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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ヨハネスブルグの天使たち / 宮内悠介

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  宮内悠介を読むシリーズ、今回は「ヨハネスブルグの天使たち」を選んでみました。2013年に発表された第二作となりますが、いやあ凄かったです、私がこれまで読んだ宮内作品中最高の出来でした。

 

  伊藤計畫の「虐殺器官」「ハーモニー」を彷彿とさせる筆致でディストピアを描き、しかも、より深く現実の宗教・政治問題に踏み込んでいる。これだけのものがデビュー第二作にして書ける、ポスト伊藤計畫という呼び声は伊達ではないな、と思いました。

 

戦災孤児のスティーブとシェリルは、見捨てられた耐久試験場で何年も落下を続ける日本製ホビーロボット・DX9の捕獲に挑むが―泥沼の内戦が続くアフリカの果てで懸命に生きる少年少女を描いた表題作、9・11テロの悪夢が甦る「ロワーサイドの幽霊たち」など、日本製の玩具人形を媒介に人間の業と本質に迫る連作5篇。デビュー作『盤上の夜』に続く直木賞候補作にして、日本SF大賞特別賞に輝く第2短篇集、文庫化。(AMAZON解説)

 

  ここまで宮内作品を読んできて、だいたい彼の作法というものが見えてきました。

 

・ ゆるやかに連関のある短編を重ねて全体として統一した世界観を提示する

・ 日本語題名にある程度統一性を持たせる

・ 英語のサブタイトルで内容を示唆する

・ 参考文献を提示する

 

という感じです。今回の作品は「○○の〜たち」という題名に統一されており、○○には地名が入ります。その題名・サブタイトル・地名を先にまとめておきますと

 

ヨハネスブルグの天使たち」(City in Plague Time)  南アフリカヨハネスブルグ

「ロワーサイドの幽霊たち」(Our Brief Eternity)USA・ニューヨーク

「ジャララバードの兵士たち」(The Frequency of Silence)アフガニスタン・ジャララバード

ハドラマウトの道化たち」(To Patrol the Deep Faults) イエメン・ハドラマウト

「北東京の子供たち」(How we survive, in the flat (killing) field) 日本・東京

 

となります。近未来を想定したSFであるものの人種問題、イスラム過激派問題等々の社会問題に踏みこまざる得ない地域を選んでおり、現在を生きる私たちに切実にリアルに迫ってきます。

 

  そしてその五編に共通して登場するガジェットが、日本製の少女型ボーカロイドDX9、もともと日本企業が金持ち向けに開発したロボットです。初音ミクをロボットにしたようなイメージでしょう。

  輸出用として便宜的に「楽器」製品として申請され、海外の面倒な商標権問題を回避するためにわざと「DX9」という味気ない製品名にしてあり、通称は「歌姫」。このあたりの作り込みには作者の徹底したこだわりが見て取れます。

 

  冒頭作でこのDX9の数千のプロトタイプが、内戦のため日本企業が撤退したヨハネスブルグのビルの屋上から耐久性試験のため自律的に毎日夕立のように落下を繰り返します。

夕立の時間だ。(中略)風を切る音がした。まもなく幾千の少女らが降った。あるものはまっすぐに、あるものは壁にぶつかり弾けながら、ビルの底へ呑まれていく。(中略)雨は四十五分間つづいた。

  そして、第二編以降もDX9が落下するシーンが必ずあり、全作の通奏低音となっています。

 

  文明社会の行き着く先をディストピアとして描く上で、SFファンにはたまらなく鮮烈なイメージ提起です。このアイデアと個人の意識人格をDX9に転写移植することが可能であるという活用方法がこの作品に深みを与えており、宮内悠介のとんでもない才能を見る思いがしました。

 

  ここまでで随分長くなってしまったので、以下短く各編の感想を記しておきます。

 

ヨハネスブルグの天使たち」   ネルソン・マンデラアパルトヘイトを終わらせたもののその後も人種・貧富・地域格差などの問題がこじれてついに南北戦争に陥っている南アフリカが舞台。戦争孤児となった黒人の少年と白人の少女が暮らすスラムと化したビル中央の吹き抜けを、毎日毎日夕立のように数多くのDX9が落ちていく。そのうちの一台に意識があると見抜いた少年がその個体をレスキューしようとするが失敗。その後結婚した二人は大学に進み、男は政治家を志し内戦を終わらせようとするが。。。

 

  最後に迫害された白人たちをDX9を利用して疎開させるシーンがこれまた印象的。あの個体も再登場し最後に歌い出すところが感動的です。短編なのでやや拙速なところも見受けられはしますが、この世界観の提起だけでもう十分傑作だと思います。

 

ロワーサイドの幽霊たち」   わざと分かりにくくしたストーリーの合間に頻繁に9.11に関連のある人物の紹介が挟まれる、実験的な作品です。最初はとっつきにくいですが、息子を9.11で喪った集団心理学者が、あの日の犠牲者の人格を悉くDX9にインストールしてもう一度あの事態を再現しようとしている、というカラクリがわかってくると俄然面白くなります。面白くといっては不謹慎なのかもしれない題材をギリギリのところでうまく処理したその手腕は見事です。ツインタワーの間の空間は一体なんなのか、という問いかけも印象的。

 

ジャララバードの兵士たち」「ハドラマウトの道化たち」   この二作は共通した登場人物が二人いること、どちらも部族抗争で無政府化しアメリカの介入を許している場所であること、DX9が武器として使われていること、生物兵器にまつわるミステリ仕立てであることなどの共通点があり、連作であるといえます。

 

  日本人主人公ルイは、中央アジアからアラブ地方への放浪歴がある作者を彷彿とさせます。二作品ともリアリティが半端でないのはそのためなのでしょう。またミステリファンの作者らしく、名前を出さずにアフガンで銃弾に斃れた中村哲氏やポリスの「Every Breath You Take」などに触れている箇所があるのでお読み逃しなく。

 

  それにしても、自爆テロに関する思いもかけなかったDX9の使い方には唖然としました。是非お読みいただき、戦慄してください。

 

北東京の子供たち」   かつては繁栄の象徴だった北東京の団地が閉塞感しかないような場所となり、現実逃避の道具としてDX9は使われ毎夜屋上から落下を続けています。DX9にハッキングしている輩は飛び降りを毎夜バーチャル体験する遊びに耽っているわけで、人の命が塵のように軽いアフガンとはまた違った意味で、救いようのない世界です。

 

  主人公の少年(ルイの弟)と少女は、少女の母親のその現実逃避の遊びをやめさせたくて、そのDX9たちをある部屋に閉じ込めることに成功しますが、その結果は無残なものでした。

 

  最後にほんのわずかではありますが救いのある情景を描いて話は終わりを告げます。とうの昔に閉店してしまった団地一階の薬屋が置き去りにしたためそこで毎日毎日歌い続けるDX9がそのシーンにも登場します。哀しくも印象的なエンディングであるとともに、五作品で落ち続け、散っていった無数のDX9に向けて挽歌を歌っているような気もしました。

 

 傍らでDX9は歌い続ける。  

 まるで、愛する人を待っているかのように。

 

 

  迷わず星五つです。