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備忘録、採点表

事件 / 大岡昇平

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  「本が好き!」だ開催中の東京創元社文庫創刊60周年祝企画のブックリストを見て懐かしい作品をみつけた。大岡昇平の「事件」である。大岡昇平といえば、「野火」「俘虜記」「レイテ戦記」などの太平洋戦争ものがすぐに思い浮かぶが、この「事件」は映画化されたことで有名になった作品だった。

 

  なにしろ名匠野村芳太郎が監督、松坂慶子大竹しのぶ永島敏行丹波哲郎等々の錚々たる俳優が熱演した名作で、「砂の器」と双璧を為す野村作品との評価も高い。

 

  当然ながら私も映画から入った口だったが、文庫版が創元推理文庫から出ているとは知らず、ちょっと驚いた。昔読んだ本はもちろんもう当然ながらないので、いい機会だと思って再読した。

 

   大岡昇平が作り上げた「事件」そのものは非常に単純。時は昭和36年、舞台は戦後農村から工業地帯へ変わりつつある相模川河畔の町、19歳の少年が幼馴染みの姉妹の妹である恋人を妊娠させてしまう。双方の親から反対させるに決まっているので駆け落ちしようとしたところ、恋人の姉に親に告げ口されそうになったため、山の中でナイフで刺殺し死体を遺棄したというもの。

 

  刺したこと、死体を遺棄したことは間違いないので事実関係を争える筈もなく、検察側の殺人罪および死体遺棄罪での立件は当然で、未成年であること、普段の真面目な行状から情状酌量を期待するしかないと思われた。

 

  ところがこの少年の中学時代の恩師が、あの真面目な子がどうして、と腑に落ちず、妻の親戚の敏腕弁護士に弁護を依頼したことにより、この事件の裁判中に被告に有利な新事実が一つ浮かびあがり、やや波乱含みの展開となる。

 

  となると、映画のような三角関係を中心とした心理ドラマになっていくのか、というとさにあらず。また、弁護士が大活躍して裁判が二転三転するのかというと、それもさにあらず。作者の裁判に関する知識・意見を挟みつつひたすら公判の状況が詳細に語られていき、予定通り年内に結審する。後日談はあるものの、ほとんど裁判を記録しただけの小説といって差し支えない。

 

  実はこの物語、新聞連載当時の題名は「若草物語」だった。この題名から推測できるように、書き始めた時点では大岡昇平も少年と姉妹の恋愛関係に重点を置くつもりであったらしいのが、取材を重ねるうちに「裁判」そのものに興味を惹かれていき、そちらへのめり込んでしまうこととなる。

 

  そして大岡が目指したものは、検察官と弁護士が丁々発止で争うような現実にはあり得ない安易な小説やペリーメイスンのような新証人を飛行機で連れてくるような派手なドラマではなく、立件された時にはほぼ事件の全貌はほぼ確定している、現実に限りなく近い裁判だった。つまり、

 

検事の冒頭陳述も論告も、彼(弁護士)の弁論も、要するに言説に過ぎない。判決だけが犯行とともに「事件」である。

 

というのが、彼が取材を重ねていく中で辿り着いた結論であり、「若草物語」を改題して、この文章にある「事件」を新たな題名にしたのであった。

 

  じゃあ平凡な裁判が進むだけの退屈な小説なのか、といえばさにあらず。さすがと言わせる骨太な筆致で人間関係、時代背景、裁判の状況を描き、ぐいぐい読む者を引っ張っていく。その迫力には舌を巻く思いで、この時代であれば松本清張吉村昭、最近では高村薫女史に匹敵するくらいの筆力があると感じた。

 

  最後に再読して気づいたことを記しておきたい。大岡昇平がこの時代に物語を設定したのは、都会隣接地域の変貌が事件を起こしたという思いが強いことは内容から明らかだが、それと同時に裁判制度自体が大きな変革期を迎えていたことも今読むと鮮明に見えてくる。三点ほど挙げておく。

 

1: 戦後民主主義に基づき刑事訴訟法が昭和22年に改正された。この小説では「新刑訴法」と表現されている。被告人の人権に配慮し、自白が最大の証拠であった旧刑訴法から大きく変わったわけだが、当時の法曹界には旧弊を引きずる雰囲気がまだ色濃く残っている時代でもあった。そのあたりの機微を大岡は微に入り細に穿ち解説し、登場する法曹界の人物に投影して描写している。

 

2: 事前に裁判関係者が相談しておく「集中審理方式」が合法化された。これは決して健全な審理のやり方ではなかったものの、犯罪の急速な増加によりあまりにも裁判所が抱える案件が増えたためやむを得ない面があったとのことである。この小説でも舞台となる神奈川県の急速な世情変化で横浜地裁の抱える審理数が多すぎることが指摘されている。

 

3: 松川事件の存在。検察側が被告に有利な証拠を秘匿したことにより糾弾されたこの事件は、広津和郎松本清張ら文壇からも多くの裁判批判の声が上がった。この作品でもしばしば取り上げられていることから、大岡昇平も決して無関心ではなかったと思われる。

 

  取り調べの透明化が進む現在でも冤罪事件は後をたたず、裁判員制度もうまく機能しているかどうか疑問な点も多い。しかし、裁判は法曹関係者がその能力の限りを尽くして粛々とこなしているのであるからむやみやたらな批判は避けるべきだろう、という彼の思いは現在にも通用するものではないかという思いが残った。

 

 裁判批判はいくらやっても差しつかえない。ただそれを行う文化人も投書家も、まずなぜ自分がその事件について、意見を発表したくなるのか、ということを、自分の心に聞いてみる必要があるかもしれない。

 

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