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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

空港にて / 村上龍

⭐️⭐️⭐️

  先日ブックオフ村上龍を二冊買った。その一冊が「空港にて」。龍はよく読んでいるが、殆どが長編大作ばかりで、短編集はあまり読んでいない。これはその一冊。

 

  一読して、ああ、村上龍らしいな、と思った。彼の文体には特にこれといった特徴や個性はない。敢えて言うとすれば、

 

彼の文章には逡巡がない

 

  歯切れよく断定調で畳みかけてゆく。こういう短編になるとそれが際立ち、文章に工夫を凝らしたりはせず、内容をバシバシ書き続けていってスパッと終わる感じが快い。

 

  勿論内容が心地よいわけではない。むしろ反感を覚える人も多いだろう。この時期は龍が日本という、慢性的不況で人々がゴチャゴチャイジイジしている島国に飽き飽きしていて、キューバを音楽の理想郷のように思っていた頃に当たる。端的に表現している場所を抜粋すると、

 

「普通の人生というカテゴリーには全く魅力がない」(披露宴会場にて)

「私はこの公園とこの国から出るの」(居酒屋にて)

 

ということになる。そして最初の三篇では登場人物が海外へ出るつもりであることが明記されている。

  「コンビニにて」では、ごく平凡な家庭で育った青年が、大学へ行って幻滅して中退した兄の轍を踏まぬように音響スタジオに就職し、来年サンディエゴの映画技術学校へ行くつもりでいる。

  「居酒屋にて」では、水商売から運送会社に就職した女性が、絵を描くことへの憧れを捨てられず、2~3か月南仏のアルルへ行こうとしている。アルルには、ゴッホが収容されていた精神病院を作り変えた若い文筆家や芸術家のための施設がある。

  「公園にて」では、ママ友の陰湿な勢力争いの場になっている公園で疎外され陰口をたたかれているある母親が、夫のボストンへの赴任についていく決心をしている。それが上記した台詞だ。

 

  そういう話を連ねていくのかな、と思ったがそのあとは必ずしもそうではない。ただ、あくせく底辺で働き続け愚痴をこぼし続け、リストラや倒産で酒に溺れているような人間に龍は同情しない。一方でポムロール・ペトリュス(ランク外の至高のフランス赤ワイン、一本数十万、あのハンニバル・レクター氏も飲んでいた)を平気で毎日飲めるような、自らの才覚や海外での経験で富裕層に辿り着いた余裕のある人物を登場させて、さあどっちになりたいんだ、と読むものを煽っている感じは常にする。

 

  それをいやらしいと否定する人もいれば、憧れる若者もいるだろう。少なくとも現実に不満を持ち鬱屈している人には刺激的な物語ばかりだ。

 

  あとがきを読んでなるほどと思った。幻冬舎編集の留学誌のために書き始めたのだそうだ。

 

日本のどこにでもある場所を舞台にして、時間を凝縮した手法を使って、海外に留学することが唯一の希望であるような人間を書こうと思った。考えてみれば閉塞感の強まる日本の社会において、海外に出るというのは残された数少ない希望であるのかもしれない。

 

  まあそういう事だ。そのテーマ以外で出てくるエピソードでは、箱根アフロディーテに出演したピンクフロイドの話が懐かしかった(「駅前にて」)。

 

 

『コンビニ、居酒屋、公園、カラオケルーム、披露宴会場、クリスマス、駅前、空港―。日本のどこにでもある場所を舞台に、時間を凝縮させた手法を使って、他人と共有できない個別の希望を描いた短編小説集。村上龍が三十年に及ぶ作家生活で「最高の短編を書いた」という「空港にて」の他、日本文学史に刻まれるべき全八編。(Amazon解説より)』