Count No Count

続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

六条御息所 源氏がたり(下) / 林真理子

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

  林真理子源氏物語六条御息所 源氏がたり」下巻に入ります。本巻では第十四帖「澪標」から第四十一帖「幻」まで、すなわち光源氏が京に戻ってから一生を終えるまでが、六条御息所の語りによって描かれます。

 

  下巻冒頭で六帖御息所は死んでしまい娘が心配で死霊と化してしまいますので、「生き霊7年、死霊で20年」という彼女の光源氏との関わりを考えると、本巻の方が圧倒的に長い時間が経過することになります。

 

  女遊びがすぎて都落ちした光源氏、さすがに懲りてそちらはほどほどに(やめないところがすごい)、人生の目標を栄華栄達に向けていきます。それに際してよすがとしたのが、若い頃に占い師に占ってもらった  

「御子は三人。おひとりは帝、おひとりは皇后となられましょう。そしてもうおひとりは太政大臣までのぼりつめられるはずです。」

という言葉。

 

  予言通り、藤壺との不義の子は本巻冒頭11歳にして新帝(冷泉帝)となりました。となると、亡き葵の上の忘形見の息子夕霧太政大臣、そして上京してきた明石の君の娘明石の姫君中宮となるはず。

 

  光源氏はこれを信じ、敢然と政権を獲りに行きます。美女には相変わらず色目を使うものの、かつての「恋の暴れん坊将軍」ぶりは影を潜め、成熟した政治家としての姿が下巻のメインとなります。

 

  六条御息所が死霊になってまで毒牙にかからないか心配した美貌の娘にしても、光源氏藤壺と共謀の上、自分達の息子である新帝の後宮に送り込んでしまいます。。

 

  やるな、光る君!

 

  と言ってあげたいところですが、ここまで頑張るのにはそれなりの訳があることは、死霊セレブもお見通し。ずばりライバルの存在です。実は新帝にはすでに二人の姫君が入内していたのです。この二人の父は、かたや、紫の上の兄でありながら自分を見捨てた兵部卿、かたや頭中将こと今の中納言(後太政大臣)なのです。

 

  憎き政敵と同期の親友、これは燃えますわな!そしてそれを冷ややかに見つめる六条御息所、という筆使いで林先生の語りは進んでいきます。

 

  その結果として、冷泉帝のある思惑もあり太上天皇まで登り詰め、位人身を極めてしまいます。そして六条御息所の領地だった六条の町ごとの広大な敷地に大邸宅を建て、紫の上花散里明石の君秋好中宮六条御息所の娘)と選りすぐりの美女を集め、さらには明石の姫君、そして亡き夕顔の娘である玉鬘を住まわせるという圧倒的な権勢ぶりを都中に知らしめることになります。

 

  しか〜し、光源氏の絶頂期はそこまで。その後は苦悩と凋落の日々が待ち受けていたのでした。その原因は大きく分けて二つ。

 

・ 一つは老いから来る、女性に対する魔力の減退です。

 

  若い頃は貴種からその周囲の女房たちまで手当たり次第に落とせていたのですが、年齢からくる分別と遠慮が微妙に光源氏の歯車を狂わせ始めます。

 

夕顔と頭の中将の間にできた娘玉鬘

 

六条御息所の娘秋好中宮

 

叔父式部卿宮の娘で昔から憧れ続けていた朝顔

 

この三人を光源氏は落とすことができませんでした。

 

  それも玉鬘は一瞬の隙を突かれて髭黒の大将にさらわれ、秋好中宮にはひたすら嫌がられ、朝顔にはなんときっぱりと断られる、という屈辱の敗戦続き。稀代のプレイボーイの落日です。

 

  そして齢四十を過ぎて朱雀院に押し付けられた女三の宮をなんと太政大臣(元頭の中将)の息子柏木に寝取られた上に子(後の)までできてしまいます。因果は巡るなんとやら、自ら若き日に藤壺にしてしまった過ちの返り討ちをものの見事に食らってしまったのでした。

 

そしてもう一つは女心の軽視。

 

  林真理子先生は光源氏がどんな女にも優しく面倒見はよかったことを認めつつも、女心の機微は分かっていなかった、嫉妬心を軽視していたことを六条御息所の言葉を借りて結構頻繁に糾弾されています。

 

  特に最愛の妻紫の上は度重なる光の浮気(特に流浪先で子までなしたこと)や自らが石女であることへの苦悩を深くしていきます。光源氏は彼女の嫉妬がかえって可愛く、なんでも許してくれると逆に変な信頼を置いていたのですが、それは大きな間違いでした。

 

  彼女は疲弊し衰弱していき、ついに仮死状態にまで追い込まれます。そこでようやく光源氏はことの重大さを理解したのでした。元の住居である二条へ戻りつきっきりで介抱する日々は続きますが、それで彼女の健康状態や彼に頼する態度が変わることはありませんでした。

 

  そして迎えた紫の上の死。それはとりもなおさず、最後の二章の題名にもなっている、天下一光る君の「落日」そして「終焉」なのでした。

 

  その二年後、自らも冥界に入ろうとする光源氏を迎えに何人かの女性が現われます。

 

 あの方が手をとるのは、いったいどなたなのでしょうか。藤壺さまか、それとも紫の上さまなのでしょうか。が、決して私ではありますまい。  あの方を見続けた私の旅はこうして終わります。それでもどうか私の名を聞いてくださいますな。一人狂恋の罪ゆえの地獄へ向かう卑しい女でございます。(p486)

 

  この文章に六条御息所を語り手に据えた林真理子光源氏がたりの魅力が詰まっている気がします。

 

  原典はさらさらと流れるように話が進んでいき話の抑揚や考察といったものとは無縁なのですが、林真理子さんはそこに数多くの登場人物の観察、心理の洞察、事件の因果の考察といった現代的批評精神を持ち込み、なおかつストーリーの取捨選択による起承転結のメリハリをつけられました。

 

  その結果としてこの「源氏がたり」は二色刷りの長大な漫画を濃厚なマチエールを持った油絵数枚に変えてしまったような印象を受けます。賛否両論あるかも知れませんが、私は見事な手腕であったと思います。

 

   最後に林真理子さんが六条の口を借りて光源氏に語りかけた言葉を引用しておきましょう。

 

「これからあと二年、あなたはぐずぐずと紫の上さまのことを恋い慕い続けるでしょう。そうしながらも時々は他の女をお抱きになり、その女を恋しいと思うはずです。それでよいのですよ。それでこそ輝く光の君です。世の中はあなたが口で言うほど、無常でもつらいものでもなかったはずです。そのことをお認めなさい。」(p485)

 

さて、残るは宇治十帖です。 

 

源氏物語』から・・・不倫と性愛の千年史 光源氏の子供を出産し、出家をした、父=前帝の妻、藤壺。そのことで罪の意識にさいなまれながらも、新たな女性たちとの関係をさらに広げる、主人公、光源氏。自らの罪の重さに、都を離れ須磨へと旅立つが、そこでもまた、新たな女性との関係を持っていく。後編にあたる本書では、光源氏が須磨から再び都に戻った後、亡くなるまでの壮年期、熟年期の恋愛、性愛を、丹念な心理描写、情景描写で描いていく。 最大の盛り上がりは、原書の第三十五帖「柏木」にあたるところ。光源氏と妻、女三の宮との間に生まれた子が、実は自らの子ではなく、不義の子であることを光源氏が知る場面。かつて自らが犯した罪と同じような状況で、自らに降りかかる因果。そのときの光源氏の心の内を、恋愛小説の名手、林真理子はどのように描いていくのか。 不倫あり、同性愛あり、ロリコンあり、熟女愛あり・・・現代にも通ずる、あらゆる性愛の類型が登場する、世界にも希なる恋愛大河小説。その結末や如何に! 誰もが学校の授業で習った、あの『源氏物語』が、実はここまで過激で、こんなに面白かったなんて!