失われた時を求めて 10 / マルセル・プルースト
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岩波文庫版の「失われた時を求めて」も第10巻、第5篇「囚われの女」に入ります。ここから先はプルーストの死後、遺稿を元にして出版が続けられたので、本文の解読や配列、改行の有無、イタリック体使用の有無等、刊本による異同がかなりあるそうです。幸い訳者の吉川一義氏は博士論文のテーマが
未発表草稿に基づく『囚われの女』成立過程の研究
だったそうで、その研究の成果を最大限盛り込んだとあとがきに書いておられ最大限盛り込んだとあとがきに書いておられます。
例えばこの巻において初めて「私」が「マルセル」と呼ばれるシーンが登場します。これもプルーストが校正しきれないまま亡くなり、隠し通せなかったからだそうで、こういう破綻は今後もいくつか見受けられます。まあそういうところも一興ではあるのですが、とにもかくにも吉川先生の注釈が格段に増えております。
またまた前置きが長くなりました。ではまず「囚われの女」の構成を見ていきましょう。この篇も岩波文庫版で二冊に分かれるほどの分量(一冊約500P)があります。
前巻の最後でアルベルチーヌの同性愛疑惑がまた持ちあがり大ショックを受けた「私」は発作的に結婚すると母に告げ、彼女をバルベックからパリに連れ帰り自宅に閉じ込めてしまおうと決意します。そして本篇はバルベックからパリに戻った秋から冬を経て春にかけての約半年が描かれます。概要を箇条書きにしてみますと、
・ パリでのアルベルチーヌとの同棲の日々
シャルリュス、モレル、ジュピアンの近況
ゲルマント公爵夫人の近況
↓
・ 作家ベルゴットの死
(以上第10巻)
↓
・ スワン氏の死
↓
・ パリのヴェルデュラン家訪問、壮大な夜会
故ヴァントゥイユの崇高な未発表七重奏曲シャルリュス氏の追放
↓
・ 再びアルベルチーヌとの日々
↓
・ アルベルチーヌの出奔
(以上第11巻)
という感じになります。こう書くときっちりと物語が進むように思われるかもしれませんが、「無意識的記憶」に任せるままに描かれる本作のこと、時系列に忠実に描かれるわけではなく、一日が100P以上に渡ったり、突然時間が飛んだりと相変わらず読者泣かせです。
特に前半部分となる本巻は、ひたすら自分勝手な「私」の煩悶を聞かされ続けて一巻が終わってしまう感じで、読んでる間は時間経過もよく分かりません。一応冬の始まりの二日間と、春になりかけの一日(その夜に後半の大部分を占めるヴェルデュラン家の夜会がある)の三日間だけが描かれるていることになるそうです。
三日間で400P超。。。。。(呆
勿論その間に
・ 秋から冬にかけてのパリの情景、時代の移り変わりの鮮やかな描写がなされ、
・ 最早憧憬の対象ではなくなり、アルベルチーヌのファッションアドバイザーとして冷静に付き合えるようになったゲルマント公爵夫人の現況を描いて時代の変遷を感じさせ、
・ 最後には偉大な作家ベルゴットの、フェルメールの名画「デルフトの眺望」の前での劇的な死を描いて
大向こうをうならせてはくれます。
とは言え、現代女性やフェミニストならもう途中で本を叩きつけてしまうであろう、「私」の勝手な恋愛観、アルベルチーヌへの嘘つき呼ばわり、果てしのない同性愛への疑いと嫉妬とその姑息な対抗策、ほぼそれだけに紙面は費やされます。
一方でアルベルチーヌとの性愛はしっかり楽しんでおり、そればかりか、彼女の裸の寝姿を楽しむ方が快感であるという変態的一面もねっちょりと描かれております。今回はそのサワリを引用して終わりとしましょう。
私のベッドのうえに全身を横たえたアルベルチーヌは、とうてい故意にはつくりだせない自然な姿勢でいて、花をつけた長い茎がそこに置かれているように見えた。
こうして漏れてくるアルベルチーヌの眠りという不思議なつぶやき、海の微風のように穏やかで月の光のように夢幻的なつぶやきに私は耳を傾けた。
・・・そっとベッドの上へあがり、アルベルチーヌに寄り添って身を横たえ、その腰を片腕で抱きかかえ、頬や胸に唇を押しあて、それから空いている方の手をアルベルチーヌの身体のありとあらゆる箇所へ置くと、その手も真珠(のネックレスのこと)と同様、呼吸に応じてもちあげられ、その規則正しい動きによって私自身もかすかに揺れた。
ここから先は読んでのお楽しみ、ということで相変わらず文章は天才的で蘊蓄は半端ないですが、ストーリー的には前巻で難所は乗り越えたと思ったのにまたまたこれかよ、という第10巻でした。