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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

失われた時を求めて 1 〜第一篇 「スワン家の方へ I 」 〜 (光文社古典新訳文庫) / プルースト、高遠弘美翻訳

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  読書好きなら誰もがその名前は知っている「A la recherche du temps perdu 失われた時を求めて」、フランスの作家マルセル・プルーストが1922年に亡くなるまでの約15年間をこの一作のためだけに費やし、原稿3000枚以上、日本の400字詰め原稿用紙10,000枚に該当するという大長編、「二十世紀文学の金字塔」との誉れも高い作品である。

 

  しかしその一方で、無数の中途挫折者がいることでも有名である。長いというだけなら時間をかければ読めないことはない。この作品の恐ろしいところは、訳者である高遠氏が

 

今回の第一巻は、今まで無数の読者が挫折してきた巻である。とくに開巻数十ページが難所だと思う。

 

と言っておられるように、3000Pどころか、第一巻の最初の数十ページ、実際は20Pくらいで大抵の人はあきらめるか投げ出すかするのである。私もそうであった。今回再挑戦するも、やはり返り討ちにあった。10分も経たないうちに寝落ちしてしまったのである。

 

  なにしろ、夜の浅眠の中で、あるいは紅茶をひたしたプチ・マドレーヌを口にした途端に引き出されてきた、子供の頃両親とともに過ごしたコンブレーという町にまつわる無意識的記憶をランダムに綴っていくだけで第1巻(第一篇「スワン家の方へ I」第一部:コンブレー)が終わってしまうのである。

  プルーストの文章を引用すれば

 

いま、私たちの家やスワン家の庭に咲くあらゆる花が、ヴィオンヌ川(ゲルマントの方)の睡蓮が、善良な村人たちが、彼らの小さな住まいが、教会が、コンブレー全体とその周辺が - そうしたすべてが形をなし、鞏固なものとなって、町も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである。

に始まり、

こうしてしばしば朝まで、コンブレーで過ごした時間や、眠れない悲しい夜や、最近一杯のお茶の味(中略)によって立ち返ってきたあまたの日々に、そして、私が生まれる前にスワンが経験した恋愛について(中略)私が知ったことに思いを馳せた。

 

に終わる。これだけのことを500Pに膨らませたわけである。プルーストおそるべし。

 

  そして本巻にはストーリーらしいストーリーもない。訳者が解説で

 

プルーストにあらすじはいらない」

 

と断言されておられるくらいである(ただ、訳者は肯定的な意味でおっしゃっているのだが)。それに加えて文体が慣れるまでは冗長としか思えないのである。一文1,2行で済む内容を装飾、注釈、譬喩を満載に盛り込んで十行、二十行に及ぶ。

 

  まだこれくらいならわかりやすい、という一文を紹介してみよう。

 

私は晴れた日曜の午後、気持ちの良いコンブレーの庭で読書するのが好きだった。

 

と言えば済んでしまうことを、これだけプルーストは膨らませる。

 

コンプレーの庭のマロニエの木の下で過ごした、晴れた日曜の午後たちよ、君たちから私は自分の個人的な生活のつまらぬ出来事は念入りに排し、その代わりに、きれいな湧き水で潤う土地のさなかで、展開する冒険的生活や不可思議なものへの渇望あふれる生活を注ぎこんだのだったが、君たちのことを想うと、いまなおあの生活が蘇ってくる。静かで音がよく通る、香り高く澄み切った君たちの時間が、葉陰を通してゆっくり変化して、間を置かずに結晶してゆく。君たちはあの生活を内に秘めて、その輪郭を少しずつ形作り、 - 私が読書を続け、日中の暑さが和らいだ間に - それを君たちの時間の結晶のなかに閉じこめたのだ。

 

これなど、色彩感豊かないい文章だが、そんな文章ばかりではない。あっという間に眠気を誘うような文章の方がはるかに多く、あまり明確な区切りもなく、明確なストーリー展開もなく延々500Pも続くのだから、そりゃ挫折するわな、の世界である。

  おまけに日本語翻訳というハードルもある、ただ、これに関して話していると長くなりすぎるのでこれについては割愛する。

 

  さて、この作品のキーワードとしてはよく

 

「マドレーヌと紅茶」「カトレアする」「無意識的記憶」「意識の流れ」「心情の間歇」「同性愛」「サディズムマゾヒズム」「上流社会」「スノビズム」「ユダヤ人(特にドレフュス事件)」「絵画」「音楽」「藝術論」「小説論」

 

などが挙げられている。そしてこの曖昧模糊とした雰囲気、難解な文章の続く第一巻に、実は、ほぼ全て総集編的に提示してあり、しかもものすごい数の登場人物のうちでも主要なキャラクタはすべて紹介されているのである。

 

  プルーストの周到な計算おそるべし!

 

  ただ、訳者はそういうことは気にせず、先入観を持たず、

 

斜め読みせずに、一行一行を丁寧に読んでゆくことである。というより、私たち読者の義務はそこにしかない。

 

と書いておられる。そうすれば、

 

その代わり、プルーストを読む行為が私たちに与えてくれるものはすこぶる豊穣である。生彩あふれる自然描写、皮肉でいながら深みと立体感に満ちた人物造型、増殖する譬喩の連鎖、豊富な語彙、こうしたすべてがプルーストの美質として私たちの眼前に次々と現れてくる。

 

  確かに寝落ちしながら毎日毎日(たしかに晴れた日曜の午後は絶好のプルーストタイムであった)少しずつでも読みすすめていくと、プルーストの文章の魅力、自然や建築の描写、人物描写、小児期や思春期の感情表現、芸術への造詣ーたとえばそれはジョルジュ・サンドをはじめとする作家であったり、コロー、ユベール・ロベール、ターナーをはじめとする画家であったり、ワーグナーをはじめとする作曲家であったりするのだが-、等々にはまってくる。

 

  だから、読むしかないのである。

 

 

  次巻ではスワン氏の当時としては不道徳な「ほぼ高級娼婦」オデットとの恋愛が語られる。しかし、その前にちょいと寄り道して、絶好の副読本を紹介したいと思う。

  

色彩感あふれる自然描写、深みと立体感に満ちた人物造型、連鎖する譬喩……深い思索と感覚的表現のみごとさで20世紀最高の文学と評される本作が、豊潤で絢爛たる新訳でついに登場。第1巻では、語り手の幼年時代が夢幻的な記憶とともに語られる。プルーストのみずみずしい世界が甦る!〈全14巻〉