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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

トーマの心臓 / 萩尾望都

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  萩尾望都先生の「ポーの一族」と並ぶ初期の代表作の一つ。当時は憧れでしかなかった欧州のギムナジウム、禁断の少年愛の世界、巧妙なプロット、繊細な画風、後の少女漫画に与えた影響は計り知れない。

 

  この時期の少年愛漫画の双璧をなすもう一つの傑作が竹宮惠子先生の「風と木の詩」だった。いずれも伝説の「大泉サロン」から生まれたもので、その少年愛思想を牽引したのはサロンの主宰者増山法恵女史で、二人を欧州旅行にも連れて行って教育したのも彼女だという。

 

  それがこの「トーマの心臓」と「風と木の詩」に結実するわけだが、竹宮先生ご自身が「少年の名はジルベール」で認めている通り、当時の実力は萩尾先生が断然リードしていた。マンガを描く技術の高さ、話の作り方、新しい演出方法、斬新な表現、すべてに嫉妬を覚えて苦しんだという。

 

  そんな萩尾先生の、押しも押されもせぬ、有無を言わせぬ、エヴァーグリーンな、天才のなせる業としか言いようのない「トーマの心臓」であるが、初回連載は人気投票最下位だった。打ち切りをにおわせる編集長をうまくごまかして連載を引っ張っているうちに「ポーの一族」で脚光を浴びたことにより、この作品の人気にも火が付き、無事完結した。

 

  「十一月のギムナジウム」が雛型であると思われているが、実はそれ以前から発表の意図なくぼちぼちと描き始められていた、と本書の解説にはある。やはりトーマ・ヴェルナーは物語の始まりで死ななければいけなかったのだ。ユーリ(ユリスモール・バイハン)の再生を促すために。

 

  そしてこの物語は決して少年愛だけがテーマではない。ユーリの苦しむ神への裏切り(キリスト教哲学)、オスカー・ライザーエーリク・フリューリンクの心の内にある義父(オスカー)や母(エーリク)への複雑な感情等々。

  これらすべてを漫画の中に無理なく盛り込み、なおかつ複雑な少年愛相関図を完成させたこの作品は、何十年の歳月を経て再読してもやはり感動的である。そしてその圧倒的な詩的表現力、そして描画の美的感覚において、再び圧倒された。

 

  個人的にはオスカー・ライザーがシュロッターベッツに入学するまでの一年間の放浪を描いた「訪問者」も忘れがたいが、やはり本作は別格である。

 

 

『冬の終わりのその朝、1人の少年が死んだ。トーマ・ヴェルナー。そして、ユーリに残された1通の手紙。「これがぼくの愛、これがぼくの心臓の音」。信仰の暗い淵でもがくユーリ、父とユーリへの想いを秘めるオスカー、トーマに生き写しの転入生エーリク……。透明な季節を過ごすギムナジウムの少年たちに投げかけられた愛と試練と恩籠。今もなお光彩を放ち続ける萩尾望都初期の大傑作。 (AMAZON解説より)』