盤上の夜 / 宮内悠介
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「宮内悠介を読もう」シリーズの五冊目はデビュー作「盤上の夜」です。本来なら真っ先に読まねばならないところなのですが、本作のテーマであるボードゲーム類が全く不得意であることと、紹介文やレビューで「盤上の夜」の主役の設定が嫌だったことで、故意に避けていました。しかし傑作である「ヨハネスブルグの天使たち」に出会えたことで吹っ切れ、本腰を入れて宮内悠介を読みたくなり、この処女作を手に取った次第です。
前作でまとめた宮内悠介の短編集の特徴はこの処女作で既に確立されています。再掲しますと
・ ゆるやかに連関のある短編を重ねて全体として統一した世界観を提示する
・ 日本語題名にある程度統一性を持たせる
・ 英語のサブタイトルで内容を示唆する
・ 参考文献を提示する
となります。本作の場合は「ボードゲーム」がテーマで、取材記者である「わたし」が一作品を除いて語り手として登場し、最初の作品と最後の作品では主人公が共通しています。
日本語と英語のタイトル、本文、参考文献という体裁も本作ですでにそのスタイルを確立しており、デビュー当初からかっちりとした構成のできる作家であったことがよくわかります。
そして驚くべきは、練りに練られた完成度の高いプロットと、理系的なドライで分析的な文章。いわゆる「キレッキレ」な作品集で、これはデビューから注目を集めるわな、と感心しきりでした。敢えて言えば、ご本人が「超動く家にて」のあとがきで書いておられた
処女作がシリアス過ぎて、このままでは、洒落や冗談の通じないやつだと思われてしまわないだろうかというのがバカ小説執筆のきっかけ
という一節がよく理解できるような、あそびのない張り詰めすぎた展開、そしてややドロドロした設定があるのが気になったと言えば気になりました。また、最初に書いたようにボードゲーム類がからっきしダメなのが悔しかったです。詳しい人なら倍楽しめると思いますし、解説で沖方丁氏が書いておられるように、共通した語り手である「わたし」の心の動きもより理解しやすいのだろうと思います。
それにしても「栴檀は双葉より芳し」という喩えがピッタリくるような処女作でした。
以下、寸評です。
盤上の夜 Dark beyond the Weiqi 囲碁(Weiqiは中国語の囲碁の事)
慰みものにするために海外旅行中の女性の四肢を切り取るという都市伝説を題材にしていると聞いていたので読むのを躊躇っていた作品。その辺はさらっと流し、四肢をもがれた天才女性棋士灰原由宇と彼女の棋風に魅入られた日本の元棋聖相田淳一が囲碁界に起こした嵐が、取材記者の目を通して極めてドライな筆致で淡々と綴られるので、意外に引っ掛かりなく読めました。
特に彼女が盤上に「感じて」いた世界の描写が素晴らしい。そこから一捻りした上で沖方氏曰くの“本書における最も静かで美しいクライマックス”に持っていく技量は新人離れしています。囲碁をよく理解している人ならもっと深く感じるところがあるのでしょう、そこが悔しかった。
人間の王 Most Beautiful Program チェッカー
実在した無敗のチェッカープレーヤー、マリオン・ティンズリー。彼は1992年にシェーファーというプログラマーが考案したシヌークというプログラムと対決したことでも有名だそうです。その人間チャンピオン対コンピューター最強プログラムの対戦についての、一問一答形式の取材という形式で話は進むのですが、インタビューに応じている人物が誰か、というのがこの話のミソでなかなか面白かったです。
清められた卓 Sharman versus Psychiatrist 麻雀
麻雀は大体ルールがわかるので、面白く読めました。伝説の対局についての取材から浮かび上がってくる、透視能力があるとしか思えないシャーマン女性の真実。宮内悠介自身プロ麻雀試験に補欠合格した経歴の持ち主なので、麻雀理論の説明がすごいのですが、その一方で無敵のシャーマン女性の打つ手が無茶苦茶弱かった私がやるような手ばかり。その種明かしに笑ってしまいました、TVバラエティ番組「突破ファイル」MCのうっちゃんなら「惜しい!」と言ってくれてるかも(笑。
象を飛ばした王子 First Flying Elephant チャトランガ
将棋やチェスの起源と言われる古代インドの盤上遊戯チャトランガの発案者として、家族を捨て出家した釈迦の息子を設定したところが宮内悠介の慧眼です。捨てられ小国の生き残りを任されてしまった王子が戯れに考えだし、大人になって、帰ってきたシッダルタと盤上対決する場面が感動的で、この作品は一個の独立した作品として素晴らしい。
千年の虚空 Pygmalion's Millenium 将棋
これも作品としては素晴らしい出来栄えですが、そのドロドロさにはちょっと辟易。「盤上の夜」を最初に読んでいたら早々に宮内悠介から退散していたかも。そういう意味では、今になって読んで正解でした。
原爆の局 White Sands, Black Rain
「盤上の夜」の主人公の二人由宇と相田、そしてを追いかける記者「わたし」と第一作で由宇に勝てなかった棋士井上隆太の四人が再登場、舞台はアメリカへと移ります。それと並行して昭和20年8月6日の広島で行われていた本因坊戦が描かれ、絶妙にリンクしてラストの由宇と井上の決戦に雪崩れ込みます。観戦している「わたし」が“このとき現実の底がぬけた。部屋は透明な海水に満ち、透明な魚の群れが音もなく横切っては消えた。”と感じてからのめくるめくような展開は見事なものでした。囲碁をよく知る人であれば最後の由宇の言葉
「 ーーー 九割の意思と、一割の天命です。」
に感じ入る事ができるのだろうと思います。
以上、ボードゲームと人生の「完全解」を求め続ける人間たちの「さが」を描き尽くした短編集でした。( ← と、ボードゲームを知らぬ人間が結論づけてもいいのか? )
相田と由宇は、出会わないほうがいい二人だったのではないか。彼女は四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになった―若き女流棋士の栄光をつづり、第一回創元SF短編賞で山田正紀賞を贈られた表題作にはじまる全六編。同じジャーナリストを語り手にして紡がれる、盤上遊戯、卓上遊戯をめぐる数々の奇蹟の物語。囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、将棋…対局の果てに、人知を超えたものが現出する。二〇一〇年代を牽引する新しい波。(AMAZON解説)