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備忘録、採点表

沼地のある森を抜けて / 梨木香歩

⭐️⭐️⭐️⭐︎⭐︎

  梨木香歩2005年発表の作品で、梨木文学の最高峰との評価も高い傑作。「f植物園の巣穴」のレビューでも書いたが、21世紀ゼロ年代梨木香歩の創作意欲が最高潮に達していた時期なのだが、この作品の完成にはなんと4年の歳月をかけている。この作品に精魂を傾けるにあたり気分転換が必要で、そのために裏で書いていたのがあの快作「家守奇譚」だというほどなので、この作品の梨木香歩に占める重要度が推し量れると思う。

 

  執筆動機は随筆「ぐるりのこと」の主要テーマであった「自己と他者(ぐるり)の境界」を小説化したいという希求。驚いたことに梨木さんはこのテーマを徹底的に掘り下げ、自己と他者というマクロな視点から一個の細胞の細胞膜(植物では細胞壁)という境界にまで突き詰めていく。さらには生命の樹を遡り、原初の一個の細胞の絶対的孤独、無性生殖から有性生殖への劇的な転換点まで思いを巡らす。

 

  こうなるともうSFと呼んでいい内容だが、実際この小説を読んでいると、A.C.クラークの「幼年期の終わり」、レムの「ソラリス」、オールディスの「地球の長い午後」などに思いが及んでいった。

  また、構成的には「ぬか床」のメインストーリーの間に「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」という美しい架空世界の物語が三回に分けて挟まれており、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を彷彿とさせるものがある。また、彼女自身の「裏庭」の世界も思い起こさせる。

 

  だからどうなんだ、と言われればそれまでだが、そのような様々な過去の傑作に比肩しうる内容を持ち、イマジネーションを刺激する作品だと思った。

 

  **********   

 

  と、いきなり大上段に構えてしまったが、では早速レビューを始めよう。(まだ始まってなかったのかよ©︎ナイツ土屋)

 

  まず「ぬか床」編。

 

1. フリオのために

2. カッサンドラの瞳

4. 風の由来

5. 時子叔母の日記

7. ペリカンを探す人たち

8. 安世文書

10. 沼地のある森

 

の7章からなり、起承転結のはっきりとした意外に緻密な構造になっている。意外に、と述べたのは「起」の部分があまりにも奇妙奇天烈な内容だからで、「実に奇妙な小説である」という評価が多いのもこの2章のイメージが強いからだと思う。

 

  なんせ、ぬか床から卵が出てきてそれが孵って人間になるというのだから、確かに尋常の小説ではない。

 

  主人公は化学メーカーの研究室に務める上淵(かみふち)久美という独身女性。両親は事故で亡くなっており、祖父は失踪、係累としては母方の叔母が二人いるが、下の時子叔母さんが突然心臓麻痺で死んでしまうところから物語は始まる。

 

  そして時子の姉の加世子叔母さんから、家宝として曾祖父母が昔故郷の島から持ち出してきた、島の沼の成分が入った「ぬか床」を受け継ぐように命じらる。このぬか床は母が受け継ぎ、その死後久美に引き継がせるには忍びないと、時子が引き受けてくれていたのだ。

  なんせ加世子叔母曰く、このぬか床、

 

代々の女に毎朝毎晩かしずかれて、すっかりその気になったのよ。しかもどうやら代々の女たちの手のひらがぬかになじんでいるせいで、念がこもっているのよ。

 

であるからして、家宝であるとともに大変厄介な代物で、手入れを怠ると

 

呻く、文句を言う、ものすごく臭いにおいを発する

 

という恐ろしいもの。

 

  母の次に継ぐべきは加世子叔母さんのはずが、時子叔母さんが引き受けたのは、なぜかそのぬか床に嫌われていたためとのこと。

 

  時子叔母さんのマンション付きという条件に惹かれて渋々ながら引き継いだ久美だったが、幸いぬか床から嫌われず、叔母さんからあんたには「ぬか床用の素質がある」と太鼓判を押される。

 

  とそこまでは良かったのだが、そのぬか床を世話しているうちにある日卵が現れ、それが孵って人間になったから大変。でも久美は現実を受け入れるしかない。

 

  第1章では幼馴染の優柔不断な「フリオ」にそっくりな(フリオ自身は小学校時代の恩人で事故死した光彦だと主張)半透明で美しいパンフルート少年が、第2章では両目だけが浮遊してあちこち覗き込む「カッサンドラ」というのっぺらぼう三味線女が産まれてくる。

  「フリオ&光彦」の方はフリオに引き取られていき、ほろっとする後味のよいエンディングで終わるが、「カッサンドラ」は母みたいだけれど記憶の中の母とはかけ離れた嫌味や憎まれ口ばかり言う女、おまけにぬか床がたまらなく臭くなってきて、加世子叔母の入れ知恵でぬか床に芥子粉を入れると言う荒療治をしたところ、この女も消えてしまう。

 

  短編としてこれだけで終わっていれば、まあ梨木さんらしい摩訶不思議系ファンタジーだったなで済むところだが、今回はそうはいかない。梨木さんもこのままで終わらせるつもりは全くなかったはず、なぜならこの二章の中に結末に至るまでの様々な伏線を張り巡らしている。

 

  さてさてこの久美という女性、梨木小説の主人公としては例外的なほど積極的で行動力のある人物。

  第2章で時子叔母さんの知り合いで偶然同じ会社の別の研究室にいた風野(かざの)なる人物を探し当て、一拍置いた第4章でその風野さんとともにぬか床、ひいては上淵一族の謎を探索し始める。

 

  この風野さんがまたまたユニークな人物。男尊女卑の時代に一家の男どもに虐げられた母のあまりにも哀れな最期を目の当たりにして、決然と「男性」であることを捨て「無性」を選択した人物。だから「ぬか床」のような家に女をしばりつけるための装置などは敢然と拒否する人物なのだが、その一方でその「ぬか床」の主役である「真核生物」酵母の研究をしていたり、粘菌をペットとして飼っていたりと、この小説のテーマである「」「自他境界」を体現しているかのごとき重要人物で、最後の最後まで久美と行動をともにすることになる。この小説のフックとなる、なかなかいけてるキャラクタである。

 

  閑話休題、第5章はマンションの部屋を探して出てきた時子叔母さんの日記がメインとなり、驚愕の事実が明らかになっていく。てか、それを一番最初にそれを探し出して読めよ、という話なのだが。

 

  久美が子供の頃「うちは遠い親戚の出入りが多い」と感じていたこと、「フリオ」の出生の秘密、行方不明になった祖父のこと、そしてカッサンドラが残した様々な言葉

おまえは本当に恩知らずだよ。覚えていないのかい。一体誰に育ててもらったと思ってるのか

ペリカンは沼地に来るんだよ。

おまえがいったんじゃないか。あんたは嫌なことばっかしいう、でもあんたの言葉なんて誰も信じない、って。まるでトロイアの王女、悲劇の予言者、カッサンドラのようだ、って。

久美ちゃん、おやつのドーナッツ、テーブルの上にあるからねえ・・・・・・。

 

 

の秘密、果ては両親と時子の本当の死因。全てぬか床、そして曾祖父母の故郷の島が関与している。。。

 

  久美は加世子叔母さんの制止を振り切り、その島へぬか床を返しに行く決意を固める。勧めてくれていた風野さんとともに。

 

  そして第7、8章は島での怒涛の展開。二人は島へ渡る際に知り合った謎の男富士さんの助けを借りて、曽祖母一族の秘密、島の沼の秘密を次々に解き明かしていく。

 

  そして久美と風野の思索は生命樹から有性生殖、無性生殖の境界、そして宇宙で初めて生まれた原初の細胞の絶対的孤独にまで敷衍していく。果たして二人は「ぬか床」を「沼」に返すことはできるのか?

  それはつまるところ、「ぬか床」「沼」の終わり、つまり沼から生まれた「種」の終わりを見届けることなのだが。。。。。

 

  終章第10章は短く静かに美しく幕を閉じる。やや物足りないと思われる方もおられるかもしれないが、例えば恩田陸さんなら絶対に超豪快な「投げっぱなしジャーマン」をかますところ。それに比べれば実にきっちりとした落とし前のつけ方。

 

  最後の文章を引用して静かにレビューを終えてもいいのだが、ここは妬ましいくらいにうまい、翻訳家鴻巣友希子さんの解説をお借りしよう。

 

久美と(男をやめた)風野さんのあいだにも、ふしぎな「化学反応」が起きている。これを恋とか愛とか呼ぶ必要はないだろう。命の生まれそして果つる沼地のまわりには、枝間から陽がふりそそぎ、しかしそこには微かにタナトスが匂う。この森は『裏庭』の裏庭とどこか似た香りがする。「死の世界にとても近いところ」にあり、「生活の営みの根源」でもあると書かれていた裏庭・・・・・。

  そうだ、梨木香歩の物語のなかでは、つねに生と死はつながる。つながっているという実感のもとに書かれているのだ。どちらも無限に繰り返されながら、今ここにしかないだたひとつのものとして。ふたりは、生と死の入り口である沼地のある森を抜ける。「円環と再生」という作者の大きなテーマが感じられる静謐なラストシーンに感動した。

 

 

  **********   

 

  さあいよいよ本題。(いいかげんにしろよ、をい、ま~だ本題じゃなかったのかよ©︎ナイツ土屋)

 

  と言う訳で、ここまで大真面目にストーリーを追ってきたが、半分ネタバレを承知で言ってしまえば、沼のミクロフローラがどんなに豊かであったとはいえ、そこから無性生殖で人間という種と有性生殖できる生物が生まれてくるわけがないだろう、とは思う。どんなにまじめに久美、風野、富士さんが生物学、哲学を駆使して考えようとも。

 

  そんな荒唐無稽性を絶妙に緩和してSF小説として成立させる役割を追っているのが、インタールードとして存在する「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」I,II,IIIである。

 

  無性生殖で細胞分裂することにより永遠の命を保っていた細胞が、ある日ある時他者との境界を知り有性生殖を知る、それは絶対的孤独からの脱却と引き換えに「死」を受け入れ、世代を継いでいく事。これが梨木香歩さんがこの小説で突き詰めて考えたテーマの一つ。

 

     この無性生殖から有性生殖への転換点を、象徴的に、「裏庭」の如き架空世界としてとびきり美しい描写で、本ストーリーと上手く対比させながら描き切ったこの三編があることで、この小説は最後の最後に島(シマ)の燈台に光を灯しまばゆく輝くことができた。

 

  この三章に言及しているレビューはあまりなく、梨木さんも何の説明も加えておられないのだが、個人的にはとても大切なインタールードだと感じた。

 

  それぞれの終章の、この小説の白眉と言える部分を抜粋して今度こそこの長いレビュー、終了とさせていただく。

 

  まずは本編。性を拒否していた久美と風野さんが境界のない粘菌タモツ君の力を借りて初交合するクライマックス。

 

解体されていく感覚 - たった一つ、宇宙に浮かんでいる - これほど近くに相手がいて、初めて浮き彫りになる壮絶な孤独。(中略)私と彼のあらゆる接触面が、様々の受動と能動の波を形作り、個を作っていたウォールを崩し、一つの潮を呼びこもうとしている。

  大海原の潮。

  そこに遠く光るのは、まるで闇夜に見つけたたった一つの燈台の光。   ああ、どうか、と、それだけを頼りに、見失わないように、すっと背骨を反らすと、それに沿って灼熱のなにかが駆け上がり、どこまでも天を射してゆくのを知覚した。思わずこぼれた声は、傾きかけた満月の光りを受けて白銀の気体となり、そのまま軽く開いた風野さんの口腔の奥の宇宙に吸い込まれていった。

 

「それ」が渡されたのだと、私は知った。(10 沼地のある森)

 

 

  それに対応する、「かつて風に靡く白銀の草原があったシマ」終章においてロックキーパーから「ロックオープナー」の名をもらった「」が、「ウォール」の向こうからやってきたアザラシの娘たち、すなわち「」と出会い接合する場面。

 

アザラシの娘は、 ー ロックオープナー - と囁き、僕はそのとき、雷鳴がとどろくような揺るがない確実さで彼女の名前を再確認した。彼女こそが、アザラシの娘たちが囁いていた、あの名前の実体だったのだ。 ー シ - と、僕は彼女の名前を呼んだ。   全てを失って、確実さへの渇望があまりに激しくなり、白い火花を生んだ。(中略)それと気づいたときは、相手はほとんど液状化しており、僕は存在自体を相手に包まれ、そして接合していた。(中略)これが「シ」の実相なのだろう。なぜなら、「僕」は変容し始めていた。そして、そのことは以前の「僕」が終わったということを意味していたから。

 

  白い火花は「僕たち」を覆い、それはシマ全体に伸びる白い閃光となった。そして長くくねる白銀の生き物のように虚空へ飛び去った。

  僕は最後に 残った意識で、これが燈台に灯った最初で最後の光だと知った。(かつて風に靡く白銀の草原があったシマ III)

 

 

 

 

 

はじまりは、「ぬかどこ」だった。先祖伝来のぬか床が、うめくのだ――「ぬかどこ」に由来する奇妙な出来事に導かれ、久美は故郷の島、森の沼地へと進み入る。そこで何が起きたのか。濃厚な緑の気息。厚い苔に覆われ寄生植物が繁茂する生命みなぎる森。久美が感じた命の秘密とは。光のように生まれ来る、すべての命に仕込まれた可能性への夢。連綿と続く命の繋がりを伝える長編小説。 (AMAZON