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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

希望荘 / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️⭐️

  宮部みゆき杉村三郎シリーズ第四弾。「誰かーSomebody」「名も無き毒」「ペテロの葬列」長編三部作において、巨大コンツェルンの入り婿という「ドールハウス(解説杉江松恋氏の表現)」から、何故か事件に巻き込まれる運の悪い一市井人杉村三郎が観察し続けた現代社会の「」を描き尽くした宮部みゆき

  そして宮部はその三部作で用意周到に準備しつくした上で、杉村三郎を再び庇護のない社会に放り出し、そして「私立探偵」という職業を与えた。

  だから、本書は杉村三郎が私立探偵として活躍する初めての作品で、短編(と言っても中編くらいのボリュームはある)四作から成る。

  彼が研修し今も「調査員」として所属しているという設定の「オフィス蛎殻」が優秀であることもあり、話の流れがスムーズでようやく探偵小説らしくなってきた。

  また、三作で馴染みの喫茶店睡蓮」のマスター・水田大造が杉村の近所に引っ越してきて喫茶「侘助」を開いてしょっちゅう事務所に顔を出すのも嬉しい。率直なところ、とても面白かった。

 

 今多コンツェルン会長の娘である妻と離婚した杉村三郎は、愛娘とも別れ、仕事も失い、東京都北区に私立探偵事務所を開設する。ある日、亡き父が生前に残した「昔、人を殺した」という告白の真偽を調べてほしいという依頼が舞い込む。依頼人によれば、父親は妻の不倫による離婚後、息子との再会までに30年の空白があったという。はたして本当に人殺しはあったのか――。 表題作の「希望荘」をはじめ計4篇を収録。新たなスタートを切った2011年の3.11前後の杉村三郎を描くシリーズ最新作。 『誰か』『名もなき毒』『ペテロの葬列』に続く人気シリーズ第4弾。(AMAZON解説より)

 

聖域

  東京都北区の北東部、墨田川上流の流れを望む尾上町の古家の一角に事務所を構えた杉村探偵事務所としての初事件。と言っても、探偵事務所ともい見えない古家の一角を借りて「杉村」という表札を出しているだけなので、最初からそうそう客が来るものでもない。初めは殆どがオフィス蛎殻の調査員としての下請け仕事ばかりだった。

  そんな折、近所のおばさんが知り合いの女性を連れてきた。この女性も杉村と同じこの地の大資産家である竹中家の店子なのだが、同じテラスハウスの下に住んでいて先日亡くなった老婆が車いすに座って若い女性に連れられているのを見かけたというのだ。

  ここから大家さんの竹中家の細かい紹介が始まるがそれは省略。竹中さんの話によると葬儀を出したわけではなく、消えそうな声でもう死にますという電話があり姿を消した、というだけ。調べているうちに娘が新興宗教に入れ込んでいることが分かってきて。。。

  題材の割に後味は悪くない。杉村探偵事務所、いい出足である。

 

希望荘

  老人ホームに入居していた、人格温厚で評判のいい老人が心臓発作で亡くなった。ところがその老人は亡くなる少し前の昨年暮れごろから、しばしば自分は人殺しだ、それは昭和50年のことだった、と話すようになっていた。息子はある事情で、それが気になって仕方がない。そして杉村に調査を依頼する。

  昭和50年の殺人事件はもう犯人が分かっていて刑も確定していてその老人が犯人ではありえない上、歳月はその現場や老人が暮らしていた街を大きく変貌させていて、なかなか調査は進まない。そこへ依頼人の息子も絡んできて話はますますややこしくなるが、ある日突然街で見かけた情景から杉村はヒントをつかむ。

  これも宮部流人情噺ではあるが、老人の真意と言動にかなり無理がある。

 

砂男

  今回一番の長い話でしかも杉村三郎が探偵になるきっかけとなる話であるから、本作で一番の読みどころ。

  杉村三郎が離婚の失意のうちに決して喜んで迎えてはくれない故郷山梨へ帰り、余命幾ばくもない父の世話を焼いたり、農産物の販売センター「なつめ市場」を手伝ったりしている情景がまず丁寧に描かれる。

  次いで、配達先の一つである評判の蕎麦屋の夫婦にある事件が持ち上がる。その蕎麦屋は妻の親から引き継いだものだが、評判も良く繁盛していた、ところが夫が突然知り合いの女性と駆け落ち同然に姿を消してしまったのだ。妻は、自宅内で呆然自失しているところを杉村等に発見され、病院に入院してしまう。しかも身重であることも判明する。

  そして運命の出会いが訪れる。配達を頼まれて出かけた「斜陽荘」と言う別荘のオーナー、蛎殻昴(かきがら・すばる)との出会いだ。そう、彼こそ創業者である父を次いだ「オフィス蛎殻」の社長である。

  足に障害があるが車いすテニスの達人、極めて頭脳明晰、趣味も多彩、料理もうまい青年として描かれている。

  既に杉村三郎の過去と彼が出会った事件の詳細を調査しており、彼を呼んだのも当然目的があった。この蕎麦屋の事件の調査を通じて彼の調査員としての敵性と実力を推し量り、あわよくば社員として採用しようという腹だったのだ。

  杉村は当然ながらその調査を開始する。蕎麦屋の主人であった男には意外な過去があった。そして温厚に見えた人格も以前はそうではなかった。そこから話は一直線に進むと思いきや、杉村の予想は次々と引っくり返っていき。。。

  この話は本当によく練られていて感心する。そして杉村家の人々、前妻と娘もしばしば登場し、悲しくも暗い話の絶好の緩衝材となっている。

  そして蛎殻昴は最後に杉村に勧める。

 

「杉村さんにはうちみたいなオフィスの調査員より、フリーで動く私立探偵の方がいいと思います。生活が成り立つように、毎月うちからある程度の仕事を回しますし、サポートもしますから、独立開業したらいい」

 

二重身

  もちろんドッペルゲンガーのことであるが、それほど題名にこだわる必要はない。それよりこの物語に大きく扱われているのは、東日本大震災である。この物語は実際には大震災の4年後に書かれたそうである。さすがの宮部みゆきもこの体験を作品に冷静に取り入れて、感情に流されずまた扇動的にもならずに物語を構築することが出きるようになるまで、それだけの時間を要したということだろう。

  ここで杉村が担当するのはあるアンティークショップの店長の失踪で、依頼案件と言うよりは、ある女子高生が持ってきた相談に乗ったに過ぎない。その店長はアルバイトの店員によると、大震災の前日に東北地方に買い出しに出かけた。当然何万人と言う死者行方不明者と一人になった可能性がある。

  しかし杉村は蛎殻のある優秀な社員からこうアドバイスを受ける。

 

「杉村さん、余計なお世話を申しますが、その案件の場合、震災がらみのーこう、何と申しますかね、感情的に揺さぶられる部分は脇に置いて、単なる行方不明の案件としてとらえることを忘れない方がいいと思います。」

 

これはとても貴重なアドバイスとなる。と同時に、宮部自身が物語を綴るにあたり心したことでもあるのだろう。

 

  それでもこの物語に落としている大震災の影は大きい。

 

  その中で竹中家の末っ子、三男である竹中冬馬トニー)というユニークな新登場人物が新鮮な空気を物語に吹き込んでくれる。この話はこういう一文で終わる。

 

トニーはまだ、竹中家の父上から、原発の絵を描きに行く許しをもらえずにいる。