バナナ剝きには最適の日々 / 円城塔
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円城塔の作品の中では比較的わかりやすい短編集だというので読んでみた。
。。。。。どこが?。。。。。
まあ、「Self-Reference ENGINE」は短編集といっても相互連関があるのでなかなか途中ではやめにくい。でも、この作品集はそれぞれが独立した作品なので、いつでも放り出すことができる。そこが救いか。と言いつつ最後まで読んでしまったわけだが。
「パラダイス行」 うん、いきなりきましたね。右が生まれると左も生まれる。ZENの話ではない。
巻き尺と水平器と分度器の連合軍と、人間はどちらが正気だろうか?
これは筒井康隆に訊いてもらったほうがいいな。
「バナナ剥きには最適の日々」 この作品集の中では一番読みやすい、というか理解しやすいSF。もちろんサリンジャーの「バナナフィッシュにはうってつけの日」のパロディ的な題名なのだが、サリンジャーのは主人公シーモア・グラースの行動が不可解だったわけだが、この主人公は不可解ではない。ただ、星々に旗を置いていくだけ。それがちょっとほろ苦いところがよかった。
このお話を、あなたがどうして手に入れるのか。それは知らない。(中略)
あなたの裡の何かの宇宙が、僕のいるこの宇宙と繋がっている。少なくとも、まだ想像が及ぶ程度には。
そう願いたい。
「祖母の記録」 これも故意にわかりにくくしているが理解は比較的容易だ。植物状態になってしまった祖父を使って、ストップモーションアニメ的に祖父を爆走させる話。
「『AUTOMATICA』
『円状塔』」
いよいよきましたね、理論をもてあそぶ円城流が。簡単に言うと「文章の自動生成について」の解説もしくは講演録。本文も『』でくくられており、
それぞれ二重括弧に挟まれたタイトルと作者名と本文と。どれがそれぞれタイトル、作者名、本文なのか、どれがどれを書き記しているものだのだか、全く無縁のものなのか、それを判定すべき基準は、慣習以外に全く存在していないのです
よ。
「equal」 縦書きの極小フォントで私のKindleでは拡大できず、パス。
「捧ぐ緑」 ゾウリムシは信仰を持つか?オートガミーもすれば老衰死もする。有り得るんじゃないのか? → ないない。
まあこのへんにしておこう。ここから先はある意味禁断のフラクタルなような、量子物理学的でもあるようなないようなSF世界。SF的変質者御用達の世界が待っている。
『どこまで行っても、宇宙にはなにもなかった―空っぽの宇宙空間でただよい続け、いまだ出会うことのないバナナ型宇宙人を夢想し続ける無人探査機を描く表題作、淡々と受け継がれる記憶のなかで生まれ、滅びゆく時計の街を描いた「エデン逆行」など全10篇。円城作品はどうして「わからないけどおもしろい」のか、その理由が少しわかるかもしれない作品集、ついに文庫化。ボーナストラック「コンタサル・パス」を追加収録。 (AMAZON解説より)』