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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

異邦人(いりびと) / 原田マハ

⭐︎⭐︎

   この小説を個人的感想を抜きにして評価すれば良くできた小説である、と思う。

 

  プロットはよく練られており、東京と京都に離れてしまった夫婦の感情のすれ違いや行動の行き違いが傷口を徐々に広げていく様、女性同士の交情と最後の種明かし、画廊経営の現実と私企業の美術館経営の難しさ、東西画壇の違いと温度差、京都の情景や祭りの描写、京都人の矜持と閉鎖性、さらには東日本大震災原発事故の東京の落とした暗い影、等々、よくもまあこれだけたくさんのテーマを長編とはいえこの分量に収めてまとめきったな、と思う。

 

  主人公女性の贅沢お嬢様からの脱皮、天才絵師の暗い過去とその作品の魔性の魅力の描写も見事。

 

  これだけ書くと星五つだろう、ということになるが、残念ながら上記長所を最大限評価しても、個人的には星二つ。

 

  一言、絵の描写以外の全てが面白くなかった。

 

  なぜ面白くないのか。京都人描写への反感とか、京都の四季の情景が観光パンフレット的だとか、主人公やその母、夫にちっとも感情移入できないだとか、京都画壇の巨匠があまりにも予想通りのダメダメ親父だとか、まあ色々と理屈はつけられるが、要するに波長が合わなかった。

 

  私はデビュー当時からマハさんのファンで、「カフーを待ちわびて」「さいはての彼女」「キネマの神様」といった泣かせる小説、「#9」「楽園のキャンバス」「ジヴェルニーの食卓」と言ったキュレーター職を活かした絵画小説などなど大好きである。最近では新聞連載された「リーチ先生」に夫婦共々ハマり、終わった時はリーチロス症候群になったほど。

 

  ではなぜこの小説が面白くなかったのか?マハさんは真面目すぎて一生懸命書き過ぎて、羽目を外せない、おまけに最近は超多忙である。そこに入魂の部分と通り一遍の部分の温度差が生まれ、ひっかかってしまったのではないかと。

 

  そういう意味では「総理の夫」とか「アノニム」とか「ユニコーン」などに見られるやや粗製濫造的な傾向がこの作品の中(京都の祭りや行事の情景など)にもあったと思う。

 

  それに今回は谷崎潤一郎川端康成の京都へのオマージュとして書いたとのこと、そりゃ無理だろ、の世界。率直に言って谷崎や川端に親しんだものとして、そして関西人としては、マハさんは「異邦人(いりびと)」でしかなかった。

 

 「美」は魔物―。たかむら画廊の青年専務・篁一輝と結婚した有吉美術館の副館長・菜穂は、出産を控えて東京を離れ、京都に長逗留していた。妊婦としての生活に鬱々とする菜穂だったが、気分転換に出かけた老舗画廊で、一枚の絵に心を奪われる。強い磁力を放つその絵の作者は、まだ無名の若き女性画家だったのだが…。彼女の才能と「美」に翻弄される人々の隆盛と凋落を艶やかに描く、著者新境地の衝撃作。(AMAZON