてよく出来ているのはもちろん、Retrospectiveに見れば長大なシリーズの第一弾として病弱な若だんな一太郎のとんでもない出生の秘密を解き明かし、この作品の世界観を説明する役割を十分に果たしている。

 

  第二巻以降も、ぼちぼちと読んでいきたい。

 

つくもがみ貸します / 畠中恵

⭐️⭐️⭐️

   そろそろまた新しい作家を開拓せねばなあ、と思ってブックオフへ出かけた時にふと見かけたの畠中恵さんの文庫本。何冊か手に取ってみてみると、殆どがドラマにもなった「しゃばけ」シリーズ。一度に全部買うのはさすがにためらわれたので、まずはお試しで、この「つくもがみ貸します」と「しゃばけ」を買ってきた。

 

お江戸の片隅、お紅と清次の姉弟2人が切り盛りする小さな店「出雲屋」。鍋、釜、布団と何でも貸し出す店ですが、よそにはない奇妙な品も混じっているよう。それらは、生まれて百年を経て、つくもがみという妖怪に化した古道具。気位高く、いたずら好きでおせっかい、退屈をもてあました噂超大好きの妖たちが、貸し出された先々で拾ってくる騒動ときたら…!ほろりと切なく、ふんわり暖かい、極上畠中ワールド、ここにあり。  (AMAZON解説より)

 

   この作品は独立した作品で、出雲屋という江戸深川の岡場所にほど近いところにある小道具屋兼損料屋(貸出業)のお紅清次姉弟が表主人公、そして置いてある器物のうち、齢百年を重ねて化した「付喪神」の野鉄(根付)、月夜見(つくよみ)(掛け軸)、お姫さん(姫様人形)、五位(煙管)、うさぎ(櫛)などがおしゃべりな裏主人公として活躍し、起こる事件の謎を解明していくお話。

 

  序と五編の短編からなるが、前半は説明がてらの独立した話、後半はお紅が気にしている(と血のつながっていない弟分の清次が気にしているだけかもしれない)蘇芳(すおう)という香炉と、その持ち主であった同じく蘇芳という俳号の男の謎について少しずつ少しずつ解き明かされていく。

 

  江戸深川の情緒もたっぷりに人情噺が語られるという常道をきっちりと押さえた語り口なので安心して読めた。敢えて言うと、人と付喪神は直接会話をしないというルールで縛ってあるので、それが時には面白くもあり、時には隔靴掻痒の感もありだった。

 

  「しゃばけ」シリーズではその点付喪神と主人公が自由に話せるらしいので、どんな展開になるか楽しみ。

 

星間商事株式会社社史編纂室 / 三浦しおん

⭐️⭐️⭐️

  これもまたブックオフでの拾いもの。いかにも「舟を編む」の二番煎じっぽいのだが、まあちょうど軽い読み物が欲しかったところだったので買ってみた。

 

 川田幸代29歳は社史編纂室勤務。姿が見えない幽霊部長、遅刻常習犯の本間課長、ダイナマイトボディの後輩みっこちゃん、「ヤリチン先輩」矢田がそのメンバー。ゆるゆるの職場でそれなりに働き、幸代は仲間と趣味(同人誌製作・販売)に没頭するはずだった。しかし、彼らは社の秘密に気づいてしまった。仕事が風雲急を告げる一方、友情も恋愛も五里霧中に。決断の時が迫る。(AMAZON解説より)

 

  一言、面白かった。

 

  でおしまいではなんなので真面目にレビューしよう。そもそも、三浦しおんさんの小説は「普通に良い」と思う。起承転結はきっちりとしているし、読みやすいし、適度なユーモアがあるし、取り上げる題材をきっちりと勉強される。

 

  言うことなし!   

 

  でおしまいではなんなので(以下略。

 

  ということで、時々ふっとしおんさんの小説を読みたくなる。特に今回は山尾悠子でオーバーヒートしそうなほど神経回路を酷使したので、ブックオフでこの本を見かけて一も二もなく買ってしましまったわけである。もちろんクールダウン目的。

 

  なので全く内容を知らずに買ったわけで、題名から「舟を編む」的な小説を要請されて書いた、あるいは書かされたんだろうな、と思っていた。結果当たらずともかなり遠い内容でビックリしたが、とにかく面白かったので文句のつけようがない。やっぱり、しおんさんの小説は普通に良いなあと感じつつ、あっという間に読んでしまった。

 

  実はしおんさん、腐女子研究の大家、BL小説、コミケ大好き。自分の小説ではさすがにモロなBLは書けないが、そのフラストレーションをこの小説で一気に解消された感じ。主人公に表は左遷された真面目女子社員、裏は高校時代からの筋金入りの腐女子を持ってきて、上司の冴えない中年親父と二人のあんまり働きそうにない同僚とで抱腹絶倒のドラマを展開していく。

 

  当然小説中小説でBL趣味を満開にされているが、上手いのはそれに加えて上司の妙ちくりんな自伝時代劇小説、本筋の鍵となる純愛活劇小説を加えて、三本もの小説内小説で笑わせてくれるところ。

 

  メインストーリーとしては、表の社史を真面目に作るふりをしながら会社の「高度経済成長期の闇」を探り当てて裏社史を作っちゃうという離れ業を展開するところがキモになるわけだが、それはまあ読んでのお楽しみということで。

 

  しおんさんもそのあたりはまじめに書きつつ、話のキーパーソンのダメ課長にBL小説の 「受けキャラ」 を重ね合わせて楽しんでおられるようで、何よりだった。

 

事件 / 大岡昇平

⭐️⭐️⭐️⭐️

  「本が好き!」だ開催中の東京創元社文庫創刊60周年祝企画のブックリストを見て懐かしい作品をみつけた。大岡昇平の「事件」である。大岡昇平といえば、「野火」「俘虜記」「レイテ戦記」などの太平洋戦争ものがすぐに思い浮かぶが、この「事件」は映画化されたことで有名になった作品だった。

 

  なにしろ名匠野村芳太郎が監督、松坂慶子大竹しのぶ永島敏行丹波哲郎等々の錚々たる俳優が熱演した名作で、「砂の器」と双璧を為す野村作品との評価も高い。

 

  当然ながら私も映画から入った口だったが、文庫版が創元推理文庫から出ているとは知らず、ちょっと驚いた。昔読んだ本はもちろんもう当然ながらないので、いい機会だと思って再読した。

 

   大岡昇平が作り上げた「事件」そのものは非常に単純。時は昭和36年、舞台は戦後農村から工業地帯へ変わりつつある相模川河畔の町、19歳の少年が幼馴染みの姉妹の妹である恋人を妊娠させてしまう。双方の親から反対させるに決まっているので駆け落ちしようとしたところ、恋人の姉に親に告げ口されそうになったため、山の中でナイフで刺殺し死体を遺棄したというもの。

 

  刺したこと、死体を遺棄したことは間違いないので事実関係を争える筈もなく、検察側の殺人罪および死体遺棄罪での立件は当然で、未成年であること、普段の真面目な行状から情状酌量を期待するしかないと思われた。

 

  ところがこの少年の中学時代の恩師が、あの真面目な子がどうして、と腑に落ちず、妻の親戚の敏腕弁護士に弁護を依頼したことにより、この事件の裁判中に被告に有利な新事実が一つ浮かびあがり、やや波乱含みの展開となる。

 

  となると、映画のような三角関係を中心とした心理ドラマになっていくのか、というとさにあらず。また、弁護士が大活躍して裁判が二転三転するのかというと、それもさにあらず。作者の裁判に関する知識・意見を挟みつつひたすら公判の状況が詳細に語られていき、予定通り年内に結審する。後日談はあるものの、ほとんど裁判を記録しただけの小説といって差し支えない。

 

  実はこの物語、新聞連載当時の題名は「若草物語」だった。この題名から推測できるように、書き始めた時点では大岡昇平も少年と姉妹の恋愛関係に重点を置くつもりであったらしいのが、取材を重ねるうちに「裁判」そのものに興味を惹かれていき、そちらへのめり込んでしまうこととなる。

 

  そして大岡が目指したものは、検察官と弁護士が丁々発止で争うような現実にはあり得ない安易な小説やペリーメイスンのような新証人を飛行機で連れてくるような派手なドラマではなく、立件された時にはほぼ事件の全貌はほぼ確定している、現実に限りなく近い裁判だった。つまり、

 

検事の冒頭陳述も論告も、彼(弁護士)の弁論も、要するに言説に過ぎない。判決だけが犯行とともに「事件」である。

 

というのが、彼が取材を重ねていく中で辿り着いた結論であり、「若草物語」を改題して、この文章にある「事件」を新たな題名にしたのであった。

 

  じゃあ平凡な裁判が進むだけの退屈な小説なのか、といえばさにあらず。さすがと言わせる骨太な筆致で人間関係、時代背景、裁判の状況を描き、ぐいぐい読む者を引っ張っていく。その迫力には舌を巻く思いで、この時代であれば松本清張吉村昭、最近では高村薫女史に匹敵するくらいの筆力があると感じた。

 

  最後に再読して気づいたことを記しておきたい。大岡昇平がこの時代に物語を設定したのは、都会隣接地域の変貌が事件を起こしたという思いが強いことは内容から明らかだが、それと同時に裁判制度自体が大きな変革期を迎えていたことも今読むと鮮明に見えてくる。三点ほど挙げておく。

 

1: 戦後民主主義に基づき刑事訴訟法が昭和22年に改正された。この小説では「新刑訴法」と表現されている。被告人の人権に配慮し、自白が最大の証拠であった旧刑訴法から大きく変わったわけだが、当時の法曹界には旧弊を引きずる雰囲気がまだ色濃く残っている時代でもあった。そのあたりの機微を大岡は微に入り細に穿ち解説し、登場する法曹界の人物に投影して描写している。

 

2: 事前に裁判関係者が相談しておく「集中審理方式」が合法化された。これは決して健全な審理のやり方ではなかったものの、犯罪の急速な増加によりあまりにも裁判所が抱える案件が増えたためやむを得ない面があったとのことである。この小説でも舞台となる神奈川県の急速な世情変化で横浜地裁の抱える審理数が多すぎることが指摘されている。

 

3: 松川事件の存在。検察側が被告に有利な証拠を秘匿したことにより糾弾されたこの事件は、広津和郎松本清張ら文壇からも多くの裁判批判の声が上がった。この作品でもしばしば取り上げられていることから、大岡昇平も決して無関心ではなかったと思われる。

 

  取り調べの透明化が進む現在でも冤罪事件は後をたたず、裁判員制度もうまく機能しているかどうか疑問な点も多い。しかし、裁判は法曹関係者がその能力の限りを尽くして粛々とこなしているのであるからむやみやたらな批判は避けるべきだろう、という彼の思いは現在にも通用するものではないかという思いが残った。

 

 裁判批判はいくらやっても差しつかえない。ただそれを行う文化人も投書家も、まずなぜ自分がその事件について、意見を発表したくなるのか、ということを、自分の心に聞いてみる必要があるかもしれない。

 

。      

鎌倉散策

初の鎌倉散策。

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江ノ電初乗り。

 

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鎌倉文学館。旧前田侯爵邸で三島由紀夫の「豊穣の海」第一作「春の海」に出てくる終南別業のモデルとなったところ。その豊穣の海展が催されていた。「天人五衰」の最終稿にはジンと来た。

 

 

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バラ園も見頃で、庭ではクラシックのコンサートも催されていていいタイミングで訪れることができた。

 

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長谷大仏も見てきた。

飛ぶ孔雀 / 山尾悠子

⭐️⭐️⭐️⭐️

   追いかけてきた山尾悠子の最新刊に辿り着いた。昨年発刊され、第69回芸術選奨文部科学大臣賞、第39回日本SF大賞受賞、第46回泉鏡花文学賞の「三冠」を達成した「飛ぶ孔雀」。大化けしたとか世評は高い。

 

  伝説の幻想作家、8年ぶりとなる連作長編小説。 シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった。 シブレ山の近くにあるシビレ山は、水銀を産し、大蛇が出て、雷が落ちやすいという。真夏なのに回遊式庭園で大茶会が催され、「火を運ぶ女」に選ばれた娘たちに孔雀は襲いかかる。 ――「I 飛ぶ孔雀」 秋になれば、勤め人のKが地下の公営浴場で路面電車の女運転士に出会う。若き劇団員のQは婚礼を挙げ、山頂の頭骨ラボへ赴任する。地下世界をうごめく大蛇、両側を自在に行き来する犬、男たちは無事に帰還できるのか? ――「II 不燃性について」 「彗星のごとく戻ってきた山尾悠子が新たな神話圏を築いた」(清水良典氏)

 

  「I 飛ぶ孔雀」は2013年八月号と2014年一月号に「文學界」に発表された作品、「II 不燃性について」は本書のために書き下ろした作品。二作は時間がずれているもののほぼ同じ場所を舞台としており、ゆるやかな連関を持っている。

 

  第I部は六つの掌編を重ねて火が燃えにくくなった世界を提示した後、中編レベルの「飛ぶ孔雀、火を運ぶ女 I,II」で一気に華やかなクライマックスにもってくるという、山尾悠子にしては珍しい(というか初めてかもしれない)劇的な展開で驚いた。

  一方第II部は十四の掌編で一つの物語を形成する連作形式で起承転結をつけている「感じ」。

  「感じとはどういう事?」と言われそうだが、とにかく摩訶不思議で曖昧模糊とした不条理な世界観、表現も韜晦だらけで一向に展開が読めない、そして「結」でちゃんと落ちが付いたのかどうかもよくわからない。

 

さすが山尾悠子

 

  冗談はさておき、一読してこの作品のストーリーをすんなり受け入れられる人はまずいないだろう。

 

  ただ、いくつかの彼女のポリシー、傾向のようなものを知っておけば若干は読み易いかと思う。そういう留意点をいくつか挙げてみよう。

 

1:人名   ・アルファベットの頭文字が多いのでしっかりと把握しておくこと。“K,G,F,B,Q”など。これは倉橋由美子の影響。(と別の本の解説ではっきりと語っている)

  ・今回は女性の名前にカタカナ二文字が多く、かつおそらく故意に紛らわしくしているので、これもきっちりと把握しておく必要がある。“タエ、トエ、サワ、ヒワ、スワ、ミツ、セツ、リツ”など。

 ・同一人物に重複する名前が当てられることが不思議ではない。“スワ、スワン、サワ”。

 ・誰のことか読者に考えさせるためか、作為的に名前で呼ばないことがある。女運転士とか中年女医とか。

 

2:土地

 ・水や月を含めて独特の感覚がある、特に円錐状あるいは正多角形に掘り下げられた広場がお好きである。

 ・基本的に架空世界を描く。ただ今回は日本を思わせ、かつ携帯電話、車、路面電車、女子高生等々が出てくることから、昔話ではない。

 

3:対照的ペアリング

 ・対照的なものを並べるのが好きである。火と水、月と星、孔雀と大蛇、発火点と燃えにくい場所、山頂と公衆浴場源泉あるいはダクトだらけの地下、その地下売店と地上の煙草屋、姉妹と双子、等々

 

4:ルールの設定

 ・不条理な世界を筆に任せて書いているように見えて実は巧妙に計画されている。第一部のクライマックスにおける、川中島Q庭園で行われる火運びの儀式の禁忌などはそれがお遊びと化していて面白い。

 

 禁忌は次のように伝えられた。

 目的地に至るまで芝を踏んではならない。後悔することになる。

 止め石、別名関守石に注意。これは常識中の常識。  園内唯一の乗り物である作業用トラクターは使用禁止。

 話しかけられたら、応えるのが礼儀。

 口笛を吹いてはいけない。頭上にオーロラ、もしくは類似のものが来る。

 地面に火を落としたらそこで終わり。

 (中略)とにかく芝を踏むな。育成中だから。

 

  人を喰ったような、それでいてユーモラスな禁忌だが、これを一つ一つ丁寧に回収していくのだから、意外と律儀(笑。

 

 

  他にも色々とあるが、この辺で。

 

  さて、文章フェチとしては山尾悠子流美学に期待するわけであるが、残念ながらこれまで読んできた作品に比べると簡潔。逆に言えば初めての人でも読みやすい。

  本作の内容になぞらえて言えば、綺麗で愛すべき小動物が猛禽類に食べられた後、「ペレット」となり、それを“頭骨ラボ”で骨格標本としてしまったかのよう。率直なところ私には「文章の美しさ」という点で物足りなかった。

 

  そしてこんな雰囲気の話をどこかで読んだぞ、みたいな妙に既視感があるのも気になった。泉鏡花澁澤龍彦倉橋由美子あたりの影響があるのは当然のことだが、確か誰かがこんな話を書いていたような。それが誰のものか必死で思い出そうとしたが思い出せない。

 

  川上弘美の「蛇を踏む」?小川洋子の「寡黙な死骸 みだらな弔い」?筒井康隆の「夢の木坂分岐点」?高村薫の「四人組がいた」?森見登美彦の「きつねのはなし」?江國香織の「つめたいよるに」?   どれも違うなあ、かといってカフカやオースター、ミルハウザーのような、あちゃらの不条理系とは違うし、、、

 

  ってどんだけ不条理な話ばっかり読んでるんだ、って話だが。

 

  まあそんな感じを引きずりつつも最後まで一気に読んでしまった。山尾悠子のファンには嬉しい新作であるし、第I部最後の花火がパーンと上がるような華やかな盛り上がりと、第II部のしめやかに不条理を不条理のまま終息させるその対比の見事さには感心させられた。

 

  とりあえず、以上で山尾悠子の現在手に入る作品は終了。できればどこかで廃刊になった作品に巡り合えないものかとは思っている。

 

歪み真珠 / 山尾悠子

⭐️⭐️⭐️⭐️

  ずるずるとはまって、またまた山尾悠子短編集の「歪み真珠」を読んでみた諏訪哲史さんのこれまた衒学的で難解な解説によると、初期作品集「夢の遠近法」と「ラピスラズリ 」以降の作品群をつなぐきわめて重要なミッシング・リンク、言い換えれば、

 

美しく引き絞られた鯨骨のコルセットのくびれ部、否、硝子の砂時計のしなやかな結節点(諏訪哲史

 

だそうである。う~ん、頭痛がする。シュールレアリスムか!と思ってしまうが、「歪み真珠」とは

 

ひろく知られるとおり「バロック」という美学的名称の原義とされることば

 

だそうである。調べてみたら歪んだところのある真珠を「バロックパール」と呼ぶそうだ。

 

死火山の麓の湾に裸身をさらす人魚たち、冬の眠りを控えた屋敷に現れる首を捧げ持つ白い娘…、「歪み真珠」すなわちバロックの名に似つかわしい絢爛で緻密、洗練を極めた美しき掌編15作を収めた物語の宝石箱。泉鏡花文学賞に輝く作家が放つ作品は、どれも違う鮮烈なヴィジョンを生み出す。ようこそ!読み始めたら虜になってしまう、この圧倒的な世界へ。 (AMAZON解説より)

 

  ミッシングリンクということだが、初期の作品に近いものの代表は「火の発見」だろう。これは「遠近法」でも出てきた腸詰宇宙とプロメテウスばりのエピソードを融合させた佳編である。 

  

  一方、「ラピスラズリ」に一番近い、というか、冬眠者を描いていることからラピスラズリのスピンオフとも呼べる作品が「ドロテアの首と銀の皿」。これは本短編集の中でも一番長く、短編と呼んでもいいくらいの長さがあるが、ラピスラズリ」よりもはるかに読みやすい。言い換えれば、あの韜晦に満ちた一筋縄ではいかない文章を楽しみにしていた分にはやや肩すかしの感は否めないが、この作品集の中でも文章・ストーリー、イメージの洗練度は群を抜いている。

 

  他の掌編はこの間に位置するわけであるが、イメージの奔流、現代詩のごとき文章、芸術への造詣を過不足なく披露し、そこに独特のユーモアも交えている。

 

  例えば冒頭の「ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠」はカエルの王国がツボカビ病によって壊滅する様を山尾流の諧謔で描いており、なかなか面白かった。

 

  芸術への造詣で言えば、著名な絵画・詩・音楽のイメージが先行する作品が比較的多い。

  「美神の通過」はバーン=ジョーンズの「The Passing of Venus」を見事に文章に転化している。

  美貌の両性具有の双子を描いた「マスクとベルガマスク」はドビュッシーの「ベルガマスク組曲」、その題材となったヴェルレーヌの詩を彷彿とさせる。

  「聖アントワーヌの憂鬱」はフローベールの小説、ブリューゲルボスセザンヌダリ等々の絵画で有名な「アントニウスの誘惑」のパロディ的作品で、ちょっと佐藤亜紀のシニカルな筆致を思い出させる。

  そして「アンヌンツィァツィオーネ」、日本語で言えば「受胎告知」のこと、絵画を挙げれば枚挙にいとまがない。

 

  まあそんなこんなで、15編の掌編、どれも粒揃いに山尾悠子である。まあ、ところどころには筒井康隆小川洋子を彷彿とさせる作品や言葉・イメージの連鎖もある。「夜の宮殿の観光、女王との謁見つき」、とりわけそこに出てくる女王の大理石の糞なんかはその最たるものだろう。

 

  そんなこんなで、人それぞれに好きな作品が見つかると思うが、個人的にはドロテア以外では、娼婦たち、人魚でいっぱいの海」「マスクとベルガマスク」「紫禁城後宮で、ひとりの女が」あたりが好みであった。

 

北極星に導かれ夜の潮流を辿る船乗りたちは、星空の行く手に驚くべき高さで聳える死火山の稜線を見出すたびに何故かそこはかとない憂悶に沈むのだった。闇に沈んだ裾野の一箇所に賑やかな光の集積があり、近づくにつれてそれは桟橋に並ぶ提灯や窓明かりと知れるのだったが、・・・・・

明るく激しい雨が来て、通り過ぎたあとに虹が架かった。(中略)のちに風説となる女たちと魚と人魚でいっぱいの海はひとときの祝福に満たされ、大漁だ大漁だと騒ぐ男たちの言葉は寿ぎとなり、宝石の冠をつけた人魚があらわれて最初に飛び込んだ娼婦を力強く抱きとめた。(娼婦たち、人魚でいっぱいの海)

 

 眼下にどこまでも広がっていく石畳の広場は、いちめんの新雪に覆われてまばゆい雪原のよう。その中央に足跡を残しながら、黒髪を長く吹き流した女が一人背を見せて遠ざかっていく。前に三本の鉤爪、後ろに一本の蹴爪を持つ足跡は、斜めに射しそめた朝日を浴びてくっきりと影を持つ。でたらめに腕を振り、雪を蹴散らし、歩くことを初めて知った幼児のように女の後ろ姿は踊る - むかし紫禁城後宮で、ひとりの女が。(紫禁城後宮で、ひとりの女が)

山尾悠子作品集成 / 山尾悠子

⭐️⭐️⭐️⭐️

  「増補・夢の遠近法」に収録されていた「パラス・アテネ」の続編(破壊王シリーズ)を読みたくて、図書館から借りだしてきた。分厚い、重い!

 

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山尾悠子作品集成

国書刊行会から2000年に発行されている。嬉しいことに栞に佐藤亜紀が「異邦の鳥」という題の献辞を寄稿しておられる。彼女も「パラス・アテネ」に衝撃を受けたそうだ。

 

今や同じ細工物を生業とする身としては、感嘆しながらも嫉妬に駆られる他ない完璧さである。願わくは読者が、この驚きと喜びをともにされんことを。二十年を経て、稀有の物語師が、我々のもとに帰ってきたのだ。

 

   まさにその通りで、稀有の物語師の紡ぐ膨大な文章を浴びるように堪能できた。多くの作品で、

 

月、星、水、火(炎)、分身、天使、禽獣、巨人、遠近法、蹂躙、崩壊、不条理、死

 

と言ったモチーフが繰り返され、

 

真珠母、犇く(ひしめく)、縺れ、瞋恚(しんに)

 

と言った山尾悠子が好む特殊な単語が頻出するため、気力の充実している時に集中して読むべきかと思う。

 

目次:以下目次に沿って、簡単に説明を。太字が「増補・夢の遠近法」に収録されていない作品。

 

  今回収録作と非収録作を比べてみると、単独作品として素晴らしい出来栄えの中編「ゴーレム」を除けば、やはり未収録作の方が出来不出来の幅は大きかったように思った。収録作に匹敵するほどの出来のものも勿論あるが、それを大きく上回る作品はなかったと思うし、テーマ、イメージが重複するものもいくつかあった。よって「夢の遠近法」の選択は(増補を含め)極めて妥当なものであったのだな、と感じた。

 

目次

 

第一セクション: 夢の棲む街

 夢の棲む街

 月蝕

 ムーンゲート

 堕天使

 遠近法

 シメールの領地

 ファンタジア領

   単行本となった「夢の棲む街」からの選択。やはり「夢の棲む街」「ムーンゲイト」「遠近法」の三作の出来栄えは圧倒的。

  「堕天使」はその後の多くの作品にモチーフが引き継がれるという意義はあるが、作品としては凡庸。「シメールの領地」は選集に入れても遜色ない出来栄えだが、収録作とイメージがダブることで避けたか。「ファンタジア領」もまとめ方に意表を突かれたが、やや長過ぎることで収録が見送られたのかもしれない。 

 

第二セクション: 耶路庭国異聞

 耶路庭国異聞

 街の人名簿

 巨人

 

 スターストーン

 黒金

 童話・支那風小夜曲集 

 透明族に関するエスキス

 私はその男にハンザ街で出会った

 遠近法・補遺

 

   第二セクションは、雑誌に掲載され単行本化されなかった主要作品を集めている。この本の出版時点では単行本として初掲載だったわけでとても貴重なセクション。

 

  ある程度の出来不出来はあるが、それは収録作にも言えたことで、あまり大きな差はないように思える。その中でも「耶路庭国異聞」の二重に閉じた耶路庭国世界と宇宙塔双方が破滅していく様は美しく印象に残った。また、ロブ=グリエを「パクった」という「黒金」は凄惨な変身譚を時間を逆行して描いている凄い作品。

 

第三セクション: 破壊王

 パラス・アテネ

 火炎圖

 夜半楽

 繭(「饗宴」抄)

 

  さて、破壊王。「増補・夢の遠近法」のご自身の解説にその構想の枠組みが記載されている。下記写真参照。

 

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破壊王構想


  残念だったのは、「パラス・アテネ」の主要登場人物、二位豺王はもう出てこないこと。共通するのは、千年帝国に侵略され蹂躙破壊され尽くす辺境世界を描いているということだけで、四つとも単独の物語。「火焔圖」「夜半楽」それぞれに魅力的な世界構築だが、結局書けずに「抄」となった第四部は煮詰め過ぎて却って投げやり感を感じる。

 

第四セクション: 掌編集・綴れ織

 支那の禽

 秋宵

 

 眠れる美女

 傳説

 月齢

 蝉丸

 赤い糸

 

 天使論

 

  第四セクションは掌編集。当時の絶筆となった「天使論」だけは外せなかったと思うが、その他はどれを採用しても良かったような。「支那の禽」「蝉丸」「赤い糸」なんか上手い。

 

第五セクション: ゴーレム

 ゴーレム

 

   今回新たに読んだ中で白眉の作品。解説によれば元々「ゴーレム」という中編原稿があり、それを長編化したものが「仮面物語」それが失敗作と感じて中編のまま改変したのがこの「ゴーレム」とのこと。

  それだけの紆余曲折を経ているだけに、山尾悠子の作品としては異例とも言える読みやすさの中に、ゴーレム、生死、魂といったテーマがきっちりと描かれ、第二セクションの「巨人」において達成できなかった「海」への到達という感動的なエンディングとなっている。

 

  以上、誰にでもお勧めできるような代物ではないが、山尾悠子の冷たい水底の世界に溺れたい方にはオススメ。