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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

なりたい / 畠中恵

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  しゃばけシリーズ第14弾。今回は「〜になりたい」と言う題名が五つ並んでいる。ことの始まりは、畠中さんは断言はしていないが珍しくも大妖の手代二人仁吉佐助の失策である。

  若だんなが恒例によって寝こむ少し前に、近所で似た年頃の若者が亡くなる。主人の藤兵衛はいつも以上に寺社への寄進や供え物をするように仁吉と佐助に命じる。二人も十分承知であれこれ準備するが、寺社へ向かうと若だんなの側にいられない。それは困ると思った二人、なんと

「ならば、神様の方から、来ていただいてはどうかな」(仁吉)

「それはうまい考えだ。」(佐助)

いつも貧乏神の金次がいるとは言え、相手は神様。願い事を叶えてくれるだけではない。神とは、

人を喰らいかねない者であった。

町ごと、ひっくり返しかねない方々であった。

存在である。そんな神を五柱(稲荷神、大黒天、生目神、比売神、橋姫)も招いてしまったのだ。案の定、神々は話の流れから、

若だんな、我らが帰るまでに、来世何になりたいか、答えを口にしなさい

と注文をつける。それが気に入ったら若だんなの望む先の世を引き寄せてやろうと言うのだ。人が神と知り合うことは良いことでもあり、危ないことでもある。恩恵も厄災ももたらしうるのだ、それも五柱となれば数倍になる。

「心して返答なさいまし」

比売神が柔らかく言った。

と、仁吉と佐助にしては浅慮な行動が若だんなを窮地に追い込むわけである。

 

  ただし、そこから五編は若だんなの「〜になりたい」と言う願いではなく、他人(妖)のものである。

 

妖になりたい」は、長崎屋に蜂蜜を卸してくれている甚兵衛と言う男が妖になって空を飛んでみたりしたい、と願っており、そこに黒羽の友達の天狗赤山坊が絡んでくる話。

人になりたい」は江戸甘々会という「会」に入会している勇蔵という元道祖神が殺されて(当然死なない)起こる騒動から、子供相手の菓子店を開くまでの人情噺。

猫になりたい」はおしろが連れてきた猫又の春一の頼み事に、前作「ずえずえ」で登場した戸塚宿の猫又虎と藤沢の猫又熊市の覇権争を絡めた人情噺。

「親になりたい」は子供ができずに長崎屋に出戻ったおようという女中の二度目の縁談相手に子供がいて、その子がどうも妖であるようだと若だんな御一行が気づくあたりから始まる騒動を描いている。

最後の「りっぱになりたい」は冒頭に述べた「近所で似た年頃の若者が亡くな」ったところから始まる騒動。茶問屋古川屋の息子万之助のお通夜に出向いた若だんながまだ死に切れない万之助の幽霊(幽体?)に頼まれごとをされる。親の枕元に立って生まれ変わったら「〜になる」と言ってやって安心させてやりたいので何になるか一緒に考えてほしいという無茶な注文である。そこに万之助の妹の誘拐身代金要求事件も勃発して若だんなと妖一同の大捜索が始まる。

 

と、他人(妖)の頼み事を次々と解決してやる若だんなだが、果たして五柱の神の前でどんな返答をしたのか?それは読んでのお楽しみである。もちろん、

「今度は、神の方を呼びつけてはならん。」

と釘を刺されてしまうが、これはまあ当然、この程度のお叱りで済んでよかった。

 

誰もがみんな、心に願いを秘めている。空を飛んでみたくて、妖になりたいという変わり者。お菓子を作りたいがため、人になりたがる神様。弟を思うがゆえ、猫に転生した兄。そして、どうしても子を育てる親になりたい女―。それぞれの切実な「なりたい」を叶えるために起きた騒動と、巻き込まれた若だんなの本当の望みは?願いをめぐる五つの物語がつまった「しゃばけ」シリーズ第14弾。