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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

楽園 / 宮部みゆき

⭐️⭐️⭐️⭐️

  大作「模倣犯」はあまりにも登場人物が多く、一人一人取り上げていくとレビューが煩雑になるため、敢えて言及しなかったキャストも多かった。その一人に、前畑滋子というフリーライターがいた。事件を追いかけるルポライターとなり、主犯のピースこと網川浩一に翻弄されながらも最後にTV討論で一矢報い、自白を引き出した人物である。

 

  この前畑滋子を主役に据え、事故死した子供の母親からの奇妙な依頼に応じて取材するうちに、バブル崩壊直前の1989年に起きた両親による不良娘殺害事件の真相(深層)が徐々に明らかになっていくという筋立てで再び社会派ミステリーを宮部みゆきは書き上げた。それがこの「楽園」である。「模倣犯」に量的には及ばないものの渾身の力作であり、今回は「」というテーマも加わり感動的な物語である。

 

未曾有の連続誘拐殺人事件(「模倣犯」事件)から9年。取材者として肉薄した前畑滋子は、未だ事件のダメージから立ち直れずにいた。そこに舞い込んだ、女性からの奇妙な依頼。12歳で亡くした息子、等が“超能力”を有していたのか、真実を知りたい、というのだ。かくして滋子の眼前に、16年前の少女殺人事件の光景が立ち現れた。  (AMAZON解説上巻)

 

彼の告白には、まだ余白がある。まだ何かが隠されている。親と子をめぐる謎に満ちた物語が、新たなる謎を呼ぶ。 (AMAZON解説下巻) 

 

  宮部みゆきが「模倣犯」を書き上げることにより心身とも著しく消耗したように、この前畑滋子もあの事件で深く傷つき、事件の真相を本に著すこともなく9年が過ぎたという設定で物語は始まる。このあたり解説でも書かれているが、宮部みゆきの味わった苦悩を主人公に投影しているのであろう。前畑はしばしば

 

「犯人には勝ったかもしれないが、事件そのものには敗北した」

 

という言い方で自身の無力感を表している。しかし「前畑滋子という名前」は「あの事件を取材し犯人を追い詰めたジャーナリスト」として独り歩きしており、著作もあると誤解されている、という設定はうまい。

  ちなみにピースは当初はふてぶてしく嘯いていたものの今は拘禁反応に苦しんでいる。夫昭二と滋子はよりを戻しており、今回も滋子を励ましている。秋津刑事も再登場し彼女に協力する。

 

  というお膳立てのもと、今回彼女に依頼を持ち掛けるのは、ごく普通の中年女性萩谷敏子である。彼女は二か月前交通事故死した一人息子(ひとし)の描いた絵が未来を予見していたと前畑に語る。事故を起こしたトラックの絵もあるし、ある事件を予見していた絵もある。だから彼が超能力を有していたのかどうか調べてほしいと前畑に依頼する。

 

  事件に関する絵ではある家の地中に灰色の女性が埋まっている。等は生前「この人は出られなくて悲しんでいる」と言っていた。そして訪問の一か月前、つまり等の死後に、北千住の土井崎という家で火事があり焼け出された老夫婦が16年前にどうしようもない不良娘を殺して自宅下に埋めたと告白、なんと屍蝋化した茜の死体が発見されるという事件が起きたのだ。

 

  前畑はサイコメトラーについては詳しくはないが、当然当初は否定的である。ただの偶然か、あるいは無意識のうちに見聞したことを書いたのではないかと推論し、その証拠をつかむために早速取材を開始する。そして彼が知り得るはずのなかった、家の屋根に描かれていた蝙蝠の風見鶏という変わったオブジェが本当にあったことを知る。

 

  それでも半信半疑の滋子であったが、敏子に見せて貰ったある絵に強烈な衝撃を受ける。それはどう見てもピースの山荘であった。その地面からは埋められた女性たちの腕が飛び出しており、さらには絶対に等が知りえなかったはずの、ある被害者を埋めた場所の目印であるドンペリの瓶まで描かれていたのだ。。。

 

  そこから「断章」という全く本筋に関係ない少女のモノローグをたびたび挟みつつ、物語は息もつかせぬほどのスピードで16年前の事件に関する新事実を明らかにしつつ展開していく。

 

  「模倣犯」において私は医学的記述に瑕疵があると述べたが、今回は「超能力」である。ネタバレになるが、中盤あたりまで進んだ段階で前畑滋子は等に

 

実際に接した他人の記憶を読み取る能力

 

があったと確信する。フィクションとはいえ社会派ミステリーに超能力をアイテムとして持ち込んでいいのかどうか、評価はここで別れることだろう。ただ、宮部は超能力に関しては「龍は眠る」「クロスファイア」「蒲生邸事件」等で存分に使いこなし自家薬籠中のものとしているので、「模倣犯」よりもこちらのほうが説得力があると思えるほどうまくこのアイテムを使いこなしている。

 

  閑話休題、後半は等が誰の心を読んで土井崎茜のことを知り得たのかが焦点となり、彼女の当時の恋人であった札付きの悪、”シゲ”の存在が浮かび上がり、それが「断章」の事件と最終盤にリンクし、モノローグの少女の誘拐事件がクライマックスとなる。

 

  そして、最終盤、等の母敏子とシゲの母の二人の母同士が相対し、敏子が驚くべき行動をとり、事件は急転する。ずっと不幸な境遇のまま慎ましく生きてきただけの存在であった敏子が豹変する瞬間には驚きと涙を禁じ得ない。

 

  最後の心に残った、宮部らしい文章をいくつか。

 

  まずは、「理由」をはじめとして彼女がこだわり続ける、日本人の心の有り様の大きな変換点となったバブルの時期の描写。

 

だが、そんな彼女に、底抜けで拝金的で享楽的な時代は、彼女のまだ若い心では処理しきれないほどの情報を与えまくった。茜の頭と心が、最短距離を行くことだけが正解ではないという人生の素朴な心理を理解する前に、茜の我欲は、茜という人間の存在そのものを乗っ取ってしまった。(中略)あの夜、命を落とさなければ、茜はいつか気づいたろうか。そんな自分の幼い愚かさと、無駄にした時間がいかに尊く、取り返しのつかないものであるかということに。時間は浪費するのはたやすい。買い戻そうとするときに初めて、人は、その法外な金利に驚くのだ。(下巻p269)

 

  勿論、茜のぐれた原因はバブルの時代の風潮だけにあるのではない。人間としてダメだったからだ、という厳しい意見も忘れない。

 

「今はあのころより、もっとそういう風潮が幅を利かせているんじゃありませんか。わたしがちゃんとできないのは親が愛してくれないから。先生が不親切だから。環境がよくないから。みんな言い訳ですよ。」(下巻p296、茜の叔母木村夫人言)

 

  この作品が書かれた頃(2005-6年)よりさらに「言い訳」が幅を利かせ、利己主義が当然の権利とはき違えられる現在。宮部がまた前畑滋子を主人公とした小説を書くのであれば是非読んでみたい。

  その時には今回新たに登場し、なぜ9年前の事件をちゃんと本にしなかったのか、と前畑を問い詰めつつ彼女に協力した新米女性刑事野本にも登場願いたい。

 

  最後に題名の「楽園」について、宮部みゆきが強い思いを込めて書いた見事な文章を引用してこのレビューを終わりたい。

 

 誰かを切り捨てなければ、排除しなければ、得ることのできない幸福がある。

 滋子には馴染みのない、よくできた物語にしか思えない海の向こうの宗教は、人間は原罪を抱えているのだと説く。

 (中略)それが真実ならば、人々が求める楽園は、常にあらかじめ失われているのだ。

 それでも人は 幸せを求め、確かにそれを手にすることがある。(中略)この世を生きる人びとは、あるとき必ず、己の楽園を見出すのだ。たとえほんのひとときであろうとも。

 敏子と等のように。

 土井崎夫婦のように。

 誠子(茜の妹)と達夫のように。

 茜と”シゲ”のように。

 ”山荘”の主人、網川浩一でさえも、きっときっとそうだった。

 血にまみれていようと、苦難を強いるものであろうと、短く儚いものであろうと、たとえ呪われてさえいても、そこは、それを求めた者の楽園だ。

 支払った代償が 、楽園を地上に呼び戻す。

 萩谷等は、それを描いていた。あらかじめ失われたすべての楽園と、それを取り戻すために支払われるすべての代償を。(下巻p425-6)