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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

命売ります / 三島由紀夫

⭐️⭐️⭐️

  三島由紀夫の小説の主だったものは大体読んでいるが、未読のものも多く、時々読み足したくなる。今回は、これまたブックオフで目についた「命売ります」を読むことにした。

 

  下記のAMAZON解説を読むと何やらすごい小説のように思えるが、実質は十台で「花ざかりの森」を書いた天才平岡公威と同じ人間が書いたとはとても思えない陳腐な代物である。一言でいうと、ハードボイルドまがいのエンタメ小説。まあ「週刊プレイボーイ」に連載されたそうだから、その読者層にレベルをあわせた面は大いにあるだろう。物語前半の(プレイボーイにしては控えめではあるが)お色気サービスなんかは特にそう感じる。また、書かれた時期を調べてみると1968年5-10月、「豊饒の海」シリーズの「奔馬」と「暁の寺」の狭間の時期に当たっており、気分転換的なところもあったのかもしれない。

 

  それでも一応三島的なところは所々に顔を覗かせる。種村季弘の解説を引用すると

 

一口でいえば、没落とデカダンスへの意思。(中略)デカダンスの精神の脈絡からいえば、ノーベル賞候補の大作家の手すさびという社会的通念の裏をかいて落魄の身の境涯を娯しんでいる。

 

のかもしれない。その種村氏の解説の題名は「三島由紀夫の全能と無能」というこれまた辛辣な題名である。なお、今では考えられないような差別用語がバンバン出てくるが、これはまあ時代の違いで仕方がない。

 

 

『 ある日、山田羽仁男なる27歳のコピーライターが自殺を図る。はっきりした理由はなかったが、あえて探れば、いつものように読んでいた夕刊の活字がみんなゴキブリになって逃げてしまったからだ。〈新聞の活字だってゴキブリになってしまったのに生きていても仕方がない〉と思った羽仁男は大量の睡眠薬を飲み、しかし救助されてしまう。 自殺未遂に終わった羽仁男は、もはや自分の命は不要と断じて会社を辞め、新聞の求職欄に「命売ります」という広告を出す。物語はここから動きはじめ、依頼人たちと羽仁男の命のやりとりが、三島らしからぬエンターテイメント小説風に展開していく。 大胆な設定からして確かに「怪作」に違いない。最後まで楽しく読める。だが、三島の晩年の活動と壮絶な死に様を知っている者としては、亡くなる2年前に「週刊プレイボーイ」に連載されたこの作品につい彼の死生観の断片を見つけてしまい、感じ入る。 〈世界が意味があるものに変れば、死んでも悔いないという気持と、世界が無意味だから、死んでもかまわないという気持とは、どこで折れ合うのだろうか。羽仁男にとっては、どっちみち死ぬことしか残っていなかった〉 羽仁男に託してちりばめられた三島の告白。娯楽性に富んだ作品なだけに、それらは余計に重く、読後に残る。(Amazon解説より)』