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備忘録、採点表

エミリ・ディキンスン アメジストの記憶 / 大西直樹

 

⭐️⭐️⭐️⭐️

  先日レビューしたアンソニー・ドーアの短編集「Memory Wall」、その中でもとりわけ秀逸なドーアジュブナイル小説が「River Nemunas」。カンサスの少女Allieが両親を事故で亡くし、リトアニアの祖父の元で暮らす物語であるが、リトアニアに旅立つとき、彼女が持っていたのが、

Biography of Emily Dickinson

 であった。ただ、Allieがこれについて言及しているのは一箇所だけである。

 

Emily Dickinson's mom was like that*. Of course, Emily Dickinson wound up terrified of death and wore only white clothes and only talk to visitors through the closed door of her room. (* = be strict)

 

単なる対人恐怖症か病的な潔癖症の女性としか思えないが、調べてみるとこれがアメリカ人の描く一般的なエミリ・ディキンスン像だそう。

   なのでこの詩人について気になっていたのだが、「本が好き!」でことなみさんがこの本をレビューされていたので早速読んでみた。

 

白いドレスに身を包んで隠遁生活を送り、無名のままこの世を去ったひとりの女性。しかし、その死後に遺品のなかから発見された約一八〇〇篇もの詩群により、彼女はアメリカを代表する詩人と評価されるに至った。その名はエミリ・ディキンスン。唯一無二の詩はいかに生み出されたのか。その生涯と詩を、彼女の生きた時代と文化から考える。(AMAZON解説より)

 

  著者はICU特任教授で日本エミリ・ディキンスン学会会長の大西直樹氏。
  氏はまず彼女が生涯を過ごしたニューイングランドの田舎町アーマストの風土・歴史・教育環境、ピューリタリズムの盛衰(特にリバイバル運動の熱狂)、更には彼女の人生において最も大きな事件であった南北戦争について、詳細かつ分かりやすく解説されている。
  興味深かったのは日本にもこの町は縁が深かったこと。新島襄内村鑑三がアーマスト大学に留学しており、エミリーの人脈の中の重要人物に札幌農学校の「少年よ、大志をいだけ」のクラーク博士がいた。彼は啓蒙主義者であったばかりでなく、黒人解放主義者で黒人部隊を従えて南北戦争に参戦している。更にはエミリの恋人との噂もあり、彼女と同じ墓地に眠っているそうだ。

 

 

    続いて、彼女の人生が家族や友人知人の紹介とともに丁寧に語られていく。彼女にも外の世界との交流はあったこと、恋もしていたこと、そして詩作や発表拒否に至った経緯などが手際よく説明されている。
  その中でもエミリが

白いドレスに身を包んで隠遁生活を送り、無名のままこの世を去った

 一番の原因であるキリスト教との関りについては詳細に語られている。特に「堅信」と「聖餐の特権」を真面目過ぎる性格であるが故に受け入れなかった経緯が彼女の人となりを偲ばせる。

 

    そして無名のまま亡くなった彼女の死後に遺品のなかから約1800篇もの詩群が発見されるわけだが、それが世に出るまでには様々な紆余曲折があり、これには遺族・友人の複雑な関係が影を落としていた。特に紙面を割いて詳細に検討されているのは、兄の愛人であったメイベル・ルーミス・トッド。エミリの詩を世に送り出した功績と、自身の醜聞を隠すために行ったこと、それに加えて夫との日本への日蝕観測旅行の詳細など、非常に興味深かった。

 

  そして終章「孤高の詩、その手強さ」は、待ちに待ったエミリの詩の詳細な検討。「ありきたりでなかった」彼女の詩の特徴について、なぜ「日本語に翻訳することが困難であるのか」について、さすが日本エミリ・ディキンソン会長という解説をされている。

 

  もちろん言語体系の違いが最も大きな要因だが、

彼女の英語の個人的なクセは、一般的な英語の用法からは逸脱している

事が大きいそう。その特有の詩作上の意図的用法の主だったところは、パンクチュエーションやダッシュ、大文字の多用、文章の倒置、文法の崩し、韻律の軽視等々など。

 

  興味津々で読んだが、残念なことに全詩の原文を載せている作品がない。ただ、多くの詩がインターネット上に公開されていると書いてあるので、試しに掲載されている最後の詩を探してみた。

 

詩人とはランプに光を灯すだけで
自分自身は、消えていく。
芯を刺激して、
もし命ある光を、

 

太陽のように、受け継ぐなら、
それぞれの時代はレンズとなって
その周辺の広がりを
拡張していく。  (J883,F939,1865)

 

The Poets light but Lamps -
Themselves - go out -
The Wicks they stimulate
If vital light

 

Inhere as do the Suns -
Each Age a Lens
Disseminating their
Circumference - 

 

これは予想以上に難解な詩。。。単純なスタンザ二連ではなく、二・三・三の構成になっていてその中三行の技巧が複雑だ。

 

  個人的には第一スタンザ四行目の「If vital light」と第二スタンザ一行目の「Suns」に考え込んでしまった。
  前者は前の行との関係が唐突に断ち切られている点、lightが一行目と韻を踏んでいるにせよ名詞大文字の彼女の原則に反して小文字になっている点の二つでとても不自然な行。
  後者は「太陽」なら何故SunでなくてSuns(複数)なのか。Sunsなら大西氏には失礼だが単純に「太陽」と訳すのはおかしい。

 

  まあこのあたりがEmily Dickinsonの詩の奥深さであり、だからこそ彼女の詩に触発された、様々な芸術作品が次々に発表され、彼女を主人公とした劇、絵画、映画などが生まれ、彼女の周辺(Circumference)は「その周辺の広がりを拡張して」いるのだろう。

 

   以上、最後は脱線してしまったが、エミリ・ディキンスンの人生、時代背景、死後の詩集発表に纏わる様々な経緯、そして彼女の詩の難解さや特徴につき、とても分かりやすく解説されている好著である。