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続 ゆうけいの月夜のラプソディ 的な

ぐるりのこと / 梨木香歩

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  「海うそ」がよかったので、続けて梨木香歩を読んでみたが、う~ん、こんなはずじゃなかった、というのが二点あった。

 

  まずは自分の勘違い。以前「ぐるりのこと」といううつ病を扱った映画を見ていたので、それの原作だと思っていた。これが全くの間違いで、調べてみると映画原作者は橋口亮輔氏であった。本作は全然関係ない、それも小説でなくエッセイなのであった。

 

  梨木香歩のエッセイといえば以前「春になったら苺を摘みに」を読んで「本が好き!」にレビューしたことがある。この本は梨木が英国留学の際にホームステイでお世話になったウェスト夫人の思い出を中心とした、比較的明るい作品であった。

   ところが、このエッセイ第二弾は結構重くて深い思索で、え、梨木さんってこんな人だったの、と驚くようなところもあった。これが第二の点。

 

  表題の「ぐるりのこと」についての文章は中盤に出てくる。茸の観察会の指導者として知られていた吉見昭一氏が、

こういう菌糸類は身の回りに沢山あります。自分のぐるりのことにもっと目を向けて欲しい

と語られたその「ぐるりのこと」という言葉に一瞬心を奪われ、この言葉を連載のタイトルとして決め、この一連の文章を書き続けたそうだ。


 「ぐるり」は(おそらく関西弁だと思うが)「自分の身の回りのこと」という程度の意味だが、そこから考えを発展させ、梨木は逆に「境界」ということを深く思索していく。境界の向こうは、どうなっているのだろうか、どうすれば越えられるのか。そして最後には

「ぐるりのこと」は中心へ吸収され、充実した中心はぐるりへ還元されてゆく。(「物語を」)

 

  そこに至るまでには本当に様々な事象が俎上に挙げられる。文字通りぐるりのことから始めて、イスラーム女性のヘジャーブ、イングランドセブンシスターズでの思索、ブッシュ政権イラク進攻、長崎で起こった中学生による幼児殺害事件、武士道の極端な異端思想「葉隠」、西郷隆盛の実像、カズオ・イシグロの無国籍性、環境問題等々へ話は次々と飛んでいく。

 

  とりとめのない話題の羅列のように思えるが、一貫しているのは「考えること」の大切さを重んじる姿勢。大きすぎる、重すぎる話題についてはそこまで思いつめなくても、と思わないでもないが、彼女は言う。

 

  一人で考えてどうなるものでもなくても

しょうがないなあ

と失望しながらでも、向き合っていかねばならないと。そのための武器であり道具となるのは彼女の場合、当然「言葉」だ。

 

確かに言葉は扱いに困る、厄介な代物だ。けれど私は言葉という素材を使って、光の照射角度や見る位置によって様々な模様や色が浮かび上がる、物語という一枚の布を織り上げることが、自分の仕事だと思っている。(「風の巡る場所」)

 

   ここに書いてあることを知らなくても梨木香歩の小説は十分に楽しめるし、逆にこのエッセイは足枷になりかねない危険性も孕んでいると思う。そういう意味では熱心なファン限定かもしれない。私もしばらくは彼女の作品に集中するつもりだったが、今はちょっと離れてから、と思っている。

  

 

『旅先で、風切羽の折れたカラスと目が合って、「生き延びる」ということを考える。沼地や湿原に心惹かれ、その周囲の命に思いが広がる。英国のセブンシスターズの断崖で風に吹かれながら思うこと、トルコの旅の途上、へジャーブをかぶった女性とのひとときの交流。旅先で、日常で、生きていく日々の中で胸に去来する強い感情。「物語を語りたい」――創作へと向う思いを綴るエッセイ。(AMAZON解説より) 』