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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ソロモンの偽証 / 宮部みゆき

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  宮部みゆきが心血を注ぎ完成させた傑作「ソロモンの偽証」。1990年のクリスマスイブから1991年8月20日までのわずか8カ月間の物語であるが、それを宮部は小説新潮に2002年から2011年まであしかけ9年をかけて連載し完結させた。その量たるや、原稿用紙にしてのべ4700枚に渡る超大作である。もう名匠と呼んでいいだろう成島出監督で映画化もされ大変な反響を読んだのも記憶に新しいところ。

 

  内容はよく知られているように、中学校内裁判という、良く言えば斬新、悪く言えばトリッキーな題材である。

 

  クリスマスイブの夜に中学校校内で中学二年の不登校児が転落死した。状況に鑑みて学校も警察も自殺で処理、家族も納得していた。しかし後日同学年の札付きの不良三人組による他殺であるという怪文書が三通三か所に送られ、そのうちの一通がある偶然と悪意からマスコミに漏れ、大事件に発展する。一時沈静化したに見えたが、同じクラスの少女の交通事故死、三人組の仲間割れによる一人の大怪我と事態は急展開を見せる。しかし学校の対応は鈍い。納得いかないまま中学三年生になっていた当時のクラス委員の少女は、夏休みの卒業制作として「学校内裁判」を提案。賛同者を得、周囲の反対を押し切って裁判は開始され、思わぬ真相が明らかとなっていく。

 

  ざっと概観するとこのようなストーリーなのだが、これを宮部は三部に分け、「事件」「決意」「裁判」と起承転結を見事に整理し、数多くの登場人物を主役から脇役、端役、大人、子供、老人にいたるまできっちりとその人物像を描き切る。単純に善悪で区別しないでその心理の奥底まで掘り下げる手腕はフィクションとは言え、見事の一言に尽きる。そこに暖かい視線が感じられるところが如何にも宮部みゆきらしい。柔の宮部みゆき、剛の高村薫といったところか。

 

  敢えて言うと、巷間多くの批判があったように、中学二年でこれだけのことをやってのけられるのか、実際の事件に対して模擬とは言え陪審員制度の裁判を行う権利、資格があるのかと言う点に疑問は残る。私も違和感を禁じ得なかったし、高校二年くらいにすれば現実味を帯びてくるのに、と思わないでもなかったが、中学二年にこだわった理由を最終盤で作者は明らかにしている。

 

十四歳はそんなもんじゃないのか。みんな自意識過剰でまわりとゴリゴリぶつかって、不安定な心は優越感とコンプレックスのカクテルで、傷ついたり傷つけたり、何年かそういう時期を過ごして、満身創痍になって抜け出していくんだ。(第III部 法廷(下) p409)

 

  これは自殺した少年の兄の弟への感慨の一部であるが、 この物語に登場する中学2~3年生の誰もかれもが、学校と言うヒエラルキー社会の中でどんな立場にいようと否応なく経験している。そして「校内裁判」という厳しい試練の中で、関与したほぼすべての生徒が、それぞれの立場、個性、性格の中でもがき苦しみつつ成長していく様は感動的でさえある。

  よって宮部が中2という年齢設定をしたことに納得せざるを得ない。特に素晴らしかったのは、弱虫で目立たない、しかし心の中にどす黒い闇を秘め、父母殺害未遂まで起こした野田健一と言う少年。彼が弁護人補佐を務める中で変化していく様が素晴らしい。宮部もこの少年には特に感情移入していたようで、エピローグ「二〇一〇年、春」において彼を新人教師として同校に赴任させ、校長に懇願されて同校の伝説となっている「学校内裁判」について語り始めるところでこの長大な物語は終わる。作品の冒頭へ回帰する見事なエンディングである。

 

「何でもお話しできます」「どんなことでも」「あの裁判が終わってから、僕ら」

「- 友達になりました」

だだいま。

僕は、城東第三中学校へ帰ってきた。

もう、あの夏は遠い。(第III部 法廷(下) p466-7、抜粋)

 

   その意味では、この物語は社会派ミステリーとしてだけでなく、ビルドゥングスロマン小説としても極めて優れた小説であると読了してまず感じた。そのことをもう少し詳しく書こうかとも思ったのだが、松山巌氏が解説で詳細に書いておられた。。。「理由」のレビューでも同様のことがあったが、レビューを趣味とする者にはつらいところだが、まあ仕方がない。

 

  閑話休題、ミステリーとして読んでも勿論一流の小説である。バブル経済最終盤の1990年と言う時代を背景に、弁護士、探偵、ルポライター等々の多彩な職業の登場人物を要所要所でうまく裁き、中学生の裁判という言わば絵空事にリアリティを持たせ、緻密に物語を構築してほとんど隙を見せない。9年間よくぞこれだけの集中力を維持できたものである。「模倣犯」でも述べたが、医学的な面においてはやはり宮部は甘いと言わざるを得ない描写がちらほらするが、今回はそれが致命的な瑕疵にはなっていない。

  敢えて個人的な嗜好から苦言を呈すると、浅井松子と言う少女が何故交通事故死しなければならなかったのか、必然性に乏しいし、本当に可哀相である。ミステリーとしての構成上仕方ないのかもしれないが、その事がいつまでも心にひっかかっていた。

  また、最後の陪審員の判決の後の説明は、死亡した少年の両親が傍聴しているという事に鑑みてあまりにもむごい。作者の特徴である感情移入の強さの裏返しなのかもしれない。

 

  最後に小説・文章の技法に関して、その描写は隅々まで目が行き届いており、文体には特段の個性はないものの独特の柔らかさがあり、原稿用紙4700枚に及ぶ膨大な量の最後までグイグイ読ませる。まさに小説スクールの優等生である。

  特に物語冒頭の部分、松山巌氏も絶賛されていたが、ある街の小さな電気店の店主が店の前の電話ボックスから出てきた少年に声をかける部分は秀逸である。

  このキーパーソンとなる少年が「大丈夫です」と答えた後、一瞬の逡巡を見せる。それが心にひっかかった店主は、戦時中に疎開する自分を見送る母が見せた逡巡を思い出す。その母は急に乳飲み子が病気になったため疎開できなかったのだ。そして母子は翌日に東京大空襲で死亡してしまう。物語の展開を暗示させ、名もない電気店の老人の人生で背負ってきたものを鮮やかにさっとデッサンしてしまう。見事である。

 

  文庫本の最後に収録された「負の方程式」と言う短編は、主人公二人のいかにもな将来像がちらりと顔を見せる。宮部らしいサービス精神であるが、一方で蛇足の念を禁じ得ない。

 

もう一度 事件を調べてください クリスマス未明、一人の中学生が転落死した。柏木卓也、14歳。彼はなぜ死んだのか。殺人か、自殺か。謎の死への疑念が広がる中、“同級生の犯行"を告発する手紙が関係者に届く。さらに、過剰報道によって学校、保護者の混乱は極まり、犯人捜しが公然と始まった――。ひとつの死をきっかけに膨れ上がる人々の悪意。それに抗し、真実を求める生徒たちを描いた、現代ミステリーの最高峰。(1)(AMAZON解説)

 

もう一度、事件を調べてください。柏木君を突き落としたのは―。告発状を報じたHBSの報道番組は、厄災の箱を開いた。止まぬ疑心暗鬼。連鎖する悪意。そして、同級生がまた一人、命を落とす。拡大する事件を前に、為す術なく屈していく大人達に対し、捜査一課の刑事を父に持つ藤野涼子は、真実を知るため、ある決断を下す。それは「学校内裁判」という伝説の始まりだった。 (2)

 

あたしたちで真相をつかもうよ――。二人の同級生の死。マスコミによる偏向報道。当事者の生徒たちを差し置いて、ただ事態の収束だけを目指す大人。結局、柏井卓也はなぜ死んだのか。なにもわからないままでは、あたしたちは前に進めない。そんな藤野涼子の呼びかけで、中学三年生有志による「学校内裁判」が幕を上げる。求めるはただ一つ、柏木卓也の死の真実。 (3)

 

遂に動き出した「学校内裁判」。検事となった藤野涼子は、大出俊次の“殺人”を立証するため、関係者への聴取に奔走する。一方、弁護を担当する他校生、神原和彦は鮮やかな手腕で証言、証拠を集め、無罪獲得に向けた布石を着々と打っていく。明らかになる柏木卓也の素顔。繰り広げられる検事と弁護人の熱戦。そして、告発状を書いた少女が遂に……。夏。開廷の日は近い。 (4)

 

空想です――。弁護人・神原和彦は高らかに宣言する。大出俊次が柏木卓也を殺害した根拠は何もない、と。城東第三中学校は“問題児”というレッテルから空想を作り出し、彼をスケープゴートにしたのだ、と。対する検事・藤野涼子は事件の目撃者にして告発状の差出人、三宅樹理を証人出廷させる。あの日、クリスマスイヴの夜、屋上で何があったのか。白熱の裁判は、事件の核心に触れる。 (5)

 

ひとつの嘘があった。柏木卓也の死の真相を知る者が、どうしてもつかなければならなかった嘘。最後の証人、その偽証が明らかになるとき、裁判の風景は根底から覆される――。藤野涼子が辿りついた真実。三宅樹理の叫び。法廷が告げる真犯人。作家生活25年の集大成にして、現代ミステリーの最高峰、堂々の完結。20年後の“偽証”事件を描く、書き下ろし中編「負の方程式」を収録。 (6)