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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

豊饒の海 全四巻 / 三島由紀夫

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

   「カラマーゾフの兄弟」などとともに長年の懸案であった、三島由紀夫の代表作にして遺作である「豊饒の海」四部作を再読することにした。

  三島自身の解説によれば『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。また「豊饒の海」とは月の海の名前である。

  最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」であり、一年も前倒しして書きあげた最終稿の入稿日に、彼は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した。

 

  この事件によってこの小説の評価も余儀なく影響を受け、またこの小説をもとに三島の現実の行動を読み解こうとする評論も多い。

 

  実際彼の現実の言動に触れざるを得ないことは論を待たないけれども、本作が三島流様式美の極致の小説であり、気分が乗る乗らないで結構作品の出来にムラのあった彼が最後の最後に全身全霊を傾けた作品であることだけは間違いない、と思う。

  敢えて言えば、絶対に失敗できないというプレッシャーの下で書きあげた第一巻「春の雪」は本当に天才のなせる業としか言いようがない、超一流の出来栄えで昭和の文学史に燦然と輝く傑作である。

  次いで第二巻「奔馬」も一流の出来、この二作は川端康成も絶賛している。

  それに比して第三巻「暁の寺」は前半理が勝ち過ぎ、後半俗に堕ち過ぎる感があり、第四巻「天人五衰」は彼自身の気持ちが先走り過ぎて拙速の感が否めず、小説としての出来はやや落ちるとは感じる。

 

  一方で、この四巻を書き下ろしていく過程で、小説世界と現実の境界が「三島由紀夫」という作家の中で段々と消失していったのではないかと思えるほどに彼がこの作品に没頭していることは読んでいてヒシヒシと感じられる。

  唯識哲学の小説世界に自らを送り込み、小説内で考えに考え抜いたこの世界のあり様の本質として、刹那に消滅しつつ持続していく阿頼耶識(アーラヤ識)に辿り着いた以上思い残すことなどないのだから早く始末をつけてしまおうという思いがあっての最終稿の一年前倒しがあったのではないか、という気さえする。

 

  この作品に即して言えば、彼は20歳で死に、別の人間に転生する、

 

運命の人間

 

でありたかった。それは

 

・「春の海」における、背徳の恋によって身を滅ぼすことを選んだ勲功華族の(バカ)息子松枝清顕であり、

 

・「奔馬」における、憂国の志をもって計画した昭和神風連の乱が未遂に終わってもなお死に場所が用意されていた一途な少年飯沼勲であり、

 

・「暁の寺」における、豊満な肉体をもって同性愛に溺れ、その肉体のままこの世から消えるタイの皇族ジン・ジャン(月光姫)であった。

 

  実際エリート家庭に育ちもやしっ子、過保護のまま学習院、東大、大蔵官僚と栄達の道を歩んだ三島と松枝清顕は相似形をなし、飯沼勲の憂国の思いの強さと割腹死は三島の最期そのものである。また同性愛については「仮面の告白」がある。彼は真性の同性愛者ではなかったという美輪明宏の証言はあるが関心が深かったことは間違いないだろう。

 

  とは言え彼は20歳を超えて生きたので、転生の運命の人間ではなかった。この三人を見守り続けた「観察者」、輪廻思想の「認識者」であった本多繁邦、第四巻の主人公で(「運命の人間」ではなく)ただの自意識過剰人間に過ぎなかった安永透、この二人が三島由紀夫そのものである。

 

  そして自己の投影であるこの二人に三島は容赦ない苛烈な運命を用意する。

  本多繁邦はあれだけ松枝清顕や飯沼勲に尽くし、唯識哲学を突き詰め、インド旅行において悟達し、巨万の富を得ながらも、ひたすら醜く老いていき、人生の最終局面において「八十歳の元裁判官の覗き屋」という惨めなレッテルを貼られる。まさしく

 

今にして本多は、生きることは老いることであり、老いることは生きることだった、と思い当たった。

 

のである。そういう意味では三島は平岡公威」という名前の「普通の」人間が、普通に生きて普通に「醜く老いる」ことには耐えられないという思いがあったのだろう。また終生気にしていたという、加古川の農家の出自(祖父の代)では栄達はかなっても運命の人になれはしないというコンプレックスがあったのかもしれない。

 

  一方で自分は天才であり選良であると自惚れ、本多を破滅させて自分がその莫大な財産を手に入れるつもりであった安永透は、本多の盟友である慶子にその自惚れを粉砕されてしまう。

 

 「 そこから喜んで出てきたのは、そもそもあなたが、自分は人とちがうと思っていたからでしょう。

 松枝清顕は、思いもかけなかった恋の感情につかまれ、飯沼勲は使命に、ジン・ジャンは肉につかまれていました。あなたは何につかまれていたの?自分は人とちがうという、何の根拠もない認識だけでしょう?

 外から人をつかんで、むりやり人を引きずり廻すものが運命だとすれば、清顕さんも勲さんも、ジン・ジャンも運命を持っていたわ。では、あなたを外からつかんだものは何?それは私たちだったのよ。(中略)

 あなたはなるほど世界を見通しているつもりでいた。そういう子供を誘い出しに来るのは、死にかけた『見通し屋』だけなんですよ。(中略)

 あなたには運命なんかなかったのですから。美しい死なんかある筈もなかったのですから。あなたが清顕さんや、勲さんや、ジン・ジャンになれる筈はありません。あなたがなれるのは陰気な相続人にだけ。」

 

これだけのことを書いてなお自死を選んだ三島由紀夫という男は、慶子に言わせれば

 

 「自尊心だけは人一倍強い子だから、自分が天才だという事を証明するために死んだんでしょう」

 

という事になる。何と苛烈で明晰で残酷な自己洞察、自己批判であることか。

 

 

 

  そしてこの長い物語の最後に本多は松枝清顕の運命の人、出家して門跡となった聡子に会うべく奈良へ向かう。そして60年前に松枝清顕が何度挑戦しても叶わなかった聡子との面会を果たす。しかし、聡子は思いもかけぬ言葉を本多に投げかける。

 

「その松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」

「えろう面白いお話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。・・・・・」

 

 

単純に考えれば聡子が87歳になって、単に認知症が来ているだけなのかもしれない。しかし聡子は否定する。

 

 「いいえ、本多さん、私は俗生で受けた恩愛は何一つ忘れはしません。しかし松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんな方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?・・・・・」

 

本多は問い返す、それなら勲もジン・ジャンも 、ひょっとしたら本多自身もいなかったことになるのではないかと。聡子は答える。

 

「それも心々(こころごころ)ですさかい」

 

この畢生の名台詞を残し、すべては崩れ去り、この長大な物語は終焉を告げる。小説内世界を生き場所と定めた三島がその世界を終わらせた以上、とるべき道は一つしかなかっただろう。

 

  しかし彼が自決した時私はまだ子供で、その意味はわからないままに強い衝撃を受けた。その意味を求めて学生時代この小説を読んだ時、その余りにも静かな崩れ去り方と、それを書いた翌日の

諸君は武士だろう。・・・諸君の中で、一人でも、俺と一緒に起とうとするものはいないのか!



という激しい檄の落差が理解できず随分と悩んだ。彼の享年と同じ年になったらまた読もうと思っていたものの忙しさにかまけて随分遅れを取ってしまったが、本多ほどに老いる前に読めたのはよかったと思う。

  俗な言い方になるが、「豊饒の海」は美意識の塊であった三島由紀夫らしい遺書である。

平岡公威(hiraoka kimitake):大正14年1月14日生、昭和45年11月25日死去、享年45歳、ペンネーム三島由紀夫。遺作「豊饒の海」。合掌。