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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

Memory Wall / Anthony Doerr

⭐️⭐️⭐️⭐️

    2002年に短編集「The Shell Collector」でデビューし、最新作でピュリッツァー賞を受賞したAnthony Doerrであるが、2018年末までの著作は下記四作品と寡作である(エッセイを除く)。

 

長編:

About Grace(2004)(未邦訳)

All The Light We Cannnot See(2014)(すべての見えない光)

短編集:

The Shell Collector(2002)(シェル・コレクター

Memory Wall(2010)(メモリー・ウォール)

 

  既に三作品は読んだので、残るはMemory Wall一作のみ。さて、英語で読むか、日本語で読むかであるが、原書を手に入れにくかった昔と違い、今はたいていの作品がAMAZONKindleに容易にDLできる。で、お値段。

 

English Edition Kindle DL  520円

邦訳 新潮クレフトブックス  2254円

 

版権や翻訳にかかる費用などが増えるにしても、値段4倍はないと思う。だからやっぱり原著を読むことにした。 ちなみに邦書は六作品収録のようであるが、このKindle版にはもう一つ「 The Deep」と言う短編が収録され七作品となっており、よりお買い得感が強い。

 

Set on four continents, Anthony Doerr's collection of stories is about memory: the source of meaning and coherence in our lives, the fragile thread that connects us to ourselves and to others.(AMAZON解説より)

 

1.「Memory Wall

  表題作だけに力が入っており、中編といっていいくらいの分量がある。彼得意の博物学、特に今回は化石発掘譚の部分が素晴らしい。南アフリカの自然や、アパルトヘイト後に依然として残る白人と黒人の貧富の差もうまく描けている。

 

  けれど中途半端なSF設定がこの作品を凡庸なものにしている感が否めない。頭に四本電極を突っ込んで記憶をカートリッジに記録し、そのカートリッジを装填すればいつでも誰でも読める。。。まあ60年代かというくらい古臭いSFガジェットである。大体電極4本突っ込んだだけで記憶が読み取れるはずがない。サイバーパンクの走りの頃のギブソンの「記憶屋ジョニィ」でさえもうちょっとクールで説得力のある設定だった。

 

  ドーアにSFは似合わない。というか、この設定、あるとんでもなく貴重で高価な化石の在り処を探るためだけにあるといって過言ではない。彼なら無理にSFの方向に振らなくてもいくらでも書けるだろうに、と思う。

 

  あとは大発見の後の処理ががさつで単純・能天気すぎる。惜しいなと思う。

 

2.「Procreate, Generate

  面白い題名だが、どう邦訳するか難しいところ。

 

  その題名通り、子供に恵まれない30代夫婦が必死に不妊治療するさまを、ひたすらドライかつシニカルに描いている。ドーアにしては異色の筆致だが成功しているかといえば微妙なところ。ではあるが、「Memory Wall」とは対照的に、ひたすら一本調子で進んで行って最後にちょっと盛り上げ、粋な終わり方をするのはうまいと思う。

 

  最後の方に出てくる「old woman in the shoe」という表現に引っ掛かりを感じたので調べてみると、「There was an Old Woman Who Lived in a Shoe」というよく知られたNursery Rhymeがあるそうだ。

 

3.「Demilitalized Zone

  掌編であるが、手紙の中だけで見事に朝鮮半島の非武装地帯を描写している。

 

  語り手の男はアメリカにいる。朝鮮戦争に従軍し今は認知症になっている父を介護している。妻は友人に寝取られて出て行った。今は韓国に赴任している息子からの手紙だけが楽しみである。。。が、その息子がDMZでちょっとした不注意でAWOLしちゃってえらいことに。。

 

4.「Village 113

  今度はお隣の中国(っぽい)。近代化の波で巨大なダム湖に沈む運命にある村、Village113が舞台。そのダム計画は壮大で、数多くの村町都市を飲み込み、完成した暁には、

 

「月からダム湖が見える」

 

規模というからすごい。となると、思い出すのが、中国が行った世紀の愚策にして汚職の大温床、完成してからも問題山積の、三峡ダ である。ドーアは具体的な地名は記していないし、あくまでもフィクションではあるが、三峡ダムにインスピレーションを得たのはおそらく間違いないだろう。

 

  閑話休題、前半は、そのダム湖に沈む113村に住むSeedkeeper(種屋)の母と、村の生活を嫌って出ていき、沈める側のダム・コミッションに雇われて住民の移転を進める側に回った息子の静かな交感をドーア独特の筆致で描いている。

 

  一度は息子の家に仮住まいした母だが、やはり水が合わず、元の村へ戻る。そこに居残っている老教師のKe(中国語でどう書くか不明)とのこれまた静かな交感が後半のハイライトとなる。

  段々と村人たちは減っていき、種の需要もなくなる。村も荒廃していき、皮肉なことに花々は咲き乱れ、蛍が飛び交う。

  113村最後の日まで二人は居残るが、さて村と運命を共にするのかどうか。この終盤からラストまでの描写が飛び切り美しい、さすがドーアである。

 

  主題の「記憶」に関しては「種」が今回はその役を担う。ややとってつけた感が否めないが、上述の美しい文章がそれを補って余りある。

 

5:「River Nemunas

  ドーア流の美しいジュブナイル小説である。ある少女が両親を亡くし喪失感を抱いたまま異国の祖父の元に引き取られる。そこで過ごす数ヶ月間の様々な出来事を平易な文章、泣き笑いありで活写している。

 

  舞台は北欧(主人公の少女に言わせればヨーロッパの北東の角)に飛んで、リトアニアである。題名はリトアニア最大の大河ネマン川のこと。その悠々とした流れの描写も見事だが、その地域にも二度の独立戦争ソ連の干渉が残した爪痕がある。そこを子供目線でしっかりと描いているのは、さすが。

 

  さてその主人公の少女Allieアメリカはカンサス育ちだが、両親を相次いで癌で亡くし、リトアニアに住む母方の祖父グランパZ (本名Zydrunasがアメリカ育ちの子供には言いにくいからであろうが面白い呼称)に引き取られることになる。そして愛犬Mishap(災難とは何というスピーキングネーム)と飛行機に乗るところから話は始まる。

  一見醒めている少女の軽快でドライでテンポの良い語り口でどんどん話は進んでいき、リトアニアの祖父や隣人の記憶障害のSabo婆さんとの出会いが簡潔に語られる。そして少女は祖父に連れられてネマン川を始めて見る。その驚き。流れていないようでゆっくりと流れている大河。

 

At first the river looks motionless, like a lake, but the more I look, the more I see it's moving very slowly.

(中略)

River Nemunas. It is called River Nemunas.

 

非常にシンプルなセンテンスであるが、的確にネマン川を描写している。実に鮮やかな手並みである。

 

  そしてある日、チョウザメをサボ婆さんと目撃する。しかしグランパZは絶滅危惧種ネマン川にはいるはずがないと全く相手にしない。その悲しい理由は終盤にネタ明かしされるが、頭から否定され怒ったアリーはサボばあさんを引き連れて夏の間ずっと小舟で釣りをする。そんなある日、婆さんの釣り糸に大物がかかる。婆さんは突然正気を取り戻し必死で釣り上げようとするが。。。

 

  そのサボ婆さんにももう記憶から消えてしまっている二度の独立運動をくぐり抜けてきた過去があり、苛烈な歴史はアリーにも、学校から出かけるKGB歴史館やソ連の核ミサイル跡地の見学で段々とわかってくる。

 

  と書くと深刻な話ばかりのように思われるかもしれないが、この小説でのドーアのユーモアは秀逸である。こんなセンスがあったのかと驚くほど笑わせる。例えばこんなシーン。サボ婆さんと「Boy Meets Grills」と言う番組を見てアリーは自分で料理を作る。

 

I try cooking zucchini crisps and Pepsi-basted eggplant. I try cooking asparagas Francis and broccoli Diane. Grandpa Z screws up his eyebrows sometimes when he comes in the door but he sits through my bless us O lord and eats everything I cook and washes it all down his Juazo beer.

 

  こんな愉快な文章のすぐ後に、サボ婆さんと釣りに出かけて物思いに耽るシーンが用意されているところが憎い。

 

I wonder about how memories can be here one minute and then gone the next. I wonder about how the sky can be a huge, blue nothingness and at the same time it can also feel like a shelter.

 

  ネタバレになるが、サボ婆さんはあと一歩のところで大物を逃した。ここに及んでもグランパZ はチョウザメを否定する。しかし程なくしてサボ婆さんが天国へ旅立つ。彼の職業は墓石に個人の肖像を掘ることだが、サボ婆さんの墓石は無償で引き受け心を込めて完成させる。そしてアリーとチョウザメ釣りに出かける。さて果たしてチョウザメはまだネマン川にいるのかいないのか。。。ラスト4行は心に残る名文。秀逸な作品であった。

 

 I pray for the lonely sturgeon, a monster, a lunker, last elder of a dying nation, drowsing in the bluest, deepest chambers of the River Nemunas.

    Out the window it starts to snow.

 

6:「Afterworld

  本作品集の白眉、最も長く、最も暗く、そして最も感動的な中編である。物語は不穏で不可思議な雰囲気で幕を開ける。

 

  第一章ではあざみ野の中の朽ちかけた建物に11人のユダヤ系の少女がいる。彼女たちもここがどこか分からない。一人が言う。「Estherはどこ?」誰も答えない。最後にEstherの親友だったMiriamが階段を降りて来て言う。

 

"We're dead." "I'm sure of it."

 

  第二章ではEstherの生い立ちが簡潔に語られる。分娩外傷でてんかん持ちとなった少女Estherハンブルグユダヤ人少女専門の孤児院に預けられる。そこでてんかんを起こしたEstherは女性の声を聴く。

 

First we die.Then our bodies are buried.So we die two deaths. ...... in another world, folded inside the living world, we wait. ..... And when the last one of them dies, we finally die our third death.

 

  この二章の意味するところは、終盤で明らかとなる。衝撃をもって。。。

 

  それ以後の舞台はナチス時代のドイツ・ハンブルグと現代のアメリカ合衆国オハイオ州。この二つの世界が交互に語られていく。

 

  Estherの入った孤児院にもユダヤ人迫害の足音が徐々に忍び寄ってくる。そしてハンブルグは連合国軍の大空襲の惨禍にもさらされる。この大空襲は以前佐藤亜紀の「スイングしなけりゃ意味がない」でも描かれていたが、あちらでは主人公がしたたかに生き抜いたのに対して、こちらの孤児院は段々とユダヤ系の避難者でごった返すようになり、生活はどんどん苦しくなる。一方孤児院の少女たちは一人一人と強制移動命令で去っていく。去った者からの手紙は来ない。

  そして1942年の7月ついにEstherを含む12人の少女に移転命令書がくる。行き先はビルケナウだ。お分かりと思うが悪夢のアウシュビッツ収容所があるところだ。

 

  一方で、Estherはもう81歳と老年期を迎え、オハイオ州に住んでいる。奇跡的にあの時代を生き抜いたのだ。何故アウシュビッツを免れたのかは最終盤に明らかとなる。彼女は何故自分だけ命が助かってアメリカへ来れたのか、疑問と自責の念に常にかられている。その理由は彼女自身には分からないが読む者には想像がつく。その理由にも胸が締め付けられる思いがする。

 

  残念ながらてんかんは悪化する一方。息子夫婦は中国の孤児二人を引き取りに中国へ出かけているため、孫のRobertが世話をしている。

 

  Estherは発作のたびに11人の少女、とりわけ仲の良かったMiriamの声を聞く。それはもう発作の幻聴なのか、記憶なのか、それとも別の世界(Another World、あるいはAfterworld)から彼女たちが呼んでいるのか、最後には見境いがつかなくなる。 そしてRobertが打ち上げる花火のきらめきの中、、、

 

  暗転した舞台。次のシーンではEstherは退場し、Robertと義理の妹になったばかりの二人の中国人少女の交流が描かれる。このRobertの描き方がとても上手く、この陰鬱な物語の一服の清涼剤となっていたが、ラストシーンで、戦争時のことは何も語らず逝った祖母と新しい妹たちに思いを馳せ、彼はこう独白している。

 

 Every hour, Robert thinks, all over the globe, an infinite number of memories disappear, whole glowing atlases dragged into graves. But during that same hour children are moving about, surveying territory that seems to them entirely new. They push back the darkness; they scatter memories behind them like bread crumbs. The world is remade.

 

  

7:「 The Deep

  最後を締めるのは大恐慌前後のデトロイトを舞台としたほろ苦い短編。主人公Tomは1914年生まれ、心臓に中隔欠損を持ち医師から寿命は16歳、よくて18歳まで、とにかく興奮させないように、と診断され、母は過保護に過保護に育てる。ドジでのろまで頭の悪い彼にも風変わりなRuby Hornadayというガールフレンドができるが。。。

  大恐慌時代をなんとかしのぎ、18歳を超えて生きているTomはRubyと最後のデートをする。ほろ苦い余韻が残る。

 

  そして終文でエエッと言わせる。ドーアも人が悪い、というか、うまいと言うべきか。

 

 

  と言うことで、前半はどうしたドーア?と心配したが、「 Village 113 」で盛り返し、「 River Nemunas 」「 Afterworld 」で読むものを圧倒する出来栄えを披露してみせた。やはり彼は短編の名手であるし、その手法は斬新である。そしてその手法を長編に活かし、見事にピュリッツァー賞を獲得してみせたのが「 All The Light We Cannot See 」であると言えるだろう。