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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

飛ぶ孔雀 / 山尾悠子

⭐️⭐️⭐️⭐️

   追いかけてきた山尾悠子の最新刊に辿り着いた。昨年発刊され、第69回芸術選奨文部科学大臣賞、第39回日本SF大賞受賞、第46回泉鏡花文学賞の「三冠」を達成した「飛ぶ孔雀」。大化けしたとか世評は高い。

 

  伝説の幻想作家、8年ぶりとなる連作長編小説。 シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった。 シブレ山の近くにあるシビレ山は、水銀を産し、大蛇が出て、雷が落ちやすいという。真夏なのに回遊式庭園で大茶会が催され、「火を運ぶ女」に選ばれた娘たちに孔雀は襲いかかる。 ――「I 飛ぶ孔雀」 秋になれば、勤め人のKが地下の公営浴場で路面電車の女運転士に出会う。若き劇団員のQは婚礼を挙げ、山頂の頭骨ラボへ赴任する。地下世界をうごめく大蛇、両側を自在に行き来する犬、男たちは無事に帰還できるのか? ――「II 不燃性について」 「彗星のごとく戻ってきた山尾悠子が新たな神話圏を築いた」(清水良典氏)

 

  「I 飛ぶ孔雀」は2013年八月号と2014年一月号に「文學界」に発表された作品、「II 不燃性について」は本書のために書き下ろした作品。二作は時間がずれているもののほぼ同じ場所を舞台としており、ゆるやかな連関を持っている。

 

  第I部は六つの掌編を重ねて火が燃えにくくなった世界を提示した後、中編レベルの「飛ぶ孔雀、火を運ぶ女 I,II」で一気に華やかなクライマックスにもってくるという、山尾悠子にしては珍しい(というか初めてかもしれない)劇的な展開で驚いた。

  一方第II部は十四の掌編で一つの物語を形成する連作形式で起承転結をつけている「感じ」。

  「感じとはどういう事?」と言われそうだが、とにかく摩訶不思議で曖昧模糊とした不条理な世界観、表現も韜晦だらけで一向に展開が読めない、そして「結」でちゃんと落ちが付いたのかどうかもよくわからない。

 

さすが山尾悠子

 

  冗談はさておき、一読してこの作品のストーリーをすんなり受け入れられる人はまずいないだろう。

 

  ただ、いくつかの彼女のポリシー、傾向のようなものを知っておけば若干は読み易いかと思う。そういう留意点をいくつか挙げてみよう。

 

1:人名   ・アルファベットの頭文字が多いのでしっかりと把握しておくこと。“K,G,F,B,Q”など。これは倉橋由美子の影響。(と別の本の解説ではっきりと語っている)

  ・今回は女性の名前にカタカナ二文字が多く、かつおそらく故意に紛らわしくしているので、これもきっちりと把握しておく必要がある。“タエ、トエ、サワ、ヒワ、スワ、ミツ、セツ、リツ”など。

 ・同一人物に重複する名前が当てられることが不思議ではない。“スワ、スワン、サワ”。

 ・誰のことか読者に考えさせるためか、作為的に名前で呼ばないことがある。女運転士とか中年女医とか。

 

2:土地

 ・水や月を含めて独特の感覚がある、特に円錐状あるいは正多角形に掘り下げられた広場がお好きである。

 ・基本的に架空世界を描く。ただ今回は日本を思わせ、かつ携帯電話、車、路面電車、女子高生等々が出てくることから、昔話ではない。

 

3:対照的ペアリング

 ・対照的なものを並べるのが好きである。火と水、月と星、孔雀と大蛇、発火点と燃えにくい場所、山頂と公衆浴場源泉あるいはダクトだらけの地下、その地下売店と地上の煙草屋、姉妹と双子、等々

 

4:ルールの設定

 ・不条理な世界を筆に任せて書いているように見えて実は巧妙に計画されている。第一部のクライマックスにおける、川中島Q庭園で行われる火運びの儀式の禁忌などはそれがお遊びと化していて面白い。

 

 禁忌は次のように伝えられた。

 目的地に至るまで芝を踏んではならない。後悔することになる。

 止め石、別名関守石に注意。これは常識中の常識。  園内唯一の乗り物である作業用トラクターは使用禁止。

 話しかけられたら、応えるのが礼儀。

 口笛を吹いてはいけない。頭上にオーロラ、もしくは類似のものが来る。

 地面に火を落としたらそこで終わり。

 (中略)とにかく芝を踏むな。育成中だから。

 

  人を喰ったような、それでいてユーモラスな禁忌だが、これを一つ一つ丁寧に回収していくのだから、意外と律儀(笑。

 

 

  他にも色々とあるが、この辺で。

 

  さて、文章フェチとしては山尾悠子流美学に期待するわけであるが、残念ながらこれまで読んできた作品に比べると簡潔。逆に言えば初めての人でも読みやすい。

  本作の内容になぞらえて言えば、綺麗で愛すべき小動物が猛禽類に食べられた後、「ペレット」となり、それを“頭骨ラボ”で骨格標本としてしまったかのよう。率直なところ私には「文章の美しさ」という点で物足りなかった。

 

  そしてこんな雰囲気の話をどこかで読んだぞ、みたいな妙に既視感があるのも気になった。泉鏡花澁澤龍彦倉橋由美子あたりの影響があるのは当然のことだが、確か誰かがこんな話を書いていたような。それが誰のものか必死で思い出そうとしたが思い出せない。

 

  川上弘美の「蛇を踏む」?小川洋子の「寡黙な死骸 みだらな弔い」?筒井康隆の「夢の木坂分岐点」?高村薫の「四人組がいた」?森見登美彦の「きつねのはなし」?江國香織の「つめたいよるに」?   どれも違うなあ、かといってカフカやオースター、ミルハウザーのような、あちゃらの不条理系とは違うし、、、

 

  ってどんだけ不条理な話ばっかり読んでるんだ、って話だが。

 

  まあそんな感じを引きずりつつも最後まで一気に読んでしまった。山尾悠子のファンには嬉しい新作であるし、第I部最後の花火がパーンと上がるような華やかな盛り上がりと、第II部のしめやかに不条理を不条理のまま終息させるその対比の見事さには感心させられた。

 

  とりあえず、以上で山尾悠子の現在手に入る作品は終了。できればどこかで廃刊になった作品に巡り合えないものかとは思っている。