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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

椿宿の辺りに / 梨木香歩

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  梨木香歩さん五年ぶりの新作は「f植物園の巣穴」の続編。前半のまったりしたユーモアは楽しめたが、後半「非常な不幸に見舞われている佐田家の子孫」の原因を実家と椿宿全体の治水の話に結びつけていくあたりは牽強付会過ぎて、というか「異界譚ファンタジスタ梨木香歩」さんにしては真面目にまとめすぎており、肩の痛みを必死にこらえながら痛い話を執筆された梨木さんには申し訳ないのだが、率直なところ隠り江のごとく「流れが滞っている」感が否めなかった。

 

深遠でコミカル、重くて軽快。 著者五年ぶりの傑作長編小説。 自然、人間の体、こころの入り組んだ痛みは 家の治水、三十肩、鬱と絡み合い、主人公を彷徨えるツボ・椿宿へと導く。 皮膚科学研究員の佐田山幸彦は三十肩と鬱で、従妹の海子は階段から落ち、ともに痛みで難儀している。なぜ自分たちだけこんな目に遭うのか。 外祖母・早百合の夢枕に立った祖父から、「稲荷に油揚げを……」の伝言を託され、山幸彦は、鍼灸師のふたごの片われを伴い、祖先の地である椿宿へと向かう。 屋敷の中庭には稲荷の祠、屋根裏には曽祖父の書きつけ「f植物園の巣穴に入りて」、 明治以来四世代にわたって佐田家が住まいした屋敷には、かつて藩主の兄弟葛藤による惨劇もあった。 『古事記』の海幸山幸物語に3人目の宙幸彦が加わり、事態は神話の深層へと展開していく。 歯痛から始まった『f植物園の巣穴』の姉妹編。(AMAZON

 

  主人公は「f植物園の巣穴」の主人公田豊から三代降った子孫たち、日本神話の海彦山彦に材を得た、佐田山幸彦(通称山彦)、佐田海幸比子(海子)、鮫島宙幸彦(宙彦)である。この変な名前をつけさせた張本人でこの物語のキーマンとなるのは 、豊彦が巣穴(の夢)から戻って妻を大事にするようになってからもうけた子供佐田藪彦である。

  とにかく代がこれだけ降っているので、また佐田家の遠い親戚鮫島家や山幸彦の母型の家系も絡んでくるので、しばらくは把握が大変である。家系図のメモを取りながら読み進めるのが吉である。

 

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佐田家鮫島家家系図

 

  さて、物語はこの佐田家の子孫たちが「非常な不幸に見舞われている」ところから始まる。とにかく「痛い」のである。そして螺旋プロジェクトみたいだが、「山」彦と「海」子はソリが合わないのである。

  まず豊彦に一番似ている山彦は、海子に言わせれば陰険で小心、鬱陶しいほどいつも敬語で話す。そして元々鬱で頭痛・腰痛持ち、それに最近四十肩(本人曰く三十肩)と頚椎ヘルニアが加わり、激痛でにっちもさっちもいかなくなっている。

  一方従妹の海子は山彦に言わせればガサツで単純で口が悪い。階段から落ちあちこち痛いと思ったら難病指定のリウマチ性多発筋痛症という診断がくだる。

  なんで自分達だけが、というところから、祖父の藪彦がつけた自分達の名前にもつい愚痴が出る。

 

  そんなところへ、遠方の投網市美杉原四ー三(旧地名)椿宿(つばきしゅく)にある先代から貸したままの実家の店子から「賃貸契約を打ち切りたい」という手紙が舞い込む。

  そしてその差出人に山彦は驚く。「鮫島宙彦」という名前だったからである。そして中の書類を見てもっと驚く。戸籍上の本名が「鮫島宙幸彦」だったからである。

  早速山彦は海子に電話する。性格上予想されるように海子はあんまり驚かない。それより痛みをどうかしたら、私が通っている鍼灸院を紹介したげる、と言う。

 

  この二人の会話は螺旋プロジェクトに入れたかったくらい面白い。

 

  そしてここから、思いっきり自己中の母野百合(これがまた面白い)の祖母で叔母百合根宅で寝たきりの小百合がやってきた山彦に、佐田のおじいさん(亡き藪彦)が「椿宿の家の後始末」やら「稲荷に油揚げを」やらのお告げをした話を挟みつつ、山彦はその母の実家の近くにある「仮縫鍼灸」へいくことになる。

  カリヌイ、アヤシゲもいいところだが、実際その鍼灸院の先生は白髪白鬢の老人で絵に描いたように怪しい風貌であり、おまけにその双子の妹亀子(かめし)は霊能力者。。。

 

  私なら逃げて帰りそうだが、当然ここはこの「亀シ」が話に深く関わってくる。痛みの原因は実家にあるし稲荷に油揚げは必要、山彦が行くのならついていくという。私なら丁重にお断りするところだが、そこはそれ、やっぱり二人で出かけるのである。

 

  で、途中で運良くというか、亀シの霊感というか、話の都合上というか、亀シがトイレを探してたどり着いた、投網市の隣の茎路(くくじ)市にある喫茶店椋の木」をやっていたのが鮫島宙彦の母竜子と妊娠中の妻泰子(たいこ)なのであった。

 

  この辺りの超御都合主義的展開もとっても面白い。おまけに今回は夢ではない。

 

  ただ、一人だけいない奴がいる、そう、宙彦である。この男「癇が強くて放浪癖がある」という設定ではあるのだが、なんと、妻が妊娠した途端、家を出て行方不明なのだ。なんという男。。。

 

  もちろん、途中で挟まれる藪彦の「宙幸彦の冒険」という海彦山彦を自己流にアレンジした話の通り、終盤で連絡は取れ、やはりこの男がキーマンであったか、ということになる。ちなみに藪彦がこういう話を書いた裏には、例のカエル小僧、水子道彦が長男扱いされることへの鬱屈があったのであった。やれやれ。

 

  問題はこの間、椿宿の実家に辿りついてからの話である。というか、これが本題なのであるが、そこはかとないユーモアはあっても基本マジメ路線なのである。

  「f植物園の巣穴」でも一つのテーマであった「イエノチスイ」から椿宿の間違った治水、さらには大昔からの川の氾濫、大昔の南海トラフ地震、火山の噴火と続く災害の影響は今でも残っており、地方全体の治水が必要なのだというでかい話になってくる。

  そして「稲荷に油揚げ」の方は、この実家で起こった江戸時代の家老一家の集団自害という悲惨な事件、佐田家のそもそもの由来の方へと話が進んでいく。

  さらには曽祖父の書き残した「f植物園の巣穴にて」という書きおきがみつかる。

 

  とっても面白そうじゃないか、と思わるかもしれないが、「f植物園の巣穴」から始まった面妙なストーリーにきっちりとした落とし前をつけなければならなかったところにこの物語の「無理」があるのではなかろうか。

 

  真面目になると、治水の話ではないが、前作から本作前半にかけてののらりくらりの程よい流れが滞る。よって宙幸彦の説明も今ひとつ面白くないし、それに対する山彦の返事も、痛みの結末も、イマイチ感が否めなかった。

 

  ただ、これは「f植物園の巣穴」の方が好みであった一読者の意見である。あっちを「フザケンナ」と怒られた方にはこの「椿宿の辺りに」の方があうのではないか、と思う。