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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

李鷗 / 高村薫

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高村薫流BLの極みと言える、中国人ヒットマン李鷗 。久々に再読、記憶違いも沢山あったが、やっぱりいい。李歐よ、君は大陸の覇者になれ、僕は君についていく夢を見るから。


李歐

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書評
 

  先日レビューした佐藤亜紀の「戦争の法」でも書きましたが、主人公の男性二人の微妙な心理の綾の描き方でふと思い出したのがこの小説でした。

 

  まあ、この小説でなくても高村薫女史は男性同性愛が大好きなんですが、「わが手に拳銃を」という初期の作品で登場した李歐吉田一彰という二人の人物もそうでした。

 

  その二人を核に話を膨らませ、変に小難しくならず伸びやかな筆致で書かれているこの作品は、合田三部作や二十世紀三部作とはまた違った、格別の味わいがあります。

 

  さてその李歐の正体は謎に包まれています。時は東アジアが中国の文化大革命で混沌としていた時代、日本も不法入国者不法就労者、スパイ、ヤクザ、公安入り乱れての丁々発止。特に高村女史のホームグラウンドとも言える大阪はヤバ過ぎる街。李欧は公安によればそんな街に音もなく現れた中共スパイ、金貸しに言わせれば文革で香港に流れてきた貧民で、ヤバい奴ら相手に無謀に立ち回って日本に逃げてきたチンピラ。

 

  そしてもう一人の主人公吉田一彰幼年時代母と二人で越してきたのが大阪は姫島。当時の一大工業地帯福島と淀川一つ隔てた対岸の下町。

 

  アパートの近くには、満州帰りの守山耕三という男の経営する機械工場があり、幼い一彰はいつしか頻繁に出入りするようになり、守山や従業員の中国人、朝鮮人たちと仲良くなる。

 

  しかし、実はこの従業員たちはみんな訳ありで、公安の田丸と言う男が常に監視しており、金貸しの笹島と言う男は拳銃密造というヤバい仕事を守山に強要していた。 と言う前提は覚えていたんですが、そこからのストーリーはもう完全に自分勝手に作り変えていました(笑。こんな感じ。

 

母、一彰を置き去りにして従業員の台湾人と台湾へ駆け落ちする。 ← これホント

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一彰、工場の隣の教会の外国人司祭に引き取られて成長するが、この司祭も訳ありで李歐と通じている。 ← これマチガイ、なんと司祭の登場は後半で、司祭が李歐と出会うのは、李歐が日本出国後のフィリピン  

 ↓

一彰、成長して阪大生となっているが学資稼ぎのためにキタのナイトクラブでボーイのアルバイトをしている。 ← これホント、ただし、これが第一章で子供時代が第二章、順番逆

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一彰、クラブの裏の路地で李歐と出会い一目惚れ、親友の誓いを立てる ← 半分ホント、半分マチガイ。

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ナイトクラブの裏で会った途端、李歐は路上で踊り出す ← これはもし実写化でもすればアホらしい場面になるところだが、高村女史の筆にかかると、この作品で一番の名場面!

男は降りてくる一彰を数秒見ていた。そして、一彰がにらみ返すより早く、その目は突然、よく切れる薄刃ですうっと刺し身を引くような、強烈な流し目を残して一彰から逸れていった。と同時に、男の二本の足は路地へ滑り出し、今しがたの腕一本と同じ動きがその全身に乗り移って、二本の腕と足が天地四方へうねり出したのだ。 ......男の腕も足も生きている蛇だった。たおやかで鋭く、軽々として力強く、虚空を次々に切り取っては変幻する。それが天を突く槍に化け、波打つ稲穂へ、湖面のさざ波へ移ろっていく。

李歐は偽名でナイトクラブでしばらく働いた後、笹島絡みの某シンジケートの命令で5人を射殺して悠々と出て行く。なんと守山が匿っており、一彰はそこで再会、二人は隠微な友情の誓いを立てる。

  ↓

李歐は一彰に、金貸し笹島が絡んでいる密輸拳銃を強奪しようと持ちかけ見事成功、時価一億円の拳銃を折半し、自分は予め用意してあった船で脱国する。  ← これ、ホントだが、本編のクライマックスというイメージと裏腹に実はまだ前半だった!

  ↓

一彰は自分の強奪分の拳銃を笹島に渡す代わりに守山の借金をチャラにする駆引きに成功し、自らは身の安全のためナイトクラブの殺人事件の件で警察に自首し、服役する。 ← ほぼホント。

出所後守山の工場に身を寄せ、守山の娘に後ろ髪惹かれつつも出国、李歐と幸せに暮らしましたとさ。 ← これ、早過ぎ

 

   事が事だけに、更には李歐がシンガポールで一大シンジケートを作り上げ旧勢力と対立しているために、一彰、李歐の周囲で次々と痛恨の犠牲者を出す。そして一彰は幼い息子と二人で中国へ渡り、その一年後にやっと李歐がやってくる。   

 

とこんな具合です。

 

  ですので、李歐が密輸拳銃五千万円分を持って脱国するのは、前半の最後あたり、そこからが長いのでした。

 

  アイルランド人のキーナン司祭は李欧と入れ違いに登場し不思議な雰囲気を漂わせ、一彰は出所後守山の経営を手伝い、胃癌で死んだ守山の葬式をあげてやり、工場を継ぎ、笹島ルートを引き継いだ原口と言う刑務所で一緒だったヤクザの大物といろいろと絡みがあり(ムショで「かわいがられた」仲)、守山の轍を踏むが如く拳銃の修理を引き受け、また田丸に睨まれ、そんな中でも何とか工場経営を軌道に乗せ、守山の娘咲子と結婚し、一児をもうけたりと、なんだかんだ色々あったのでした。ほとんど忘れてましたが(大汗。

 

  そして気づけば李歐が去ってから15年が経っており、この間、世界情勢も、冷戦時代が終わりを告げ、李歐が目撃するベルリンの壁崩壊など、大きく変化はしています。しかし闇勢力の果てしない抗争というのは終わりを告げることがありません。そのあたりの高村節はやはり見事。

自分たちは、最低限、国家の治安維持を理由に人が死ぬことはない幸せな国に生まれたが、海の向こうはそうではなかった。それでもそのアジアの一端に自分たちはそれぞれに連なり、何も知らない市民の命一つが吹き飛ばされるようなことも起こりうる時代を、二人(一彰と田丸)とも、こうしてたしかに生きてきたのだ。

  とにもかくにもそんな物語の中で高村流スーパーリアリズムが炸裂するのは、当時の大阪の情景と表裏、下請け工場の仕事や資金繰りの現実、そして拳銃についてのしつこいくらいの蘊蓄と密造改造。

 

  元々「わが手に拳銃を」という作品を改変したものであり、そのあまりのリアルさに拳銃に目が行きがちですが、後半では近年TVドラマで話題になった池井戸潤の「下町ロケット」のアイデアをそのずっと前に先取りしていたことに驚きました。

 

  最後は上に書いた通りですが、ここまでスーパーリアリズムを貫いておいて、あの頃の中国を考えてみると夢みたいな話で終わるのは、北朝鮮を「地上の楽園」と言ってたのと大同小異ではないですが、高村さん!と皮肉の一つも言いたくはなります。

 

  それでもやっぱり  

 

 李歐はいい!   

 

彼の造形だけですべてを赦してしまえる、そんな物語なのでした。